第293話 さらなる戦いへ
見えない何かに駆り立てられたリズは、走り出して程なく、前方に人の群れを捉えた。あの実験場を脱した招待客たちである。
見たところ、強い恐慌状態は感じられず、まずは一安心といったところだ。
ただ、彼らは後ろからやってきたリズを目にするや、大いに驚いた。困惑する招待客らを前に、リズが問いかける。
「殿下は、こちらにはおられませんか?」
すると、代わりに答えたのはルブルスクの兵であった。曰く、王都から出動した衛兵部隊だという。
「緊急事態につき、殿下には王都へ急行いただき、代わりに我々がこちらの方々の先導を務めております」
「そういうことでしたか」
「それで、あなたは?」
「エリシア・ランベルト嬢の護衛です」
この護衛たちがどこまで知らされているか、リズにとっては賭けであったが、目算はあった。
王都へ先を急いだというヴァレリーが、エリシアを放っておくとも思えない。それに、ラヴェリアが何らかの反応を示してもおかしくはない。
となると、この状況下で王子が見知らぬ若い娘を連れていくことに対し、何らかの下知はあって然るべきであり……
実際、リズの読み通りであった。彼女の発言に、護衛たちはハッとした顔で反応を示す。
「あの場に残られていたと、耳にしておりましたが……」
「はい。異変はひとまず、収束したように思われます」
彼女は、魔族が現れそれを殺したなどという直接的な表現を、あえて避けた。
だが、この程度の情報でも、招待客たちには少なからぬ衝撃があった。驚きの波が広がっていき、次第に安堵の空気が広がる。
そんな中、やや戸惑った様子の衛兵たちに、彼女は次なる対応を要請した。
「現場で加勢してくれた私の仲間が、この集団の後に続いて近づいているはずです。詳細は彼に」
「了解しました。あなたは?」
「王都へ向かいます」
ラヴェリアからの客ということまで言い含められているのか、リズの動きに異存はないようだった。
ただ、一つだけ、彼ら衛兵から申し出が。
「よろしければ、馬を使われては?」
「いえ、走っていきます」
つい最近、馬で苦労させられた経験の影響もないことはないが――
リズは自分の力に頼ることにした。衆人環視下でも何一つ気にせず、地を蹴って集団を置き去りに、一人街道を駆けていく。
王都に着くと、普段とは様相が一変していた。
こちらが襲われた様子はなく、それは何よりである。
だが、普段の落ち着きと陽気さ伴う、心地よい雰囲気は影も形もない。静寂の中には張り詰めた緊張があり、ただただ物々しいばかりだ。
王都入口で衛兵に事情を簡単に告げ、案内してもらってさらに奥へ。
街の大広場の一つで、リズはようやくヴァレリーの姿を目にした。
同じ場には彼の他に、エリシアとラヴェリアからの護衛たち。
そして、リズ率いる第3勢力の面々もいる。仲間たちの中では、セリアとマルクが代表的立場にあるのが見て取れる。
こうして合流するようにと、指示した記憶はないのだが、それができる状況であれば、きっとこうするように指示したことだろう。
本当に、頼りになる仲間たちであった。
そして、この場の面々にとっても、リズは頼りになる人物であった。
全速力でやってきた彼女を前に、ヴァレリーはいくらか驚かされた様子だが。
「リズ、大丈夫か!?」
「はい。敵は倒してまいりました」
端的な報告に、まずは驚きと安心、そして静かな歓喜が渦巻いていく。ヴァレリーもまた、彼女の無事の再会を大いに喜んだ。
しかしすぐ、彼は表情を引き締め、「極めて困難な状況にある」と実情を手短に伝えた。
うっすら感じていた凶兆が、現実のものになった。
身構えるリズは、まず彼女が対応した戦いの顛末と、その後についてを手短に伝えていく。
一通り報告した彼女に、今度はヴァレリーの口からルブルスクの状況が語られる。
「あの試験場以外にも、国内数か所が魔族の襲撃に遭った。国境沿いの魔導石鉱山のいくつかは、すでに陥落しているという話だ」
「魔導石鉱山ということは……」
「ああ。飛行船の時と同様、何か呼び込むために使われるのかもしれない」
さらに都合の悪いことに、音信不通となっている要地もいくつかあるという話だ。おそらく、失陥しているものと見て間違いない。
この同時攻撃は、相当前から入念に計画されたものだろう。
海の外でも、似たような被害が生じている。
護衛隊長クラーク、マルシエル議会直属のセリアの両名が、ルブルスク以外の国でも同様の襲撃が発生していると口にした。
現状では、ラヴェリアやマルシエルに対する攻撃は発生していないようだが……
そうした話を耳に、リズは顔を青ざめさせた。
思っていたよりもずっと大規模に、恐るべき事態が進行している。
ただ、彼女の対応は、驚くほど早かったと言えるかもしれない。
というのも、この様々な勢力からなる一団が顔を合わせて間もなく、リズが駆けこんできたというのだ。
まずは、すでに対応を示されたというクラークが、護衛ではなくラヴェリアを代表してヴァレリーに告げた。
「我が主君からは、『人類として立ち向かうべき危機と考え、友好国と協働せよ』と命じられております」
「そうか……了解した。頼らせてもらうよ」
「仰せのままに……また、差し出がましくはありますが、すでに配下をこの街に放っており、隠れ潜む魔族がいないかを探らせているところです」
実に仕事が早い隊長だ。この国の権力者に伝える前に、自らの首を賭けて初動に移ったのだろう。
一方、マルシエル政府の対応も早い。各種資金・資材面での援助について、外交で話がいっているということだ。
同国から遣わされている現地諜報員を、ルブルスクの防衛に回す意向もあるという。
では、リズたちはどうするか?
