第32話 VS貪食の魔剣《インフェクター》②
魔導書を貫いた魔剣を、男はそのまま振り上げた。
《インフェクター》としては、魔導書を貫いたままも良し、斬撃の勢いで損壊すれば、それもまたよしといったところであろう。
そして、魔導書が突き刺さったままの一撃が、今まさに繰り出される。
――しかし、魔剣の振りが急に遅くなる。宙で何かに引っかかり、それを無理に引き抜くような。
不意に勢いを殺された一撃は、威力も慎ましいものになり、以前よりもずっと浅い爪痕を地に残すに留まった。
斬撃の威力を損なったものが何であるか、魔剣にとっては自明である。『下らぬ小細工を』と魔剣は吐き捨てた。
男に再び構えを取らせようとするも、刀身があらぬ方向に動く。貫かれたままの魔導書が、刀身の側から動かしている。
その動きを抑え込もうと、男の腕に力が入るも、それをいなすように刀身が翻る。
つい先程までの、目を見張るようなあの剣技の冴えはどこへやら。ままならない刀身の動きに、男は翻弄されて無様なステップを踏んだ。
さながら、意地悪なダンス相手に弄ばれるように。
「こういう嗜みは無かったかしら」とリズが言うと、魔剣は『この程度で勝ち誇るのか?』と冷ややかに返した。
突き刺された魔導書は、開こうにも開けない状況だが、表紙に仕込まれた魔法陣は十分に機能している。
そこでリズは、表紙に仕込んだ《念動》のカで魔導書ごと刀身の動きを操り、男の挙動までも制しているのだ。
しかし……力づくの動きが続くと、手綱を操るのも難しくなっていく。『魔導書が破壊されては元も子もあるまい!』と魔剣は叫んだ。
実際、魔力を通して保護してあるとはいえ、魔導書の耐久力は有限だ。悪名高い《汚染者》の前には比較にもならない。力比べの的となった時、いつかは力尽きて魔剣が解放されることだろう。
早々と完全に破壊される結末を、リズは避けた。
彼女にとって大事なのは、刺させたままの状態を維持することだ。
彼女は抜け目なく、男の動きに注視した。振りかぶる動き、足の踏み込み、行動の起こりを見極め、隙をついて刀身を弄ぶ。
斬撃そのものを防ぎきることはできないが、使用者の動きは妨害されている。
その変化は、地に刻まれる傷跡からも明らかだ。一撃に込める力をうまく散らされ、浅くなっているのだ。
ままならない攻撃に、魔剣は焦れた声を上げた。
『一思いに斬られれば楽になるものを。この者を弄んでいるつもりであろうが、避けられぬ破滅を前に賢しらな貴様こそ、この男に負けず無様に映るぞ』
「力と成果で語れないのなら、宝物に宿る知性も、かえって虚しさの極みね」
『ほざけ!』
男は自身を一切顧みない、力任せの一刀を振るった。無理に留めようとすれば、魔導書が両断されかねない、横薙ぎの一閃だ。
《念動》による干渉もできない一撃だが、リズは《防盾》で受けきった。
それからも、斬撃の嵐が繰り出される。
攻撃は完全に大振りだ。魔剣は魔導書との付き合い方を割り切ったのか、刀身からの制御に煩わされやすい、細かな動きを諦めたらしい。
この変化を、リズは「洗練の欠片もないわね」と煽った。
戦闘開始時点の攻撃よりもさらに、粗暴の度合いを増している攻撃は、技巧もへったくれもない。
何かの拍子にリズを切れればそれでよし。しかし、魔剣は真の目的として、煩わしい魔導書を断ち切ることを狙っているようだ。
何か吹っ切れたように、操り人形の男が魔剣を力の限り振り回していく。
それは、意志無き男という器を借りて、魔剣がその苛立ちを表現するようでもあった。
魔剣としては足踏みさせられる状況となったが、リズにとっても有利とは言い難い。
結局のところ、この魔剣の破壊は困難で、どうにか無力化しなければならない。持ち手である男を攻めようにも、魔導書を盾にされれば……という恐れはある。
粗雑とも言える攻撃で隙を見せる魔剣だが、その程度のことは当然狙っていることだろう。
ある意味、魔導書を盾にしたことで、お互いの打つ手が狭まった格好である。
ただ、この魔導書という障害物がなくなった時、不利になるのは――
全力で繰り出される斬撃を、リズは回避し続けた。見切りやすい動きということもあり、防御系魔法の出る幕はない。
そんな彼女への怒りも落ち着いたのか、魔剣はただ静かに、男を動かしていく。
しかし、一見変わりないように見える攻防の裏で、少しずつ変化が生じていた。地面に刻まれる斬撃が、やや浅いものになってきている。
これを訝った魔剣は、男の動きを一度止め……金属を擦り合わせるような不快な音を立ててうめいた。
『小娘が……手を変え品を変え、必死なことだ』
「鏡でもご覧になったら?」
ニコニコ笑って挑発するリズに向け、無言の袈裟斬りが放たれる。
