第316話 騙し合いと予想外の幕切れ
一計を案じたリズは剣を抜き放ち、《光輝の法衣》の魔法を行使した。祓魔術の中でも高等魔法の一つだ。彼女を中心に白い閃光が走る。
激しい光が止むと、彼女の体は柔らかな白い光に包まれていた。不死者等、不浄の力に対抗するための清浄の光だ。
今回の竜に対しても、まったく無益ということはないだろう。攻防一体の光を身にまとい、彼女は竜の方へと一気に詰め寄っていく。
そこへ襲い掛かる瘴気の吐息。鋭いステップで横に避けると、一拍遅れてブレスが追いかけてくる。
前進しつつも、竜へ回り込むように避けつつ、ある程度回り込みかけたところで今度は反対方向へと跳躍。あえて竜の側面を取らないようにと、リズは駆け抜けていく。
翻弄されるばかりの竜だが、リズとの距離が縮んでくると、あわやという場面も。すんでのところを瘴気の奔流が駆け抜け、彼女の周囲に漂う清浄の気が瘴気と接触、激しい火花が散る。
それでも構わず彼女は駆け抜けていき、横に迫るブレスの薙ぎ払いに、大きく上方へと跳躍。
同時に彼女は、何発もの《火球》を竜の首に放った。炸裂とともに瘴気と骨片が爆ぜて飛び散り――
敵体内への道が開けたその瞬間、リズは剣を振りかぶって投げつけた。剣自体はごくごくありふれた品だ。
――ただ、彼女の手を離れてなお、刀身は清らかな力を湛えている。
暗澹とした宙を割いて、白い刃は吸い込まれるように竜の体内へと滑り込んだ。
瞬間、未だ残る爆炎と瘴気の闇の奥に、リズは相反する力がスパークするのを視認した。
さすがに、これは無視できないだろう。なにしろ、祓魔術の秘奥を刻み込んだ剣を呑み込んでしまったのだから。
まずは一発、お見舞いしてやった格好になった。敵にしてみれば思いがけない奇襲に泡を食ったようで、術者として余裕ぶってはいられないのだろう。リズの下で、竜の背がぱっくりと開け――
眼下に広がる漆黒の体内から、突如として放たれる骨の一槍。
恐るべきスピードで迫る、この投槍に対し、リズは体をそらしてどうにか回避した。
追撃が来る可能性を考慮し、彼女は瞬く間に《風撃》を記述。爆発的な風の力で、ひとまずは敵のすぐ上空を脱した。
傍から見れば、予想外の一手に驚かされ、強引に離脱というところだろうが……一度距離を取りたいのは、彼女の本意でもあった。
客観的に見れば、投げつけた剣の分だけ、先ほどの攻勢には成果が出たといったところだろうか。
とはいえ、《光輝の法衣》を刀身に刻んだあの剣も、竜の首の下に開いた穴から、あえなく吐き出されてしまうのだが……
リズとしては、別にこれで良かった。
体内に入り込んだ剣に対処できず、内側の瘴気を損なわれ続ける程度の相手であれば、それまでのこと。剣に刻んだ魔力から考えると、そうなる可能性は相当に低く見積もっていたが……
得体の知れないものを体内に留めることを、相手は嫌ってくれたようだ。そちらに気を取られて対応を示した事。加えて、先ほど見せてきた骨槍での一撃と、首の下に穴を開けての剣の排出。
竜という形になりふり構わなくなりつつある事実が、この竜という形態が見せかけでしかないという推定を補強する。
ここまでは目論見通りだ。
後は、相手が攻撃を仕掛けるに際しての、本当の兆しを掴めるかどうか。そのための布石はすでに仕込んである。これが実を結べば――
身構えるリズに、またしても竜が息を吸うような挙動を見せる。
竜という形態に、術者の方はさほどのこだわりも敬意もないだろうに、こうまで執拗に繰り返してくるとは……
冷めた気持ちを抱くリズだが、なおも繰り返されるこれ見よがしなブラフの奥に、彼女はようやく、それらしい兆しのようなものを感じ取った。思わず唇の端が釣りあがる。
(おっと、いけない)
誰に見られているかもわからない中、変に余裕ぶってもいられない。
表情を引き締め、瘴気の奔流からの回避に移る彼女の中で、またしても攻撃の予兆が走った。
(どこから?)