一つの集団、それも決して軽んじることのできない力を統率する身として、リズは思い悩んだ。
脅威に晒されているのは、ここだけではない。
目の前にない窮地を、どうしても思い描いてしまう。これまで世話になった者たちとの生活が、思い出が、暗いイメージに塗りつぶされていく。
いや、イメージなどではない。もはや現実となっているかもしれないのだ。
そうして顔を青ざめさせる彼女の手を、誰かがスッと優しく握った。
マルクであった。「こういうガラじゃないんだけどな」と、彼は困ったように笑う。
「他のところを心配してるんだろ?」
今まさに、国を傷つけられているヴァレリーの前で、肯定するには抵抗感のある問いだったが……
即座に否定できないだけの過去が、リズにはあった。
それが、付き合ってそこそこになる友人には、十分な答えでもある。
「俺だって、ハーディングの連中は心配だし、それ以前のことだってあるしな。色々と世話になったんだろ?」
見透かしたように言う彼を前に、リズは顔をうつむかせ……
「好きにすればいいさ」と、彼は言った。
「でも」
「変にハラハラしたままで、ここに残っても戦えないだろ?」
「そ、それは……」
返答に窮し、リズはヴァレリーを見つめたが、彼は複雑な笑みを浮かべた。
「情けない話だけど、君に頼りたい気持ちは確かにある。だけど……」
彼は端正な顔を苦渋に歪め……決然とした顔で告げた。
「海の向こうの友も、助けてあげてほしい。もう、国とかそういう次元の状況じゃない。私たちは……たとえ届かなくても、互いに手を差し伸べ合って、戦わなければならないんだ」
すると、小さな拍手とすすり泣く音が一行を包み込んだ。
いつの間にか、この一集団を、兵や町人たちの小集団が遠巻きに囲んでいたのだ。
図らずも、この状況に対する、王族としての最初の所信表明となった。
疑いようもない本心からの言葉だっただろうが、一方で相当に苦しい決断でもあったのだろう。
握り締められたヴァレリーの拳にかすかな震えを見て取り、リズは深く頭を下げた。
「全て終わらせたら、きっと戻ってきます」
「『終わらせたら』とは、また剛毅だね」
ふとした拍子に出た言葉尻に、ヴァレリーは微笑んだ。
この場を発つ意が固まっても、まだ不安はあるのだが……
「こっちはこっちで、うまくやりますよ。アクセル君いますし」
「まぁ、なんとでもなるよな、実際……」
「連携できるかビミョーですけど」
と、いくらか余裕のある、いつもどおりの調子の仲間たち。
実のところ、当座の戦力的には、そう心配するほどでもないかもしれない。
「ありがとう」と、その場の皆に告げ、リズはその場を足早に立ち去った。
まずは誰もいない場所へ。戒厳令下のような街の様子は好都合で、人通りのない路地をすぐ見つけ、リズは軽く屋上へと飛び上がった。
静まり返った王都の街並みを一度だけ視界に納め、彼女は瞑目した。精神を深く集中させていく。
行くべきところ、行きたいところはいくつかある。
襲われていなければそれでいい。それだけ確認すれば、さっさと別のところへ飛べばいい。
しかし、それぞれが襲われていたのなら?
どうしようもない可能性が胸を締め上げるも、集中を妨げる懸念の影を、彼女は非常な精神力で打ち払った。
こんなところから、負けていられないのだ。
研ぎ澄まされた集中力は、むしろ普段よりも早くに、魔法の形を成した。
人外の術理が彼女の体を包み込み、遥か彼方へと飛ばしていく。




