第332話 接近遭遇
リズたちが国境の砦を出発し、ヴィシオス国境への侵入を果たして数日が経過した。
国境沿いの山脈地帯は、木々がすでに枯れてしまっており、遮蔽物に乏しい。身を潜めるには不都合だが、それは相手としても同じことらしい。今のところ、国境をうかがおうという動きは、両軍ともにかなり控えめだ。
それでも、時として衝突は生じる。
☆
周囲に注意を張り巡らしながら、枯れ木に紛れて道なき道を進んでいく中、リズたちは付近に敵の小集団がいることを察知した。
ルブルスクを離れて、これで5日目、敵との遭遇は3度目だ。
どんよりとした暗雲の下、居並ぶ枯れ木の行列の陰に身を潜め、リズたちは先方の様子をうかがった。
見たところ、やはり魔族と人間の混成部隊らしい。一際大柄な魔族が一人、集団の後ろについている。
何も、隊の最後尾を守ろうというのではないだろう。おそらくは督戦的な理由での配置ではないかと、リズは察した。
ここまでの接近遭遇においても、人間のみの部隊は見当たらなかった。それも当然の話で、ヴィシオスが魔族に支配されるようになった今、このような国境へ配された人間兵は、魔族の目さえなければ亡命を敢行してもおかしくはない。
魔族側もよくわかっているのだろう。今まで目撃した敵部隊は、いずれも人間が数名程度。仮に反乱を起こされようとも、魔族の手でどうにか制圧できることだろう。
そこへ、”手を差し伸べてやったら”どうなるか?
ここまで出会った敵勢は、中々に忠実な連中ではあった。人間兵は、何かに駆り立てられるように、必死になって戦闘した。
では、彼ら率いる魔族はというと、自分が真っ先に狙われていることを悟るや、人間兵を犠牲にしながらも自身の安全確保に走り――
それすら叶わないと見るなり、配下を残らず背後から撃って始末していた。
おかげで、敵部隊殲滅の助けにはなったのだが、一方でリズが得たものはといえば、勝利にしては苦い感情程度。
おそらく、隊を率いる魔族は、そういった心得を言い含められているのであろう。
果たして、今回はどのような結果に終わるか……瞑目して思い巡らせた後、リズは仲間たちに《念結》で告げた。
『向こうが気づいていない内に攻めます。《乱動》の準備を』
『兵の確保は?』
『できる限りやってみます』
無論、これまでの衝突でも狙ってきたことではあるのだが……これまで以上に力を注ぐというニュアンスを感じ取ったようで、フィルブレイスは神妙な顔になった。
『了解。ただ、あまり無理はしないようにね。君の姉君からも言付かっていることだし』
『そうですね』
お目付け役を果たそうという、まめやかな彼に、リズは柔らかな笑みを向けた。
それからすぐに、彼女は気を引き締めて前方に注意を向けた。
《乱動》影響下では、転移も通信も阻害される。魔力線で繋がり合う《念結》であれば問題なく通じ合えるのだが、魔力線を見られることで、隠れ潜む仲間の存在が露見するリスクはある。
それを避けるため、リズはあくまで単身での戦闘にこだわっている。仲間が戦闘に関わるのは、突発的な事態における自衛だけ。その機会は、現状では訪れたことがない。
必要な連絡を手早く終え、リズは前方にいる敵部隊へ音もなく近づいていった。近づき過ぎれば感付かれ……またも人間兵を始末されるかもしれない。
かといって、遠い間合いから殺するというのも難しい。《貫徹の矢》での狙撃は的確に急所を射抜いてこそ。一撃で仕留められなかったのなら――
(ああ、いえ。それはそれでアリかも)
これまでの戦闘では考慮していなかったことだが、敵の人間兵と共闘するというのはアリかもしれない。
制圧してから説得するのではなく、説得して引き込みながら制圧するのだ。
