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第300話 勇者さまの再出発

 リズとフィーネが謁見を果たして以降、ロディアン近郊の山に住まう竜のもとに、客人がいくらか訪れるようになっていた。

 山の名からベルギウスの古竜様と呼ばれ、畏敬の念を向けられながらも親しまれている。

 しかし、今日はさすがに勝手が違う。


 リズを背に乗せた竜がロディアンの町上空に差し掛かると、街の至る窓から人の顔が出て、空を不安げに見つめ始めた。

「意外と話せるお方」という世評を獲得しつつあるこの竜だが、助けられたばかりとあっては、その安堵や喜びよりも畏れ多い気持ちが勝るのだろう。

 それに……黒々とした曇天の中、白い光を放つ竜の姿は、地上からではただただ神々しいばかりである。


 加えて、この町に1か月ほど世話になっていた、あのエリザべータが、恐るべき怪鳥を撃退した。

 この事実も町人たちを困惑させる一因となっているらしい。そういった目線がリズに突き刺さる。

 決して疎外されているわけではないと考えても、言い知れない孤独を覚えてしまう。

 そんなリズの心中を知ってか知らずか、竜は朗々とした声音で言った。


「では、凱旋するとしようか! ちょうど良いところが空いておる」


 リズの返答を待たす、竜が舞い降りたのは、町の中心にある大広場だ。

 物陰から密やかに様子をうかがうばかりの町人たちだったが、こうも堂々と来訪されては、応対しないわけにはいかないだろう。

 町を守っていた若者たちが積極的に動いたこともあって、つられるように町人たちが大広場へ。

 集い来る町人たちを前に、その当惑がちな視線の只中にあって、リズもまた落ち着かない思いを(いだ)いた。

 この町で、こうも居心地の悪い思いをしたのは、きっと今回が初めての事だ。


 やがて、大方の町人が大広場に出尽くしたようで、町長が少し戸惑いながらも口を開いた。


「古竜様、エリザベータさん。この度は町の窮地を救ってくださいまして……なんと申し上げればよいのやら」


 状況に対する困惑や、相手に対する恐縮が見受けられた彼も、思いを口にすると表情には感謝の念が勝っていく。他の町人たちも似たようなものであった。

 そこへ鷹揚な竜が、あくまで気楽な感じで声をかけていく。


「そう畏まらずとも良い。客が来ぬようになっては、あの山に取り残されるようで寂しくての。おぬしらを助けるのは当然の事よ」


 そう言って笑い声をあげる竜に、向けられるのは感謝と敬慕の視線。

 この調子であれば、いずれ世の中が落ち着いた後も、来客が途切れることはあるまい。上々の戦果を前に、竜も満足げな顔である。


 しかし、場の視線は次いでリズの方へ。

 もとよりタダ者ではなさそうだという風評を帯びていた彼女だが、まさかこれほどまでとは、誰も思いもしなかったことだろう。

 ちょっとした仕事で彼女とともに働いた若者たちでさえ、リズに向ける表情には、感謝の中に戸惑いのような感情がある。

 少なくとも、彼女自身はそのように感じ取った。

 そこで、竜が大広場にぐるりと視線を巡らし、口を開いた。


「ふむ。一堂に会してちょうど良いな。皆の者、落ち着いて聞くがよい」


 何やら胸騒ぎがしたリズは、不安そうな目を竜に向けた。

 それに気づいていないのか、あえて無視しているのか、竜は続けていく。


「この娘、エリザベータは、実はラヴェリアの王族での」


――重大なことを、こうもアッサリと。


 信じがたい発言を耳にした思いは、町人もリズも共通であった。

 いち早く、思考の空白から脱したリズが、(とが)めるような視線を向けて口を開く。


「……閣下」


「おぬし、こうでもせんと言わぬだろうが」


「それは……」


「なに、悪いようにはならぬ。それとも、信じられぬか?」


 ″何を"と聞くことが、リズにはできなかった。


 この竜、町人。

 あるいは自分自身。


 いまひとつ信じ切れないものが何であるか。定まらない胸中を感じつつ目を閉じたリズは、ゆっくり目を開いて町人たちに目を向けた。

 短いやり取りではあったが、竜の発言が出任せではないと感じ取ったのだろう。良くわかっていなさそうなのは若年層程度。

 他は、畏れ多き存在を目にし、恐縮を抱いているようだ。


 そして、場を代表し、率先するように町長や年配の者がひざまずこうとしたところ――

「それはならぬぞ~?」と竜が、やや間延びした口調でたしためた。


「おぬしら、今になって、どうして膝を折ろうというのだ?」


 様々な含みを持たせての竜の一言に、町人たちはハッとした顔になった。

 竜よりも、ラヴェリア王族を尊重するように見られても、仕方のないところであった。

 それに――臣従の如き礼節は、彼らとリズの今までを否定するものとなってしまうかもしれない。

 神妙な顔の一同に、竜は言葉を続けていく。


「このエリザベータは、いわゆる非嫡子での。王室に占める立場はなく、次期王権を巡る戦いにおいて、狩りの獲物とされておった。今は平和裏に終わったようだがの……この町は、逃げ落ちた先の一つということよ」


