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第318話 私はお姉さま

 目の前で何が起きているのか見当もつかず、真顔で口をパクパクさせたリズは、困惑の答えを求めるように王妃の実子へ目を向けた。

 もっとも、向こうも似たようなものらしいが、それでも自分よりはまだ落ち着きを保って見える妹の様子に、リズはわずかながらの手掛かりを得た。


(今日、いきなりこうなったってわけじゃない? 私が知らないところで、何か心境の変化があって……あいつは知ってるってこと?)


 当惑の最中に思考を巡らせるリズの前で、王妃はなおも頭を上げようとしない。おそらく、声をかけるまでこのままであろう。戸惑いっぱなしのリズだが、その程度は察することができた。

 それにしても……長きにわたって敵視し、身に宿し得る悪感情の多くを向けた相手ながら、眼前で平伏す王妃の姿に、リズは愉悦を欠片ほども覚えなかった。

 いつの日にか、何らかの形で頭を下げさせたい――そういう思いは少なからずあり、その場を夢想することなど一度や二度ではなかった。

 しかし、それはあくまで自分が能動的に何か事を起こし、その成果として求めていたことだ。

 頭を下げさせたくはあったが、勝手にこうも下げられるとは。


 釈然としない思いを解消するため、リズはネファーレアに手を振り、近寄るように促した。

 彼女も彼女で、状況に置き去りにされているらしく、居心地悪そうにオドオドと近寄ってくる。

 そんな彼女に、リズは有無を言わせず《念結(シンクリンク)》を行使。王妃に聞かれないよう内緒話を開始した。


『ねぇ、何これ。新手の嫌がらせじゃないでしょうね?』


 これまでの間柄を踏まえれば、嫌味や皮肉どころか正当性さえある疑義だが、ネファーレアは慌てて首を横に振った。

 そして、口を閉ざしたままの彼女は……何か考え込む様子を見せ、心の声で答えた。


『数日前、世界がこのようになってから……お母様の様子が少し変わられて。つい昨日には、お姉さまに謝らなくてはと』


 変われば変わるものである。この妹から、「お姉さま」という呼称を使われるとは。

 素直に受け入れにくい気持ちこそあるが、あえてこの言葉を選んだ妹の様子に、こちらを上に立てようという一定の敬意は確かに感じられる。

 とりあえず、変わりつつある関係性をそのままに受け入れ、リズは話を先に進めた。


『世界が変わったからっていうだけで、こうも変わるとは思えないわ……もしかして、陛下に何かあった……いえ、陛下から何かあったんじゃないの?』


 今まで政務の第一線から退いていた国王が、こんな世界の状況故にか、再び臣民を主導する立場に戻ったということはリズも耳にしている。

 里帰りにも大した反応を見せなかった父王にも、この世界変革が何らかの変化をもたらしたと考えれば、クラウディア妃へ何らかの形で波及した可能性も――

 そのようにアタリをつけたリズだが、妹の反応はパッとしない。


『私も、陛下から何かお言葉を賜ったのではないかと思っていますが……詳しいお話は聞かされていません』


『そう。仕方ないわね』


 何の気なしに返した言葉ではあったが、落胆や失望の響きを感じたのだろうか。ネファーレアは気弱そうに、身を少し縮こまらせた。やや上目遣いになって反応をうかがう姿に、かつての憎々しいふてぶてしさはない。

