第290話 VS魔族ジェステラーゼ③
立ち込める白い濃霧。その奥に待ち受ける強大な魔族。周囲を回る赤熱の双蛇が徐々に間隔を狭め、押し寄せる熱気が臓腑を締め上げてくる。
そんな最中、剣を構えたリズは、背にいくつかの魔法陣を展開した。それら魔法陣に力を注ぎ込んで貯え――
彼女は魔法陣の力を一気に解き放った。暴力的な勢いが体を前に叩き出す。
彼我を隔てる白い幕を突き抜け、彼女は敵の姿を再び視界に捉えた。わずかに目を見開き、驚きを示している。
しかし……相手もさすがの強者であった。即座に対応を示し、猛進するリズに魔弾で迎撃。
思わず身もすくむ、壁のごとき弾幕を前に、リズは着弾直前で《防盾》を幾重にも展開。弾幕を相殺し、突き抜けた先の敵に目掛け、構えた剣を振り下ろす。
これを危ういところで回避したジェステラーゼ。彼はくるりと身を翻し、一気に距離を詰めてきたリズにさらなる応射。
敵を通り過ぎるや、リズは空中で体をひねって反転した。背の魔法陣から暴風を放ち、直進の勢いを力づくで制動。
そこへやってきたのは、炎蛇であった。周囲の景色を歪ませながら、大口を開けて二頭が迫る。
この二頭と入れ替わるように、ジェステラーゼは魔弾を撃ち込みながら、後方の宙へと飛んで退いていく。
息もつかせぬ連携を前に、リズはこれまでと同様の対処を示した。赤い大蛇目掛けて《水撃》を連射。火勢を押し留めようと試み――
再び、背に仕込んだ魔法陣に力を注ぎ込み、眼の前の熱い雲に飛び込んだ。視界が白く染まる中、赤い大蛇をすれ違いざまに、その表皮を撫でるように斬り抜けていく。
一瞬の間に互いの位置関係を把握し、その感覚に命を委ねる胆力あってこその技である。
炎の大蛇を軽く切りつけた後、即座に雲を突き抜けたリズ。そこへ待ち構えていたように、四方八方からの誘導弾が迫る。
そして、はるか上空から、さらに強烈な殺気。
押し寄せる球を打ち払い、空の脅威を引き付け――目も向けずに離脱。その場から身を離した彼女のすぐそばを、虚空からの隕石が通り過ぎ、地を揺らして轟音を響かせる。
双方が空中に上がったことで、不意に一息つくタイミングが訪れた。
ジェステラーゼは、地を這う炎蛇を空中に差し向けようとはしないようだ。
すると、魔剣がリズの脳裏に話しかけてきた。
『先程の技で斬り殺そうというのか?』
『それができれば何よりだったけど……目的はそれだけじゃないわ』
リズは、先ほど斬りつけたばかりの炎蛇に、チラリと目を向けた。
『あれを斬った感触は?』
『変性させられるものではない』
傷口から呪力をねじ込み、相手の体を変性させる《インフェクター》だが、あの蛇には効果がなさそうだという。
そうして言葉を交わしている間にも、ジェステラーゼが攻撃を放つ。空を広く使って自身は縦横に宙を浮遊しつつ、リズへと《追操撃》で包囲を仕掛けてくる。
『直接斬るのは意味がなさそうね』
迫りくる魔弾を剣閃で斬り伏せつつ、リズは剣に話しかけた。
『核の部分を突けば、術も解かれるだろう』
『その核がどこにあるか、わかる?』
『貴様が探れ』
ある程度予想できた答えだ。
迫りくる弾丸の雨を急発進で切り抜け、リズはジェステラーゼに魔力の刃を飛ばした。
この間合いでは当然のように避けられる。刃が届く前に、彼は余裕を以って回避した。
次いで、上空にいる彼目がけて、リズは背の魔法陣を操った。間合いを一瞬で詰め切り、絶妙のタイミングで剣を振るう。
宙を割く刃を今度は辛くも回避、魔弾で応戦するジェステラーセに、リズは素早く向きを変えて追撃。
空を踊り狂う青い稲妻のような攻めを見せるリズは、一瞬すれ違うジェステラーゼの顔に、わずかながら確かな苦渋の色を見て取った。
宙を縦横無尽に動くその原動力は、背に複数仕込んだ《風撃》の魔法陣である。これで強烈な推進力を得て、文字通り飛び回っているのだが……
この構想そのものは、魔導師の間では決して珍しいものではない。
ただ、試みがすぐに諦められてきただけだ。
これで飛ぶなど、正気の沙汰ではない、と。
恐怖心に負ければ大した速度を得られず、かといって力を入れれば、わずかなミスで即座に命を失いかねない。モノにするだけでも、命がいくつあっても足りたものではない。
