第327話 作戦拠点①
《乱動》による転移・通信封じを意図して魔王らに協力を依頼したリズだが、彼ら同行者の存在は撤収の利便を図ったものでもある。
幸いにして緊急時の離脱が求められる事態には陥っていない。彼らによる転移は、専ら行き帰りの平常運航だ。
魔族の手で、いずことも知れないところへ飛ばされることに、捕虜となった砦の守備兵らは、さすがに複雑な表情をしている。
とはいえ、どこに飛ばすかを彼らに明かしてやる義理は、少なくとも今のところはない。
おそらくは問題ないとはいえ、《乱動》を解いたばかりである。こうした奇襲の動きを察知されているのなら、何かしら対策を用意されているとも限らない。
となると、作戦の根拠地を明かすのは、どうにも不用心に思われるのだ。
ただ、無言の捕虜たちは心配そうにしながらも、目の前で進む転移の準備に対して拒否感をあらわにはしていない。
彼らも彼らで、この場に留まる理由などない。その上で、自分たちの立ち位置についても、ある程度の理解はあるのだろう。
果たして、ダンジョンを自在に操る魔王ら手ずからという、なんとも贅沢な転移門が現れた。煌々と輝く魔法陣の上に出来上がったのは、周囲の夜闇よりもなお黒い漆黒の渦だ。光さえ呑み込んで空間を捻じ曲げ、遠く離れた地へ繋ぐ。
自分一人、あるいはごく少数とともに転移するのであれば、この魔王らにとって造作もないことではあるが……誰でも通れるような《門》を即席で設置するというのは、彼らの力を以ってしても中々骨である。
そこで、これが本当にうまく機能していることを確認し、捕らえたばかりの連中にも安心してもらうため、門を試しに通ってみることに。
拠点攻めの帰りはいつもこのような流れでもある。魔族の一人がスッと歩み出て《門》の中へ。
彼が黒い渦に呑まれ、影も形もなくなって数秒。張り詰めた緊張の中、彼がこちら側に再び姿を現した。
「問題なく向こう側に到着できた」
この言葉に、場の空気が弛緩するのをリズは感じ取った。
元から緊張しっぱなしの捕虜たちが、目の前で魔族の姿が消えたことで、より一層の緊張を示し――彼が無事な姿を現したことに、若干の安堵を抱いているのだ。
元は敵ながらも、こうした人間らしい心の動きを示す彼らに、リズは少しだけ表情を綻ばせた。
蛇蝎の如くに疎まれる、あのならず者国家ヴィシオスの兵だが……少なくとも下々の多くは、こういった人間のままなのだ。
「じゃ、行きましょうか」
それぞれ縄で繋がれた上、もはや抵抗する素振りさえ見せない一集団の前に立ち、リズは黒い渦の中へと歩を進めていった。
繋がった先は、頭上に暗雲が広がっているとはいえ、先程よりはまだ周囲が明るく見えた。
ただ、広い草地は損傷したフェンスで囲まれており、開放感よりも殺風景という言葉が似あう。
ここはサンレーヌ郊外、飛行場近くの空き地である。
一帯取り囲むフェンスは、飛行場の上空に《門》が生じて魔物が送り込まれた際、バリケード代わりに使われて損傷したものの流用である。
当初予定よりも飛行船の離発着が限定的であること。飛行場に現れた《門》を除けば、ラヴェリア近隣の地方ということもあって、本格的な魔手には晒されていないこと。
そしてなにより、人類側の情報集積地になりつつあるサンレーヌという土地柄が、捕虜を捕らえて連れ帰るのは好都合であった。
まずは先んじて《門》を出たリズに続き、魔王らが控えめに囲う形で続々と、捕虜が空間を渡って人類側の領域へ。
見渡しても間に合わせのフェンスしかない場所だが、それでもあの砦よりはずっとマシなのだろう。張り詰めていた空気に、リズは今日一番の緩みを認めた。
もっとも、これで軽口を叩くようなことはないのだが。
全員が《門》を通り終えると、用済みになった渦が自分自身を呑み込むように収縮し、あっという間に消失。
《門》の後始末までを見届け、リズは一団を先導して歩き出した。
程なくして前方から、数騎の騎兵が彼女らの元へ。流れるような動きで下馬すると、兵長らしき豊かな髭の人物が頭を下げた。
「無事のご時間、なによりでございます」
「ありがとうございます」