まだ確信を持てるようなサインではないが、このブレスに合わせて何か来るのではないか。そのような、戦闘の流れを感じ取ってもいる。
来るとすれば、きっと飛び道具。おそらくは、既知の攻撃。
どす暗い紫の濁流を避けつつ、竜に視線を向ける彼女に、待ち構えていた追撃がやってきた。竜の右肩付け根に突如として穴が開き、そこから投射される骨の投槍。
一瞬で距離を詰めてくるそれを、リズはあえてギリギリのところで回避した。当たりかけて無事に済んだ左上腕を右手で抑え……
コッソリ掴んで隠し持った小刀で、軽く切り傷をつけて偽装した。
不意打ち一発目を読んでいたというのでは、きっと怪しまれる。もはや兆候を読みつつあるリズとしては、むしろこのまま続けてもらいたくある。続けてもらって、読みを確固たるものにした上で……
瘴気と骨を、無為に吐き出し続けてもらいたいのだ。
それからも彼女は、敵からの攻撃を避け続けた。
内に伝わる敵の攻撃の兆しは、まず間違いないものだ。いつ来るか読めていれば、避けるのは造作もない。
それでも彼女は、特に骨の一撃だけは、ギリギリのところで避け続けた。時には服だけ、わざとらしくない程度に傷つけ、最初の傷口から血をもらって負傷の演出を行った。
直接敵の攻撃をもらわないのは、瘴気の只中にあった骨に直接傷つけられることで、何かしらの毒や呪いをもらうリスクを懸念しての事だ。
そうして傷を偽造しながらも、リズは少しずつ、余裕を持って避け始めた。
「相手が慣れてきたから避け始めたのだ」と、敵術者に誤認してもらうため。そして、「決して当てられない相手ではない」と勘違いしてもらうために。
どうせ他の者とも繋がっていると考え、彼女は偽りのストーリーを演出することを選んだのだ。
内心では至極容易に攻撃を対処できるようになった彼女は、相変わらず呼吸動作を要するブレス攻撃を横目に、再び竜の方へと駆け出した。
これを待っていたとばかりに、竜の体内から骨の槍が放たれ……
奇跡的にも、機敏なステップで全てをギリギリでかわしていく。
やがて、彼女が竜の上空に至ると、敵はなりふり構わなくなった。
竜という形状は完全に形骸化している。骨からなる表皮は、直前まで攻撃を隠しておくための衝立程度の役しか為さない。
それでも、リズにはミエミエの攻撃であった。いつ撃たれる攻撃かわかっていれば、労せず回避できる。
そして……リズにとってこの竜を操る術者は、確かに魔導師としての技量は認めざるを得ないだけのものがあるが、それだけであった。
竜という形状にはこだわらなくなったが、一方でリズを仕留めることに固執している。その場に未だ姿が見えない術者だが、手勢の振る舞いから、リズには相手の心理が手の内にあるようだった。
竜の形状を留めなくなっている、見るも無残な残骸から放たれる、骨の槍と瘴気の噴出による同時攻撃は、望みに縋りつく相手の声が聞こえてくるようだ。
「ギリギリでしか避けられないのだから、攻勢を強めればいつかは……」と。
リズとしては、このまま続けてもらっても構わなかった。
別に手の内は何も晒していない。動きが機敏で胆力があり、運がいいのか、攻撃をギリギリで避け続ける敵……その程度にしか認識されていないだろう。
相手にも見える形での工夫と言えば、剣に祓魔術を仕込んで投げた程度か。
仮に、相手が無益を悟って手仕舞いしてくれたのなら、それはそれで別に良い。情報戦という観点では、こちらの方が得たものが多いだろう。
ただ、そうはならないように思われる。敵がこちらを討ち取ることに、かなりのこだわりを見せている。
だが、瘴気や骨を吐き出すにも限度というものはあるだろう。このまま攻勢を続けてもらい、敵のリソースを奪い続けるのも良い。
あるいは、焦れて新たな手を打ってくるかもしれないが……敵の手立てを知っておきたいリズとしては、望むところでもある。
少なくとも、この竜だった物体の攻撃タイミングは、手に取るようにわかるのだから。新手に意識を向けるだけの余裕はまだ十分にある。
相手が次なる動きを見せず、ただただ今のような攻撃を継続するだけであれば……
(ま、こちらから仕掛けるのもいいかしらね)
依然として、敵から放たれる攻撃は油断ならない脅威ではあるが、避け続けるのに難儀はしない。このまま回避しつつ、周囲の状況を探るだけの余裕は十分にある。
そうした敵術者探しこそ、本当に骨の折れる作業ではあるのだが。
敵の動きが変わった事、それなりに狙いをつけてきていることから、術者の介在があるものとは思われるのだが……よほどうまく隠れているのか、それらしい潜伏先には見当もつかない。
(むしろ、おびき寄せる方向で考えるべきかも……?)
探し当てる難しさを思い、リズはこの後の算段に頭を悩ませた。
そんな矢先、突如として眼下の竜に大きな変化が生じた。背から真っ二つに体が割け、おどろおどろしい瘴気の塊がその姿を現す。
これを丸ごと放出しようというのだろうか。
緊急回避に移行できるようにと、《風撃》を吹かす準備で身構えるリズだが、敵にこれ以上の動きはない。骨の包みを解かれた瘴気が、何をするでもなく流れ出ては、力なく地へと広がっていく。
地の生気を奪う瘴気そのものも、自身をそこに留められなくなったかのように、次第に蒸発して消えていくばかりだ。
立ち昇る悪しき蒸気のようなものを嫌って、リズは竜の直上から素早く離れた。
地に足つけて見てみても、もはや目の前の物体に動き出す気配がないことがそれとわかる。
骨から漏れ出す瘴気も見る間に嵩が減っていき、やがては白い骨が物寂しく地に残った。
(手控えて破棄したってこと?)
敵が諦めてくれたのなら、街への脅威は去ったとみていいだろう。諦めたように見せかけての奇襲という線も考えられるが。
試しに《火球》を放ってみると、着弾点で爆散した骨があたりに飛び散っていった。飛散を留める瘴気の働きはすでにない。
かろうじて構造を維持しているように見える骨組みも、爆発の衝撃と余波で、乾いた音を立てて崩れていくのみ。
この骨で何かしようという気配は、もはや完全に感じられない。
しかし、本当に諦めたのだろうか。あるいは、術者本人が何か仕掛けてくるか……
邪竜が健在だったころよりも、むしろ頭を悩ませる状況の中、リズの元へと近づいてくる音と気配が。
このあたりの偵察を任せていた騎兵だ。




