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第345話 耽溺の将帥

 要人向けに営業してきた娼館からの協力を取り付け、リズ達による王都潜入作戦は一段階ステップアップすることとなった。


「さすが、お召し物も様になりますね」


「そう?」


 鏡に映るナイトドレス姿の自分を目にし、リズはなんとなく気取ったポーズを取ってみせた。

 今の装い自体は、そのまま上流階級の社交の場にでも混ざれそうなくらい洗練されたものだ。黒基調のドレスは意外なほどに露出が少ない。

 とはいえ、完全にフォーマルというほど堅苦しいものでもない。端々に用いられたレースが、程よく色香を演出している。


 館の女の子たちに手伝ってもらい、リズは今回の仕事に相応しい装いに整えた。

 他の準備も万端である。王都の中枢へと入り込むにあたり、館長の方から話をつけてもらっている。

「ワケありの上玉がやってきたので、お目通りも兼ねてその新人を」といった感じの口実で。

 肝心なのは、お相手の選定だ。酒色に溺れている高官というのは、実はそれなりの数がいるらしい。

 とはいえ、できることならば軍部に関連する情報が欲しい。そういったリズの要望を元に、今回の標的が定まった。当初の予定通り、軍の将官を。ダンケル卿という壮年男性の将軍だ。


 衣装室の窓に目を向けると、日はすっかり沈んでいる。目に入ってくるのは、魔道具によって照らされる街並み。この辺りはお大尽向けらしく、毒々しい光も控えめではあるが。

 さて、そろそろ遣いの士官がやってくる時間だ。直接は動かない娼館の子らにしても、多くがかかった局面には違いない。それに、生真面目で思慮深い子が多いのだろう。軽口を叩ける雰囲気でもなく、リズを囲む面々の整った顔に陰が差していく。

 リズ自身、こういった作戦は初めてのことである。色仕掛けのやり方もわからない。出たとこ勝負なのは否めない。いくら彼女でも、緊張しないわけではないのだが……

 自分が置かれた状況について、少し考えてみた彼女は、フッと鼻で笑った。


「ど、どうかなされましたか?」


「いえ、これから仕掛けに行く側だというのに、緊張で固まっちゃうのもね。攻める側なら、勝ち気でいかなきゃ」


 そう言って、強気な笑みを浮かべる彼女に、周囲の子たちもいくらか緊張が和らいだ顔に。

 待つ側も、これならば気が楽だろう。関わり合いになる相手への、ちょっとしたサービスがうまくいったことに、リズはちょっとした満足を覚えた。


 ややあって、ドアをノックする音が響いた。「お越しです」という端的な言葉に、再び場の空気が引き締まる。

 そんな中、あくまで軽やかに、「土産話でも期待しててね」とリズは歩いていった。


 エントランスホールで待っていたのは、キチッとした制服に身を包む青年であった。その姿を目にして、思わず身構えそうになるリズ。

 何のために、このようなお遣いに出されているかは、当然知っているだろう。にもかかわらずの精勤ぶり。この歓楽街では明らかに浮いているその英姿は、リズの警戒心と同時に、なんとも言えない同情心も引き起こした。


(なんていうか、気の毒としか言いようがないわ……)


 むしろ、こういった人物相手にこそ、酒の一杯でも傾けてみたいものだが……

 ふと頭によぎった考えを振り切り、リズは彼に倣って、自分の仕事に徹することにした。


「エリザベータと申します」


 名乗りとともに深く頭を下げる彼女に、案内係の士官はじっとして、彼女が頭を上げるのを待った。


「では参りましょうか」


 かなり事務的で淡々とした――どことなく、感情を押し殺したようにも感じられる態度の彼が先導し、リズは館を出た。


 猥雑(わいざつ)の極みにある歓楽街だが、すべての場所が一様にそうなっているわけではない。この娼館がある区画から王都の中枢まで続く道は、なんとも静かなものである。

 酒に溺れるばかりの連中も、その程度の分別は残っているのだろう。


(酔いも覚める……ってところかしら)


 おかげで、雑踏に煩わされはしないのだが……それはそれで、物静かな案内係との間の静寂が、少し居心地悪くはある。

 そう思ってしまうことに彼女自身、少しわがままだという自覚を持ちつつ、二人は道を進んでいく。急にしっかりしだした門衛に、形ばかりの手続きをしてもらって歓楽街の外へ。


 歓楽街の外に広がる王都は、もはや死に体である。日が暮れた中、申し訳程度に灯る明かりが、かえって強い寂寥(せきりょう)感を呼び起こす。

 さっと視線を巡らしても、通行人の姿はほとんどない。往時であれば、この王都も相応の賑わいを見せていたことだろうが……

 今となっては、我が物顔の魔族が出歩くばかりだ。

 そうした魔族から向けられる視線に、リズはどことなく下卑た嘲笑の含みを感じ取った。


(連中からしても、こういう子は見慣れてるってことね)


