第309話 増援ふたり
飛行船同士での撃ち合いという空戦は、相手もある程度は想定があったのだろう。
しかし、移乗攻撃を仕掛けての奪取などという暴挙は、考えになかったのかもしれない。
あるいは、仮に想定していたとしても、現物を目にして圧倒されたか。
強襲を受けて早くも1隻奪われた動揺は、戦場を俯瞰するリズの目にも明らかであった。
彼女を一個の戦力としてカウントするなら、1隻を奪った今、戦力は2対3だ。動ける人員ということであれば、まだまだ相手に分があるであろう戦いではあるが……
上から攻めるリズの動きに翻弄され、かといって注意を上に向ければ、飛行船2隻が睨みを利かせてくる。
やや精彩を欠く敵だが、《火球》の撃ち合いという砲撃戦に応じるだけの戦闘力は、まだ残存しているようだ。爆炎という隠れ蓑を頼りに、態勢の立て直しを図っているようにも映る。
(どうしたものかしら)
現状においては、こちら側に優位があるように思われる。よほどの下手を打たない限りは、飛行船を落とされる心配もあるまい。
困るのは、敵が果敢にも自分たちもろとも飛行船を破棄し、魔導石を《門》化すること。半端に追い詰めては、その諦めと決断を促しかねない。
また、そうした一大決断に踏み切るための時間を、相手に与えてしまうわけにもいかない。
となると……リズは《念結》で、自分の飛行船にコンタクトを取った。
『奪えればベストでしたが、先を急ぐ必要もあるかと思います。次の1隻は撃墜し、残る1隻に全力で乗っ取りを仕掛けようかと』
『妥当な判断かと思われます。移乗要員の消耗もありますので』
そういった懸念もある。高い士気を見せる配下たちだが、この激戦に体がついてくるかどうか。
後の算段に思考を巡らせるリズだが――その時、通信先から『少々お待ちを』との声。
続いて彼は、声を弾ませながら朗報を送ってきた。
『セリアさんから急報、増援がそちらに到着する見込みとのことです!』
そう言えば、このような空戦に干渉できるのは、何も自分たちだけではない。若干の不安を感じないこともないが……
そういった心配でさえ、過ぎた思い上がりでしかないのかもしれない。
☆
地上を離れて空の彼方。強風吹きすさぶ中、二人の人影がさらなる上空の戦場目掛けて上昇を続けていく。
二人の両手両足は、それぞれが光沢のある青灰色の金属に覆われている。胴にはシンプルな胸当てと、その背から伸びる金属の翼。翼と脚部から魔力を吹き出し、空を飛ぶという魔道具である。
もっとも、余人であれば操りれない、あくまで試験中の物品ではあるのだが。
叩きつけるような寒風もものともせず、ファルマーズは敵船を見上げて睨みつけた。
『敵船は視認できたけど、まずは合流した方がいいのでは?』
彼が心の中で問いかけた先は、アクセルである。少しの間を開け、答えが帰ってくる。
『合流すれば、新手が来たことを相手に認識される恐れがあります。それよりは、このまま二人で仕掛けましょう。セリアさん経由で情報が通じているはずですから、向こうも合わせるはずです』
『そういうことなら……』
今回の空戦にあたって魔道具を提供したのはファルマーズだが、戦闘経験で言えば素人に近い。そこで彼は、アクセルの指示に素直に従うことにした。
とはいえ、引っかかるものもあるのだが。
『ちょっといいかな』
『何でしょうか、殿下』
ああ、これだ。上空の戦いを目にしながらも、ファルマーズは思わす苦笑いした。
『いや、姉上からも聞いているんだけど、僕からすればアクセルさんは実兄に当たるわけだし……アクセルさんってのも変だけど』
『うーん、そうは仰っても、自分が王族という自覚がないですし……』
と、謙虚に応じるアクセルだったが、彼はすぐに付け足した。
『身分の自覚はともあれ、自分に流れる血に相応しいだけの働きはしてみせます』
強い意志を感じさせるこの言葉に、一瞬だけ真顔になってから、ファルマーズは微笑んだ。
母国を離れたばかりか、何もない寒々しいばかりの空に二人という状況だが、心細くはない。いやに腰の低い兄とともに、ファルマーズは戦場へと昇っていく。
敵船に近づくと、《火球》を激しく撃ちあっているところであった。
とはいえ、互いの攻撃が戦果に結び付いている感はない。示し合わせたように弾を迎撃し合い、飛行船の間には紅蓮の炎が壁となって立ちはだかっている。
『どうする?』と尋ねるファルマーズに、アクセルは即答した。
