第335話 生かされるだけの国
山がちな国であるルブルスクとの国境を抜けて一転、眼前に広がる平野部の田園風景。他国を呑み続けてきた大食漢、ヴィシオスらしい風景とも言える。
しかし、ここからヴィシオス王都バーゼルまでは、まだ遥かな距離がある。
歴史的には、このアバンディ大陸にもいくつもの国が存在したのだが、ヴィシオスの領土欲が他国を征服し続けたことで、今の国際社会がある。
早い話、ルブルスクと接するこの一帯は、もとは別の国だった一地方に過ぎない。この先も同様であり、徒歩で進んでいくというのは、いくつもの国を横断するに等しい。
さすがにそこまではやっていられない。見切りをつけて転移により、目的地まで大きく跳ぶ――というのがリズたちの算段だ。
ただし、この一帯に関して言えば、ルブルスクと接するということもあり、先方にとっては重要である。謎多き敵国の内情を、直接確認する意味もあろう。
そこで、この付近については徒歩で進み、最寄りの街や都市まで向かうのがひとまずの流れである。
周囲には注意しつつ、一行は枯れた山の山道を下り、続く街道へ足を踏み入れた。
幸いにして、高所から見下ろしたところでは、大半の田畑で作物の刈り入れが済んでいる様子だ。現地民と鉢合わせるリスクは小さいものと思われる。
山間部で張っていた気を少し緩めながら、リズたちは進んでいった。
「この後どうしようか」とフィルブレイス。「転移で王都まで、という話だけど」
当初の想定では、地図を参照に転移先の座標を設定する。
問題は、ヴィシオスについてのまともな地図がないことだ。王都バーゼルの所在も、部外者であるリズたちでは、おおよそ程度の知識しか持ち合わせていない。
そこで期待がかかるのが、案内人のブランドン――なのだが。
「私も、王都を訪れたことは数える程度しかなく」と、彼は声を少し沈ませた。
それでも地図上のどこに王都があるか、リズたちよりは正確な知識があるようだ。
「街に寄ったら、地図を調達したいところですね」
そう言ってリズは、出かけてから用意しようという段取りに苦笑した。
地図のことはさておいても、補給や小休止、それに現地調査の意味合いもあって、街へ寄る予定ではあった。そう思えばちょうど良かったのかもしれない。
ただ、実際に街へ向かう前に、ある程度の事前知識を持っておきたくある。
そこで、案内人に一行の関心が向いた。
「このあたりについて、何かご存じ? 知っていることがあれば、何でも話してね」
言葉少なながらも、ともに険路を旅した甲斐はあったようだ。リズや仲間の魔族と、新たに加わったブランドンの間に、今や過度な緊張のようなものはない。
柔らかな口調で尋ねるリズに、彼はすぐ近辺の事を話し始めた。
この辺りの地方はラバスという。
国王が魔族に取って代わられるような大異変が起きたこの国では、各地の領主もまた、多くが魔族と入れ替わることとなっている。
そんな中、このラバス地方はというと、ブランドンの知る限りでは領主が人間のままだという。
広大な農園が広がるだけにしか見えない土地にしては、中々注意を惹く事柄と言える。
「どうして入れ替わってないのかしら」
「憶測でしかありませんが……」
道案内として、あまり不確かな言葉は避けてきたブランドンだが、控えめな彼にリズはにこやかにうなずいた。
「ルブルスクに接するこの地方ですが、いわゆる辺境伯を配するような要地ではなく、実質的には左遷先と言いますか……軽んじられてきた歴史があります。そうした経緯を嫌って、魔族が避けているのではないかと」
だとしても、今度は国内でこの一帯が軽んじられてきたという、新情報が気にかかってくる。
そこでブランドンは、またも推測であることを前置きしつつ、その理由について語ってくれた。
曰く、ルブルスク向けの政策ではないか、というのだ。
王都から離れた辺境だからと言って、実力や実績のある者を配したのでは、ルブルスクという”友好国”を刺激することになりかねない。圧をかけられていると見られれば、大陸外の諸国への接近を促す結果に――という懸念も。