 これを耳にし、やはり当惑を隠せない町人たちだが……竜の発言を疑問視する者はほとんどいないようだ。

 あれほどの戦いを見せつけられた後となっては、むしろラヴェリア王室という出自にも信憑性を感じているのだろう。

 向けられる目の中に、気遣わしいものも認め、リズは思わずうなだれた。


 どうせ言うならば、自分の口から――

 そんな思いがあったのは事実だが、果たして言えたものかどうか。

 今まで何度も、自分自身の事を明かしてきた彼女だが、この町は特別だった。それはきっと――

 生まれて初めて、まっとうな安心を感じさせてくれた場所だからだろう。


 肝心なことを竜に代弁してもらった事、それが受け入れられている現状に安堵を覚え……そんな自分に情けなさを感じてしまう。

 そうした弱さを振り切り、リズは今一度町の者に向き直った。


「今まで隠していて申し訳ありません。閣下が仰せになったことは、すべて真実です」


 当人が認めたことで、場が少しざわめいていく。

 そこで声を上げたのは、傍らに何人かの子を持つ婦人であった。


「あ、あの! 姫君には、我が子が相当な粗相を」


「いえ! そんなことは!」


 食い気味になってリズは否定した。


「国にいた頃は、周囲に味方が本当に少なくて……だから、この町の皆さんに受け入れていただけた時は、本当に嬉しかったです。小さな子と遊んだのも初めてで……」


 一度口にしてしまえば、素直な気持ちが驚くほど滑らかに口をついて出る。

 遠慮と恐れを抱いていた自分を、思わずマヌケに感じてしまうほどに。

 心が解きほぐれていくようで、心地よくあった。

 その一方で、今までの関係が永遠に損なわれてしまうのでは……そんな漠然とした不安も。

 思わず拳をギュッと握り、リズは町人たちに向かって声を上げた。


「あ、あの!」


「ど、どうなされましたか?」


 応じる町長までもが、しどろもどろな中、リズは一度呼吸を落ち着けた。


「大変図々しい物言いかとは思いますが、皆さんと町を助けた見返りに、私は……今までみたいに接してもらいたく思います」


「そ、それだけで宜しいのですか?」


「私には、それこそが一番得難い宝ですから」


 それでも困惑する町長。場の一同も小さくどよめく。

 そんな中で皆の前に歩み出たのは、フィーネであった。彼女は一度目を閉じ、小さく息を吸って言った。


「リズさん」


 きっと、意図して選んだ呼び方なのだろう。聞き慣れた呼び方に、リズは温かな気持ちを胸にした。

 しかし……その後に少し、耳の痛い指摘がついてくる。


「命も町も救われておきながら、今まで通りというのは、私たちには……やっぱり、少し難しいと思いますよ?」


「……それは、その、そうなんでしょうけど」


「要はその……すごく失礼な表現かもしれませんけど、私たちがよそよそしくならないように、ってことですよね?」


 そのものズバリの翻訳に、リズは頬を少し赤らめ、コクリとうなずいた。

 そこへ今度は、彼女とチャンバラに興じていたワンパク坊主が割り込んでくる。


「お話がよくわかんなかったけどさあ……今まで通りってことは、魔王ねーちゃんのままでいいの?」


「えっと、それは……せっかくだし……」


 恥じらいそのままに、リズは少しためらいがちな様子を見せ、答えた。


「魔王よりは、勇者とか英雄がいいわ」


 実質的には、これが町の救い主としての正式な要求であった。


 照れながら口にする彼女だが、そういう称号を認めることに、難癖をつけるものは誰もいない。

 そこで、竜が横から楽しそうに口を挟む。


「おぬしにかかると、勇者も英雄もごっこ遊びだのう」


 これに若者が一人、含み笑いを漏らし……笑顔の輪が広がっていく。