この先の事を思うならば、様々なパターンを試行することにも大きな意義がある。
後の動きがアドリブ頼みになるのは仕方ないと割り切り、リズは腹を括った。木々の陰に身を潜め、視線の切れ目をうかがっては次の木陰へ。息を殺して少しずつ、敵集団との距離を詰めていき――
ある程度近づいたところで、彼女は腰を落として木の葉を拾い上げた。水分を失い過ぎて割れやすくなっているものは避け、できる限りしなやかさを残したものを。
適当な木の葉を見繕っては、その表面に魔法陣を刻み、それを地に戻してまた別の一葉。
そうして準備を進めた彼女は、改めて敵の方に向き直った。
(こんなもんかしらね)
準備を整え、後は決行。うまくいかなければ、次の敵部隊で試すまでのこと。
――敵とはいえ、生きた人間を実験台にしている事実に、いくばくかの罪悪感を覚えないこともない。
しかし、彼女はそれを振り切った。人の生き死にに心を揺るがされてはいられない。
そんなことは、最初から承服済みでここにいるのだ。
意を決して、彼女は動き出した。
まずは木立の間からわずかに身を出して、貫通弾を一射。
放たれた矢は、さすがに外れこそしないが、一矢で絶命させるほどの的中でもない。胸部を射抜かれた魔族が、一瞬その身を硬直させる。
矢の軌跡さえ見える時間感覚の中、着弾までを視認した彼女は、すぐさま次の行動へ。撃たれた指揮官が他の兵にも伝わる反応を示すのとほぼ同時に、彼女は一つの魔法陣を書き上げた。
すると、魔法陣が突風を放ち、落ち葉をまき散らしていく。指向性のあるその風に巻かれ、木の葉の渦が敵部隊へ襲い掛かる。
「な、何だ!?」
「か、構えろ! 敵襲だ!」
胸を押さえながらも大声を張り上げる敵指揮官。突然の事態に動揺しながらも、敵兵たちが身構える。
対するリズは、《風撃》と同時に大きく飛び上がっていた。枯れ木の頂上付近に身を預け、視線は眼下の敵部隊に。
上にいることも、このままではいずれ気取られるだろうが……さらなる手で先んじて、敵をかく乱すればどうか。
そのための備えはすでにあり、敵はもはや術中であった。手のひらに刻んだ魔法陣へと小声で語りかけると、風の渦で舞い踊る木の葉が、彼女の声を口々に響かせる。
『人間諸君、あなたを顎で使っている魔族をご覧なさい。今なら殺せるわ』
事態が急進行した中、敵魔族へと部下の視線が急に集中する。渦中の彼は、胸の激痛をものともしないかのように激昂した。
「騙されるな! 同士討ちが狙いだ!」
『ええ、ええ。もちろん、それが狙いよ。でも、同士だなんて、ずいぶんと厚かましくていらっしゃるのね?』
「……貴様ら、俺の方を向くな。敵を探せ。姿も見せない卑怯者の言うことを信じるのか?」
仲違いを意図したものを隠しもせず、しかも種族間の軋轢を逆撫でるリズの言葉に、敵部隊の中での緊張感が高まっていく。
彼女の声の、真の出どころがどこか。敵兵らが鋭い視線を巡らせるも、甲斐のない努力であった。風に巻かれて渦となり、彼らを包囲する木の葉それぞれは、互いが魔力線で結びつく一つのネットワークとなっているのだ。
言うなれば、彼らは魔力の網に取り囲まれた状況にある。魔力を視認したとしても、網の奥にまで注意を向けてリズの居場所を探るのは至難であろう。
それも、このような戦場で上を向くというのは。
木の葉の渦の包囲を嫌って出てくれるなら、それはそれで別の仕掛け方をすればいい。隊列が乱れたのなら、何らかの介入で兵を切り離していくこともできよう。
ただ、見たところ敵の指揮官は慎重であった。自身がすでに撃たれた事実もあってか、そのままの隊形を維持する考えでいるらしい。
そこをリズが突いていく。
