第302話 血は争えない
久しぶりに会う兄に、まずは「ここで何してるの?」と問うリズだったが、おおむね答えは胸の内にあった。
革命以降、アスタレーナはこの辺りのことを、かなり気にかけている様子だった。今後の国際的な戦略上の価値にも、気づかないわけがない。
そこで、ベルハルトにまずは援護を頼んだのだ、と。
問いかけたリズだが、まだ敵は残っている。彼女は実兄とともに魔獣に応戦しつつ、彼の答えを待った。
すると、兄は光る刃を振りつつ「ま、色々とあってだな」と答えた。
「とりあえず、終わらせてからだな」
襲いかかり、あるいは逃げ惑う魔獣の群れ。戦いの流れの切れ目に、リズは兄に倣って空を見上げた。
「ずっとこんな感じなの?」
「少なくとも、私が来る前から今まで、ずっとな」
しかし、空から垂れる魔獣も、さすがに品切れというものはあるのだろう。卵を複数同時に落としても、すぐさま光の刃が群れを丸ごと切り裂く。
すんでのところで一撃を逃れても、体勢を崩したところにリズの魔法が固めにかかり、精密無比の一矢が急所を射抜いて絶命させる。
このコンビネーションを抜け出せる魔獣はなく――
やがて、空に空いた穴も徐々に小さくなっていく。しばらくすると、穴がは完全に消えてなくなった。
「やっと終わったか」
「お疲れさま」
労うリズをマジマジと見た後、ベルハルトは笑顔になって彼女の背をバンバンと叩いた。
あまり遠慮のない力加減に、リズは顔を少ししかめ、お返しにとさらなる力で背を叩き返し……
二人は少しムキになり合いながら、それでも朗らかに、歓喜に沸く兵たちの下へと歩を進めていった。
サンレーヌ飛行場の戦いが終わり、ベルハルトは現地の正規戦力と話を始めた。
もっとも、それはかなり短いやり取りだったが。あくまで、ベルハルトは戦力の提供者であり、現場の指揮権はサンレーヌ側に委ねる構えである。
サンレーヌ兵が念のため、静かになった戦場の偵察に出ていく。一方で一仕事終わったといった風のベルハルトは、大きく一息ついてから言った。
「もう少しでレナが来る……あ、アスタレーナの事だぞ」
「わかってるわ」
「驚かないんだな?」
「あなたが単騎で動いてるなら、そっちの方が驚きだわ」
この返しに、ベルハルトは破顔した。「もっともだな!」と。
そうしてアスタレーナの到着を待つ中、ベルハルトが事の次第を簡単に話し出した。
「お前も色々知ってるとは思う。ルブルスクでも、何かあったんだろ?」
「ええ」
「……あそこからここまで、どうやって飛んできたのやらってところだが、まぁいいか。世界中で魔族や魔獣の襲撃が起きている。ここまではいいな?」
「ええ、続けて」
「それで、陛下が……こう言うと不敬だが、目を覚まされてな」
これにはリズも、目を丸くした。
年明けごろにお邪魔した時は、きっと予想外であろう再会にも、父王は何ら目立った反応を示さなかった。
そんな彼が、「目を覚ました」とは。
「指揮を執るようになったの?」
「そこまでは、さすがにな。軍事は兄上を始めとする責任者に任せておられる。ただ、大半の決裁に関しては、陛下御自ら目を通されるご意向だ」
もちろん、今までも名目上は国家の最終責任者ではあったのだが……実際的な決裁権は、下々に委ねることも多かった。
それが、今回は自分で執り行うというのだから、大変化である。
「なるほどね……軍の実際的な指揮権は、ルキウス殿下が?」
「そうなるな」
「……あなたは?」
「飛び道具」
端的に答えるベルハルトに、リズは小さく含み笑いを漏らした。
と、その時、サンレーヌの兵が二人の下へと駆け寄ってきた。どうやら、サンレーヌ側が気を利かせてくれているらしい。
かなり恐縮した様子の彼は、ラヴェリア第二王子を前に声を上ずらせながら、アスタレーナの到着を告げた。
それだけ伝えるなり、邪魔にならないよう、そそくさと場から離れていく。
視線を動かすと、確かに馬から降りようとする女性の姿が。
――そして、その彼女は、馬から降りるなり全力で駆けてきた。
その思いつめたような顔に、リズは戸惑ってしまった。
(な、何かまずいことでも?)