ならば、いかにも辺境という扱いにしておいて、長閑な田園地方の装いを崩さないでいる方が、ルブルスクを飼いならす点においては好適であろう。
「……それにしては、両国ともに、国境の警備は入念にやっていたみたいだけど」
やや皮肉を込めて指摘するリズに、ブランドンは珍しく、少し困ったような笑みを浮かべた。
結局のところ、飼い犬も飼い主も、お互いの事を完全には信じ切れずにいた。その表れとして、山間の陰に紛れながら、互いにやることをやっていたのだろう。
山間部の警備は怠りないものの、この地方自体は力が弱い。ここラバスから多くの兵を吐き出せるわけではないようだ。
ただ、仮にルブルスクを併呑しようと領土欲を発揮したとして、控えめな兵力の備えが不都合になるかと言うと、別にそうでもない。
ルブルスクには飛行船がないのだから、空から攻め入ればいいのだ。
もとより山間部への大規模動員は無駄も大きい。それよりは、飛行船による高所からルブルスク王都ロスフォーラを攻め立てる方が、ずっと効果的であろう。
ルブルスクを飼いならす上では、兵力の備えを控えめにした方が好ましく……仮に向こうと交戦することになろうとも、別にこの地方から動員する必要はない。
となると、左遷されてきた代々領主に、兵力を持たせる必要もないということである。
「それと……」
代々の領主が冷や飯を食わされている理由は、まだあるという。さすがにかわいそうになってきたリズは、苦笑いで「何かしら」と先を促した。
「こちらの領主は、実質的に国の税吏のようなものでした。中央に言われた通りに農作物を収めればそれでよく、余分な働きは期待されていなかったようです」
「なるほどね……席を空けられようと、誰も座ろうとしないわけだわ」
☆
刈り入れが終わった田園地帯は、皆皆が外に出るのを避けているようであった。どんよりした曇天の下、色を失って枯れていく農地は寒々しいばかり。
あまりに人の気配がないことで、逆に色々と心配になってきたリズだが、たまに遠目に見える人影にはホッと安堵した。
それでも、雨天でもないというのに、現地民の存在を目にできたのはごく数回程度だった。
なんとも物寂しい田園地帯を駆け抜けて数日。一行はラバス領の中央都市に到着した。
ヴィシオス国内における比較対象がないため、なんとも言えないところはあるが、少なくとも魔族がそう簡単に視界に入るということはない。
街の近辺や地域一帯の様子から察せたように、人通りはかなり少ない。街並みそのものは、他の人間社会とそう大きく変わりはないのだが。
ヴィシオス国内でも軽い扱いを受けてきたということで、この都市の立ち位置は、また独特のものなのだろう。この街一つを取って、今のヴィシオスを理解する材料とするのは早計と思われる。
それでも、この国の現実がいくらか明るみになっていく。
それなりの大きさを持つ都市内で、全体的にひっそりしているとはいえ、市場だけはいくらか人通りがある。
人通りの量に対し、各々が口を動かすのを控えているようにも映るが。
それに、収穫が終わったばかりだというのに、市場にはさほどの活気がない。
どうも、食うに困らないだけの物は残っているらしいが、例年よりも多くを召し上げられたという話である。
中央から離れた辺境であっても、国の在り方が変わったのは市民も知るところとなっている。
「大きな声では言えない」と前置きしつつ、出店の店主が語ったところによれば、領主はすっかり参ってしまい、中央の魔族に進んで貢納しているという。その立場を思えば致し方ないところではあろうか。
そうした領主の有り様。街に我が物顔で居座る、ごく少数の魔族。そして、あのヴィシオスという国が、その程度の外敵すら排除できないでいる。
――自分たちはただ、生かされている。
軽んじられてきた辺境の民も、国の現実の一端を知ることとなったのだ。
街中に諦念が漂うのを、リズは感じずにはいられなかった。