『部下が背を向けてくれていた方が、いざという時に処理しやすいものね。生かして降らせるわけにはいかない、でしょ?』
「くだらない出任せを」
『そういう連中を殺してきたってのよ』
狼狽と不信を煽っていくリズだが……わずかな沈黙の後、魔族は鼻で笑った。
「……フッ、語るに落ちたな。その手で人間も幾度となく殺めてきたのだろうが」
『だから? お前たちの下で働かされる人間たちに、他を気遣うだけの余裕があるとでも? それだけの環境を与えているという自負があるの?』
先程は笑ってさえみせた魔族だが、切り返す言葉はない。言い返せないところに、リズはさらに畳み掛けていく。
『まずは、自分の生存と自由が一番大事なのよ。そんな事もわからずに率いていたの?』
実のところ、ヴィシオスの人間兵が何を思っているか、正確なところはリズもわかっていない。ただ、魔族よりかは理解度があるだろう。
それに、この場で敵方の溝を深くしてやれば、それで十分であった。
彼女が口を閉ざすと、残るのは風と踊らされる木の葉の音のみ。場に緊張が張り詰めていき――
彼女は動き出した。隠れ潜んでいた木立の上から、敵指揮官の後背へ向かって跳躍。宙に身を躍らせるや、敵部隊に向かっていくつもの魔弾を叩きつけていく。
その狙いは絶妙なものであった。まずは露払いの《追操撃》が、木の葉の渦を突っ切って、敵集団のちょうどど真ん中へ。
敵の各々にとって、反射的にその場を離れて散開するのが自然――そんな一撃であった。
敵兵らの、おそらくは体に染み付いた回避行動は、誘導弾に続く《火球》で決定的なものになった。いずれの敵兵も、火球の着弾点から適切な距離を取り、第一波を凌いだ。
そして、敵部隊のそれぞれが互いに向かい合う中、リズは敵指揮官の後方にあえて音を立てて降り立った。相手に対応を迫るためだ。
魔族一人が、人間に取り囲まれた配置とも言える。
さて……敵指揮官としては、どのように戦うべきか? 振り向いてリズを狙おうにも、部下を本当に信じきれるか?
従わされる部下にしても、得体の知れない女の言うことを、素直に受け入れられるものだろうか?
不確定要素の多い戦いではあるが、リズにとっては案外シンプルな状況である。
勝つのは当然として、欲しいのは捕虜としての敵兵。ならば、敵指揮官が部下を始末しようという動きだけに注意を配れば良い。
そういった動きを放棄し、正々堂々とこちらに立ち向かおうものなら……人間による挟み撃ちだ。負ける道理はない。
果たして――目まぐるしく変わる状況の中、敵指揮官は一つの解答にたどり着いたようだ。リズに背を向けたまま何か腕を動かす兆しを、彼女は感じ取った。
実際に何をするのか、確証を持てているわけではない。しかし、明確な敵に背を晒したままとなると……
(《爆発》で、自分もろとも皆殺しってところかしら?)
それを阻止せんと、彼女はすぐさま行動に移った。敵の人間兵から、どちらを狙ったのか定かではない流れ弾がこちらへ向かう中、まずは貫通弾を敵魔族の胸と腕に一射。
先手を打つなり、次は右手で瞬時にして《超蔵》を記述。空間に穿たれた、ごく小さな穴から、使い慣れた魔剣の柄を掴みとり――居合の要領で一閃。
放たれた魔力の刃は、普段よりもタメが短いものではあったが、無防備な敵の背から腕一本を狙うには十分なものであった。深々と切りつけられ、千切れかけた右腕から鮮血が迸る。
瞬く間の出来事であったが、これで趨勢は明らかとなった。目に見えて、人間兵らの狙いがしっかりしてきたことに、リズは思わず唇の端を吊り上げ……
叩きつけられる魔弾の嵐の中、断末魔の叫びを上げ、敵魔族はその場に倒れ伏した。