『この機に乗じて乗り込みましょう。無言の合意で、こういう膠着になっている……という演出をしているのだと思います。こちらが伏兵として機能しやすいように』
『本当にそこまで?』
思わず疑問視するファルマーズだが、あの姉との直接戦闘を思い返すと、「さもありなん」という結論に至った。
いずれにせよ、一見すると拮抗している状況が意図的なものだというのは、彼も了解するところだった。
『外部と情報をやり取りするラグを考慮すれば、ひとまずは時間つぶしというのは理解できるしね』
『はい。とはいえ、普通に通信したのでは時間が勿体ないですし、甲板制圧を以って情報伝達としましょうか』
サラリと答えてのける兄を、頼もしくも少し空恐ろしく覚えつつ、ファルマーズは『了解』と応じた。
敵船の1隻に狙いを定め、まずはファルマーズが敵の前に姿を現した。火球の打ち合いとは、また別方向からの出現である。
突然の新手、それも人間が単身で訪れたことに衝撃を隠せない敵兵たちだが、対応は早い。すかさず魔弾が放たれ、ファルマーズの元に殺到する。
しかし、いかに試験中の魔道具であっても、ファルマーズにとっては手足や指先も同然である。翼に魔力を込めると、すぐに推進力が生じて急加速。放たれた魔弾が誰もいない宙を行く。
それからも、ヒラリヒラリと宙を舞い、彼は甲板上の敵に攻撃を加えた。魔道具の使い手ではあるが、自分の手で用いる魔法もお手の物である。
一方の敵勢もさすがに精兵揃いらしく、互いに有効打のない撃ち合いが数秒続くが……
ファルマーズの視界の端で、敵兵の一人が悲鳴もなく倒れた。撃ち合いの音に覆い隠され、人が倒れた音に誰も気づきはしない。
息を潜めて甲板に上がったアクセルが、敵兵を背後から一突きで殺害したのだ。
一人殺すなり、彼は腰を低くしたまま縫うような動きで甲板を駆け、さらに一人を短刀の餌食に。
ここまで来るのに用いた、脚部や小手、翼の魔道具はそのままである。余計な装備をしながら、それでもこの潜みようだ。
彼自身の力量もさることながら、火球の撃ち合いが生じているこの戦場そのものが、敵の注意を奪っているのだろう。
(それにしても……)
はっきりと言葉を交わした覚えはないというのに、まるで通じ合っているかのような連携。偶然のコンビネーションというよりは、彼らが状況を活かす力に長けているだけかもしれない。
さて、応戦の火勢が弱まれば、それを妙に思う者も出てくる。仲間が次々倒れ伏していく状況に、数人の敵兵が気づき始めるも、時はすでに遅し。
むしろ、気づいてしまったのが運の尽きというべきかもしれない。浮足立つ敵を片付けるのに労はなく、新手に目を見開く敵兵の首へ、アクセルが手早くナイフを投げて物言わぬ死骸へと変えていく。
注意が彼に向かったのは、ファルマーズとしてもやりやすくはあった。回避よりも攻撃に専念できるようになり、敵勢が見る見るうちに押し込まれていく。
結果、アクセルが姿を現して十数秒といったところか。甲板はあっさりと制圧できてしまった。
同じ王族と聞かされていても、まさかこれほどとは。一見すると控えめで温厚な兄が見せる、戦場での無慈悲にして冷徹な手際は、戦いというより作業というのが相応しいほど。
兄に頼もしさもさることながら、思わず気圧される思いのファルマーズだが、状況は休みなく動く。制圧した甲板へと、リズが降り立ったのだ。
自分たちとは違い、魔道具に頼らず魔法一つで飛び回っていた姉に、改めて感服の念を抱くファルマーズ。
加えて、機を見るに敏な抜け目なさまで。挨拶は笑みだけで済ませ、彼女が声を張り上げる。
「残る一隻の甲板もお願い! こちらの内部は、私たちで制圧するわ!」
言うが早いか、船体にアンカーが撃ち込まれ、ワイヤーロープを伝って要員が颯爽と乗り込んでくる。
事の流れに、少し圧倒されるファルマーズへ、兄から「行きましょう、殿下!」との声掛け。
朗々とした声にうなずくと、今度はリズが近寄って肩を優しく叩いた。
「来てくれてありがとう、本当に頼もしいわ。これが終わったら、またお話ししましょう」
状況の慌ただしさを反映したものか、しっとりする間もないほど早口な言葉ではあったが……内心に熱いものを覚え、ファルマーズは微笑んだ。
敵船内へ向かい、先陣を切る姉の背を見送りながら、彼もまた甲板を発って最後の敵船へと飛び立っていく。
ここまで順調でも、船内には容易ならざる脅威が待ち受けているかもしれないが……
懸念や不安を超える安心を感じさせる姉の背を目に、ファルマーズは改めて思った。
(僕じゃ勝てないわけだ)




