第292話 そして全てが動き出す
一戦を終え、リズはとりあえずその場を離れる決断を下したが、さすがに敵の遺骸を置いておくわけにはいかない。
そこで、運ぶ役目はアクセルが買って出た。気味悪く思うところがないわけではないだろうが、彼は神妙な顔で物言わぬ遺骸を背負い、静かにうなずいた。
いざ、ここを発つ段になり、リズは荒れ果てた実験場跡に今一度視線を巡らせていく。
やがて、二人は王都へと駆け出した。
戦闘後の対応に、いくつか選択肢があったのは事実だ。
まず、その場に留まるというもの。さらなる動きがあるかも……という可能性は否めない。
ただ、彼女はすぐに、その可能性をかなり低く見積もった。
仮に加勢できるのなら、あのジェステラーゼほどの駒を損なう前に手出しすべきだったはず。彼が単なる陽動だったとも考えにくい。
――もっと大局的に考えれば、話は別なのかもしれないが。
場を離れるにしても、転移を用いるという手もあった。
しかし、リズと同時に運べるのは一人まで。一回の転移にそれなりの時間がかかることを考えると、アクセルとジェステラーゼを運ぶのに、いくらかまとまった時間が必要となる。
アクセルと一時的に離れるのも、ジェステラーゼから目を離すのも、あまり得策ではないように思われる。
それに、あの現場へと向かう味方が出てこないとも限らない。すれ違いになり、誰もいない戦場を目に混乱されるリズクを踏まえれば……
結局は徒歩で王都へ向かうのが、シンプルだが無難に思えたのだ。
だが、この選択が正解かどうか、リズが与り知るところではない。
あの場を離脱した人々を追う彼女は、言い知れない不安に突き動かされるばかりであった。
二人は無言で街道を疾走し、ややあって前方に人の群れが見えてきた。あの場が戦場になるまで残っていた、飛行船の関係者たちだ。
後ろから猛スピードで駆け寄る二人に、彼らが気づいて目を丸くする。
だが、アクセルが背負う敵の亡骸に、二人が逃げたのではなく勝ったと察したのだろう。安心と歓喜の声を上げてくれた。
表面上は柔和に、その声を受け入れるリズだが……内心は複雑であった。
こうしている間にも、何か事が起きているかもしれない。
それに、彼らの努力の結晶と、夢を共にした仲間は、無慈悲にも損なわれてしまったのだ。
そうして湿りそうになる感情を、リズは全力で追い出した。
まだ、やるべきことが残っているかもしれない。
彼女は、この技師たちの保護をアクセルに任せ、さらに街道を直進することにした。
激闘を終えたばかりだが、彼女は全速力で風を切って進む。
戦っている時とは違う、胸の鼓動の高鳴りがあった。目に見えない何かに追われるように、少しずつ、少しずつ、胸騒ぎが内を満たしていく。
☆
白く清浄な玉座の間。赤い絨毯には金糸銀糸の華美な刺繍が施され――
整然とした美のところどころに、真新しい血の跡。
そんな中、色白の青年然とした魔族が、「ジェスが戦死しました」と静かに言った。
向けた声の先にいるのは、飾り気のない玉座に腰かける、筋骨隆々とした壮年らしき見た目の男性。肌は青白く、頭部には二本の雄々しい角。
玉座の前に、数々の魔族を侍らせるその男は、報告を受けて首を傾げた。
戦死報告に、玉座の間には静かな緊張感が満ちていき……王が口を開く。
「ジェステラーゼが戦死したと。確かか?」
「間違いないものと思われます、陛下」
落ち着き払った腹心の言葉に、王は長く息を吐き出した。
「ルブルスクに、それほどの脅威があったとも思えんが……何か情報は?」
「詳報はございません。しかしながら……気がかりな情報が」
「ほう?」
「ラヴェリアから貴族令嬢を内密に招待したと、内通者からの密告がございます」
ラヴェリアという単語に、場の緊張が一層に張り詰める。
一方、王はどこか楽しそうに唇の端を吊り上げた。
「ラヴェリアからの差し金と?」
「よほど腕利きの護衛をつけていたと考えれば、あるいは」
すると、王は顔の前に手を当て、体を震わせて笑い出した。
「ククク……まさか、読んでいたというわけもあるまいが、にわかには否定できぬか」
そう言って彼は、侍らせた精鋭たちの後ろ、玉座の間の中心に輝く赤黒い魔力の球に目を向けた。
直径数メートル程の魔力の宝珠は、表面に星の姿を映し出している。
「中々に楽しませてくれるではないか。各地への攻撃も、それなりに抵抗されておる」
「申し訳ございません」
「何、構わぬ。所詮は余興よ。もっとも……ここに至るまでが、長すぎる前座のようにも思うがな」
王は玉座のひじ掛けをトントンと指で叩き、頬杖をついてニヤリと笑った。
側近の魔族たちも、彼に応じて不敵な笑みを浮かべ、揃って後ろに向き直る。
世界各地で起きるその余興が、赤黒い珠の至る所に漆黒の穴を穿っている。
☆
世界各国で同時進行する凶事は、当然のように大列強ラヴェリアも把握するところとなった。
どういうわけか、ラヴェリア国内でそういった事象は、今のところ起きていないのだが。
このような未曽有の事態にあってはと、異常事態を察知してすぐ、情報は国王バルメシュの下にも届いた。
