第310話 一戦終わって
リズにしてみれば、1隻奪えれば上等という戦いであった。まずは奇襲で、どうにか1隻を。そこから空戦へと展開し、逃がすことなく撃滅する。
多くを奪えればそれに越したことはない。敵の対応の早さ次第では、強襲で1隻が限度かも――
とは考えていたのだが、増援二人の存在が大いに役立った。
飛行船乗っ取りにおいて危険なのが、まさにその乗り込みをかける段階だ。甲板を完全に掃除できればいいのだが、実戦ともなると難しい。対応の時間を与えないためにも、ある程度の損害覚悟で突撃しなければならない。
そんなリスクのある乗り込みが、ファルマーズとアクセルの協力により、かなり安全に遂行できるものとなった。
2隻目を奪うにあたり、船内でのやり取りで若干の負傷者は出たものの、問題になるほどではなかった。
3隻目ともなると、ラヴェリア王族三人で攻勢を仕掛けられるわけであり……
結局、敵飛行船3隻全てを略奪するという、望外の戦果を得ることができた。
それぞれの船に手分けしている都合上、手勢がバラバラになりはしたものの、離れ離れの飛行船の間には歓声が沸き立つ強い一体感がある。
とはいえ、勝利に酔いしれる間もなく、リズはまず報告に向かった。自分の飛行船の通信室から、セリアへと繋ぐ。
「セリアさん、3機とも奪いました」
『ほ、本当ですか!?』
普段は落ち着きある彼女も、この戦果には驚きを隠せない。この反応に、リズは顔を綻ばせた。
「皆様方にご報告を。都合の良い場所をご提示いただき、そちらへ着陸します」
『かしこまりました』
通信を終え、一息つくリズ。「ひとまずはどちらへ?」と問いかけるマルシエル兵に、リズは少し考えた。
「ルブルスク王都近辺へ。敵の追加があれば、そちらへ向かいますが……まずは合流を念頭に」
「了解いたしました」
命を受け、兵が駆け足で去っていく。そこへ今度は、会話を待っていたファルマーズが問いかけてきた。
「姉上が助けに来るってことは、最初は伝えてなかった……よね? 少なくとも、僕らはほとんど知らされてなかったけど」
「ええ、言ってなかったわ」
事が済んだ後、とやかく言う気はないのであろう。ファルマーズは責めるような目を向けはしないが、腑に落ちない感じではある。
そんな彼に、リズは事情を説明することにした。
早い話、彼女自身、この作戦に絶対の自信を持てていなかった。敵に逃げられる可能性も十分にあった。
ならば、彼女ら救援が役立たなかったという前提で、諸々の備えをしてもらうのが無難であり……変に期待させず。うまくいった時はサプライズとした方が、現場や上層部の士気向上にも役立つだろうという判断があったのだ。
「仮に伝えたとしても、それで何か連携を取れるようになるかと言うと、微妙なところではあるし……連携のためにと足を遅らせることが、かえって不利に働きかねない状況でもあったから」
「それでも、言っておいた方が良かったんじゃない?」
「まぁ……確かに、その方が事後対応が確実になったとは思うわ。でも、国を指揮する方々の事を思うとね。期待と不安を持たせてヤキモキさせるよりは、結果だけ伝えた方が、精神的にはまだ楽かと思って」
そこまで言うと、ファルマーズが言葉を重ねることはなかった。納得はしたのだろう。そんな彼の背をポンポン叩きながら、リズは通信室を後にした。
手持ち無沙汰の弟が、彼女を追って部屋を出る。
手分けして総勢4機の飛行船を操るということもあり、一機当たりの人員はかなり少ない。二人が甲板に出ても、外には他に誰もいなかった。
行き先はすでに部下の間で通達が済んでおり、4機の飛行船がフォーメーションを組んで、悠々と空を飛んでいく。
すると、ファルマーズがかなりためらいがちになりながら、「姉上」と声をかけた。
「何?」
「さっきの戦いで、相手の飛行船に乗り込んだ人たちだけど」
ドキッとしかける自分を意識的に抑制し、リズは「ええ」と平静を保って応じた。
――話の流れが読めてしまう。多分、この弟は感づいている、そんな予感が彼女の中にある。
実際、その通りであった。
「どういう出自の人たち?」
