第333話 命の使い道
人間兵を縛り付ける魔族の指揮官が倒れ伏し、まずは共通の敵を排除するのに成功した。
とはいえ、残ったお互いが相手を完全に信用しきれない。ごく短い間に戦闘が終わり、にわかに静寂が訪れるも、一行の間には今もなお張り詰めたものがある。
ただ、未だ戦意を保っているように見える敵兵らも、それは自己防衛のためのものらしい。打って出ようという空気ではなく、どこか腰が引けているように、リズは感じ取った。
(向こうの出方をうかがう手もあるけど……)
しかし、こうした場の流れを誂えてやったのは、他ならぬリズである。 そして、向こうが大なり小なり、その流れに乗じることで答えてきた以上、続きを指し示す義理はあるのではないか。事の流れをできるだけ掌握したいという考えもある。
わずかな身動ぎさえも意図的に抑え込むかのように、じっと見つめてくる敵兵を前に、リズはゆったりと動き始めた。《超蔵》の虚空から鞘を抜き取り、魔剣を収めていく。
そうして腰に帯剣し、落ち着き払った様子で彼女は告げた。
「先程の戦い、ヴィシオスの兵にしては……いえ、だからこそというべきかしら? どうにも狙いが粗雑だったようだけど」
どちらに向けたものかも定かではない流れ弾を指し、リズはやや皮肉っぽい笑みを浮かべた。
これに対する反応は様々だ。冷静さを保つ者もいれば、わずかに身を強張らせる者。表情にかすかな狼狽が表れる者も。
もっとも、リズが本気で非難しようと考えているわけではないということは、いずれも理解しているらしいが。
こうした各々の反応を、この後の判断材料にと心に納めつつ、彼女は続けて言った。
「あなたたちが揃って降伏するというのなら、あの時あなたたちが本当は誰を狙っていたのかについて不問とします。どうかしら?」
まずはこちらに害意がないことを示すための申し出。彼らにほとんど選択肢など残されていないだろうが……受け入れづらい要素もあろう。
実際、リズが懸念していた通りの言葉が、兵の一人から放たれる。
「敗残の身で申し上げるべきでもなかろうが……仮に貴女の下へ降ったとして、何か意味がある選択とは思えない」
リズへの反抗ではなく、自分たちが置かれた状況から来る、悲壮感ある吐露であった。彼の言に仲間も続く。
「魔族の下から開放されたことについては、心の底から感謝申し上げる。しかし……」
「お役に立てない、と?」
「……ああ。その自信がない。貴女、いやあなた方が何を考えているのかは知らないが……仮に降るとして、我々を連れて国境を越えようというのか? そのような危険を冒させるくらいなら……」
そこまで口にして言い淀んだ彼は、少しためらってから続けた。
「この場で、人として弔われた方が、互いにとって幸いではないか」と。
合点の行く話ではある。ここまでリズが”単独行”してきたと認識した上で、彼らは帰路について深刻に憂慮している。そうした思考の流れは、ごく自然なものであった。
まさか、リズの側にも魔族がいるなどとは、思いもよらないだろう。
絶望に打ちひしがれながらも、彼らはまだ、人としての最後の一欠けまでは損なわないでいる。泣く子も黙るあのヴィシオスといえど、やはり人は人なのだろう。
そんな彼らに対し、リズは若干のためらいを覚えながらも、種明かしをすることにした。指笛で合図をすると、ややあって木立の影から仲間も魔族たちが。
リズの側にも味方がいた事自体、兵たちは意外にも驚きはしなかった。その可能性をうっすら考えてはいたのかもしれない。
しかし、仲間たちが近づくにつれ、兵たちの顔に驚愕と困惑が浮かび上がる。
「ま、魔族……だと?」
どうにか、かろうじて出てきた一声。それきり、いずれもが口を閉ざし、近寄る魔族に思わず身構える。背を向ける彼らに、リズは言い放った。
「あなたたちに言うことじゃないかもしれないけど……魔族だからといって、人を害さなければいけないわけじゃないでしょ? すべての人間が、人間すべての味方というわけでもないんだから」
ヴィシオスという国の、本来の立ち位置を思えば、ぐうの音も出ない正論であった。
そして、取り囲む魔族らに害意や敵意がないことも察したのだろう。やや戸惑いがちにしながらも、兵たちはリズの方に向き直った。
「移動手段については、ご心配なく。転移で”人間側”の領域まで送り届けるわ」
もっとも、送り届けた後のことまで、リズは約束できなかった。国境防衛の都合上、先に訪れた最前線拠点へ、情報源も兼ねての捕虜として引き渡すことになるだろうが……
先方を差し置いて勝手に約束するのは、今回の件に関わるいずれに対しても、失礼ではないかと思われる。
