第308話 遥かな空の電撃戦
やがて見えてきた飛行船は3隻。これはセリアからの報告通りだ。
戦いは目前。接敵まで十秒あるかどうかという状況に、場の空気が緊迫感で静まり返る。
この緊張感の中、リズの減らず口が動いた。
「お相手さんも、まさかこんな形で敵に出くわすとは、夢にも思わないでしょうね」
この軽口に、不敵な笑みを浮かべて含み笑いを零す配下たち。
飛行船のないルブルスクに攻め入ろうというのは、確かに敵の方だ。
だが、こちらはそんな敵に、さらに攻勢をかけようという立場にある。それもきっと、相手には予想外であろう、空戦からの移乗攻撃を。
その心理的アドバンテーシを活かすなら、想定外の事態に敵が順応する前の、接敵直後が勝負。
「行きましょう!」
リズの一声に一瞬だけ歓声が沸き立ち、すぐに鋭い狩人の目が敵船に注がれる。
できることなら敵船を確保したくはあるのだが、無傷というのは難しい。まずは相手の動きを抑制すべく、クルーから《火球》が放たれる。
もっとも、いざ空戦に入ってしまえば、この程度は相手も想定内だったのだろう。会敵するや、互いに歩を止めての砲撃戦に突入した。撃ち込まれる火球と火球。暗雲立ち込める暗い空に煌々と業火の幕が現れ、空を赤く染め上げる。
戦場に生じたこの炎の幕を巡り、どのように動いていくかが当座の焦点となろう。座して時を待つリズの飛行船ではないが、向こうも当然のように対応を示すはず。
しかし、彼女の方が対応は早い。
クルーたちが魔法の撃ち合いに応じながらも心配そうに見つめる中、彼女は甲板から単身、地上も見えぬ高空に飛び立った。
背を始めとする全身に《風撃》の魔法陣を展開。禁呪、《雷精環》による思考加速も合わせ、単騎による航空戦力として動こうという算段である。
加えて、リズの視界を通じて、自分たちの飛行船に視界共有を行おうという用意もある。《離望鏡》という、術者が見た物を遠隔地に映し出す魔法だ。
四隻の上へと舞い上がったリズの目に、空の戦場が映った。彼我の間に生じた爆炎の幕を前に、敵船の動きはいずれも緩慢だ。それでも、徐々に詰められれば危ないだろうが――
イ二シアチブはこちらにある。甲板に見える人影目掛け、リズは何の遠慮も呵責も感じず、《火球》を乱射していった。
できる限り捕虜を捕らえたいという欲はあるが、それに縛られるつもりはない。
本当に避けねばならないのは、ルブルスクに攻め入らせることだ。
もしかすると、それ以上に避けねばならないのはリズ自身の死なのだろうが……
”それにしては”といった感のあるこの暴挙も、取り立てて恐怖心を呼び起こすものではなかった。
少し漠然とした不安を感じてしまうのは、他の誰にもできない仕事であるから。前例のない、道なき道を前にしている感覚は確かにある。
だからこそ、自分でやらねばならない。
単純な論法で迷いを振り切り、彼女は自分の仕事に専念した。
さすがに相手も精兵揃いなのだろう。さらなる高所からの攻撃に一時は泡を食った様子ではあったが、きちんと応射してくる。
とはいえ、それに捉えられるリズでもない。空に火球をまき散らしながら、自身を狙う魔弾は《風撃》のスラスターで機敏に回避。火力と機動力を兼ね備える、この危険極まりない一騎に、敵三隻の兵がかかりきりになっている。
そして……リズからの視界共有を活かし、彼女の飛行船が敵勢後方に付けた。海兵上がりのクルーによる仕事だ。
実に見事なタイミングで動いたもので、敵船は、ほぼ直線上に並んでいる。これでは数の利を活かせないだろう。
移乗攻撃を仕掛ける絶好の機に、リズはさらなる行動に移った。精神を統一し、自分の船に仕込んでおいた転移魔法陣へ。
若干の間を置き、彼女は自分の船へと一時帰還を果たした。すぐさま甲板へ出てみると、敵船の後尾が目の前に。
飛び交う魔弾の嵐の中、リズは敢然と駆け出した。こちらも何人か被弾しているようだが、敵の方が損耗は深刻に映る。
まずはここを押し切らねば。
視界の端に移る、倒れ伏す配下に苦い思いを抱きながらも、彼女は敵船へとひた走った。
こちらへ魔弾を放つ敵もいるが、物の数ではない。配下を襲わんとする攻撃を《防盾》で蹴散らし、ひたすらに前へ。
ヴィシオスか、それとも属国の一員か。敵船甲板に残る兵を《追操撃》の包囲で固め、揺さぶっては《貫徹の矢》で一矢。的確に仕留めては次を撃ち……
瞬く間に戦果を重ねるリズの近くで、かつて飛行船を襲っていた一団の長が声を張り上げた。
「アンカー打ち込め! 一気に乗り移るぞ!」
その声からほんの少し遅れ、甲板に備えた砲台のような設備から、巨大な錨が敵船に撃ち込まれた。この投射型の錨には念のためのスペアもあって、使い捨てにするということも可能だ。
こうして飛行船が2隻、結びついて自由を奪われていては、敵船に撃たれる隙を見せかねない。自分の飛行船の安全を考えるなら、使い捨てにする手も有効ではある。
問題は退路が断たれることだ。いざという時の事を思えば、切り離しはリスキーな選択肢ではある。しかし……
(ま、奪えば早いわ)
この程度の仕事も果たせないで、このあとやっていけようか。
一瞬の間に思考が巡り、リズは決断を下した。
「あらかた乗り込んだらアンカーを切り離して! 一気に片付けるわ!」
「オオッ!」
指揮に応じて怒声のような叫びが上がる。
そして、リズを筆頭に、一行は撃ち込まれたワイヤーロープを足掛かりに、敵船甲板へとなだれ込んだ。
一見すると、甲板に転がっているのは人間ばかり。魔族は乗っていないのだろうか?