「どういう……って言われても。何か気になることが?」
「普通の船員はマルシエルの方々みたいだけど、戦闘要員は背景が違うように感じて」
内心で身構える彼女に、神妙な顔の弟が言葉を重ねていく。
「でも、対飛行船の乗り込み訓練なんて、僕が知る限りではラヴェリアだってやってない。マルシエルがするはずもないし……」
自国の武断的なところを苦く思うファルマーズだが、むしろそれゆえにか、気が付くところというのはあるようだ。
彼の心情を思えば、あまり口にしたい話題ではないが……いずれ言わねばならないことかもしれない。
腹を括り、リズは自分の配下とした虜囚について打ち明けていった。
彼らのこれまでと、今、そしてこれからについて。
問いかけたファルマーズ自身、ある程度はやはり察していたのだろう。耳にしても驚きはない。
だが、うつむき加減になった顔には複雑なものがあり、握りしめた両の拳が小さく震える。
この弟を前に、リズもまた複雑な思いを抱いたが……作戦指揮官として言うべきこともある。彼女はその役割を全うした。
「あなたも色々と思うところあるでしょうけど……彼らが私の下にある限りは、私の兵として扱ってもらえないかしら?」
「わかってる。それくらいの分別はあるから……だけど」
そう口にして、しかし、その後が続かない。
深くうなだれる弟に、リズは片膝をついて腰を落とした。
「ごめんなさい」
「……姉さんが、謝るようなことじゃ、ない」
「だとしてもよ」
途切れ途切れに言葉を返す弟に、リズは何ともいたたまれなくなり……再び腰を上げ、そっと彼を抱きしめた。
「ちょ、ちょっと……他の人が」
「誰もいないわ……」
シレっと答えたリズだが、甲板にはちょうど、何か伝言に来たらしきマルシエル兵が。
目を丸くする彼に、リズはニコリと笑いって唇に指をつけた。
幸い、急ぎの用件ではないようだ。彼は軽く頭を下げ……足音もなく、慎重に立ち去っていく。なんとも教育の行き届いた兵であった。
思わず表情柔らかになったリズは、今度は弟の頭を撫で回していく。
「だ、だからさ、ちょっと……」
「アスタレーナ殿下は、こういうことはなさらない?」
「そ、それは……」
「可愛いんだから」
言い淀まなければ、はぐらかせたものを。これでは答えを言ったも同然である。
元より抵抗する気さえなかったのは明らかで、ファルマーズはただ、姉の気の向くまま撫で回されていく。
年の差がそこそこあるせいか、思いがけず優しい気分にさせられるリズであったが……ふと見上げた空に、彼女はため息をついた。
「どうかした?」
「いえ、世の中だけじゃなくて、空も気が滅入るくらいどんよりしてて……ホント、イヤになっちゃうわ」
「そうだね」
その後、もう気分は落ち着いたらしく、ファルマーズは「もういいよ、ありがとう」と言った。
この「ありがとうの」の一言がまた、なんとも可愛げのある響きでリズの琴線に触れ、彼女は最後にギュッと抱きしめてから弟を解放した。
抱擁の後、思っていたよりもずっとにこやかな笑みを浮かべ、ファルマーズが口を開く。
「世界中で《門》が開かれたのと、もしかすると関連があるかも」
「やっぱり?」
「詳しくはわからないけどね。専門じゃないし」
なんであれ、世界の至る所が暗雲で覆われているのは間違いない。
再び、暗澹たる空を見上げながら、リズは言った。
「キレイさっぱり、掃除してやりたいわ。じゃないと、気持ちよく飛べない、でしょ?」
「そうだね……もし空が綺麗になったら、姉さんのために、何か飛ぶための魔道具でも作ってあげるよ」
特に含むところなさそうな、純粋に厚意からの申し出なのだろうが……リズの中で、ちょっとしたイジワルの虫がうずいた。
「いいの? 公私混同ってやつじゃない?」
「個人的に、僕が作るだけだってば」
「それはそれで、なんか実験台っぽいけどね」
すると、どことなく不機嫌そうな顔になって、ファルマーズは「要らないの?」と尋ねた。
それに対する答えに、リズは柔らかな笑みを向け……彼の頭を優しく撫でながら「またね」と口にして、船内へと歩を進めた。




