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第346話 交渉

 酒瓶をラッパ飲みする将軍が向けてくる視線に、あまり嫌らしい感じはない。こんな仕事に身をやつす新人に対し、純粋に興味があるといった風に感じられる。

 主導権を握るにはちょうどよいと、リズは口を開いた。


「将軍は、私共の館長から、何かお話を耳にされておいででしょうか?」


「ん? そういえば、魔法に覚えがあるとか、そんな話は聞いたが」


「はい。ちょっとした……初対面にはちょうどよい、余興のようなものがありまして。よろしければ、一度ご覧いただきたく存じます」


「ほう……」


 リズに対する興味が一層深まったと見えて、将軍は傾けていた酒瓶を机に置いた。


「どういった魔法だ?」


「見てのお楽しみ……と言いたいところなのですが。お手をお借りしても構わないでしょうか」


 これは賭けではあった。断られれば、まずは自分を対象にするという手もあるのだが、先に相手を対象にして、どういった魔法か認識してもらいたくはある。

 そして……この将軍は、少なくとも今は、実に不用心であった。娼婦に偽装した刺客など、簡単に思い至るであろうが、彼は構わず手を差し出した。よく鍛え込んできたはずの、たくましい手を。

 思うところありつつも、余計な感情を挟むことなく、リズは魔法に取り掛かった。将軍の手のひらに刻まれた魔法陣から、《家系樹(ペディツリー)》が伸びていく。


「なるほど、確かに良い余興だな! 相手の家系を探る魔法か」


 ヴィシオスという大国の将軍でも、この魔法は初めてらしい。地位相応の落ち着きはなく、声を弾ませる。


「ご賢察の通りでございます」


 リズは相手の《家系樹》から目をそらしながら答えた。あくまでこれは余興であり、術者としてのマナーがあることを示すためだ。

 この出し物に、将軍は中々満足した様子ではあるが、逆に掻き立てられた興味もあるらしい。


「どこで、こういった魔法を?」


「そうですね……少し答えづらくはあるのですが、私の家系をご覧いただければ、話は早いかもしれません」


「ほう」


 話はこちらのペースである。後は相手の反応次第。胸の内に高鳴るものを感じつつ、リズは自分の家系を明るみにしていった。すなわち、世の誰もが知る家系――

 かつてのヴィシオスにとっても縁浅からぬ、大列強の主の系譜を。


 いかにも酒浸りな陽気さがあった将軍も、ラヴェリア姓が連なる魔力の樹を前に、すっかり言葉を失って真顔になった。

 事ここに至っては、もはや取り繕う意味も薄い。従順そうな新人娼婦の顔を脱ぎ捨て、リズはラヴェリアの血を継ぐ一人として相対した。

 しかし――


「……ブッ! くっくくく、フハハハハ!」


 将軍は腹を抱えて笑い出した。イスにもたれかかりすぎて後ろに倒れ、机の上に投げ出していた脚は、宙をさまよって卓上の酒瓶を蹴散らしていく。

 予想外の反応に面食らうリズの前で、机の上を酒瓶が転がっていき、落ちて将軍への追撃となった。

 それから、激しくむせ込み、吐きそうにまでなった将軍だが、どうにか最低限の落ち着きを取り戻したようだ。彼は倒れたイスを戻し、ふらつきながらも座り直した。

 そして、言葉を失い様子を見守るリズに、喜色満面の顔で話しかけてく。


「いや……ハハハ! いきなり済まないな。今日は少し、飲みすぎてしまったらしい」


 そこまで聞いて、リズは、この男が「見間違いで済ませよう」と考えているのではないかと察した。

 この推察を補強するように、将軍が言葉を続ける。


「あ~……いかんな。今日はもう帰りたまえ。君にとっても、その方が好都合だろう?」


「君にとっても? どちらの()を指しての物言いでしょうか?」


「何の話だ? まさか……こう見えて、すでに酔っているのではあるまいか?」


 そう言って、将軍は再び腹を抱えて笑い出した。

 この、話にならない男を前にして、リズは――

 何かがブチ切れるのを確かに感じ取った。


「では、お言葉に甘えまして、失礼します」


 それでも、あくまで冷静さは保ち、彼女は慇懃無礼に頭を下げて部屋を辞去した。



 ダンケル卿との初対面から二時間ほど後。

 リズは再び、将軍執務室という名のご休憩室へと舞い戻った。ノックもご挨拶もない。

――無遠慮に転移で直接乗り込む形で。


 突如現れた彼女を前に、将軍は唖然とした表情になった。グラスに注いでいたワインが止まらず、机に赤い円が広がっていく。

 やはりというべきか、将軍は酒盛りの最中であったらしい。正確には飲み直しといったところか。先ほどはその口で、「飲み過ぎ」などと言っていたのだが。


「いきなりで申し訳ありませんわ~。でも、手土産もございましてよ~」


 いつになく雑になっているのを感じながら、リズは左手に力を込めてぶら下げた荷を持ち上げ、執務机に片膝を乗り上げた。

 ナイトドレス姿で取る姿勢としてはあまりに品を欠いているが、そのようなことは誰も気にしない。下着が覗いてもおかしくはない体勢だが、好色らしき将軍は、今も絶句して目を見開いている。

