第307話 空賊王女エリザベータ
世界に大変動が生じたその日は、実際には世界各所で同時に襲撃が起きただけであった。同一地点が時間差で襲われるようなことはなく、一日が明けていく。
とはいえ、相手側の考えは読めたものではない。追加の動きがないのは意図的なものか、あるいは相手に課されている何らかの制約によるものか。これからに備えて、各国首脳陣は気を揉むばかりであったが……
対ヴィシオス最前線に立つルブルスクが、次なる動きを最初に目にすることとなる。
山がちな国土に山岳部隊を広く展開、状況把握のための偵察網を構築したことがさっそく活きた。大異変の翌日明け方、ルブルスク王城内の会議室に急報が届く。
「ヴィシオスとの国境から、三隻の飛行船がこちらへ向かっているとの由でございます!」
「やはりか……」
報告を受け、第二王子ヴァレリーは端正な顔を苦渋で歪ませた。
この会議室は、事実上の総司令部となっている。国王や王子らを筆頭とし、重臣等も加えたルブルスク指導層のみならず、他国の将官や外交官まで同席している。
その中に、ラヴェリア聖王国の代表として顔役のエリシア、加えて外務省諜報部からはクラークが参席。マルシエルからは外交官に加え、議会直属の高級官吏としてセリアが参加している。
これら両国のみならず、他の強国からも要員が派遣されているのだが、一行の顔色は冴えない。
会議室のテーブルには、ルブルスクの地図が広げられている。報告を受けたところに伝令係が駒を置くと、参席者の顔がさらに曇っていく。
「想定の一つとはいえ、打つ手がないのでは厳しいですな」
しかめっ面の武官が指摘すると、ルブルスクの将校が渋い声で小さくうめいた。
「地形を生かした陸戦であれば、我が軍でも相当の時間稼ぎは可能です。しかし、空を攻められては……」
つい先日、この国はじめての飛行船が、飛行試験時に落とされたばかりである。もとより、陸から撃ってどうこうなる代物でもなく、空から一方的に攻められたのでは――
静まり返る中、平静を保って口を開いたのは、ラヴェリア代表のクラークである。
「ファルマーズ殿下、並びにその協力者が、空戦に応じる用意を整えておいでではあります」
これに、若干の希望を見出したのか、座が明るくなりかけるが……顔色を変える自国重臣をまずは手で制し、国王エルンストが問いかけた。
「その両名の手で、飛行船を食い止められる見込みは……当人からはなんと?」
「少なくとも、最低限の抵抗程度は、とのことです。完全な撃退を保証するものではなく、別の迎撃準備、もしくは避難等の対応時間を稼ぐものとお考えいただければ」
包み隠さない言葉に、座の空気が再び暗いものになっていく。
しかし、問いを発した国王その人が、配下に対して叱咤の声を飛ばした。
「異国の王子がその身も顧みず、身を挺して我が国を守ろうというのだぞ。我らがそのように消沈してどうするというのか。対応の時間を恵まれたなら、それを生かす手立てを考えねば、顔向けもできぬであろうが」
感情の抑制が効いた王の言葉ではあったが、重臣たちは大いに恥じ入った。せめて、地上からでも迎撃に加われそうな、決戦地の選定。いざとなった場合の、避難と脱出についての詰め。王都を引き払った後の、臨時司令部の準備。そして、敵の到来予想時間――
いくらでもある、論を交わすべき事項に、息を吹き返した重臣たちが言葉を交わしていく。
と、その時。セリアが中座し、部屋を一度離れた。ややあって戻ってきた彼女に、ヴァレリーが問いかける。
「どちらから?」
「エリザベータ殿下から、そちらに向かうと」
「そうか……」
朗報には違いなかろうが、それでもヴァレリーの顔に喜びの色はない。深刻そうな顔のまま、彼は尋ねた。
「こちらへ敵飛行船が向かっていることは?」
「連絡いたしました。その上で、こちらにいらっしゃると。色々と片付けるべき仕事があり、到着まではもう少しかかるとのことですが……」
「そうか、わかった」
未だ晴れない顔のまま、ヴァレリーは短く答えた。
☆
一方その頃。リズは――
マルシエルからルブルスクまでの洋上を飛ぶ、飛行船の中にいた。
セリアへの通信を終え、リズは通信兵とともに甲板へと向かった。
この飛行船は、落とされかけた飛行船を救った際、敵から奪い取ったものである。
鹵獲後、マルシエルの技術部門が調査したところによると、既存の民間用機と比べて相当のハイスペックだと判明している。
とはいえ……幾度も起きた飛行船墜落事件に使われたと思われる重要な証拠物件ゆえに、その高性能ぶりを活かすこともなく、かなり持て余し気味の存在だった。
そんな飛行船に、今こうして、人の世に役立つ好機が与えられたわけだ。
リズが甲板に出ると、相変わらず陰鬱な雲が空を覆っている。飛行中ともなると、どこを見回しても暗雲が視界の大半を占めるばかりで、なんとも暗い気分にさせられるものだ。
一方で、甲板に集ったクルーは戦意に満ちた顔をしている。そんな一同の前に、作戦指揮官のリズが立った。
