第305話 この世界の今③
サンレーヌで一休みし、正装に着替え直したリズは、正規ルートの《門》を通ってマルシエルへ向かった。話が通じる状況で事の流れがスムーズならば、自力転移と所要時間は大差ない。
それに、自力の転移で向かえば、妙な騒ぎになりかねないという問題もあった。マルシエル諸島は開発されていないところに乏しく、転移すれば目立ちやすい。
だからといって、自分の店の店長室へ戻ろうにも、やはり店員からは変に思われるだろう。
そういった問題点に加え、今の世界で《門》がどのように機能しているか、自分の目で確認しておきたいという思いもあった。
情報網の中心となりつつあるだけあって、サンレーヌの《門》の管理所は何とも慌ただしいものだった。
さすがに、順番待ちで言い争いが起こるというようなことはないが……待合室では、ひっきりなしに言葉が飛び交う。
相応に立場ある者同士、居てもたってもいられずといったところか。それぞれの立場から、この世界危機に立ち向かおうという姿勢と気概が感じられる。
そうした中、リズはアスタレーナの手引きで、少しだけ順番を早めてもらうことができた。
変に不興を買うのでは……と思わないでもなかったが、先にサンレーヌを救った一件もあって、非難の声は上がらない。
加えて、アスタレーナが国際協調の立役者の一員として認識されていることも大きかったようだ。
そんな彼女がマルシエルに送り出そうという人物に、順番待ちの面々は少なからぬ興味を惹かれているようだったが。
「ここは任せなさい」と苦笑いの姉に後事を託し、リズはマルシエルへと飛んだ。
マルシエルでも、やはり《門》は忙しい。世界中と手広く友好関係を結んで商売に励んできただけはあり、この国も世界の情報集積地点として機能している。
むしろ、こちら側が従来からの中心地で、サンレーヌは新興的といったところか。
政府関係者と思われる官吏らしき人物が多かったサンレーヌと比べ、マルシエルの《門》には豪商等、民間の有力者らしき姿が目立つのが特徴か。
こうしたところでも手早く世界情勢を掴みながら、リズは門の管理所を後にした。
アスタレーナの根回しは、《門》の外にも及んでいる。管理所から出るなり、リズを政府役人の青年が出迎えた。まずは彼の案内に従うことに。
道中、リズは空を見上げた。思えば、国を渡り歩いても、どんよりした空ばかりの一日だったが、ここマルシエルの空は晴れ渡っている。暮れていくタ日から、夜空に移り変わっていく色合いの妙に目を奪われる。
しかし、リズの気持ちは晴れやかになる一方で、奥底にそこはかとない不安も。
「どうかなさいましたか?」
「いえ、何でもありません」
不意に尋ねてきた青年に、彼女は素知らぬ顔で答えた。
今日、魔族側と一戦交えた地では、どこも空が暗雲に覆われていた。
単なる偶然だろうか? そうでなければ――
考え込むリズだったが、すぐに目的地に着いた。政府直轄のセーフハウスである。以前、飛行船の乗っ取り及び墜落事件を未遂に終わらせた際、巻き込まれた乗客を保護していたのと同じ建物だ。
その際の面々は、すでに帰国を果たしたという話で、今はまた別の人物が匿われている様子。
もっとも、案内してきた役人は、詳細を知らされていないらしい。「私はこれで」と、深く頭を下げ、小走りになって去っていく。
平素であれば一日の業務も終わりといった頃合いだが、やるべきことはまだまだあるのだろう。
(それは、私も同じだけどね)
立場や背負うものは違えど、どことなくシンパシーを覚え、リズは去っていく彼の背を少しの間見つめていた。
気を取り直し、優美な建物へと足を踏み入れていく。
こちらもこちらで段取りは整っており、中に入るとすぐに「お待ちしておりました」と使用人の紳士が一言。再び案内されるままに、やや緊張感漂う邸内を進んでいく。
普段は朗らかなで和やかな印象があった使用人たちも、今日は表情に硬いものがある。顔馴染みのはずのリズに対しても、恭しい態度の中には緊迫感があり、いつものように柔らかな感じの余裕はない。
なんとなく落ち着かないものを覚えながら歩を進め、案内された先で……リズは、邸内に漂う緊張感の原因を思い知った。
部屋の入口で待ち受けていたのは、半日ぶりに会うセリアと、マルシエル議長マリア・アルヴァレスその人である。
このセーフハウスも政府直轄となれは、今の世界情勢について、使用人たちもいくらか知らされていることだろう。
そこへ来て、国家首脳の来訪。緊張感を隠せないのも無理はない。一瞬で身が引き締まるのはリズも同じことであったが……
彼女を待っていた二人の表情に、緊張が解けて安堵が浮かぶのを見て、リズの中の強張りもすぐに解けていく。
「ご無事で何よりです」と、まずはセリアが両手で優しく、手を握ってくる。その温かな手に応じ、続いて議長とも。
