第336話 王都への道
ヴィシオス中枢からは明らかに軽視されて続けている、このラバス地方は、手短に言えば緩衝地帯であった。仮にルブルスクから逆侵攻をかけようと、この一帯が大規模な戦火に包まれる可能性は低い。
そして、人類の解放というものを掲げて動くのであれば、この辺りは保護せざるを得ないだろう。
幸いにして、地域住民が食うに困らない程度の物資は、まだ残されている様子。一方で、この辺りを人類側領土としたとしても、行軍を助けるだけの提供があるとは考えにくい。
また、駐留する軍勢に乏しく、領主周りの政治的影響力のなさもあり、抱き込んでの煽動もさほど期待できそうにない。
(まあ、単なる通過地点でしかないかしら)
とりあえず、市場からいくらか物資を補給することはできた。現場の情報収集もこれで十分だろう。
他の住人同様にひっそりと、それでも密かにしっかりと見聞きしたものを心に書き留めて土産とし、リズは仲間を連れて町を出た。
国民が街を出入りして移動するのは、少なくともこの街においては、別に制限がかかってはいないらしい。
それでも奇妙なものを見るような目が衛兵から注がれたが。
街を離れて向かうは、比較的近くの山林。住人の話によれば、木こりがたまに訪れる程度の場所だという。山の木は常緑樹だとも。
いくらかまとまった時間、身を潜める場を確保したいリズたちにとっては、願ってもない場所であった。若干歩かされるのだが、この後の事を思うならば、日が暮れた方がちょうどよい。
実際、暗雲が覆う空の下でも暮れて来たとわかる程度の頃合いに、一行は件の山に着いた。平野部にこんもりと浮き上がった、ちょっとした低山といったところ。
たまに人入りがある程度では整備の手も求められないようだ。山道らしきものは実に間に合わせ感が漂う。踏み鳴らされた道に、ところどころロープの支えがあるぐらいだ。
そうした山道を離れて山中に入れば、人目につくことはあるまい。
曇天の下、近づく夜の気配の中、リズたちは陰鬱な山中へと分け入っていく。
そうして、やや開けた場所を中継地点と見定め、一行は歩を止めた。ヴィシオスの地図を取り出し、今後の段取りについて、おさらいをしていく。
「まずは、ルブルスクの前線拠点へ、この地域一帯の簡潔な報告を。これは私が出向きます」
「それがいいだろうけど、一人で?」
一度行ったことがある場所への転移であれば、リズもあまり苦にしない。
ただ、魔族の手を借りることができるのなら助かるのも確か。自力にこだわる必要も薄いと思い、リズは一人同行してもらうこととした。
「報告は早めに済ませて戻ります。その後ですが……」
「いよいよ、ヴィシオス王都近辺へ?」
緊張感を持って尋ねる仲間の一人に、リズはうなずいた。
「ちょうどいい時間帯ですし……程よく離れた林や山であれば、見咎められる恐れも薄いかと。ただ、一番良さそうなのは……」
「何かな?」
「大河か湖ですね。夜釣りでもなければ、河や湖の真ん中に現れた者に、誰も気づかないでしょうから」
実のところ、ラヴェリア王都への侵入を果たした際も、同様の手口を用いて成功している。
この、水上への転移というアイデアは盲点だったらしく、仲間の幾人かが目を丸くした後、どこか楽しげにうなずいた。
続いて視線はブランドンへ。ヴィシオス国民と言えど、王都を訪れたことはあまりないという話だが、まったくの部外者よりは知識がある。
「でしたら……王都から若干離れますが、こちらの湖が適しているかと。湖の上に霧が立ち込めることが多いと聞いたことがあります」
話しながら彼が指さす先を地図で確かめ、リズは一同に告げた。
「では、そちらへ向かいます。おそらくは安全でしょうが念のため、最初は私一人で。確保でき次第、全員をそちらへ」
一人でもたどり着いてしまえば、残りが同じ場所に跳ぶのにさほどの苦労はない。
問題は、その最初を誰が担うかだが、リズの単独行に異論は上がらなかった。
「残る側としては、心配がないわけではないけど……」
「余分についていった方が、残る側にとっては不安だろうしな」
「まったくだ」
転移等の高等魔法には長けているものの、彼ら仲間の魔族が、こうした潜入作戦に得手というわけではない。
湖の真ん中へ跳んでから、まずは周囲を警戒しつつ、隠れ潜んで安全な場所探し。敵が存在しないとも限らず、そうなれば敵を排除するか、見つからないように場所を移すか――
現場で機転を利かせて対応するとなると、これはリズにしかできない役目であった。
後の流れを定め、自分がいない間はフィルブレイスにまとめ役を託し、リズは深呼吸した。地図を手に取り、現在地と目的とする湖の位置関係を心に刻み込む。
それから、彼女は足元に魔法陣を刻み、精神を深く集中させていき――
空間を捻じ曲げ、彼女は目的とする湖の上に転移を果たした。
とはいっても、立ち込める濃霧に視界をすっかり塞がれてしまっている。おそらくは、話通りの湖なのだろうが。
慎重に屈んでみると、彼女の指先に冷たいものが触れた。《空中歩行》で浮いた足の少し下に、水面が広がっている。
とりあえず、転移先に間違いはなかったようだ。
気にかかるのは、周囲に誰かいないかということ。息を潜め、精神を研ぎ澄ませ、濃霧から脱するように一方向へと歩いていく。
幸いにして、霧が立ち込める湖へと、見物に来る者はいなかったようだ。やはりこちらでも空を覆い尽くす暗雲の下、濃霧から脱して視界に入った湖岸には、人どころか動物の気配もない。
一度岸に着いた彼女は、湖の縁をなぞるように歩いていった。少し場所を移しても、近辺に他の者の気配はない。
それに、ちょうど良い木立を見つけることもできた。ここを中継地点と見定めた彼女は、木立の中央に魔法陣を刻み込み、こちらへ戻ってくるための印とした。
その後、まずは仲間たちの元へと彼女は帰還した。
転移してからいくらか歩き回っていた彼女に比べれば、待つだけの身は時間が長く感じられたことだろう。リズの帰還に、場の空気がフッと緩くなる。
ブランドンもまた、安堵を示してくれたその一員であった。リズに対してどういった思いを抱いているか定かではないが……お互い、もはや一蓮托生の利害関係者と言えなくもない。
彼に柔らかな笑みを向けた後、リズは口を開いた。
「向こうは大丈夫そうです。では行きましょうか」
転移に熟達した魔族らの手を借り、リズが用意した出口を、こちら側の入口と接続していく。
そうしてできた即席の《門》に、一同は足を踏み入れた。
湖から先も、それなりに歩くことになる。大きくショートカットを果たしはしたのだが、ここまで近づいてくると、いよいよ身が引き締まるものも。
いざ敵国王都に接近したとして、どのように侵入するべきか。そもそも、王都への人の出入りはあるのか。検問は?
挙げればきりがない疑問も、遠からず答えが与えられることになろうが。




