第33話 タネ明かし①
時はさかのぼり、戦闘の前夜。
自分会議によって敵の正体を決め打ちしたリズ。魔剣に刻まれていると思われる術式も、あらかた把握できている。
しかし、他にも考えるべき事項がいくらでもある。『国が送り出しているとして、だけど』と言って、分身の一人が切り出した。
『やっぱり、監視つきかしら?』
「それはそうでしょ。方法はわからないけど……」
継承レースは始まったばかりで、互いに腹の中を探る段階だとリズは踏んでいる。
今回の刺客も、あわよくば彼女を仕留められればそれに越したことはないとしつつ、実際にはその力量を測るために送り出されているのだろう、と。
となると、戦闘によって得た情報を、どうにかして国へと伝達する必要がある。
この手段について、逃げ帰るという選択肢はないだろうというのがリズの考えだ。
なぜなら、本当に《インフェクター》が動き回っているのだとすれば、「標的を倒したら帰れ」などという取り決めを交わすとは考えにくいからだ。
「無罪放免を餌に、契約を締結してると思うのよね」
『その代わり、事が成就するまでは、雑多な条件で縛る感じ?』
『ま、ここまでの細かな仕掛けを見る限り、離れていても制御下って感じではあるかな』
意志ある魔道具、精霊、魔神、そして人間……魔力を有し、互いに言語で意思疎通できる存在は、魔術的な契約を取り交わすことができる。
こういった形式の契約において、両者の魔力に応じた立場の優劣はあるものの、基本的には両者の合意によって締結がなされる。
つまり、相手を納得させたければ、相応の譲歩が必要というわけだ。
おそらく、今回の事件において、例の魔剣は王家側と何らかの契約を結んでいる。居場所を知らせる、視覚を始めとする知覚を共有する……
そういった魔法の使用を魔剣に認めさせていると、リズは考えた。
他の条件は、「殺しすぎるな」といったところか。
魔剣側の知覚を共有せずとも、魔剣を目立たせておいて、密偵を別に動かすという手もある。
先方にしてみれば、リズに捕らえられる可能性は無視できず、これはこれでリスキーな手であろうが。
いずれにしても、情報戦の観点から言って、何らかの手段で見られている可能性を、リズは確実視している。
よって、できる限り手の内を明かすことなく戦いたい。
いかに戦うべきか、リズたちは頭を悩ませた。
そこで、分身の一人が、やや突拍子もないことを口走る。
『どうにかして、魔剣を無力化できない?』
「そのどうにかってのがね……いえ、考えてみる価値はあるかも」
戦闘中に魔剣を破壊するのは難しく、かといって使い手を倒すというのは読まれていることだろう。まともに戦うことで、相手に情報を抜き出される懸念はある。
あえて常道を外す手口の方が、リズには好ましく思われた。この状況特有のやり口で、うまいことやり込めることができれば……他の場面で役に立たない情報を与えるだけで、戦いを終わらせることができるかも知れない。
加えて、魔剣を無力化――ひいては確保してしまうことが、彼女にはかなり魅力的に思えた。人を斬りつけて虜囚とする魔剣を、逆に捕らえてしまうのだ。
それができれば中々胸がすくし、国との“取り引き”に使えるかも知れない。
そこで、議論は魔剣の無力化にシフトした。少し本腰を入れて考えてみて、解決策が見当たらなければ、真面目に戦おうということに。
しかし、案外早くに話の先が見えてきた。分身の一人が口にした一言が契機となって。
『鞘ってあるかしら?』
「無いんじゃない? 魔剣の側が嫌うだろうし……鞘無しを条件にして納得させてるんじゃないかしら」
魔剣の構造について詳しい文献には、例の魔剣を捕らえた折、国の名匠と術士が協力して鞘を仕立てたという話だ。
こうして専用の鞘等の拘束具を用意するというのは、危険な魔道具の封印・安置にはよくあることだが、現場で新たに用意したなどという逸話はない。しかし――
リズは先例に囚われない。
『私でも、そういう鞘とか用意できない?』
『いや、難しいでしょ』
「あー……鞘代わりの魔導書を作るとか?」
本体の発言に、他の七人は色めき立った。
魔導書を用いて、他の魔道具を弱体化・無力化させたという実例はない。
しかし、剣と鞘という今回の話題が、一つの活路を開いた。本体の発言でインスピレーションを得た分身が、宙に魔力で模式図を描き出す。
『魔導書にさぁ、何ていうの? 毒とか呪い的なのを仕込んでおいて、ヤツに突き刺させるってのは?』
『はぁ……なるほど。アリじゃない? 読まれずに済むし、手口は悟られにくいし』
この毒、呪いといった比喩に該当するものが肝要だが、リズには心当たりがあった。
すでに出来上がっている魔法陣に対し、干渉して対象の魔法陣を変性させる系統の魔法がある。
こう言うと、中々使い出がありそうな魔法だが、実のところはまるで使えない魔法だ。
というのも、対象の魔法陣に干渉した結果がどうなるか、正確には制御できないからだ。
干渉までは多少の時間がかかるということも問題で、戦闘中に使える代物ではない。
大昔には、果敢な魔導師たちが、既存の魔法を変性させて新種を……と試みてきたそうだが、大半は無為に終わる結果に。
いや、無為に終われば良い方だ。まれに痛い目を見、ごくまれに壊滅的な結果に終わるとあっては、組合や行政も黙っていられなくなった。