 リズが持ってきた荷というのは――魔族の遺体であった。


 身動(みじろ)ぎ一つできずにいる軍人の前で、彼女は腰に右手を伸ばし、稲妻のような素早さで短剣を引き抜いた。

 左手に持った遺体はグラスの上に。何の感情もない冷徹な目のまま、彼女は遺体を切りつけた。(したた)る血がグラスに零れ落ち、ワインと混ざり合っていく。


「ほら、お飲みになって? これまでも散々、誰かの生き血をお飲みになってきたんでしょう?」


 魔族の支配下になったヴィシオスは、その点だけ見れば被害者なのだが、そうなる以前は様々な凶行を働いてきた。

 それは、リズにとっても無関係ではない。ハーディング革命における、死霊術師(ネクロマンサー)の暗躍。世界中の海における海賊行為への関与。そして、飛行船墜落事件。

 なんとも手広くやっていたものである。

 それら事件に、実は今のヴィシオスを牛耳る魔族らの関与もあったのかもしれない。

 だとしても、当時のヴィシオスを差配する者たちが自分の責任と判断のもとに事を進めたのは、疑いようのない事実なのだ。


 冷徹な皮肉を口にするリズの前で、将軍の息が荒くなっていく。酒が入っていたはずの顔は、みるみるうちに青白く。


「酔いが冷めて結構」


 冷たく言い放ち、リズは後片付けを始めた。遺骸の傷に紙をあてがい、用意してきた包帯で何重にも巻いていく。死体への応急処置の後、彼女はそれを《超蔵(エクストレージ)》の虚空へと放り込んだ。

 激情のままに動いて、手頃な拠点を攻め落としてきた彼女だが、頭の中に冷静さは残っていた。余計な証拠は、ここに残さないように、と。

 それでも、机の上はいくらか血で汚れているのだが……


「ま、多少残ってもいいでしょ。ここで、処女とヤッたってことにすれば」


 初心(うぶ)な娼婦の姿とは打って変わって、もはや取り繕う意識が欠片もないリズ。

 一方、この部屋の主は、イスに座ったまま身を大きく(かが)めた。それに続く、あの不愉快な声と音から、リズは将軍が嘔吐したことを察した。

 皮肉の一つでも投げかけたい気分ではある。しかし、精神的に追い詰めつつあると考えられる現在、あまりやりすぎるわけにも。

 まずは、交渉の席につかせるのが最優先だ。


 果たして、将軍は身を起こした。酔いなど完全に何処かへ行ったらしく、青ざめた顔には、動揺と諦念のようなものが(にじ)む。

 そんな彼を前に、リズは再び名刺代わりの魔法を提示した。樹に浮かぶラヴェリア性を目に、将軍は渋面になり、重苦しい口調で尋ねた。


「何が目的だ?」


「この国に巣食う魔族を殲滅したい。協力しろとまでは言わないわ。今の生活を続けたければ、好きにすればいい。ただ、あなたが持っている情報をもらえれば、それでいい」


 端的に要求を口にすると、将軍の息が再び荒くなっていく。一度は見開かれた目を彼は閉じ、苦々しい顔で考え込み……


「今日は……即断はできない。せめて、明日まで待ってくれ」


「いいわ。またお買い上げ(・・・・・)になってちょうだい」


 そう言って、リズは立ち上がった。


 もしかすると、この件を上に告発するのでは――といった懸念は、当然のようにある。

 だが、あまりにも突拍子がない話だ。いみじくも将軍自身が口にした通り、酒に溺れた愚者の見間違い、世迷い言と片付けられる可能性もある。

 彼とて、そういった自覚程度はあるだろう。


 また、決断の時間がほしいという要望を蹴れば、思い詰めて変な方向へ突っ走ってしまう恐れもある。

 となると、猶予ぐらいは与えてやる方が、まだ安全ではないか。


 もっとも……リズは釘を刺すのを忘れなかった。

 執務室からの去り際、歩を止めて振り向き、彼女は言った。


「記憶力には自信があってね。あなたの家系の大半は記憶したわ。判断を間違えないようにね」


 この脅しに言葉を失い、将軍は顔を両手で覆った。

 今のような毎日を送っていても、家族を思うだけの人間性はあるらしい。それ自体は良い傾向と思いつつ、リズは言葉を重ねた。


私は(・・)、人質なんか取るのは趣味じゃないけどね。ともあれ、良いお返事を期待するわ、閣下」

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