立場ある重臣も、世界中で空に《門》が開き、そこから強大な魔族や魔獣が姿を現すなどとは、夢にも思わなかったことだろう。何人もの重臣や高官が、狼狽もあらわに申し伝えた。
この国の王は政務の中心から退いて久しい。
だが、このような危難の時にあっては、意向を仰がねばならぬ。
しかし、政務に意見を差し挟まなくなったどころか、冷静や落ち着きを通り越して無感情の気さえあるこの王は――
耳を疑うような報告を静かに聞いた後、体を震わせ始めた。
「……ククク」
「へ、陛下?」
押し殺したような笑い声を耳に、臣下がより一層の戸惑いを見せる。
そして、世界でも有数の権力者は、場違いなほどに高らかな笑いを放った。
――これまでに届いた報告よりも、もっと恐ろしいものを見ているのかもしれない。
重臣たちは、時が凍り付いて微動だにできず、ただ心底からの笑いだけが玉座の間を満たす。
ややあって、王は一息つくように息を吐いた。
冷淡ともされることが多い王だが、今の顔はかつてないほどに血の気が通った微笑で、どこか晴れやかさすらある。
何にしても、場違いこの上ないようには思われるのだが。
重臣たちの最前列でひざまづく年配の重臣が、果敢にも再び問いかけた。
「陛下、いかがなされましたか?」
「いや、済まぬな。気が触れたわけではない」
多くが胸に秘め、恐れていたであろう危惧を解消する王だが……次の言葉は、その場の皆の予想外のものであった。
「クラウディアをここへ」
「妃殿下でございますか?」
「そうだ。戦力が一人でも欲しいところであろう」
その言葉の意味するところを察しない一同ではない。
第四王女ネファーレアの実母であるクラウディア妃は、国内有数の死霊術師でもある。
もっとも、これまでの経緯から、彼女の立場はかなり複雑だ。君命でもなければ、決して人の指示で動かせる人材ではない。
そんな妃を戦力化しようというのであれば、この異常時においては心強くある。
同時に彼女への説得や要請は、この国王にしか成し得ない仕事だ。
やや困惑する重臣たちだが、王の言葉にいくらか納得するものを覚えたようだ。
「では直ちに」
「うむ」
短い言葉を交わすと、恭しくも慌ただしく、責任ある者たちが立ち去っていく。
程なくして、玉座の間にクラウディアがやってきた。
かつて国王から寵愛を受け――それは今でも変わらないはずの彼女だが、その心中には立場同様の複雑なものがあった。
王の子を身ごもることが何より名誉とされる後宮にあって、下賎の身の女に先を越された事実は、癒えない傷を彼女の心に深く刻み込んだ。
そのことで心を病んでいる自覚はある。
そして王が、まるでその埋め合わせのように、付き合ってくれているのだという認識も。
しかし、下賎の女にあのエリザベータを産ませたことについて、ついぞ謝意を示されたことはない。
たとえ、継承競争上の理由があるのだとしても。
だが……玉座の間に姿を現したクラウディアは、王の様子が普段と違うことに面食らった。
いつもは無感情で、それは彼女を前にしてなお、ほとんど変わることはなかったのだが……今の王の様子はどうしたことか。
神妙な顔の王は、玉座の間に二人きりになると、無言で立ち上がった。
「へ、陛下?」
「そのままでいよ」
有無を言わせぬ口調で彼女をその場に留め、王が御自ら歩いてくる。
そして彼は、妃の前で片膝をついた。
知り合って20年以上になる間柄だが、このような振る舞いは初めての事だ。
身に余るばかりの恐縮よりも、不可解な事態を前にする困惑が胸を埋める。 やがて、彼女の耳に王の言葉が響いた。
「今まで済まなかったな。苦しかっただろう」
向けられた言葉を理屈が解するよりも、目が先に応えた。熱いものがこみ上げ、視界を揺らす。
国王相手に畏れ多くも、長年待ちわびていた言葉であった。
しかし、言葉にできない思いが胸を占める一方で、確かな疑問もあった。
――なぜ、今になって?
思えば、城内の様子が慌ただしい。
何か大事が起きて、その影響で?
結びつける確かな材料など何もない中、漠然とした予感がクラウディアの中にはある。
すると、王は続けた。
「いきなりこのような事を言われ、そなたも戸惑うばかりであろう」
ただ瞳を濡らすばかりでもいられず、クラウディアは頭を上げて王に正対した。
「いえ、勿体なくも有り難きお言葉、全身で噛み締めさせていただいております。ですが……」
後宮でも唯一と言っていい”危険人物”扱いのクラウディアだが、さすがに宮中の一員ではあった。言葉を探すのにさほどの時間を要さず、気がかりをそれとなく疑問の形に成していく。
「城中に何か、好ましからざる雰囲気を感じます。お国や御身に何かあったのではと……そのような気がかりゆえに、有り難きお言葉にも何か、良からぬ陰を感じてしまいます」
「そうか。そうだろうな」
もっと言えば、この砕けたところのある王の態度もまた、困惑の種ではあるのだが。
どことなく、飾る感じのないように思われる王は、いくらか逡巡した後、妃に告げた。
「そなただからこそ話す。決して他言はせぬように」
「仰せのままに……ですが、一体何を……」
「全てを話す」
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