さすがに兵を任される立場ともなると落ち着いたのものがあるが……彼の部下には、若干の硬さが見て取れる。
それは無理もないことで、リズはサンレーヌにとって深い間柄の存在であり……しかも引きつれているのは魔族と、捕虜ながら悪名高い国の兵なのだ。
さて、やってきた兵によれば、彼女の不在時に火急の事態は生じていないとのこと。この合流は、あくまで礼遇の一つとしてのお出迎えである。
「よろしければお使い下さい」と馬を勧められるリズだが、彼女は丁重に断った。
「急いで帰還し、申し伝えるべき事項もありませんので」と。
実のところ、魔族を討ち取ることでいくらかの経験を経た彼女だが、有益な情報ということであれば後ろの捕虜たちの中にこそ、その価値がある可能性がある。
となると、捕らえた責任者として、彼らを差し置いてまで自分一人が戻るだけの理由が今はないのだ。
そもそも、彼女はあまり馬に乗らないという事情もあり、兵長はすでに耳にしていたのだろう。無理にと押し込んで勧めることはなく、「そういうことでしたら」とあっさり応じた。
彼ら騎兵も伴って道を進み、やがて一行はサンレーヌに到着した。
城壁の外を出歩く住人はほとんどいない。城下町の壁を出入りするのは、非武装者という括りでは商人が関の山だ。
その商人にしても、今ではサンレーヌ市政や軍と浅からぬ協力関係にあり、有事の対応者という区分に入る。
よって、城壁近くに見慣れない装いの兵をぞろぞろ連れ歩いても、不穏なざわめきが生じることはなかった。
すでに何度も、こうした戦果を連れ帰っているということもあって、城門を守る兵も慣れたものである。
リズの帰還に、まずは実直ながらの喜ばしさある笑みで歓迎。挨拶もそこそこに、捕虜の受け入れが粛々と進んでいく。
引き継ぎも済み、とりあえず荷を降ろし終えたリズは、ホッと一息ついた。
ただ、帰ったら帰ったで、まだ気が抜けない状況にはある。
というのも、サンレーヌの為政者らや各国からの出向者はともかくとして、リズが率いる魔族のことは、市井にまで存在を知られてはいないからだ。
彼ら魔族について、もとはマルシエル議会が世話をしていた。しかし、世界を股にかけての奇襲作戦をかけるとなると、重責ある者が各国から集うサンレーヌを拠点とした方が何かと都合が良い。
そうした作戦上の利便を優先したところ……明かす訳にはいかない身分の者として、この街でコソコソ動かざるをえなくなったというわけだ。
リズ指揮の下で彼らは、生半可な将校では太刀打ちできない貢献をしているのだが。
そういった、彼らの働きぶりについて、街の安全を預かる門衛もしっかり理解しているらしい。最初は物怖じしたものだが、重ねて戦果を上げて戻る一行に、今では敬意に満ちた眼差しを向けている。
とはいえ、目深にフードをかぶるなどして身を隠さんとする魔族らに、申し訳無さそうに思う気持ちもあるようだが。
「できることならば、皆様方の貢献もまた、世に知られるべきとは思うのですが……」
「私も同じ気持ちですが、今は難しいですね……」
世間話と言うには感情のこもった言葉に、リズは共感を抱くとともに、この先のことを思案した。
一連の奇襲について、相手もいくらか察知はしているだろうが、だからといってこちらから明るみにするわけにも。
どうせやるならば、相手の反応を誘う形での、何らかの暴露だが――
これは、協力への感謝というより、軍略の一環というべきものであろう。
つくづく、敵を出し抜いて勝つことにばかり思考が向かう。それが求められているということもあるだろうが……
そういう自分を意識すると、ここまで連れ添ってくれている魔族らに対し、にわかに申し訳無さが募ってくる部分も。
しかし、彼女がチラリと視線を向けてみると、魔族の協力者たちは何一つ気にしていない様子だった。
「安心するがいい。隠れ潜むのは慣れているぞ」
「フフッ。何しろ、我らは百年単位での引きこもり連中だからな」
と、俗世から切り離されていた面々が、そうとは思えないほどのユーモアを見せる。
彼らの祖先は、同族を裏切って人の側についたという。
今を生きる彼らの、その振る舞いは、「なるほど」と思わせるものであった。




