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第341話 娼婦の娘、娼館へ行く

 ヴィシオス王都バーゼルへの潜入を果たし、数日後。

 朝、意外と気持ちよく寝られたリズは、伸びをしてから窓際へと足を向けた。

 さすがに、この時間まで飲んでいるような猛者は、ほとんどいないようだ。夜まで騒がしかった酒と色の街は、今では葬儀のように静まり返っている。

 そして、街路のそこかしこに転がる、いくつもの人体。誰にも顧みられることのない、打ち捨てられた廃棄物のようである。

 こうした有り様に、今のリズは憐憫(れんびん)よりもむしろ、堕落しきっただらしなさを苛立たしく思うのだが。


(まったく、朝っぱらからイヤなものを見たわ)


 大きなため息とともに、彼女は無意識的にカーテンへ手を伸ばし、わずかながら力を込めて外の惨状を塞いだ。


 それから身支度を整え、宿の食堂で軽く朝食を取り、リズは朝の街に繰り出した。

 視点が地面に近づくと、やはり街がよく見えるようになってしまう。不明瞭な寝言を繰り出す酔っぱらいたちに冷ややかな目を向けつつ、彼女は先を急いだ。


 このような連中のために、この国を取り戻す――と考えると、腹立たしいことこの上ない。

 しかし、実態はまた別であろう。もっと広く、この世のために、この国を人々の手に取り返す。

 その過程で、このだらしない連中が勝手に救われる。たったそれだけのことである。このような連中、居ても居なくても――


 いや、目の前で無為に害されようとしているなら、さすがに助けるか。


 退廃しきった敵国の民を目に、なんとも言えない感情の渦を(いだ)きつつ、街を歩いていく。

 やがて目的の建物を前に、リズは立ち止まった。

 娼館……なのだが、事前にそうと知らなければ、少し小ぢんまりとした老舗の高級宿に見紛う、品と風格ある外観だ。目につく特徴といえば、窓が、それも大通りに面したものが妙に少ないところか。


 一応、調べはついている。数日間の張り込みにおいて、館内に入っていった男が、程なくして女性とともに外出するという事例が何度も。

 その行き先はおおむね、王都の中央。歓楽街の門での出入りもスムーズで、応対する衛兵が急にしっかりしたことからも、客ないし遣いの者の立場がうかがえる。

 酒に酔わせ、金を握らせた衛兵からも、これら観察結果を支持する証言を得られている。

 この娼館の顧客に、目的とする人物がいるかどうかは問題だが……これ以上詳しく調べようとするなら、話をつけに行くほかないだろう。


 事前の調査では、この時間帯では客の出入りがないことがわかっている。だからこそ、内密の話に都合が良いかもと、リズは客とお相手がいないこの時間帯を選んだ。


(それにしても、私が娼館へ行くなんてね……)


 事の真相がどうであれ、王を(たぶら)かした不埒(ふらち)な娼婦という罪科で、リズの母が裁かれて死んだのは事実だ。そんな母を持つ自分が、娼館の敷居を(また)ごうとは――

 なんとも数奇なものを感じながら、彼女はドアを開けた。


 物怖じしない彼女が少し面食らったのは、まず内装。国の貴賓館のような落ち着いて品のある(たたず)まいは、実に洗練されたものだ。

 加えて、明らかに営業時間外であろうに、玄関口に控える紳士然とした青年は、背筋をぴしっと伸ばしている。このようなところに突然、町娘がやってきたことに、若干の驚きを示しはしているが。

 そこでリズは、中々言いづらくある要件を、あまり可愛げは見せずに口にした。


「あの、こちらは……賓客向けの娼館だとうかがいましたが」


「はい、間違いございませんよ」


 受け答えもしっかりしたもので、フレンドリーでありつつ、しっとりした品も感じさせる。そんなボーイに、リズは言葉を続けた。


「こちらでの就業希望と申しますか……とりあえず、お話だけでもさせていただければと思って、やってまいりました」


「こちらで働きたい、と」


 予想はできていたことだろうが、実際にそれを耳にして、青年の顔がやや渋いものになっていく。


「募集はなさっていないのでしょうか?」


「難しい質問ですが……私が申し上げることでもありませんし、よろしければ館長にお取次ぎいたしましょうか」


 とりあえず、門前払いにはならずに済みそうである。内心ホッとしつつ、リズは「よろしくお願いします」と頭を下げた。


 奥へと通されていくリズは、館内で何人か、おそらくはこちらの高級娼婦と思われる若い女性たちとすれ違った。こちらで住み込みなのかもしれない。

 そこで少し妙に感じられたのは、彼女らの雰囲気や佇まいである。羽振りの良いお大尽を相手にするためということであろうが、落ち着いて気品ある所作や優雅な空気には、貴族階級を知るリズの目から見ても感心するほどのものがあった。

 ただ……それぞれに立派な華はありながら、ややしおれてうら寂れた雰囲気があるのも事実だが。


 そうしてリズは、館内のかなり奥まったところにある部屋へと案内された。まずは若い執事が中へ。ややあって彼と入れ替わるように、彼女は中へ足を踏み入れていく。

 おそらく、客が来ることがないその部屋は、館長の執務室である。目を見張る煌びやかさはないが、それでも落ち着いた品を感じさせる一室だ。

 その部屋の主もまた、上品な存在であった。穏やかさの中にも威厳を感じさせる、若干痩せぎすなその中年女性は、「どうぞおかけください」とリズにイスを勧めた。


「それで、当館で働きたい、と」


「はい」


 部屋へ先んじて入ったボーイから、話を聞いていたようだ。温和な風を保ちつつも、館長が少し鋭い目を向けてくる。


「不躾な物言いになりますが……あなたは、素材としては申し分のないように見えます。その自負もおありかとは思いますが……どうしましょうね。あまり飛び込みの採用はしておりませんので」


「お眼鏡に適わなかった、ということでしょうか」


「……こちらにも色々と事情がありまして。我が館の商品として堪えうるかどうか、まずは試してみる価値があるようには思われますが」


 おそらく、見た目以外のものについて、賓客のお相手をできるかどうか確かめようというのだろう。

 しかしリズは――実のところ、真面目に娼婦になるつもりは毛頭もなかった。フッと顔の力を緩め、彼女は話を切り出していく。


「こちらを御贔屓になさっているお客様には、魔法に通暁しておられる方も多いのではないかと思いますが、いかがでしょうか」


「? ええ、そういった方もいらっしゃいますね……では、あなたは魔法について覚えがあると?」


「それなりに、ですが。差し支えなければ、ちょっとした芸をご覧いただきたく思います」


 そう申し出ると、館長は少し悩んだ後、「危険でなければ」と口にした。

 こうして売り込んでくる娘など、相当珍しいのだろう。柔らかな物腰ではあるが、品定めの視線は中々に鋭く、少なからぬ関心が注がれているのがわかる。

 そこでリズは、瞬く間に一つの魔法陣を記述した。自身の手のひらに刻んだ丸い土壌から、魔力の樹が見る間に伸びていく。

 間違いなく、この魔法は初見であろう。館長はこの魔法の樹――《家系樹(ペディツリー)》を食い入るように見つめた。


「自身の生まれを明らかにする魔法でして。幹の下の方に、自身に一番近い二人、すなわち父母の名が浮かび上がるというものです」


 生まれはかなりプライベートな話ではある。こういった場所で働く者であれば、なおさらのことであろう。

 だが、リズは全く気にせずに手のひらを前に差し出し、館長は促されるままに無言で、樹を目でなぞっていく。

 そして――リズの父の名を目にし、彼女はイスから転げ落ちそうになった。

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