しかし、見えない刃の入りは浅い。一歩も動かず構える彼女の、魔法の防御を打ち崩すことは叶わず、地に刻まれる爪痕も控えめだ。
魔剣に刺された魔導書から直接、彼女は防御魔法を使用している。
これで、魔剣による魔力の刃を相殺、魔導書の保護を行っているわけだ。
新たな手を見せる彼女だが……少ししてから、この工夫を魔剣は嘲笑った。
『他にすることもないのであろう? このようにしてまで本の延命を図るなど……先が知れていると、自ら吐露するようなものではないか』
「知れているのはお前の程度よ。本一冊でここまでやりこめられるなんてね。それの市場価格はご存知?」
一歩も引かずに煽るリズへ、問答ごと断ち切るようなー閃。
しかし、その斬撃も相殺され、目立った威力を発揮せずに終わった。
こうして始まったのは、魔導書を介しての力比べ第2段階だ。
《念動》によって魔導書を物理的に動かし、それを魔剣が断ち切ろうという第1段階と比較すると、今回は魔力同士のぶつかり合いである。
これで、男と魔剣の側が魔力を切らすような事態となれば、わかりやすい勝利となるのだが……
(予想以上ね……)
この持久戦自体、リズの予想以上に困難なものとなりそうである。
魔剣に備わる魔力もさることながら、男の側にも相当な魔力が宿っているように思われる。
――いや、むしろ男の方が、魔力的には源泉であるのかもしれない。死んでいるように見える、この男が。
というのも、いかに伝承の魔剣と言えど、リズに匹敵する魔力を保有しているとは考えにくい。
でなければ、異母兄弟が刺客として、いいように使役できるはずもないからだ。
(複数人で組んで、魔剣と契約してる? でも、一位に意味がある競争のはず。だったら……)
おそらく、魔剣は弱体化させる処置をしてあると、リズは考えた。宝物庫で管理する中、そういった処置はあって然るべきだ。
ただ、魔剣が弱っているのだとしたら、それを操る傀儡の魔力が尋常ではない。
これまでの魔法攻撃による耐久性から、そういった片鱗は見えていたことだが……秘密は、異様に露出が少ないその装いの内にあるのかもしれない。
そこで、敵のペアが有する異様な魔力量についての思案を、リズはひとまず取りやめることにした。戦闘中に解き明かすのは難しいと判断、終わってから今後のための考察とすることに決めた。
魔力の力比べを伴う戦いは、次第に魔剣を用いた戦いからかけ離れた様相を呈していく。
見えない刃は完全に押し込められている。直接刃に触れない限り、魔剣の一撃も普通の剣と何ら変わりない。
強いて言えば、不格好なアクセサリーが、でかでかと自己主張しているだけだ。
この魔力対決に相当の自信があるのか、魔剣はリズの誘いに乗り、成果を挙げない攻撃を繰り返している。
一方のリズは、少しずつ疲労の色を見せていった。足に来るほどではないが、戦闘開始直後と比べると、やや息が上がってきている。それを目ざとく、魔剣が指摘した。
『少しずつ、貴様の最後がにじり寄っているようだな。身の程を知らぬ者の末路よ』
「飼い主様に感謝することね。イキのいい死体を宛てがってもらって」
優勢を誇るような口ぶりの魔剣であったが、リズの言葉は図星だったらしい。
――自らを握らせているこの男の力がなければ、逆に追い込まれていたかもしれぬ、と。
それを言葉で認める魔剣ではなく、代わりに男を動かし、見るからに怒りがこもった斬撃で以って返礼とした。
魔力の刃が出なくなっても、疲労が蓄積されているリズにとっては、魔剣そのものの刃が次第に脅威になっていく。
魔剣の動きは、彼女を直接斬りかかるものへとシフトしつつあるのだ。本来の戦いに戻ったと言うべきか。
そこでリズは、別の対応を示した。再び、魔導書を《念動》で動かし、敵の制動を試みていく。
この魔導書操作による妨害により、再び無様なステップを踏む男。
それでも果敢に、男はリズへと斬りかかるが、彼女の足さばきにはまるで対応できない。
《念動》の対処には大振りな攻撃にならざるを得ない。しかし、そのような動きでは、刃は彼女に届かない。
魔力の力比べの間は思考の外に出ていたであろう妨害策が、ここぞというときに舞い戻って顔を出したことで、魔剣は大いに苛立った。
『ただ煩わしいばかりの小兵が!』
「お前の思い通りになる人間ばかりじゃないわ。数百年ぶりに思い出させてあげる……いえ、数日ぶりかしら?」
『貴様ァッ!』
宮廷でどのようなことがあったか定かではないが……遣われる立場の今を当てこすったリズの言葉は、魔剣の逆鱗を的確に刺激したようだ。
その怒りを託されたかのような、男の剛腕が唸って打ち下ろされ――
異変が起きた。
地に深々と刺さった魔剣を、男は引き抜けないでいる。
それまで体を気遣われず、無理な動きを繰り返させられていたからだろうか?