それはない。きっといるはずだというのが、リズの直感であった。
敵船へ乗り込むや否や、今度は甲板から敵船内へと突入していく。
あらかたの戦闘要員は、すでに外へ展開済みだったのだろう。中に残る兵も、それなりに覚えはあるのだろうが……慌てて躍り出るその動きと表情に、隠し切れない焦燥と当惑があった。
この程度の兵であれば、障害にもなりはしない。出くわす人間兵を勢いのままに軽々と蹴散らし、さらに前へ。
「私は中枢へ! 通信室は任せるわ!」
「了解、行くぞ!」
「おう!」
世界有数の本職の配下たちが、手短なやり取りでその場の分担を定め、自分の役目を果たしていく。乗り込んだ船内の一室一室をクリアリング、挟撃を防ぎつつ、通信室までを確保。
その間も、リズはひたすらに進んだ。敵に対応の手を与えないよう、迅速に。
そうして駆け込んだ飛行船中枢部にて、リズはようやく魔族との対面を果たした。魔導石の薄ぼんやりした光に、色白の顔が照らし出され、耳は長く――強い魔力の気配。見間違えようもない。
おそらく、この飛行船を任されている立場なのだろう。彼の横で飛行船を操っているのは人間のようだ。
連中の関係性について、いくつか憶測はあるが、それはこれから知ればいいだけの事。リズは先手を打った。
――魔族ではなく、おそらくは使われているだけであろう敵兵に。
強い動揺を示しながらも、飛行船の操縦を続ける彼らに、リズは《貫徹の矢》を放った。
精密かつ瞬時の狙いに対応もままならず、心臓を射抜かれて倒れ伏す二人の操縦士。
突然の凶行、とっさに跳ね跳んで魔族が叫ぶ。
「気狂いめ! 自滅する気か!?」
「バーカ、死ぬのはお前たちだけよ」
操縦士が撃たれて困っている辺り、この魔族は自分自身で操縦するだけの知識や技能がない。それはリズも同じことだが……
敵勢は、魔族のみで飛行船を運用できる段階にない可能性が濃厚と思われる。それは一つの情報であった。
と、その時。操縦士を失った飛行船が、不意に小さく傾いた。対峙する魔族の顔には、諦念の色が浮かび上がり――
次の瞬間、彼の指先から強い魔力が迸った。その魔力が飛行船の核である魔導石に伸び、その表面に魔法陣が刻み込まれていく。
――降り注ぐ雨粒が個を保って見えるほどの時間感覚の中、実にゆっくりと。
これを確認するのが、リズの目的の一つでもあった。
単に飛行船で攻め入るだけでなく、最悪の場合でも置き土産を用意するぐらいの事は、連中もきっと考えるだろうと。
だからこそ、本当にそうするだけの準備があるかどうか。さらには、それに干渉できるかどうか、確かめる必要があった。
リズが操る自力転移の禁呪も、今まさに目の前で刻まれつつある魔法陣も、共通する部分は多い。今回の魔法も間違いなく、空間を超えて繋げる系統の魔法であろう。
そして、自分自身もその道の入門者だからこそ、彼女はその難易度というものをよくよく理解していた。邪魔をされては禁呪が機能しなくなる。いかに魔法に長けた魔族であっても同様だ。
たとえ、普段は瞬時に書き切れるほどに習熟していようとも……このままの完遂が許される状況ではない。
半ば期待したように待ち構え、思考加速まで準備していたリズが、干渉し得る位置にいるのだ。
書き込まれつつある魔法陣に、彼女もまた自分の指先から魔力を伸ばした。持ち前の暴力的な筆圧で、刻み込まれた魔力の流路をかき乱すしていく。
瞬間、短絡した魔力が統制を失い、書きかけの魔法陣が爆ぜて光に包まれた。
この機に乗じ、リズは敵に攻撃を仕掛けた。牽制に数発の貫通弾、脚へは《魔法の矢》。流れるような所作で連撃を加え、腰から剣を抜き放つ。
突然の事態に呑まれるばかりの敵は、わけもわからないままに魔法の直撃を受けてのけぞり――抜き放った剣の横一閃。
魔力の光が去って視界が戻ると、首から上を失った死体が血を吹き出しながら、音を立てて倒れていくところであった。
まずは1隻。《門》にされかけた魔導石は、まだ無事である。
内心、どうなるものかと賭けの部分があったことを認め、リズはホッと胸を撫で下ろした。
とはいえ、彼女は慌ただしくも次の行動へ。敵はまだ2隻残っているのだ。
「中枢は制圧! 操縦要員を!」
「了解!」
大声で要請すると、ほとんど間を置かずに二人の配下が駆け込んできた。倒れ伏す敵兵の死体を、顔色も変えずに脇にどけて操縦席へ。
据え付けの魔法陣には、滑らかな手つきで指が踊り、奪ったばかりの飛行船を自分たちのモノへ。
電撃的な強襲により、1隻を奪い取ったリズは、《念結》で自分の船に戦果を伝えた。
『まずは1隻、奪い取りました』
『了解。一度離れて空戦に入りましょう』
『了解』
空戦に入るということは、またリズが単騎で空に上がるということである。
休む間もない目まぐるしさだが、望むところであった。充足する意気を胸に、リズは甲板へと賭け出し、再び空へと舞い上がった。