しかし、このままでいるよりはずっとマシだと認めてもらえたようではある。空気にわずかながら、弛緩した感じをリズは認識した。
それでも兵たちが不安そうしているのは、この後の実際の扱いを憂慮するものか、あるいは――
「本当に、うまくいくと?」
と、転移そのものについて不安視する声も。
とはいえ、結局はやってみるしかない。範を示せば納得することだろう。先方への説明等の責任もあって、一度帰還するのは必須でもある。
そこでリズは、仲間も魔族らの手を借りて転移の準備を進めた。自分一人で帰るだけならばできるが、こうして一般人たちを連れ帰るとなると、やはり専門家の手が欲しいところ。
さほど待つことなく魔法陣が用意され、距離を跳躍して繋がる空間の歪みが現れた。さすがに身構えてしまう兵たちの前で、何事もなくリズは《門》を通り抜けようと歩を進めかけ――
はたと思い出し、立ち止まった。
「結局、私たちに降伏するってことでいいのよね?」
「あ、ああ……」
声に出して答えたのは一人だったが、他の兵も異存はないらしい。それだけ認めると、リズは困ったような微笑を浮かべた。
「今の内に、《封魔》だけでもかけさせて」
もはや敵意も戦意もなさそうな兵たちではあるが、拠点へ送り届ける以上は、間違いが起きないようにするのが最低限のマナーであった。
抵抗する素振りを微塵も見せない兵たちに、魔力の拘束を施し、リズは改めて空間の《門》を通り抜けた。
繋がれた先は、当たり前ではあるが、前に訪れたルブルスク最前線拠点である。
リズがいきなり帰還したことに、驚きの目を向ける兵たち。傷を負っていない彼女の様子に、当惑と安堵入り交じるも、続く来訪者を目の当たりにして空気が変わる。
おそらく、ヴィシオスの兵たちがどういった姿なのか、その装いについては知識があるのだろう。国境を超えたリズが引き連れるように戻ってきたことからも、彼女に続く兵たちの素性を、彼らは察したに違いない。
そして……おそらくは捕虜だと承知しながらも、遠巻きに身構えるルブルスクの兵たち。当然の反応と思いつつ、リズは努めて高らかに宣した。
「今のヴィシオスの生き証人として、捕虜をお連れいたしました!」
すると、ちょっとした騒ぎになりつつあるこの場に、将官らしき中年男性が駆け寄ってきた。
周囲の兵卒たちはいまだ緊張した様子ではあるが、この将官は穏やかなものである。せっかくの帰還と捕虜の確保、事を荒立てまいと意識しているのかもしれない。彼は落ち着き払って言った。
「まずはご無事で何よりです。戦果につきましても、我々には大変ありがたいところ」
「情報源として、実際にどれほどのものか、未知数ではありますが」
「それは、まぁ……」
将官は捕虜たちに、やや鋭い視線を投げかけて一瞥した。
「偽報でなければ十分ですな」
とりあえず、過度な期待は寄せていないらしいが、実のところ賢明な態度でもある。ヴィシオスにおける人間の扱いを踏まえれば、重要な情報を持たされているとは考えにくい。
それでも、現場における実態を知るのは、最前線という現実と向き合う彼らの一助となることだろう。
ただ、捕虜を持ってきたリズとしては、一つ頼み事もあった。
「あの中から一人、私たちの水先案内人として起用したいのですが」
「その任が務まるような者がいれば、当方としても、むしろ賛成するところです。しかし……」
これに、ヴィシオスの兵たちの幾人かが、抑えきれない当惑で顔を硬くする。せっっかく、まともな人間たちの領域に来たと思えば、再び魔族の支配圏へ戻らされるというのだ。無理もない反応だろう。
そんな中、落ち着きを保つ者の姿も。その兵に、リズと将官の視線が向く。
魔族に従わされていた中でも、一応は人間側のまとめ役らしい。
「あなた、頼めるかしら?」
リズからの問いは、もしかすると、人生で最大の難題だったのかもしれない。にわかに渋面になった彼は、無言で考え込み……顔を上げた。
「一つ、聞かせていただきたい」
「何でしょう」
「貴官の目的とするものは?」
実のところ、最終目標は突拍子もなさすぎるものだ。そこへ至るための道のりも、決して公にできるものではない。
はぐらかすのにも罪悪感を覚えずにはいられないリズだが、そこは割り切り、ひとまずの目標を告げた。
「まずはヴィシオス王都への侵入を目標とします。その上で、実際の支配体制の確認。まだ人間の高官が残っているようならば、何かしらのアプローチを」
リズ自身、今回の作戦でどこまで成るか、見当もつかない試みではある。
しかし、案内人として白羽の矢が立った青年は、リズの言葉を真摯に受け止めて考え込み……やがて、はっきりと告げた。
「承知しました。どうせ拾われた命です。あなた方に託しましょう」




