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第339話 堕ちたる都

 幸いにして、ヴィシオスの歓楽街は宿に困るような街ではない。街のそこら中に宿がある。


――ただ、単に泊まりたいだけの客は、どちらかというと少数派になってしまってるのだが。


 とりあえず目をつけた宿に、リズは入店した。内装はそれなりに金……というより、気合が入っている様子。照明が中々にきらびやか、どっしりした質感の木製調度品を光が際立たせている。

 昼間から酔っている、良いご身分の通行人たちとは違い、宿の受付は教育が行き届いてピシッとした雰囲気で好印象。たったそれだけのことに思わず安堵を(いだ)かされ、そんな自分に気づいて苦笑いしかけつつ、リズは尋ねた。


「すみません、部屋を一つ借りたいのですが」


「申し訳ございませんが、只今満室となっておりまして、すぐにご案内できるお部屋が……」


 と、受付嬢が非常に申し訳無さそうな顔で頭を下げてくる。

 向こうを責める気はしないリズだが、部屋が空いていないというのは少し気にかかるところ。通行人の多さから、この歓楽街全体が盛況しているのだろうとは思っていたが……


「この時刻から、すでに埋まっているのですか?」


 何の気無しに尋ねた彼女は、言ってから、この問い掛けに相手を疑うような響きを認められかねないと思い至った。


「この辺りは不案内なものですから。差し支えなければ、後学のために教えていただけませんか?」


 それだけ付け足すと、受付嬢は少し安心した様子を見せ……周囲をチラリと見回した後、リズの好奇心を満たす話をしてくれた。

 まず、この辺りの宿が昼間から使われるのは、別におかしな話ではない。夜はきちんと自宅で就寝しつつ、昼は逢瀬(おうせ)のために宿を借りる客がいるのだ。「しけこむ」というやつである。

 ただ、そういったニーズは従前からあるとしても、それにしては……といった具合の利用状況ではある。

 それからもう一つ、この歓楽街では大きな変化があった。


「自宅を出て、長期滞在をなさっている方が……少なからずいらっしゃるようです」


 店としては羽振りの良い上客なのだろうが、この国の一員として思うところはあるのだろう。不倫や浮気を(ほの)めかす話題よりもよほど沈んだ声で、彼女は言った。


(さて、どうしたもんかしら)


 別の宿を探しに行っても良いのだが……受付嬢と宿の作りや雰囲気を見る限り、この宿そのもの(・・・・)は、かなりまともな部類であろう。

 そこでリズは、少し粘ってみることにした。


「時間を改めれば、空室がいくらかできる感じでしょうか? できることなら、数日間、王都滞在中に使わせていただきたいのですが……」


「でしたら、ご予約ということで承ります。お部屋がいつ頃空くかにつきましては、申し訳ございませんが、こちらからは何とも……」


「ああ、いえ。それには及びません。夕方まで時間を潰しますから」


 すると、受付嬢の微笑みが柔和なものに。ラヴェリア王都への潜入時同様、リズは「ニコレッタ・ローレン」の名を用い、ブランドン込みで二人分の予約を済ませた。


 宿の確保はとりあえず完了したと考えて良い。夕方までの時間つぶしも、仲間のための情報収集に充てると思えば、むしろちょうどよいのかもしれない。

 そこでリズは、暇つぶしに歓楽街を散策することにした。

 とはいえ、街を行く人々に見るべきところはなさそうだが……


(店の中は違うかも)


 外を出歩く人々と比べると、店から響いてくる音の方がずっと賑々しい。

 問題は、リズのような年頃の娘が入り込んで、あまり変に思われない店があるかどうかだが……

 彼女にとっては好都合なことに――そしてきっと、この国にとっては不幸なことに――大通りに面するような立地の酒場であれば、昼下がりでも当たり前に、若い娘も利用しているようだ。