以降、こうした変性系は、存在こそ認知されるものの、使われる機会は皆無である。
そのような、危険で無価値に等しい変性系魔法だが、リズはこれを玩具にしていた時期があった。
彼女に自殺願望はないが、《叡智の間》が実験場としてはあまりに好適なので、好奇の虫を抑えられなかったのだ。
結局、彼女は新魔法を発見するには至らなかったが、それはそれとして、まず役に立たない新発見もあった。
変性系魔法の魔法陣には共通する特徴的な構造として、外殻部がある。
はっきり言ってしまえば、これが機能の中核だ。外殻部が自己を保ちつつ、触れ合った魔法陣に対して強い侵食力を示す。
そして、この外殻部さえあれば、中身の記述は割とどうでもいい――というより、デタラメに書いた方が、侵食力が増す。
早い話、相手の魔法陣が台無しになりやすい。
今回は、これを例の魔剣に仕掛けてやろうというのだ。魔剣に刻まれた魔法陣に対し、変性を試みて弱体化を図る。
『魔導書の構造だけど、どうする?』
「両表紙に《念動》は基本として、保護用に《防盾》。攻撃には《追操撃》あたり。後は全部、例のデタラメ変性でいいんじゃない?」
『オッケー。他に必要な魔法があれば手書きするか、”自分”に書いとけばいいか。注意点は?』
『外殻回りは対象物に寄せてやった方が、侵食しやすいじゃない? せっかく相手の情報があるんだし、効きやすい構造を模索する意味はあると思う』
「じゃ、後でコンペしましょうか」
『しっかし……問題は、本当に効くかどうかね』
『私の魔力の”濃さ”ならいけると思う。後は、私の防御にかこつけて、刀身周りの魔力を相殺できれば、ほとんど無防備になるんじゃない?』
『それもそっか』
――こうしてリズが用意した魔導書は、ほんの少しだけの実戦機能と、100ページ以上に渡る侵略的なデタラメで構成されるに至った。
魔道具の立場からすれば、これは本の形をした毒沼である。
この周到な準備は、悪戯心に突き動かされた面も、否定できない……
というより、それなりにある。
実戦においても、彼女は敵をハメるための工夫を怠らなかった。ひとまずの緊急避難と見せかけ、彼女は本を犠牲に、魔剣を突き刺させた。
また、《念動》と《防盾》を用いて敵の攻撃に対処したのは、いくつか理由がある。
まず、魔剣が魔導書を貫通したことで、刀身は百を超える罠に身を晒したことになるが、即座に効く保証はない。効果が発揮するための時間稼ぎを行うためというのが一つ。
そしてもう一つ。《念動》で刀身の動きを制御、《防盾》で魔力の刃を根本から相殺することで、うまく戦えない理由を先に用意してやった。
こうなれば、変性が効いている状況下に置かれても、魔剣の気づきを邪魔できる。
不調の原因は、明らかに、《念動》と《防盾》のせいだからだ。
加えて、魔力同士を相殺する力比べの状況を用意し、不調と疲弊を取り違えさせる土壌も用意した。
結果、魔剣が想定していたであろう形とは、まったく別の持久戦が展開されていたわけである。
魔剣からすればリズの魔力・スタミナ切れを待てば勝てる戦いだった。
一方でリズからすれば、刀身に十分な魔力が侵食し、相手の魔法陣そのものに加害できればよかった。
☆
《幻視》を用いて周囲を見渡したリズは、倒れ伏す男に対し、微弱な魔力の存在を感じた。
もしかすると、監視役はあの男だったのかもしれない。おそらく死んでいるであろうあの男を通じ、この戦いのための知覚を得ていたのではないかと。
リズは、男から改めて十分な距離を取り、《念動》で魔剣を引き寄せた。
弱りきった魔剣は、もはやなすがまま。声を出すのも恥でしかないためか、かすかな金属音を立てて呻くばかりだ。
さて、魔剣の処遇を考えるに、魔導書を鞘代わりにしておくというのは妥当に思われる。
しかし、この魔剣を交渉材料として見るならば、あまりに力を損じさせるのも不都合がある。
そこでリズは、腰のポケットから布手袋を取り出して装着した。
魔剣に直接触れようが布越しであろうが、大差はないのだが、気分の問題だ。
長い溜息で心を落ち着けた後、彼女は魔剣の柄を握った。
予想通り、特に違和感はない。
ただ、そのまま握り続ける意味もなく、彼女はすぐ次の行動に移った。魔導書を宙に固定し、魔剣を引き抜き、その流れで地へ突き立てる。
これに不平を漏らす気力もなく、魔剣は静けさを保っている。
こうして、大仕事を終えてようやく解放された魔導書を、リズは優しく撫でた。
思えば、この本には大変な非道を働いたものである。
その結末が気になって、彼女は魔導書を開いてみた。
すると、自分の手で書き記した魔法陣たちは、書いた当初よりも無残なことになっていた。
刀身を架け橋にして、侵食力の高い魔法陣同士がつながってしまったせいだろう。デタラメが一層デタラメになっていて、頭がクラっとしたリズは、勢いよく魔導書を閉じた。
(禁書かと思った……)
こんな魔窟へ、魔剣は頭から突っ込んだわけである。これに心身を侵される気分を思い、彼女はほんの少しだけ、魔剣への同情心を抱いた。
こうして、魔剣との戦いは幕を閉じた。
しかし、リズにはまだやるべきことは残っている。困ったような苦笑いを浮かべた彼女は、天を見上げた後、倒れたままの男に目を向けた。