 実のところ、王妃が言った通り、この妹自身は王妃の操り人形みたいな部分が多分にあった。

 今も、母に振り回されているに過ぎないのかもしれない。

 未だ、この母娘にはわだかまるものがあるとはいえ……これからを思えば、過去をいちいち引きずるのも、いかがなものかと思われる。

 何より、妹に対して感じてしまった同情心を、リズは素直に認めることにした。


『ちょっといい?』


『は、はい』


『あんたのヤンチャの分まで、ご母堂が頭下げてらっしゃるけど……あなたが個人的に、私に謝りたければ、好きにしたらいいわ。ただ、声には出さないようにね』


 王妃の事を自然と(おもんぱか)って最後に付け足したが、心の中に響いてくる返答はない。

 代わりに耳を打ったのは、妹がすすり泣く声であった。


 きっと、謝意に留まらず色々な思いあっての事だろう。リズは困ったように微笑み、ポケットからハンカチを取り出した。


『これじゃ、私が泣かせたみたいじゃない、まったく……』


 ため息とともにハンカチを手渡すと、これを素直に受け取ったネファーレアが、声を抑えて顔を拭っていく。

 その顔をリズはマジマジと見つめていた。


『ねえ』


『……はい』


『しばらく見ない間に、顔色良くなったんじゃない?』


 最後に遭ったのは、幽霊船での戦闘時だ。あの時に比べると、色白の肌には生気ある血色が通っているように見える。

 コクリとうなずく妹に、リズは「そっちの方がカワイイわ」と笑い、背を軽く叩いてやった。


 後は……王妃の対処である。長いため息をつき、リズは声をかけた。


「妃殿下。いつまでもそのようにされたのでは、私としても話しかけづらくあります。そろそろ立ち上がっていただけませんか?」


「承知いたしました」


 言われるままにスッと立ち上がった王妃の顔に、涙で濡れた痕跡は見受けられない。それでも、かなり思いつめた表情をしているのだが……


「妃殿下の中に、私を憎む理由がなくなったと……そう考えても差し支えないということでしょうか?」


「はい」


「……では、それでいいですよ」


 実のところ、国を離れた上に継承競争が一時中断となったこともあって、リズの中でこの王妃は過去の人となっていた。近頃などは、取り立てて強い感情を向けていた覚えもない。

 今になって、この変貌ぶりに面食ってしまったのだが、相手が非を認めて矛を収めるというのなら、それにとやかく言う必要はない。世の中がこんな状況ということもあり、過去をいちいち掘り返す気にもなれない。

 それよりは、寛大にも水に流してやるのが、ちょっとした皮肉も込めてのスマートな対応のようにも思われた。

 一方で、扱いに困る部分も少なからず認めなければならないところだが。

 リズの許しを得た王妃は無言で深々と頭を下げた。実子ネファーレアもそれに倣い、この場は一件落着に。


 ただ、事の成り行きを遠くで見守っていた兵の問題はある。

 あのラヴェリア聖王国の、それも王妃が平伏していたとあっては、もしかするとあの骨の竜よりもよほど信じがたい光景に違いない。


 実際、リズたち3人と騎兵たちが合流すると、なんとも言えない微妙な空気が広がる。

 とはいえ、この空気を作り出した張本人は、さすがに後宮の一員であった。すっかり落ち着き払い、静かな威厳を以って兵たちに口を開く。


「待たせてしまいましたね。では、あなた方の街へと帰還しましょうか」


「……はっ、かしこまりました」


 向こうも色々と心得(・・)がしっかりあるらしく、目撃してしまったものについての余計な言及はない。

 粛々とした様子の騎兵らが少し散開し、周囲に警戒しながら街へと歩を進めていく。


 おそらく、これ以上の攻撃はないだろう。改めて、事が終わった実感を覚え、安堵のため息を小さく盛らすリズだが……

 それはそれとして、裏で何が起きていたのかは気にかかるところ。

 幸い、ネファーレアとの《念結》は維持されている。兵たちには明かしづらい話も、これなら聞き出せるだろう。

 この妹が、そういう話に応じてくれるならば、だが。

 かけてやる言葉選びにも若干の難儀を覚え、苦笑いでリズは問いかけた。


『ちょっといい?』


『は、はいっ』


 心の中でかけてやった声に、思わず反応を示し、驚きの表情を向けてくるネファーレア。これでは何のための《念結》なのやらといったところではあるが、運よく兵たちには気取られていない。