船のクルーは、まずマルシエルから飛行船の専門家たち。彼らに操船や通信等を任せている。
さらに主戦力として、かつて飛行船墜落事件に関わっていた実行犯たち。
「死罪を免れない彼らを、何らかの形で運用できれば……」というのが、かねてよりのリズの提案であった。
というのも、墜落の全てが、彼らだけの仕事だという確証がなかったからだ。次なる事件に備えるためにも、危険な仕事だからこそ、「死んで当然」という人員が駒としてはちょうどいい。
そして、彼らにその時がやってきた。
飛行船のプロから、「じきに接敵します」との報を受け、リズは咳払いした。
マルシエルからの出向者相手にではなく、目の前の罪人たちにこそ、指揮官としての訓示が必要だ。
彼らの出身国タフェットは、ヴィシオスと関係のある小国である。恋人や妻子を半ば人質同然にされて非道を働いてきた彼らも、根底ではお国のためという認識があったことだろう。
しかし、先日生じた世界中での襲撃を考慮すれば、彼らの犯行の大前提が瓦解する。
飛行船を襲撃して、大型の魔導石を奪い取ってきたのは、人間社会から飛行船力を少しでも減らすため。
さらには、《門》を機動的に展開するための、魔導石を確保するため。
結局のところ、彼らの犯行は、全てこの状況のお膳立てのためでしかなかった。
世界の今を知らされた彼らに、リズは深い悔恨の念を感じ取った。そして、怒りも。
そんな彼らを前に、リズは言った。
「あなたたちには同情する部分もある。他の生き方もできたなんて、他人事みたいに言うつもりはないわ。それでも、あなたたちが犯した罪が赦されるわけじゃない」
はっきりと言い放つ彼女に対し、敵意を向ける者はない。
むしろ、敬意の念さえ感じられるのは、かつて自分たちをやり込めた張本人を認めるからこそか。
あるいは、リズの出自とこれまでを知らされているからだろうか。
静かな緊張感に満ちる甲板に、再びリズの声が響く。
「今日、人の世のために戦ったとしても、それが罪滅ぼしになるわけじゃない。損なわれた人が返ってくるわけじゃない。だとしても戦いなさい。決して赦されない罪を背負ったまま、あなたたちの人生を貶めた者たちを滅ぼしに行く、そのための礎になりなさい。この世界のため、死んでも道を拓いてみせなさい。それが、あなたたちの贖罪よ」
それだけ口から発した後、リズは一度瞑目して短く息を吐いた。
再び目にした罪人たちに、彼女は感情の揺らぎを感じ取った。相変わらず静かな中に、熱いものが胎動する空気がある。
これで大丈夫だろう。作戦に入る前から、うまくいくのではという見立てはあったが、それは正しかった。
過去に色々とあった彼らも、今ばかりはリズの手勢であり――人類側の戦力だ。
いずれ接敵するという頃合いで、リズは最終確認に入った。
「敵飛行船は、私含む罪人連中で確保します。よろしい?」
やや冗談の入った言葉に顔を綻ばせつつも、虜囚たちは息の合った声を返した。
「仰せのままに!」と。
――ああ……思っていたよりもずっと、気持ちいい。
言わせているとはいえ、心底からの敬服を態度でも示す虜囚たちに、リズはいい気分だった。
彼らにとっても、いい気分だろう。真に命を投げ打つべき戦いに、ラヴェリアの血を引く王女の指揮下、過去に類のない戦闘に赴くのだから。
人類の先駆けとして、これほどの名誉など滅多にあるものではない。
決して赦されることのない罪を背負った、いずれ死すべき定めの虜囚だとしても、今は自分の部下である。部下に向けるべき慈悲を胸に、リズはさらに言葉を続けていく。
「乗り込みは一隻ずつ行います。まずは一隻、速やかに確保。2体2に持ち込めたなら、こちらが圧倒的に有利、でしょう?」
不敵な笑みを浮かべて尋ねる指揮官に、心配そうな顔を向ける者は誰一人としていない。
「飛行船のないルブルスクへ空から攻めても、結局は贈り物にしかならないってわからせてやりましょう。大局的に見ても非常に大きな仕事だと、名誉ある略奪と思って戦いなさい」
「仰せのままに!」
「いずれ死罪を免れないあなたたちだけど……それでも、今回の敵よりは自分の命を優先なさい。捕虜は、あればそれに越したことはないけど、それよりは自身の生還を優先して。戦って生き抜いて、死ぬまで酷使されなさい」
「仰せのままに!」
近づく戦場の空気を前に、徐々にボルテージが上がっていく。
もうそろそろ締めに入る頃合いだろう。軽く息を吐き、リズは火を吹くような声を張り上げた。
「この戦いで勲功を上げたなら、恋人や妻子は私とマルシエルが責任をもって厚遇する! 子どもには、あなたたちの罪を知らせず、今日の貢献だけを伝えてやるわ! だから、死ぬ気で戦いなさい! 死ぬ気で戦って生き残って……愛する者を好きなだけ抱いてやりなさい! いいわね!」
「仰せのままに!!」
「よろしい! 罪深きあなたたちの技の全ては、この私が召し上げてやる! 飛び方を覚えたばかりのバカどもに、目にものを見せてやろうじゃない!」
迸る熱気の中、幾人かの虜囚が瞳を潤ませながらも、猛々しい檄にあらん限りの咆哮で答えた。