 そんな一員に加わるようで、どことなく抵抗感を覚えつつ、リズは一軒の酒場へと足を踏み入れていった。


 外へ伝わる音に違わず、中はかなり盛況している。互いの会話を聞き取るのにも若干難儀しそうな中、ハツラツとした笑顔の若い女性が近づいてきた。


「お一人様ですね! カウンターでもよろしいですか?」


「はい」


「はい! 一名様ご案内!」


 流れるような接客で店に通されながら、リズは店内をざっくり見回した。


 客は様々である。若い者もいれば、脂が乗った中年も、老いた者も。

 そして、それぞれが見せる感情の発露もまた、様々であった。騒がしく喚き散らす者、大声で笑う者、声を上げて泣く者……

 音の洪水の中、それぞれが自分を表に出し、それでいて互いに干渉しようとはしない。賑やかと言えば聞こえは良いが、実態は病的にしか感じられない。

 そんな中で、健全な活力を保つ者といえば、従業員ぐらいであった。


「おしぼりをお持ちしました! ご注文は?」


「……あ~、どうしましょ」


 なんとなく、酒に手を出すのに強い抵抗を覚えたリズは、適当にツマミとサラダ、それに水を頼んだ。

 酒場に来て酒を頼まない客というのも、特にこのようなご時世では珍しかろうが……ウェイトレスは余計なことは何も言わなかった。


(従業員として、立ち入ったことはしないのが処世術なのかもね)


 トタトタと軽快に駆けていく、同世代のウェイトレスに感心し、リズはその背を眺めていた。

 やがて、その背が店の奥に消えて見えなくなり、リズは……少し気を重く感じながらも、半ば義務的に客たちの様子を眺め見た。


――揃いも揃って、酒に溺れている。


 この国を人間の手に取り戻そうという動きはあったらしい。それが失敗して、見せしめがあったとも。この客たちも、そういった経緯は知っているのだろう。

 しかし……もともとこの国は、他の国を食い物にしてきた過去がある。覇権主義のラヴェリアから見てもなお、眉をひそめてしまうような悪行の歴史も。

 そうした国の民が、今では魔族の支配下にあり……(あつら)えられたかのような囲いの中で、酒という餌に飛びつき、現実を忘れようとしている。


 リズには、自分が他の者よりも色々と、強くできている自覚と自負があった。それゆえに、他人に多くを求めはしない。

 誰もが強く生きられるわけではないのだ、と。


 だとしても、泣く子も黙るあのヴィシオスの民の現在は、リズの中で言い知れない感情の渦を引き起こした。何とも苛立たしく、腹立たしく――

 そして、悲しかった。

 人間とは、こんなにも弱く、惨めな存在だったのか。

 それとも、人ならざる者の手で、こうまで堕とされてしまったのか、と。


「……お客さん、大丈夫ですか?」


 ハッとして振り向いたリズは、器用に何皿も料理を持ってきたウェイトレスを前にして、自分が涙ぐんでいたことに気づいた。


「いえ、ちょっと……なんでもないですよ、ええ」


 さっと目元を拭うリズに、ウェイトレスは優しく微笑みかけた。


「美味しいもの食べて、元気になってくださいね! そーだ、お肉とかどうです?」


 中々商売上手な彼女に、リズは含み笑いを漏らし、それに乗ってやることに。「喜んでー!」とホクホク笑顔のウェイトレス。

 彼女を気持ちよく送り出したリズは、適当に(つか)んだナッツを無造作に口へ放り込み、視線は再び店内へ。

 相変わらず騒がしい店内は、客がお互いに干渉することなく、騒音の渦の中で自分の席に閉じこもっているように映る。


 しかし……もしかすると、彼らが酒気とともに吐き出している感情は、決して自分だけのものではないのかもしれない。

 この国の同朋を想い、彼らは笑い、泣き、怒り、喚き散らしているのかもしれない。

 たとえ誰かのために何かをしたくとも、そうする以上のことができないから。

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