 彼女自身、こうした反応を大いに恥じ入ったらしく、色白の肌にうっすら朱が差した。


『お恥ずかしいところを……』


『いやいや、中々カワイイじゃない。フフッ』


 リズは心に思った事を素直に……ちょっとしたイジワルも込めて応じた。


『それはさておき……私があの竜モドキの相手をしている間、あなたたちが敵の死霊術師(ネクロマンサー)を倒した。そういう認識で構わない?』


『はい』


 それから、落ち着きを取り戻したネファーレアは、状況について簡潔に伝えてきた。

 敵の死霊術師は3名。現地からかなり離れたところに潜んでいたという。

 竜を操っているのなら、そこまで距離を空けられないのでは……と思っていたリズだが、一杯食わされたところである。

 しかし、他の点に関してはリズの手の内であった。


『敵術者は、一人が瘴気の供給源、一人が不死者(アンデッド)の操縦に専念していました。意識そのものを、操る対象の中に送り込む形式で』


『なるほどね。都度指示を飛ばすんじゃなくて、あの竜の中に術者の意識があった、と。残る一人は見張り?』


『はい。ですが、魔力の多くを竜に投じていた様子だったこと、加えてお姉さまと竜の戦いに気を取られていたようで、不意打ちがうまく決まりました』


 相手がムキになっている感じは、リズもうっすら感じ取っていたところ。それが増援二人に利したということだ。見張りに感づかれなかったのは、この母娘の力量もあったことだろうが。

 始末した死霊術師に関しては、二人の手で灰も残らない形で消去されたとのこと。捕虜にして何か引き出せるとも思えず、加えて死霊術師ともなると、形ある死体ですら後の災いの種になりえるからだ。

 ともあれ、裏で何が起きていたのか判明し、スッキリした気分のリズだが――

『……お姉さま』と、やや遠慮がちの問いかけてくる心の声。


『何?』


『見たところ、若干の負傷はなさっているようですが……傍目(はため)に見ても、敵の攻勢は猛攻と言うに十分なものでした。どうやって(しの)ぎ切られたのですか?』


 実際、敵の攻撃の予兆を見抜けていなければ、本当に(・・・)傷を負っていた可能性は高い。

 別に教えてやる義理はないのだが……今や完全に下手(したて)に回っている妹相手に、それも大人げないかと考え、リズは種明かしを始めた。


『音を聞いたのよ』


『音?』


『攻撃の前、何かしらの予兆があると思って。表層的な骨の動きは、どうせ見せかけだけだと思ってたから、それ以外の何か……それで、音に目を付けたのよ』


 敵の音を聞くための仕込みを行ったのは、《光輝の法衣(ブライトローブ)》を自分の身にまとった時からだ。

 全身が閃光に包まれたあの時、手にした剣の刀身にも同じ魔法を刻んだのだが……それは、そちらに気を向けさせるための布石でしかない。

 本命は、ちょっとした布切れに書き込んだ、《念動(テレキネ)》と《遠話(リモスピ)》だ。閃光の中で剣のグリップに巻き付かせたそれを、リズは剣もろとも敵の方へと投げつけ、布切れを敵の直下に仕込むことに成功した。


 この目論見はうまくいき、敵は竜の体内で瘴気と反発し合う、浄化の剣にばかり気を取られていた。


『――それで、私の方から手を下さなければ、敵の攻撃以外で音なんて出なかったのよ。街への侵攻より私の対処を優先したみたいで、アレは歩を止めていたしね』


 おかげで、攻撃の予兆と思われる瘴気が鳴動する音を、布に刻んだ魔法陣がキャッチ。魔法陣を介してその音を聞き取り、敵の攻撃タイミングを読み切って、回避に役立てたというわけだ。

 明かしてしまえばこの程度の単純なことだったが、姉の機転にネファーレアは目を白黒させている。言葉にして称賛することはなかったが、そういった気持ちがあることは何となく感じられる。それがリズとしては……


 まぁ、いい気分だった。

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