 不快感を覚える状況ではあったが、考えようによっては安心できる。

 おそらく、誰も疑うことなく、この偽装に(だま)されているのだから。


 静まりきった街路を進むと、次第に魔族の姿も見られなくなっていく。

 王都中枢部に続く門に着くと、そこには人間と魔族の門衛がいた。

 遣いの者が娼婦や男娼を連れ歩くことなど、もはや日常の一幕でしかないのだろう。門衛は無感情に通行の手続きを進めていく。

 問題なく通れそうではあるが、リズはあくまで新人という触れ込みである。いかにもそれらしい緊張感を演出するのには、意図的な努力を要した。


 こうして身構えるリズを前に、手続きは何事もなく終わった。「どうぞ、お通りください」と、人間の門衛が促してくる。

 どうやら、今回の案内係の地位は、王都中枢に続く門衛よりも上らしい。

 それにしては、なんともつまらない仕事に従事させられているものだが。


 門衛に通された先は、ちょっとした庭園になっていた。というより、王城や各種国家機関らしき建造物は、かなりゆとりを持って配置されている様子だ。

 案内係の後について歩を進めながら、リズは視線を巡らしていく。

 幸い、この時間に出歩く者はあまりいないらしい。、かなり遠くにそれらしい人影が見受けられる程度だ。


 結局、誰ともすれ違うことなく、二人は目的の建物に到着した。立派な白亜の建物である。

 この、威厳と風格漂う建物の中で、立場あるものが酒と色に溺れているというのだから、本当に救えない話だ。

 世界中が大変な状況ではあるが、この建物は一つの機関としては機能していないらしい。日が沈んだ程度の時刻だというのに、仕事をしているような雰囲気はどこにもない。通路に明かりは灯されているものの、なんとも静かであった。


(やっぱり、本当の中枢は……)


 窓の外には、王城が見える。支配者が完全に入れ替わり、今や大魔王を(いただ)く城だ。

 ここまで近づいた事実を再確認し、リズは思わず固唾を呑んだ。

 とはいえ、まずは今の仕事に精神を集中しなければ。彼女は改めて視線を引き戻した。

 人間側諸国の司令中枢は、夜になっても常に慌ただしくあった。この建物とは大違いである。

 それに比べれば、ここはやはり、飼いならした将官を囲っておくための……いわば小屋のように感じられる。


 状況把握を推察を推し進める中、リズはついに目標の場所へと到着した。


「こちらでお待ちです」


 これまで同様、案内係は無感情に言った。

 可愛げのない自覚があるリズではあるが、それでもさすがに、緊張で身構えてしまうものはある。

 ソノ気(・・・)がないとはいえ、高級娼婦として宛てがわれた装いが、否応なしに不安を呼ぶのだろうか。

 そんな彼女を前に、案内係はあくまで淡々と、自分の仕事をこなしていく。


「お帰りの際は、建物入口すぐの部屋へお呼びつけください」


「かしこまりました」


「では、失礼します」


 さすがに、側に控えるというわけにもいかないのだろう。青年は何一つ余計なことを言わず、その場から離れていった。


 さて、ここまで来ておきながら、という話ではあるのだが……ドアノブを目にしたリズは、この後について何とも(はばか)られる念を(いだ)いた。

 とはいえ、思い切りは良い。あくまで相手は客。まずは演じることを念頭に、彼女はドアをノックした。


「開いている、入って来たまえ」


 中から響いてきた声は、低く少ししわがれたものであった。幸か不幸か、弱々しいものではない。


「失礼します」


 ドアノブに手をかけ、ドアを開けたリズは……思わず顔をしかめそうになった。


(酒臭い……)


 それもそのはずで、部屋には至るところに酒瓶が転がっている。執務机らしきものには、紙が一枚もなく、代わりに酒瓶が堂々と鎮座する有り様だ。

 堕落という言葉が似合う部屋の主もまた、部屋の惨状が示す通りの人物であった。がっしりとした体躯ではあるのだが、机の上に足を投げ出し、酒瓶から直接酒をかっ食らうその様は、この国の将官の一人というのが信じがたいほど。

 そして、部屋の隅にはベッド。一応、手入れはされているらしく、小綺麗なものではあるが……

 まかり間違っても仮眠用ではなく、やはりそういった用途のためであろう。ベッドのために、執務室としてあるべきものを追い出したようにさえ映る。


 この純白の寝台を前に、リズはつい最近出会ったばかりの同世代の子女を思い浮かべ――

 自分自身の”もしかしたら”に思いを馳せるより先に、目の前の退廃しきった男への、少なからぬ殺意を覚えた。


 それでも、表面上は緊張しきった娘を取り繕うリズに、部屋の主ダンケル卿が酒臭い口を開いた。


「いつまでも立っていないで、まずは座りたまえ」


「かしこまりました」


 促されるままに、リズはイスに腰掛けた。


「それで……今になって新人が来るとはな。珍しいこともあるものだ」


「金が入用になりましたので……」


「こんな世の中だ。大金が必要になる使い道など、ロクなものでもなかろうが……いや、失敬! 立ち入った事情に触れるものではないな、ハハハ!」


 眼前の男が、どこか捨て鉢に笑う。訳アリの少女たちを常日頃から呼びつけておいて、この言い草。

 手を伸ばせば届く位置に酒瓶。暗い緑色のガラスに浮かび上がる自分の顔に、リズは一瞬だけ鋭い意志が宿るのを認めた。

 一気に詰められる間合いだ。

 この国に(うごめ)く、どうしようもない連中への苛立ちが、血みどろの妄想になって脳裏を一瞬赤く染める。


 その衝動を、リズは瞑目し、細く長い息とともに追い出した。

 この程度の男、その気になればいつでも殺せる。急ぐ必要はどこにもない。

 それに、軽はずみな行動を起こせば……せめて、協力者たちを一気に亡命させるとしても、この後が続かなくなるのは必至。

 結局、今のところは付き合ってやるしかない。

 ただし、話の流れは自分で持っていけるように。

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