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第347話 一夜の選択

 自分のお仕事を終えたリズは、建物入り口近くの部屋へ向かった。

 途中、魔族の遺体という説得材料を調達しに行ったこともあり、あの将軍の部屋へ入ったことになってから、結構な時間が経過している。


 ただ、殺風景な事務室で待っていた若い士官は、いちいち野暮な質問をすることはなかった。「お疲れ様です」などという(ねぎら)いもない。「終わりましたか」という無感情な問いに、リズが「はい」とうなずくと、彼は立ち上がって歩き出した。


「では、帰り道のご案内をさせていただきます」


 陰気というわけでもなく、あくまで淡々と、彼は自分の仕事をこなしていく。

 役得やおこぼれといったものは特にないお役目らしく、それを期待するそぶりもない。口先次第では、そういった状況にありつけることだろうが。


 感情を閉ざしているか、はたまた上官ないし職務に忠実なだけか……内心が判然としないこの士官に、リズはうっすらと懸念を(いだ)いた。


(あの将軍は、この士官さんに打ち明けるかしら)


 一夜置いて、相談相手を……というケースは十分に考えられる。そうなった場合、果たしてどうなることか。

 これまでに出会ったヴィシオスの兵の傾向を思えば、自分たちの上に立つ魔族らに対し、決して良い感情など持っていないだろうという確信はあるのだが。


 夜も深まり、魔道具の街灯が夜道を寂しく照らし出す。

 先行く無言な青年の背の後に続き、リズは様々な考えを脳裏に巡らせながら、帰路を歩いていく。



 娼館へ戻り、案内係の士官が淡々とした様子で退館。ややあって、様子をうかがっていた子たちがエントランスホールへと、静かに集まってきた。

 事情はどうあれ、自分たちの代わりにと差し出してしまったという、罪の意識のようなものがあるのかもしれない。緊張の中には申し訳なさが(にじ)んでいる。

 そんな同世代の繊細な面々に、リズはひとまずにこやかな笑みを向けた。

 すると、彼女の前に館長が歩み出てくる。


「首尾はいかがでしたでしょうか?」


 やや硬さのある態度で尋ねる彼女に、リズは少し間をおいて答えた。「問題がないわけではない」と。

 そうして彼女は、初仕事における事の流れを告げていった。

 まず、エントランスホールに集う面々が、間違いなく気にしているであろう事項について。リズも例の将軍も、互いに毛の一本も触れ合うことはなかった、と。

 この報告に、安堵の雰囲気が広がっていく。


 しかしながら、目的としていた交渉が終わったというわけではない。

 相手方がリズをラヴェリア王家の一員と認識したというのは、まず間違いないところと思われる。ただし……


「情報提供に応じるかどうか、返答は明日まで持ち越しとなりました」


 落ち着いて伝えるリズだが、場はにわかにざわついていく。この件を上に報告されれば……そういった心配は当たり前のことであろう。

 そんな中で館長は、真剣な面持ちで口を閉ざし、考え込む様子を見せていた。慌てる様子を見せないこの女性が、やがて静かに口を開く。


「即断いただければ、確かに安心ではありましたが……あくまでそれは、先方が自発的に応じられればこそ、でしょうね」


「はい」


 あの場のイニシアチブはリズの側にあったが、無理強いできる状況下かと言えば、微妙なところではあった。破れかぶれで騒ぎを起こされ、外部に露見すれば、その時点で話は終わりである。

 この辺りの理屈は、心配そうな面々にも納得の行くものではあったが……やはり不安は残る様子。

 一方でリズは、うまくいくのではないかという目算があった。


「あの将軍が、外部に漏らすかどうかというのが、実際にはかなり微妙ではないかと思いまして」


「……確かに、仰る通りかと。かの御仁のお立場を思えば、かなり(はばか)られるものはあるでしょう」


 館長からの言葉を頼もしく思いつつ、リズは自身の見立てについて詳しく触れていく。

 まず、今のあの将軍の言葉を、上の魔族らがどれだけ真に受けるかというもの。彼自身、酒に溺れても頭は働くようであり、周囲からどのように思われているかぐらいは自覚していることだろう。