こうした絶技を彼女が身に着けたのは、飛行船墜落事件を解決するにあたり、乗っ取りへの対抗として必要になるシチュエーションを想定しての事だ。
だが、こうした動きそのものは、実弟ファルマーズとの戦闘から着想を得ている。
(まったく、何が役立つものかわからないものね)
思えば、今回の敵ジェステラーゼも、ファルマーズと似たような戦闘スタイルをしている。
ジェステラーゼとの戦いでは、隕石を呼び出す《門》と灼熱の大蛇が主たる脅威だ。
彼自身の攻撃もまた、苛烈かつ精妙ではあるのだが……彼が相手と十分な距離を置く傾向にあるおかげか、リズからすれば牽制や足止めの域を出るものではない。
そうした攻撃で対応の手を迫ったところへ、本命の脅威が襲い掛かる。主たる火力を別に用意し、自身は余裕を持って動きながら、飛び道具で戦況をコントロールする――
これがファルマーズとの共通点である。
あの戦いと大きく違うのは、戦場が自分の縄張りではないこと。魔王フィルブレイスや、ルーリリラの手を借りれないことだ。
あの戦場特有の仕掛けに頼れない今、自分の手で状況を打開する必要がある。
執念深く追い回すリズに、ジェステラーゼも相当手を焼いているものと見える。彼はついに地に降り立った。その周囲を炎蛇が旋回し、リズの接近を阻もうとしている。
先程の突撃の連続で斬り殺せたなら何よりだったが、陸戦に移行すれば、それはそれでといったところ。彼に合わせ、リズも地面へと降り立った。
言葉をかけるほどの余裕もないのか、ジェステラーゼは無言だったが、それはリズも同じことだった。先の連撃により、若干息が上がる感じがある。
しかし、そのおかげで敵を地に引きずり降ろせたと見れば、十分に実のある取引だった。
これで、空という逃げ場を、相手の選択肢から排除できたように思われる。胸中で跳ねる鼓動の中に、確かな手ごたえを覚えるリズだが……
『こうなっては、こちらから攻め切るのも難しいのではないか?』
『蛇を叩き斬れたらいいんだけど』
問題は、あの二頭の炎蛇だ。使い手にとっては攻防一体といったところ。安易な突撃を阻むだけの圧がある。あの難敵の弱点を知ることができれば――
リズは敵の方を凝視し、閃きを一つ得た。
『突っ込むわ』
『好きにせよ』
淡白な返答を返す魔剣を構え、リズは猛然と突撃を敢行した。
当然のように、これに反応する赤熱の双蛇。彼女の行く手を阻まんと立ちはだかる。
この赤い炎の壁を前に、彼女は大きく跳躍した。背負った魔法陣が、彼女を空へと力強く押し上げる。眼下に感じる巨大な熱量。だが、これから襲い掛かるには反応が間に合わない。
そこで、ジェステラーゼは機敏に対応を示した。直進するリズから、サイドステップで軸をずらし――
彼の後方にあった《門》が、待ちかねたように質量弾を吐き出してくる。
(どうせ、そんなことだろうと!)
自身を迎撃せんと飛来する隕石を前に、リズは背部の魔法陣を巧みに操った。風の吸気と排気バランスを左右で大きく動かし、迫りくる質量弾をすんでのところで回避。
その時の彼女の目は、ジェステラーゼの両手に注がれていた。わずかに見える、赤くチラつく魔力の線。
炎蛇と彼を結びつける魔力線の存在を、リズは初めて視認した。
隕石を避けた動きを彼女はそのまま活かし、ジェステラーゼを間合いに収め、その場で高速回転して剣を一閃。彼もろとも、炎蛇との魔力線を断ち切る一刀である。
飛来する魔力の刃に、彼は――攻撃を受ける前に、二頭の炎蛇を解いた。すぐさま両手で刻んだ魔法陣は、《火球》と《風撃》。
リズへの意趣返しか、彼は暴風で一気に距離を取った。一閃で断ち切られた《火球》の爆炎が、風に巻かれて広がっていく。
たちまち覆われた視界を前に、リズは深追いを避けて引き下がった。風を操って後方へ。
再び地に足つけるリズに、魔剣が話しかける。
『これで仕切り直しか』
『仕切り直しですって? まさか。得たものはこちらの方が大きいわ』
爆炎が消え去ると、ジェステラーゼは再び紅き双蛇を侍らせていた。加えて、宙からは隕石放つ《門》も。
相変わらずの精度で襲い掛かる、天からの一撃。リズは見もせずにかわしていく。
『手の内わかれば、こっちのものよ』
その時、脳裏に囁く声。彼女は唇の端を吊り上げた。
『こちらには奥の手もあるしね』




