第325話 大乱の世の小さな争い
血に濡れた魔剣を振るうリズの前で、大柄な魔族の遺骸が倒れ伏している。
挟撃に備えようという彼の見立ては正しかった。ただ、彼の備えよりもずっと早く、リズは行動に移していた。
外から入り込む紙の群れは、もちろん彼女の手によるものだが、実のところ攻撃性能を持たせていたのは第一陣のみ。後の紙はというと、動かすための《念動》以外は、適当に魔力を帯びさせていただけのものだ。
手に負えないと思われ加勢を求められるよりは、対処しきれる脅威だと思われたかった。
狙い通りに動いてくれるだろうという見込みはあった。いかにもな部屋の前で、他に仲間もなく一人で見張りをしていたのだから。相応に自信があり――
人間ごときに聞かれるような形で、助けを求めたくはなかったことだろう。
そうした思惑どおりに事が動き、彼を通路の角へと追い込み……事前に《爆発》を記した紙とリズ自身で、挟み撃ちする格好となった。
通路角の窓に配した爆発物については、相手が処理してくれて実は好都合であった。先ほどの戦闘音や敵の声がどこまで響いたかは定かではないが、実際に《爆発》が機能していれば、相当広範囲に知られるところとなってしまうからだ。
可能な限り、余計な増援が来る前に頭目を攻め落としておきたくあるリズとしては、不自然にならない程度に起爆を遅らせる心づもりさえあった。
そこを、敵が瞬時に伏兵を察して対応に移ってくれたのだ。その判断力が仇になったということである。
仮に、爆発物ではなく、通路少し奥に隠れ潜むリズに気づいていたのなら……彼は自身の命と引き換えに、盛大な警報を上げることにはなっていただろうか。
物言わぬ亡骸を超え、リズは本命が待つ方へと歩を進めながら、これまでの戦闘を振り返った。
今まで攻め落とした拠点はどれも似たようなものだが、こちらも例に漏れない傾向がある。
というのも、ごく一般的な戦闘であれば相応の実力を発揮するであろうと思われる敵が大半ではあるが、こういった奇襲には弱いように思われるのだ。
人類を脅かしている魔族の先兵ながら、戦いぶりは正攻法に寄っている――といったところか。
この現世へ攻め入るまで、彼らがどのように暮らしていたのかは、さすがに知りようもないことである。だが、リズは何となくではあるが、訓練を繰り返しはしても実戦経験は少ない連中が大半であるように感じた。
向こう側が良く治められているからこそ、こちらへと侵攻しているという面もあるのかもしれないが。そう考えると……
(母国は覇権主義だし、私は命をつけ狙われるような生まれだし……まったく)
これまで切り伏せてきた連中よりも、よほど剣呑で物騒な生を送っているように思われてしまう。
では、この砦を統べている魔族は、果たしてどのような存在であるか。
リズはドアのすぐ近くに差し掛かったところで歩を止め、ドアに二枚の紙を貼り付けるように配した。いずれも裏面には《念動》を書き込まれており、違うのは表面だ。
魔法でドアに紙を貼り付けた彼女は、すぐに壁の窓から外へと躍り出た。
屋上の欄干に腰を落ち着けるや、彼女は傍らに用意した魔法陣に向けて話しかけた。先程ドアに貼り付けた紙に刻んだ《遠話》の魔法陣が、彼女の声をドア越しに響かせる。
「見張り番は殺した、次はお前の番よ。降伏したければどうぞ。両手を切り落として廊下に差し出したなら、降伏したものと認めましょう」
まず通らないものと考えつつ、相手の出方をうかがうための一方的な取引。
とはいえ、相手の側の方が圧倒的な不利にある。《乱動》の支配下にあるこの砦の中では、魔力線を介して繋がらなければ、情報のやり取りができない。
そして、そういった線の存在は見受けられない。今や扉の奥は、他から完全に切り離された密室である。
相手も、自身が置かれた現状については一定の理解があるのだろうか。リズの言葉に対して即答はない。
この沈黙の間、リズは粛々と次の準備を進めていった。魔導書に魔法陣を書き込み、いくつものページへと一気に転写をかけていく。
やがて、彼女のもとに若い男性の声が響いた。
「そちらも相応の負傷を被ったのではないか? でなければ、我が同胞を葬ったように、私も始末して見せればいいだろう。それができないというのなら、見逃してやっても良い」
「笑える冗談ね。無用な殺生を避けたいのは、できるだけリスクを抑えたいからよ。お気づきでしょうけど、あなたよりも私の命の方が、ずっと重いのだから。違う?」
それから少し間を開け、「挑発のつもりか?」と、やや気色ばんだような声。
しかし、リズはこれを間に合わせの返答と直感した。図星を突かれたことを悟られないようにと、静かな怒りを仄めかすような。