やがて、男は魔剣から両手を放し、引き抜こうとした動きそのままに、仰向けに倒れ込んだ。
この動きを、リズは静かに見守った。
今になって魔剣が“頭”を使い始め、それらしい演技で油断を誘っているのかも知れない。
しかし、倒れ込んだ男に対し、魔剣は何ら次の行動指示を示せないでいる。
実際、リズの目に宿る《幻視》は、男と《汚染者》の間にある力のつながりが断たれていることを明らかにしている。
つまり、あの魔剣は、もはや召使いを動かせないのだ。
それでも警戒を絶やさないリズは、注意深く動いた。地に突き刺さったままの魔剣に対し、《魔法の矢》を何発も叩き込んでいく。
別に、これで折ろうというのではなく、魔剣に手を触れずに地面から引き抜くためだ。
初等魔法ではあるが、リズの魔力と連射能力を以ってすれば、止まった的には絶望的な嵐となる。
間断なく叩きつけられる衝撃の中、魔剣から何か人語が放たれたようだが、甲高い衝撃音に飲まれて彼女の耳には届かない。
やがて矢の衝撃が、地から魔剣を解放した――が、リズの掌中に近い状態ではある。彼女は魔導書の《念動》経由で魔剣を操り、傀儡の男から引き離していく。
地に置かれた魔導書と魔剣に、リズは音もなく近寄った。わざわざ空中歩行を使い、地表ギリギリで動いているのは、魔剣が音以外で探知できるのか確かめるためである。
魔剣は動く様子を見せない。操れる対象が居なければ動けないというのは、文献の記述どおりである。
それでも、リズは防御の構えを絶やさず、魔導書からも魔力の刃を抑え込む。
すると……魔剣は言った。
『き、貴様……い、一体何を……』
耳障りな高音の声は、今ではどこかユーモラスな響きを伴うものになっていた。柔らかさのあるペラペラな金属板を、空中で適当に振ったような、力の抜けるディストーションが入った声音だ。
これを耳にし、リズは真顔で固まった後――
のたうちまわった。
「プッッ、フッフフフ、アッハァハハハハ! く、苦しいわ、そんな演技で、私を苦しめようというの!?」
『何をしたと聞いていりゅ!』
「ちょ、わ、笑い殺す気……クッ、ククク、あ、あの手この手で、私を苦しめて、き、汚いわね! 名に恥じないわ、閣下ァ! アッハハハ!」
かつて、大国の精鋭部隊でようやく確保できたという伝承の魔剣が、ぐにゃんぐにゃんとした声音で、舌足らずな言葉を放っている。
そのギャップにリズは、色白で端正な顔を朱に染めながら、笑い死ぬかもと思った。
また……今回の敵は、魔剣と召使いばかりではない。その背後にいる異母兄弟たちも、この戦いを見ていることだろう。
そんな相手方の策謀を、こうして笑い飛ばせる域にまで貶めることができた。
もちろん、リズの中には、巻き込まれた者への申し訳無さは当然のようにある。
それでも、笑いが止まらない状況だった。
腹を抱えてのバカ笑いがひとしきり済み、立ち上がるリズ。溜飲が下がってスッキリした顔の彼女は、ホコリを払って魔剣に向き直った。
しかし、今の彼女は、今更になって威儀を正すような自分自身にさえ、それを意識した途端に滑稽さを感じてしまう。魔剣を見ると、なおさらであった。
思わず顔がにやけそうになる彼女だが、戦いは締めくくらなければならない。大きく長い溜息をついて気持ちを落ち着けた後、彼女は淡々とした口調で言った。
「失敬、見苦しいところをお見せしたわね」
言ってから、これが相当な皮肉になっていることに気づいたリズだが、魔剣が気にした様子はない。先程と変わらず、伝承上の存在にしては哀愁を漂わせる声音で、魔剣は問いかけた。
『一体、何をしたというのだ……』
「知らない」
『貴様ァ……』
「飼い主さんたち、見聞きしてるでしょ? 言えるはずないじゃない」
しかし、実際のところ、リズはこの問答でまったく嘘をついていない。魔剣の背後に居る者を警戒しているのはもちろんのこと……
魔剣の身に何が起きたのか、本当の正確なところを、リズはまるで知らないのだ。