握手の後、議長はリズを部屋の奥へと促した。「こちらですわ」と案内された先にいた人物を目に、リズは驚いて思わず真顔になった。
ダンジョンの主、魔王フィルブレイスとルーリリラが、どういうわけかこのようなところにいるのだ。
頭の中が真っ白になるも、リズはどうにかすぐに平静を取り戻した。
この二人はあくまで客として扱われているようで、テーブルの上にはいくつかの本。これまで読んでいたのだろう。
見たところ、それなりに寛げている様子で何よりだが……それにしても解せない気持ちを抱いているリズに、さっそく議長が口を開いた。
「実を申しますと」と彼女が説明するには、世界中で異変が生じて少しした後、マルシエル議会からこの二人にアプローチをかけたというのだ。
仲立ちとなったのはセリア。ダンジョンの二人に向け、もしものための連絡手段を有していたのが幸いした。
「何分、このような状況ですから、こちらのご両名からお知恵を拝借することもありえるのではないかと」
「そういうことでしたか」
「それに、他国に先駆けて先鞭を、という考えもありますわ」
ダンジョンを運営する魔族たちは、人間社会の外側で平和に生きてきたのだが……こういう状況となっては、要らぬ嫌疑をかけられかねない不安定な立場にある。
その実、何かあれば人間側に味方するようにと、かつて人間側に味方した先祖から言い伝えられているのだが、世間一般が知る由もない。
しかしながら、これから魔族を相手とする本格的な戦乱が勃発すると思えば、友好的な魔族からの協力は是が非でも欲しいところ。
そこで、マルシエルが世界に範を示そうというのだ。
「民衆の目がある中、大々的に触れ回るのは難しいですが……他国政府に迷いがあるのなら、こうした対応が手本になるのでは、と。それでも受け入れられない魔王がいらっしゃれば、こちらへお招きするのもやぶさかではありませんし……」
と、議長が懐の深いところを見せる。
議長が一個人として、この魔族二人に対する友好的な意向や興味を持っているのは、かねてよりリズも知るところである。
一方、身内になってくれるかもしれない実力者を冷遇し、事によっては敵に回しかねない愚を避けるのは合理的でもある。心情面と実利面両方から決断を下し、議会にも納得させたのだろう。
こうした対応については、他でもない魔族二人も理解を示している。
「こういう状況だというのに、ダンジョンでこもっているというのもね。現世に生きる魔族ながら、存在を容認してもらった恩もある。それに、リズたちのような友人もいることだしね」
「我々でお役に立てることがあれば、協力は惜しまない考えです」
神妙な顔の二人は、同族が引き起こしたこの状況に対し、こちら側について動こうという確かな意志を見せた。
テーブルに置かれた本も、単なる趣味や暇つぶしなどではないのだろう。議長の前ということで、内心やや憚られるものを覚えつつ、リズは尋ねた。
「禁呪の読解は、いかがでしょうか?」
「おおまかに、どういうものがあるかは把握できているよ」
「比較的簡単なものであれば、今からでも習得に取り掛かれるかとは思います」
それを耳にして、少なからず興奮するものを覚えたリズだが……ふと視線を逸らすと、議長も目を少し輝かせている。
(そういえば、そういうお方だったわ)
強者への憧憬を内に秘める、この大人物を横に、リズは一度咳払いした。
「何かしら、新しい力を……とは思いますが、比較的容易なものでも、モノにするにはやはり時間が?」
「それは君次第だと思うけど、戦闘に用いる魔法を、本当に実戦水準にまで持っていくのは難しいかもしれない」
真剣な表情で口にする主の横で、ルーリリラが静かにうなずく。
「むしろ、すでに修められている禁呪と近しいものを新たに覚え、別の角度から磨きをかける手助けにするというのが、手っ取り早く確実かとも思います」
「なるほど……」
それも一理あるが……今のままで太刀打ちできない脅威が出れば、これまでにない新機軸が必要となるかもしれない。
新たに何か覚える時間があるのかどうかも不確かな中、リズは二人に言った。
「どういった禁呪があるか、また後程伺います」
「そうだね。こういうことで話し込むと長くなりそうだけど……そちらもそちらで、まだ色々とあるだろうし」
ダンジョン経営という隠遁の極みにあった魔王だが、人間社会への理解や洞察には、驚くほどのものがある。彼の指摘に、議長はやや申し訳なさそうな微笑を浮かべた。
「実を申しますと、今も議会で討議の最中でして……殿下がこちらへ寄られた際、一度議場へお越し願いたく。一度ご提案させていただきたい事項がございます」
「かしこまりました」
足労願われる立場のリズだが、むしろこの国に対する感心の思いがあった。
直接攻撃を受けたわけではないというのに、その日の内に何かしら提起するだけの、議論の進展があるというのだ。
この招聘に、リズは意気のある笑みで快く応じた。