地下通路及び、今でも城塞外へ向けられている警戒の目を思えば、魔族側拠点がいくつか落とされている事実は知っているとみるのが妥当。
となると……自身が生き残って勝つのを最上としつつも、腹では相打ち上等と考えていてもおかしくはない。
(部屋に入り込むってのはナシね)
自爆覚悟でいるのなら、敵に地の利がある部屋に入り込む道理はない。今こうしている間にも、何か部屋に仕込まれている可能性も。
もっとも、相手が実際にどのように動くかは、なんとも言えないところ。時間が相手に味方するのは間違いないが。
向こう視点で可能性が高い逆転の目としては、やはり部下との合流あたりか。
(私が部屋に入り込まないと見れば、一気に飛び出すのが一番ありえそうね)
会話の合間のわずかな時間にも思考を巡らせつつ、リズは戦闘の仕込みを並行していった。
魔導書内での複製がおおむね終わるや、それら完了ページの根本をまとめてちぎり、屋上へとバラ撒いていく。
そうして散らばった紙に魔力を注ぐと、《念動》の魔法陣が彼女の意志を反映して紙が整列した。
一連の準備を終え、彼女は最後通牒に入った。
「3つ数える。その間に去就を決めなさい」
「無駄な問いだ」
「はいはい」
あえてあざけるような響きを持たせた言葉の後、リズは《遠話》越しにカウントダウンを始めた。
「3、2」
――もっとも、本当に3つ数えてやる考えなど、最初からありはしない。
部屋の扉には貼ったもう一枚の紙、表面に仕込まれた《爆発》が起動。扉どころか、周囲の壁まで吹き飛ばす爆発が生じる。
しかし、爆発からごくわずかな間に、爆炎すら吹き飛ばすような紅い魔力の奔流が部屋の内から放たれた。まず間違いなく、備えていたのだろう。
竜のブレスを思わせるような、怒涛の威力が周囲の大気を震わせる。先んじての爆破で焼失した壁を極太の魔力が突き抜け、それが対岸の城壁にまで達すると、着弾した壁が赤く染まってただれていく。
侵入を防ぎつつ、手勢への合図も兼ねた攻撃といったところか。
ありありと、その火力を誇示するような一撃。初めて見る魔法ということもあり、心の奥底でわずかな興味が惹かれるのを自覚しながらも、リズは作戦遂行に徹した。
扉爆破からごくわずか後。彼女は砦屋上に敷き詰めた魔法を一気に起動させた。
秘密裏に殺すことは最初から諦め、速戦即決を狙った彼女による、屋上の一斉起爆だ。紅い奔流と激しい爆炎が、互いに競い合うように闇を赤く染め上げる。
屋上の石床が盛大な音を立てて崩れていく一方、遠くではにわかに生じたざわめきが耳に届いてくる。いずれこちらに援軍がやってくることだろう。
しかし、間に合わせられる。
足元で崩れ落ちる石材の雨の中、ゆったりと進む時の流れに身を置く彼女は、石の切れ目に紅の奔流の原点を認めた。
そして、その起点に動きが生じていることも。
全てを焼き払う一条の赤い閃光が、上へと振り上げられる。
その軌跡を瞬時に見切りながら、リズは腰に手を伸ばした。魔剣に魔力を込め、音もなく迅速に抜き放って一閃。両者が振るう魔力の刃は、間に舞い散る石をものともせずに進んで交錯し――
紅い刃は誰もいない暗天を切り裂き、青白い三本の刃は一人の魔族に深い傷を刻み付けた。
一瞬、前のめりになる敵に、リズは間髪入れず追撃を放った。《貫徹の矢》の連撃が敵魔族の心臓を撃ち貫く。
それでも彼は、振り上げた紅き魔力の塔を、渾身の力で振り下ろした。これをリズは、ヒラリと軽いステップで回避。それまで彼女の後ろにあった壁が、紅い魔力に呑まれて蒸発。紅い奔流は粒子となり、闇夜に溶け込んでいく。
あっという間の出来事であった。これが最期の一撃となり、後は何の言葉も発せず、敵魔族が前のめりに倒れ込む。
リズはすぐさま彼に駆け寄り、その背に剣を突き立ててトドメとした。
殺めた感触を手にするや否や、頬を伝う一筋の汗。
(直撃をもらってたらヤバかったわ……)
もう少し、あの紅い攻撃の振りが速ければ、結果は違っていただろう。火力は竜さながら。ダウンサイジングの分だけ増したように思われる取り回し。端的に言って脅威であった。
ただ、それほどの力だからこそ、使い所には苦言を呈したくもあるリズであった。野戦において集団相手に用いれば、相当の戦果を見込めるだろうに。あるいは、攻城戦か篭城か。活躍の機など、いくらでもあったことだろう。
それなのに、実際にはこうした要塞――それも遺棄されていた僻地の要塞の留守番に回すというのは、どうも……
(ま、こんな小競り合いには、興味が無いんでしょうね)
未だ手の届かないところにある黒幕だが、陣取りゲームに拘泥していないようにリズは感じた。
それがなおさらに、今まで殺めた敵を、少しばかり哀れに思わせる。