 加えてもう一つ。


「仮に密告でもしたなら、かえって自分の首を絞めるのではないでしょうか」


「……と言われますと?」


「密告が嘘だとすれば、ただでは済まないでしょうし……本当であれば、変に目立ってしまうでしょう? あの将軍閣下が、そういうのをお望みとは思えなくて」


 そこまで言うと、彼を知る娘たちは、「なるほど」と合点がいった顔でうなずいた。

 彼の立場から考えると――密告を真面目に受け取られ、それで何か魔族たちに貢献してしまった場合、何かしら目をかけられてしまう恐れを抱くのが自然と思われる。

 まかり間違って取り立てられれば、今のような無責任な生活は続けられなくなるだろう。

 かといって、「このままの生活を続けたい」などと、素直に言えるはずもない。それをむしろ面白く思われてしまう可能性すらある。


 何であれ、彼からすれば、上にいる魔族と関わり合いになりたくないと考えるのが妥当ではないか。

 ましてや、「ラヴェリアの末裔(まつえい)が接近してきた」などという重大情報を伝え、渦中の人物になることを彼が選ぶかどうか。

 この疑問に対し、娼館の娘たちは「否」という答えを出した。リズがある程度予想できていた通りである。


「何かにつけ、厭世(えんせい)的と言いますか……積極的に、何かしらのポジションを取りに行こうというお方には思えません」


「私も同意見です」


 といった意見が続く。そこへ館長が口を開いた。


「魔族側に立とうという選択を取る可能性は、無いとは言い切れませんが……魔族との接触を避けることこそが、あの方にとって最善の保身のように思われますわ」


「でしたら安心です」


 もっとも、魔族側に立たないだろうからと言って、こちら側に立つとも限らないところではあるが……


「殿下からの要求は、あくまで情報だけでしたね」


「はい。情報だけもらえれば、それでよいと」


 もちろん、情報だけで良いというリズの要求を、彼がどこまで信じるかは未知数である。ただ、何らかの行動を求めるよりは、よほど受け入れやすいものだろう。

 後は、実際に彼がどう考えるかである。

 彼からすれば、魔族側に取り入ろうという動きも相当リスキーと思われるが、だからといって捨てられる懸念ではない。


 そこで、リズたちはこの娼館に控え、状況をうかがうことにした。なにか不穏な動きはないか、周囲に注意を傾けつつ、予兆があればすぐに店じまいできるように。

 監視と感知、急場における転移要員として、魔族の協力者たちも館に詰めることとなった。幸いにして部屋の数には困らない建物である。

 もちろん、種族が違う客人がにわかに増えたことに対し、館の子らは若干の戸惑いを見せたものの……当の魔族らが危害を加えてこないばかりか、気さくで話せる連中と知れると、緊張は徐々に緩和されていった。



 交渉相手のダンケル卿からは、一日待ってほしいという話である。そのあたりの詳細を詰めてはいないのだが、おそらくは相手方から使者が出る流れとなろう。

 本件における心理的な主導権はリズの側にある。一方、王都内各所の警備は今も問題なく機能しており、実際には向こうからのアプローチを待つのが妥当である。


 そうした、気をヤキモキさせる待機時間の中で、リズは館の子たちと歓談して時を過ごしていた。

 周囲への警戒を魔族らやブランドンに投げっぱなしにすることについて、申し訳なくなる気持ちはあったのだが、館の子たちの話し相手になるというのは、彼らから勧められてのことでもある。

 リズとしても、良い気晴らしではあった。今夜の交渉も気を張るものとなろう。より正確に言えば、館を出てから将軍の執務室に至るまで、帰り道の方も気が抜けない状況と考えられる。


 さて、この館で働く若者たちは、いずれもヴィシオス王都から離れたことがないという話だ。外の世界の話を聞けるとあって、控えめながらも興味津々の様子でいる。

 一方、話し手のリズはというと、世界中を股にかけて動き回っている。しかし、話題に事欠かないというわけではない。


(言えない話が多すぎるっていうのがね……)


 そこで、リズからの話はマルシエルについてのものが大半となった。聞き手にしてみれば、亡命先の話を前もって聞けるということで、ちょうどいいサービスとなろう。

 耳を傾けてくる、背格好に比してやたらと上品な聴衆を前に、リズは淀みなく長広舌をふるっていく――



 やがて日が傾いてきた頃、館の子らはそわそわし始めた。その時が近づいているからだ。

 実際、リズもすでにドレスアップを済ませ、臨戦態勢でいる。

 あまり硬くなりすぎないようにと、努めて明るく軽い感じで話し続ける彼女だが、それでも高まる緊張は如何ともし難いものがあった。外が暗くなるにつれて、空気は次第に張り詰めたものになっていく。

 と、そこで部屋に響くノック音。緊張のピークで室内が一気に凍てついた。ノックに続く「お越しです」という声にも硬いものがある。

 これを耳にして、「いよいよ……」とばかりに身を強張(こわば)らせてしまう子も。


 静寂に包まれる中、ドアから再び自分に視線が向けられ、リズはゆったりとした所作で立ち上がった。ロングヘアに軽く指を通して遊ばせ、なびかせてカッコつけて。


「行ってくるわ。お土産でも期待してね」


 もはや場を牛耳っている、この態度が大きい新入りに注がれる視線は、不安の中にも信頼と期待、それに羨望が入り混じったものになっていく。

 そうした様々な思いを背に受け、リズは部屋を出た。待っていたボーイは、やはり緊張した面持ちでいる。


 彼に続いてエントランスホールへ向かうと、遣いの姿が見えた。昨夜と同じ、士官の青年である。

 しかし、その様子には違いがあった。昨夜の彼は、娼婦を将軍の元へ案内するという任務を、なんとも淡白な調子でこなしていたのだが……

 今の彼からは、どことなく張り詰めた雰囲気がある。全身には余計な力が入り、身構えているようにも。

 そうした彼の有り様に、リズは状況の変化を察した。


(知らされた、ってことね)


 問題は、あの将軍から単に打ち明けられただけか、相談相手になったか――

 はたまた、何らかの策謀がすでに動いており、それに使われているか。


 やや胸の高鳴りを覚えるリズだが、目の前の青年に比べれば軽度であろう。そんな自分を心強く思いながら、リズは彼の前に歩み出た。

 すると、あくまで一介の娼婦に過ぎない建前の彼女に対し、青年士官はかすかにたじろぎ、若干の間を開けた後に口を開いた。

「お迎えに上がりました」と。

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