第303話 この世界の今①
暗闇に落ちた意識が目を覚まし、リズはハッとして跳ね起きた。
周囲を見回してみると、見知った顔ぶれがやや驚きの表情を向けている。
どうやら、意識を失ってから運び込まれ、べッドに寝かされていたようだ。戦いで汚れた衣服も取り替えられ、少しゆったりした装いに着替えられている。
小綺麗な一室の窓の外に目を向けると、かなり暗くなっていた。もともとどんよりとした暗雲が空を覆っていた一日だが……ある程度、まとまった時間が過ぎてしまったのだろう。
起きて早々に慌ただしく、リズは視線と思考を巡らせていく。
べッドサイドに座るアスタレーナは、そんな妹にやや困ったような微笑を向けてきた。
「大人しく寝ててくれてもいいのに」
「そうは言うけど」
「大丈夫よ」
そう言うアスタレーナの落ち着きぶりは、リズの胸中に巣くっている焦燥を解きほぐしていくに十分なものだった。
こんな時に寝てしまったという自責の念も和らいで、リズは今一度、改めて自分を取り囲む面々に目を向けた。
アスタレーナの他には、まずべルハルト。彼がここにいる事実ということは、休憩中か。もしかすると、念のために控えさせているのかもしれない。
(あるいは、私が起きるまでは……ということなのかも)
いずれにせよ、人好きのする兄のにこやかさは、かなり好ましく映る。
兄と姉が穏やかな様子でいるのに対し、他の面々は、かなり緊張した様子だが。
まず、あの革命を共にしたクリストフ、クロードの二名。傭兵たちからは、特に仲が良かったマルグリットがいるのだが……
彼らの恐縮や戸惑いのような念は、彼らにとってラヴェリア王族であることが明らかな二人だけでなく、リズにも向けられているように感じられる。
(ま……そりゃ言うでしょうね)
おそらく、アスタレーナの口から、色々と説明されたのだろう。
ただ、やや遠慮がちな感のある視線を向けられてはいても、負の感情は感じられない。
おそらく、アスタレーナがうまいこと取りなしてくれたのではないか。
ひとまずはその点をさておくことにしたリズ。
さしあたっては世界の状況について、アスタレーナから聞き出しておきたくはあるのだが……
どこから切り出したものかと考える彼女の前で、ベルハルトが口を開いた。
「リーザも目を覚ましたことだし、私は出るよ」
ハーディングの皆に呼ばせていた愛称を口にされても、リズは馴れ馴れしく感じなかった。皆の流儀に合わせた、兄の自然な処世術といったところだろうか。
ここを出ようという兄に、アスタレーナは「お願いします」と、少し堅苦しい声をかけた。
にこやかに、手をヒラヒラさせて去っていく兄を見送り、リズは尋ねた。
「もしかして出撃?」
「ええ。あなたが寝ている間にも、ちょくちょく増援に向かっていて……」
この返答は、特に考えなしに口から出たのだろう。ハッとしたアスタレーナは、口元に手を当てた。
「だからといって、あなたが気に病むことではないわ。兄さん曰く、『強敵は今のところいない』って話だから」
と、これまでのリズの働きぶりに、気を遣ってくれる。
姉の心配りをありがたく、温かくも思うリズだが、それはそれとして心配はあった。
寝たまま言葉を交わす話題でもあるまいと、彼女は寝床からゆっくりと身を起こしていく。
「大丈夫? そのまま寝てもらっていても構わないけど……」
「さすがに、少し恥ずかしいわ」
実際、眠りについた直前に感じたような、押し寄せる疲労感はない。気が軽くなった感じさえある。
もっとも、その元気の矛先がどこになるものかと、気が引き締まる部分もあるが。
ゆったりした寝間着のまま、ベッドに腰かけ姿勢を正す妹を前に、アスタレーナは軽く息をついてから、右手を前に差し出した。上向きの手のひらに、魔力の宝珠が現れる。
明らかに、それは彼女のレガリア、《掌星儀》なのだが……今もいる目撃者には、そういう高等魔法だと事前に言いくるめているだけかもしれない。
余計な驚きを示してヤブヘビになるのも姉に悪かろうと、リズは自制した。
そして、世界を映し出す宝珠片手に、アスタレーナが話を続けていく。
「まず、あなたが一番気にしているであろうことから。あなたがラヴェリアを追われて以降、立ち寄った国や町には、私の配下を連絡員として向かわせてあるわ」
「それは……ありがたい話だけど、良かったの?」
思いがけない贈り物に、助けられた思いよりも戸惑いが勝るリズだが、アスタレーナは柔らかに微笑んだ。
「配下と言っても、戦闘をこなせるエリートばかりじゃないの。連絡専門の、駆け出しみたいな諜報部員もいることだし……人材面での負担は、さほどではないわ。それに、あなたが気兼ねなく動けることは大切だし、あなたと関わった方々の協力を得る意味もあるから」
「なるほど」
単にお優しいだけでなく、合理性もある根回しであった。
事実、この配慮で色々と安心できるのは間違いない。ロディアンを守る竜も、この対応は快く受け入れたことだろう。
気にかかるのは、ダンジョン住まいの魔王たちだが、リズが尋ねると、「それは、また後でね」とのことだった。
アスタレーナが説明を優先したのは、より俯瞰的な世界の状況についてだ。
口にする彼女の顔にも、さすがに深刻そうな色が浮かぶ。
ラヴェリア外務省として掴めているだけでも、魔族の手は世界各国に広く及んでいる。餌食となっているのは、主に小国。自前の諜報力と軍備に乏しい国だ。
ただ、大国といえども、完全に無傷とは言い難い状況にある。
「荒野になった古戦場跡、遺棄された砦等で、急に不死者の発生が確認されたという報告が相次いでいて」
「モンブル砦は?」
思わす食いつくように尋ねるリズだが、アスタレーナは少し表情を柔らかくした。
「あなたのお手柄でもあると思うのだけど、あの砦は無事だったわ。過去に死霊術師の関与があったという話だったけど、今日のための仕込みだったのかもしれない」
そこで、これまで黙っていたクリストフが、口を挟んできた。
「リーザさんのおかげで、双方があまり血を流すことなく革命が成就しましたが……もしかすると、今回の敵に利するような展開もありえたでしょう」
「……そうですね。不死者の軍勢が出来上がっていたかもしれませんし、国が疲弊すれば、さらなる混乱に見舞われていたかも。死霊術師が暗躍する素地にもなったでしょう」
「そうなれば、ラヴェリアとしても捨て置けないところでした」
神妙な顔のアスタレーナが、この件についてやや低いトーンで語っていく。
「我が国の横槍が、革命の契機になった中、不死者の軍勢が出来上がれば……我が国にとっては想定外の事態ながら、主戦派としては攻め入る絶好の口実になったことでしょう。一方、非戦派としても見過ごせない状況に違いはないのですが、これを自作自演と見る向きがいてもおかしくありません」
「そうなれば……ラヴェリアは若干の領土と引き換えに、国際社会から白眼視されていたかもしれませんね」
つまるところ、死霊術師にしてみれば、この一帯を脅かす軍勢やその下地ができれば、それに越したことはない。
仮にそれが成らずとも、ラヴェリアと他国の間に亀裂が入れば、大局的には好都合だったかもしれない。
あの砦で死霊術師を始末できたことで、そういった流れを未然に防げたと考えても差し支えないわけだ。
「あなたのおかげよ」と、気持ちがこもった一言を受け、リズは顔を綻ばせた。
ただ、話の流れはすぐに、思わしくない現実へと引き戻されていくのだが。




