第298話 山岳の攻防
さて、邪気をたどることについては相当の自信を見せる竜だったが、その言葉に偽りはなかった。
リズを背に乗せ、風を切って進むこと数分。ラヴェリア国境の山岳地帯が見えてくると、何とも言えない陰鬱な気配に、リズも背筋をかすかに震わせた。
竜の嗅覚は、広い山岳の中でもドンピシャの位置を嗅ぎ当てたようだ。
さらに近づいてみると、起伏激しい渓谷の中、地形の陰影に溶け込むように蠢く亡者の大群が。
不死者の中でも実体を持たない種別、亡霊が大半であろうか。
「ようも、ここまで集めたものよ」と、竜が呆れと感嘆を込めてつぶやいた。
周囲には、似たような集団はない。これだけの不死者が集まるのは不自然であり、どうもこれが敵の本丸のように思われる。
もとより人通りが滅多にない地方だ。従前から潜伏したとしてもおかしくはない。偶然通りかかる不幸な者がいれば、戦力補充も可能だったことだろう。
おそらく、あの怪鳥たちを操った術者が、この中に潜んでいるはず。
渓谷を埋めんばかりの、亡霊の群れを盾にして。
「どうにか、その存在を確認し、炙り出したいところですが……」
「ならば任せるが良い」
言うが早いか、竜は大きく息を吸い込み、前方の地面へと白い吐息を放った。太い光線の如き奔流が、地形をなぞって進んでいく。
地表までの距離はかなりあるが、亡霊の動きを見る限り、有効打にはなっているようだ。消されまいとして、有象無象の群れがクモの子を散らすように蠢いている。
あの怪鳥一体と、普通の亡霊とを比較すれば、その力の差は明らか。であれば、この光景も道理というもの。
(それにしたって凄まじいわね……)
これを繰り返すだけで、容易に殲滅できそうな勢いではあったが――
相手もみすみす、それを許すつもりはないらしい。突如、山肌に爆発が生じ、がけ崩れが亡霊たちを飲み込んでいく。
とはいえ、今や実体なき亡霊たちに、土石などは何ら脅威になりえない。立ち込める砂塵の衣で守られた敵勢を前に、竜は攻撃を一度取りやめた。
「なんともまぁ、乱暴な防御があったものよ」
(どの口で仰るのかしら……)
思わず心の中でツッコミを入れるリズだが、竜の砲火のおかげで敵の存在は把握できた。
魔法を使える不死者など、普通は存在しない。いるとすれば不死の魔導師、結局は人類の敵である。
となると、おそらくは《火球》系の魔法を使ったと目される術者が、真に討つべき敵である。
それを追い詰め、討ち取ろうという算段を巡らせたリズは、一つの閃きを得た。
さっそく準備に取り掛かっていく。《超蔵》から取り出したのは細長いロープだ。
彼女がそこにないはずの何かを手にしたのは、竜も感知したらしい。
「物持ちが良いのう」
「一通りのサバイバル用品は、持ち歩くことにしておりまして」
それが、魔導書のストックが少ない理由でもあった。まっさらな魔導書である白本ならば、大抵の国では容易に手に入るという事情もある。
取り出したロープを適当な長さに切りつつ、彼女は遙か下方に目を向けた。
あれだけの一撃を目にしてもなお、まだ逃げ出していないなら――
☆
亡霊たちの主、魔族の死霊術師は、ひとまず窮地を脱した安堵に額を拭った。
思い出すだけでも身震いする怒涛の火力に、目深に被ったローブの中が暑い湿り気を帯びていく。
この山岳地帯は、上から見たのでは判明しないが、かつては川の流れが作り出したのであろう回廊のようなものが点在している。
斜めの岩肌に自然発生した、えぐりこむようなくぼみの安全地帯へと、彼らは身を寄せているのだ。
とっさの機転が功を奏し、軍勢の損耗はさほどではない。もはや軍団と言うべき規模の亡霊は、依然として相当の戦力である。