心当たりがあるとすれば、ルブルスク。あるいはマルシエル。縁のある国で、何か重大な事態が起きたか。思わず身構えるリズだが……
彼女の前にやってきた姉は、まったく予想外のところで心を悩ませていた。膝に手を当て、息を荒くしながらも、アスタレーナが顔を上げて口にする。
「あなたが、点いたり消えたりするものだから、心配で心配で……」
そう言われてリズは、姉の心配の意味を理解した。
アスタレーナに宿るレガリア、《掌星儀》。自身に繋がる血族の現在地を、魔力の球体上に投影する力があるという。
このような世界規模の騒乱の最中とあっては、《掌星儀》に目が釘付けになることもしばしばだったことだろう。
そして――ルブルスクに送ったはずの赤い点が、突如として消えたわけである。
後ほど、この件について部下から連絡があったとしても、相当に肝を冷やしたであろう。
それに、消えた点がどこへ行ったのか。ようやくそれらしい点を、ラヴェリア近くの小国で見つけたと思えば、またも消失。
その心労は、十分に理解できるものだった。
そしてリズは――姉からの心配を、ごく自然と受け入れている自分に気づいた。
つい数か月ほど前までは、この姉とて、自分を付け狙うはずの敵対勢力の一員だったというのに。
そうして心穏やかになる感覚を味わうも、彼女はハッとした顔になった。
世界の状況を知るのに、最高の人材が目の前にいるではないか。若干の焦りもあらわに、彼女は姉に話しかけた。
「今、世界はどうなってるの? 私が行くべきところがあれば、すぐにでも……!」
言葉を尽くしたとは言い難い。
それでも、姉は十分に聡明な人物であった。いくらか目を閉じて黙考した後、彼女はリズの両肩に優しく手を置いた。
「大丈夫。あなたが今まで関わってきたところは……あなたに守ってもらったところもあるけど、いずれも無事を確認できているから」
おそらく、気休めではない。
この言葉を耳にした途端、リズはその場に力なくへたり込んでしまった。安堵のあまり、体の力が抜けていく。
張っていた気も緩み、口から出るのは「良かった……」という一言だけ。
すると、彼女の視界に姉の顔が入ってきた。腰を落としたアスタレーナが、どこか切なそうな微笑を浮かべている。
「今日ほど、あなたと血の繋がりを実感できた日はないわ」
リズ自身、言われて気づきはしたが、同じ思いを胸に抱いていた。
危難を前にして、同じように異国の友人たちに心を砕き、立ち向かっている。
ただ、そうと認めるのに何ら抵抗はなくとも、目を合わせるのは、どういうわけか難しく……少し伏し目がちに、リズは答えた。
「ええ、私も」
その後――アスタレーナがそっと、リズを抱きしめた。
「今まで、本当にごめんなさい」
その声には、かすかな震えがあった。
なにか言葉を返そうにも、気の利いた言葉など見つからず……リズはただ、姉を抱き返した。
わだかまりを超えて、互いを認め合えたことが、ただただ温かい。
それから少しして、リズは顔を見上げた。少し嬉しそうな兄に向かって、ニコリと一言。
「放ったらかしで申し訳ないわ、兄上」
「ははは」
にこやかに笑いながら、リズの頭をポンポン撫でるベルハルト。
少しわざとらしい冷ややかな視線を向け、兄の手を追い払うも、彼はそんなに気にしていない様子だ。
リズの分だけでは飽き足らず、彼はもう一人の妹にまで同じように手を伸ばした。
「お前には迷惑ばかりかけたな」
「いえ、私がやるべきことだったから……」
「これからも色々と頼むぞ」
悪びれない兄に、アスタレーナは苦笑いを向けた。
それから……リズから身をスッと離したアスタレーナは、若干照れくさそうに咳払いを始めた。
「つ、積もる話もあることだし、まずはサンレーヌへ行きましょう」
「……ええ」
少し頭の中がぼんやりしながらも、リズは答えた。目の前で姉が立ち上がり、やや遅れて自身も腰を上げていく。
しかし、地面が不確かだった。急にグニャリと、地が頼りなく――
いや、頼りないのは自分自身の脚であった。
「おっと、大丈夫か?」
もやがかかった意識の向こうで、兄の声がする。体を支えられるのがわかるが、その感覚もどこかおぼろげで……
「……ごめん、ちょっと立てない」
どうにか口にできたのは、その程度であった。
緊張の糸が断ち切られ、塞き止められていた疲労感が一気に押し寄せていく。
薄れゆく意識の中、最後に聞こえたのは、アスタレーナの呆れたような大声であった。
「ここぐらい、兄さんに任せっぱなしで良かったのに!」