 その輪の中にあって、リズは晴れやかな気分であった。


「ほれ、心配することなどなかったであろうが」


「本当ですね。きっと……私の目が曇っていたんでしょう」


「おぬし、こう言うとアレだが、敵を見抜くのは精確でも……イヤ、今のは忘れよ」


「肝に銘じておきますわ」


 朗らかな雰囲気の中、にこやかに言葉を交わし合ったリズだが……

 彼女は改まった様子になり、町人たちに声をかけた。


「実は、この町以外にも、逃走中に世話になったところがあります。そちらの様子も見に行かなければなりません」


「……何か、大変なことが起きているんでしょうか?」


 不安そうな顔のフィーネに、リズは若干逡巡(しゅんじゅん)した後、本当の事を告げた。


「この世界に、魔族の軍勢が攻め込んできているようです」


 さすがに初耳らしく、言葉を失う町人たち。

 この場を離れるには心苦しくはあるのだが……それでも、心は決まっていた。


「こちらに何かあれば、その時はきっと駆けつけます。だから……私が知っている他の町や国も、この町みたいに助けにいかないと」


 ごっこ遊びとしての称号を求めたリズだが、今の彼女が見せる意志の光は、皆々に心底の敬服を抱かせるに十分なものだった。

 そんな中で一人、彼女の身を案じるフィーネが口を開く。


「そうは言っても、移動手段は?」


「実は、生身で転移が可能でして……」


 転移なる概念自体、知らない町人も少なくない様子だが、教養人のフィーネは唖然とした顔になった。


「本当に、何でもアリですね……」


「ええ、まあ」


 サラリと答えたリズは、神妙な顔に戸惑いの色を浮かべる町人たちを見回した。

「今から転移の実演をしますよ」と言って目を閉じ、遠くに思いを馳せていく。


 ここから遠くへ行ってしまうのだと、その点だけは誰もが承知しているのだろうが、思いとどまらせようという声はない。

 ただ、不安の色が拭えない者も少なくないが……


「エリザベータよ。おぬしがおらぬ間は、代わりにこの町を守ってやろう。安心して行くが良いぞ」


「ありがとうございます」


 素直に感謝するリズ。

 一方で、町長を始めとして、少し戸惑いを見せる町人たち。


「よろしいのですか? このような、何もない町に」


「おぬしらがおるではないか」


 こう言われては、恐縮と遠慮の言葉も続かない。

 町人たちはただ、これから発つ若い勇者と、町を守ろうという古き竜に深い謝意を示した。


 やがて、遠く離れた地と(つな)がる感覚を覚え、リズは言った。


「もうじき繋がります」


「そうですか……お気をつけて。また来てくださいね」


「ええ、もちろん」


 フィーネの気遣いに、表情を柔らかくするリズ。彼女の体が淡い光に包まれていき……

 その場から消失した。空間を飛び越えてはるか彼方へ。

 この秘術を目の当たりにし、町人たちが目を丸くする。


 ややあって、竜はフィーネに問いかけた。


「フィーネ。おぬしは結局、エリザベータを引き止めなんだな」


「……町の皆で勇者と認めるような方を、ひとところに留めるなんて……あまりに図々しいですから」


「それに、古竜さまもいらっしゃることですし」


 横合いから口を挟む若者に、竜が笑う。

 すると、かなり恐縮した様子の町長が竜に問いかけた。


「こちらでお守りくださるとのこと、感謝の念に堪えませんが……何か、ご所望の供物などは、ございますでしょうか?」


「ううむ。エリザベータほど面白い要求は、思いつかぬしのう……」


 少し考え込んだ末に、竜は言った。


「野菜をもらうとしようか」

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