第352話 敵地の最中、巡る思考
将軍ダンケル卿との協力関係を構築して以来、リズは何度か彼と娼館の間を往復していた。
さしあたって、庁舎付近に気がかりな警戒体制や、それを示唆するものは感じられない。
それでも念のためにと、リズは時には時間帯をずらす用心深さを見せた。将軍公認ということで、軍の制服を調達した上でのことである。
幸いにして、街の衛兵らは人を顔で覚えるだけの勤務意識がないらしい。制服一つで容易にごまかせる有り様であった。
――将軍閣下からの言いつけで、昼からこのような服装で「愉しみたい」と――などという、将軍本人には許可を取っていない言い訳もあったのだが。
さて、将軍からの協力を取り付け、その上で諸国を巡ったリズだが、外の知恵も交えると事は一気に進む。将軍に聞いておきたいことというのは一気に膨れ上がり、情報伝達の行き来の中で、追加の要望を受けることもしばしばであった。
そうして人類側諸国が求めた情報というのは、ヴィシオス全土での食糧生産能力、主要街道と兵站の模式図、国内を戦場と仮定した場合の軍備補充能力、他には主要都市や城塞等の構造に守備配置等々。
メモを片手に、これまでに得た情報の箇条書きを眺めながら、リズは口から長く細い息を出した。
今は昼間。今夜、向こうへ会いに行く予定が入っており、それまでは待機時間である。イスに深く身を預け、彼女は天井をぼんやりと見つめた。
(やっぱり、どの国も腰を据えた戦いを想定していらっしゃる……)
求められている情報は多岐にわたるようで、その実、似通った傾向があることを彼女は感じ取っていた。
もっとも、前々から長期戦志向の様子はあった。ルブルスクへといち早く軍備を送った列強もあるが、それはあくまで人類最前線の国に持ちこたえてもらうため。本命は諸国連合による大軍勢での、ヴィシオス侵攻と制圧。
そのための軍配備と諸国の連携強化が、進んでいるところだ。リズに求められる情報は、そうした動きをサポートするためのものと考えて差し支えない。
一度仕掛けたのなら、たかだか数年程度では終わらないぐらいの戦いとなることを覚悟の上、人類一丸となって長丁場の死闘へと足を踏み入れようというのだ。
人類の明日を担う、重責あるものたちからすれば、流す血が多かろうとも、それが一番現実的で手堅い選択なのだろうが……
(何か、ひっかかるのよね)
こうした人類側の動きは、ヴィシオス――というより、魔族側とて把握していることだろう。魔族側に諜報力があれば、すでに掴んでいる動きに違いない。
仮に諜報力がなかったとしても、人類側が取り得る戦略としては、当たり前過ぎる自明のものと思われる。読まれた上でなお、人類はそちらに舵を切らざるを得ないという立場にあるのも事実と思われるが……
これに乗じ、あるいは邪魔立てせんとして、魔族側からアプローチがないのは不穏である。
世界各所の要塞を占拠されるという動きはあったものの、人類側諸国が半ば遺棄していた、かつての城砦を奪われたという程度の事。当時国にとっては気がかりで仕方ないことだろうが、今のところは嫌がらせの域を脱していない。
これを以って足並みを乱そうという意図、あるいは何らかの布石という見方もできなくはないが……一連の動きにおいて要塞を占拠されているのは、あくまで大半が中小国家。
残酷な言い方をすれば、これからの連合軍の戦力には関わりのない国々が大半である。
であれば、この嫌がらせも、中々に見当はずれなように思えるのだが……効果が上がっていない仕掛けだからこそ、かえって不気味ではある。
やはり、新たにこの世へと顕現した大魔王に対し、忠誠と実力を見せつけようという、魔族同士の競争の供物に過ぎないのだろうか?
現状、魔族側が見せる数少ない動きである、世界各国の拠点攻め。これについて疑問を投げかける声は、リズにとって幸いなことに、各国の実力者からもあった。
中には、リズとほぼ同様の考えに行きつく者も。すなわち、ブラフであると。
配下には手柄を勝手に手柄を競わせておき、実際には戦略的な価値は期待しない。ことによれば何らかの布石にすることがあるかもしれないが、本質は気を逸らすための囮――というのが敵の考えではないか、と。
各所の要塞を取り返しに行ったリズとしても、せっかく確保した要塞の扱いが雑であったり、現場同士での連携がなされていなかったり、戦略性には疑問があるところだった。
その点、ブラフ説はしっくりくるように思われる。これぐらいしか目立った動きがないのだから、人類側もこちらに目を向けるのが道理。目立つ囮としての任は果たせている。
そのような見立ては相手方にもあることだろう。そして――
天井を見上げながら、体重を預けたイスを揺らすリズ。ため息ひとつついたところ、「お疲れですね」と館長が言った。
思考の小休止にと、彼女が茶を持ってきてくれたところだ。その接近にあまり気づきもせず、リズは考え事に没頭していた。
「ええ、まぁ」と彼女は苦笑いで返し、今度はそばの机に頬杖をついた。
それからすぐ、彼女はハッとした顔に。
「あらやだ、ちょっとはしたないというか……ダラけすぎですね」
「いえいえ。年頃の娘でしたら、それぐらいがちょうどよいかと」
生まれ育ちの良い令嬢・令息ばかりを相手にしてきたであろう館長だが、ごく一般的な庶民についても、十分な理解はあるらしい。
その過去について考えかけたリズは、礼を失する詮索を避け、先程の思考を引き戻した。
思えば、ヴィシオスという国は実に謎多き国であった。その国のトップが異種族に成り代わり、しかも実質的に国を掌握して見せるほどの動きがあった。それも、諸国には感付かれることなく。
おそらく、見えないところで相当の仕込みがあったのだろう。
――その仕込みがもう終わっていると、誰に言いきれるだろうか?
むしろ、ヴィシオス支配は過程にすぎず、本番はこれからではないか?
歴史を紐解いてみれば、あの大魔王ロドキエルは、かつて全世界をその手中に収めようとしていたというのだ。
そう思えば、未だ見えていないところへ潜り込むことの価値は大きい。
実際、将軍との接触により、これまでにない値千金の情報を得られている。
だが、これではまだ足りないのでは……そんな思いもある。
だからといって――あの王城へ忍び込むのは、まだ時期尚早に過ぎるだろうが……
(城内へ運び込まれてるっていう魔導石、実際は何かに使ってるのかしら)
心に刻んだ一つの情報が、危険な橋を渡るように手招きしているのを、リズは感じ取った。
ふと外を見つめてみると、相変わらず気鬱にさせるような、暗い灰色に塗り潰された空が広がっている。
思わず、幾度目かのため息が出てしまうリズは……ふと館長に振り向いて、芝居っぽく口元を手で覆った。




