第342話 交換条件
リズの手のひらに浮かび上がる魔力の樹、《家系樹》。その中に刻まれたラヴェリアの血筋を目の当たりに、館長も動揺を隠せない。
「ま、まさか……からかっていらっしゃるのでしょう?」
なんとか口にする彼女に、リズはニコリと微笑んだ。
「一つご提案があるのですが」
「……何でしょうか」
「館長殿の名で試してみませんか? 私はお名前をうかがっていませんし……もちろん、ご両親の名も」
この提案に、館長は渋い表情で考え込んだ後……「良いでしょう」と、やや筋張った手を差し出した。
「ありがとうございます」
差し出された手にリズは魔力を刻んでいき、魔法陣から二本目の樹が伸びていく。
そこに浮かび上がる、いくつもの人名を目で追った館長は、「信じられない」という思いがありありと伝わってくる真顔に。
しばしの間、言葉を失っていた彼女は、やがて「もう結構です」と言って居住まいを正した。
「今しがたお見せいただいたものに、誤りは見受けられませんでした。それでもなお、信じがたい気持ちはありますが……」
そこまで言った後、ヴィシオス国民のこの女性は、それでも確かな礼節を以って続けた。
「お父上は、あのラヴェリア聖王国の国王陛下ということで、間違いございませんか?」
「ええ。私自身、色々と信じがたい想いはありますけども」
若干の皮肉を込めて口にするリズに対して館長は、いくらか言葉を探すような様子を見せる。
「私は国際情勢について、それなり理解があるつもりです。しかし……失礼ながら、エリザベータ殿下の名は聞いたことがありません」
「でしょうね」
「先程お見せいただいたものの真偽を問おうというわけではありませんが……公人ではいらっしゃらないと、そのように捉えても?」
さすが、国の要人を相手に商売しているという触れ込みに、間違いはないようだ。おそらくは、少しくらいは話し相手になれるようにと、”従業員”への教育も欠かさないのだろう。
館長の察しと見識に感心の念を抱きつつ、リズは自身の身分を端的に申し伝えた。
「ご賢察の通り、私は庶子です。公式には王室の一人ではありませんが……まぁ、それなりの権限と力を認められているとだけ」
実際には、権限を認めて力を貸しているのは、ラヴェリアよりもむしろ他の国であったりするのだが……そのあたりの細々としたことに、ひとまずは触れないでおいた。今伝えてもややこしくなるだけであろう。
重要なのは、この国でも通用するだけの名を名乗ることである。
要人相手の娼館を束ねるこの女性は、リズの目論見通り、その名乗りを重く見て身構えていた。
しばし無言で、硬い表情のままでいた館長だが……職業柄、いくつもの難局を潜り抜けてきたのかもしれない。何かしら腹を括ったのか、彼女は長く息を吐いて、全身から程よく力を抜いた。
「ラヴェリアの王女殿下が、このようなところへどういったご用向きでしょうか?」
尋ねてくる口調に、捨て鉢なところはない。ただ、どことなく自嘲の響きを感じでもないが。
目の前にいる一廉の人物に対し、リズは改まって姿勢を正した。
「端的に申し上げれば、私……いえ、我々は、今の世の中を強く憂いております。それは館長殿も同様かと思われますが」
「……そうですね。決して大きな声では言えませんが」
「バカげた考えと思われるかもしれませんが、この国から魔族を排除できればと考えております。いえ、何十年、何百年かかろうとも、人類はそうせねばならないでしょう」
このような時世に、真顔で遠大な夢物語を口にする小娘もいたものである。自身の半分も生きていないような小娘を前に、館長は言葉を失って固唾を呑んだ。
揺るぎない意志の光を目に湛え、リズはさらに続けていく。
「いつか人間の勝利を勝ち取るその日のために、数限りない努力が必要になることでしょう。その礎の一つにと、今もなお貴国にいらっしゃる要職者へ接触できればと考えています」
「……そのために、娼婦を装うというのですね?」
「はい」
まともに娼婦として経験を積み、目的の人物に近づこうというのではなく、リズは進むべき道に上から迫ろうとしているのだ。
では、それが成るかどうか。
館長にしてみれば、この件を告発することで上にアピールし、何かしらの恩恵を授かろうという道もあろう。人類のためなどという大それた虚妄ではなく、自分たちの今を優先してもおかしくはない。
そして、それを否定できるリズでもない。
望まざるままにこの仕事を営む者を守り養う責務が、この館長にはきっとあるのだろうから。
答えを待つ間、リズは徐々に高鳴る胸の内を感じていた。決裂、あるいは裏切りの可能性、その場合の算段に思いを巡らせ――
先に懸念事項を口にすることにした。
「早い話、あなた方がこれまで培ってきた信用に乗っかり、私は自分の仕事をしようというのです。先方との交渉の結果如何では、あなた方に累が及ぶ可能性も十分あります。その上でなお、力を貸していただけるかどうか」
言わずとも考えが至るような相手ではあろうが、それでも自分から言い出すのが誠意であった。
果たして……審判を待つリズにとっては、普段よりも時の流れが遅く感じられる中、館長が口を開いた。
「エリザベータ殿下は、確かな後ろ盾をお持ちなのですか?」
何を意図した問いなのかは判然としないが、はぐらかすよりは正直に伝えるべきと、リズは直感した。
「紆余曲折ありまして。ラヴェリアよりはマルシエルとの関係が深く……ただ、今回の動きに関しては、ルブルスクの関与が大きいですね」
「なるほど、国際派でいらっしゃいますね」
「と言いますか、母国には余り、良い思い出がありませんでしたので」
自嘲も込めて苦笑いするリズに、館長は微妙な笑みを浮かべて応じた。
しかし、すぐに顔を引き締める彼女に倣い、リズも真剣な顔で次の言葉を待った。
「では、他国のお方が、こちらまではどのように?」
「申し訳ありませんが、詳細について……現段階ではお答えしかねます」
「……では、質問を変えさせていただきましょう。何人か、亡命させるだけの余裕はおありでしょうか?」
「亡命、ですか。人数次第ですが……」
決して目立たないようにと徹底して動けば、仲間たちと合流し、転移で送り出せる。ただ、もちろん問題はいくつかある。
まずは転移先について。受け入れるキャパシティーには限度がある。どういった人物を亡命させるかというのも気にかかるところだ。送り出す者次第では、受け入れ先も変わってくるだろう。
それに、あまり人数が多くなれば……集団が突然いなくなったことが露見して、この街で変に騒がれる懸念もある。
だが、そうした諸々を踏まえた上で……要人に近づけるだけの屋号の信用を貸してもらえるのなら、聞き入れるだけの価値がある対価だと、リズは判断した。
「どういった方を亡命させるかによって、動きが色々と変わってきます。そのあたりを詰めるためにも、先に詳しくお聞かせ願えませんか?」
まっすぐ見据えて尋ねるリズに、館長は優しげだが陰のある顔で答えた。
「この館で働く子たちを……ここから逃してあげたいのです」