とはいえ、このまま膠着状態というわけにもいかない。上を取られたままでは不利のままだ。
加えて、ここが敵地ということを踏まえれば、いずれ増援が来る可能性も。
行動せねば、座して死を待つばかりである。
無論、無策で動くわけにもいくまい。
そこで彼は、軍勢を分けることを思いついた。遠目に見れば、軍勢を二分割したように見せかけつつ……多くを自分の近くで潜ませ、控えさせておく。
そうすれば、あの竜とて、どちらか一方を攻めることしかできまい。
後は囮を用いて機を見計らい、この場から隠れて脱するか。
それとも、大軍勢を総動員し、亡霊の群れで一気に竜へと襲い掛かるか。
とりあえずの策を思い巡らせ、若き魔族は意を決して亡霊たちを動かした。回廊から顔を出し、やや散開気味に動く二つの群れ。
それら囮を動かしつつ、術者たる彼も回廊部から外に出た。竜と、その協力者の動向を見るためである。
どうやら向こうも、新たな動きに入ろうという考えらしい。高空で堂々と羽ばたく竜の下に、人影らしきものが一つ。
らしきというのは、その姿が光に包まれて判然としないためだ。
不死者との戦闘を見越して祓魔術の何か、おそらくは《光輝の法衣》を用いているのだろう。不死者に対し、攻防一体の光を身にまとう高等魔法だ。
竜が放つ光の下であれば、傍らの祓魔術が相当の力を帯びるのも腑に落ちる。
対不死者の備えを示すばかりか、さらに威圧的な攻撃の準備まで。光り輝く人影は、《追操撃》と思われる魔弾を周囲に旋回させている。
いつでも仕掛けられるという意思表示であろうか。
亡霊たちの主が上空の脅威に目を見張っていると、さっそく動きが生じた。
まずは竜からのブレス。予想通り、逃げていく亡霊の一方を討たんとするものだ。
指揮官たる彼は、これを容認した。まだ、助けに出る状況ではない。
そして、竜のブレスが十分に遠ざかり……ここぞというタイミングで、彼は勝負に出た。山肌のくぼみから亡霊を解き放ち、一挙に空へ。
そこへ、泡を食ったように白い奔流が切り返すも、その行く手を阻むように、彼は山肌を爆散させた。
飛び散る砂塵を盾に、亡霊たちの損失を防ぎつつも、徐々に竜へと近づけていく。
と、今度は上空で待機していた、あの人影からの誘導弾。
その対象が自分に向いていることに、若き魔族は肝を冷やした。おそらく、山肌を撃った《火球》の射線を見切られたのだろう。
しかし、攻撃はあくまで誘導弾のみ。迫りくる亡霊たちを重く見たのか、自身は竜の護衛に専念する構えらしい。
そして、襲い来る誘導弾程度、防ぎ切るにはわけもない。
上空からでは精密な制御も難しいのか、いくつかは山肌にあたって魔力を無為に散らすのみ。砂塵の中に魔力が混じっていく。
この煙幕がまた、後続の誘導弾の精度を損なっているようにも見受けられる。
(所詮は目くらましか!)
かろうじて通り抜けた弾も、これほどの距離があれば対処は容易である。その引き換えに、亡霊たちのコントロールが、やや散漫になってしまった面はあるが……
(それも、これまでのこと!)
最後の一発を《防盾》で防ぎきり、彼は上空を見遣った。
ここから、反撃開始だ。亡霊の大軍勢をけしかけ、自身も追撃にと魔法を放つ構えを見せる。
――瞬間、胸元を射抜く激痛。
体中に稲妻が駆け巡る感覚に襲われ、彼は思わずよろめいた。
もしや、《貫徹の矢》を撃たれたのだろうか?
しかし、真相に至ることは、もはや叶わない。
力を振り絞って振り向こうとするも、今度は胸に、熱感を伴うさらなる激痛。
彼は視界の端に、赤い血に濡れた銀色の切っ先を見た。
かと思えば、胸を刺し貫いた刃が首を貫き、続いて両手首を切断。瞬く間の出来事に、彼は何をされたのかわからないまま――
その意識は闇へと沈んでいった。




