第284話 次のお誘い
あの馬車の一件以降、ヴァレリーとエリシアの距離が若干縮まった。少なくとも、エリシアに付いて動くリズの目には、そのように見えた。
とは言っても、単に仲良くなったというだけではない。思わず顔が渋くなってしまいそうな、政治や社会の話、あるいは国際情勢について、二人が真剣に語り合う機会が少し増えたのだ。
一国の第二王子であるヴァレリーに比べれば、エリシアは責任を負う立場にあるとは言えない。せいぜい、今回の滞在が重要視される程度のことだ。
そのため、ラヴェリアを代表して無責任なことを口走るわけにもいかず、おおむね聞き手に回る事が多い彼女だが……
控えめなところはそのままに、自分の意思を口にすることも増えたように思われる。
おそらく、ヴァレリーが直面する問題に対し、彼女自身も友人の一人として向き合おうとしているのだろう。
さすがに、彼女の見識は生まれ育ちを思わせるものがあり、この点をとってもアスタレーナが今回の招待に応じるだけのことはある。護衛として横で話を聞くリズは、しばしば感心するのであった。
こうしてエリシアの意識が明確に変わったこと、ヴァレリーに話し相手――それも、他国の客観的視座を持つ友人――ができたことは、あのアクシデントの予期せぬ副産物と言えるだろうか。
結局、あの事件に関して、続く動きは何もなかった。ラヴェリアから非難も糾弾もなく、ルブルスクから謝罪も検証もない。双方ともに、このまま黙っておくのが得策と考えたのだろうか。
暗黙の内に意見の一致を見せた中、リズとしては、仲間たちを動かして探りにくい。
だが、それはそれで良かったのかもしれない。そう考える自分を、彼女は自覚していた。
というのも、色々探りを入れていく相手として、このルブルスクという国は予想以上に難儀な相手のように思われたからだ。国家上層部の秘密主義があるおかげか、市井にまで情報があまり降りてこないのも厳しい。
それに、変に深入りして刺激するよりは、同じようなことが起きないようにと警戒するのが先決だろう。
これでもし、本当に事故でも起きてしまえば、それこそ取り返しがつかない事になりかねない。
☆
9月22日、昼。ルブルスク滞在も後半に入った、ある日のこと。エリシアの居室にて。
情報戦においては大して進展はなく、しかし、ヴァレリーとエリシアは今日も仲良く政治談義している。
これはこれで、招待の主目的を果たしているように思われるが……見目麗しき若い男女が、昼間っから屋内で交わす話題にしては、いささか――
「興趣にかける感は、あるかもしれません」
「……そうか。うん、済まない」
ふとした拍子、口を挟んだ護衛隊長クラークの言葉に、ヴァレリーは申し訳無さと素直さ入り交じる苦笑いで答えた。
「エリシアが、こういう話でも付いて来てくれるから、つい甘えてしまったみたいだ」
「私としては、その……こういった話を聞かせていただくのも、良い経験と考えていますが」
他国の事情や王子の悩みについて、変な表現はできず、エリシアも言葉を選んだものと思われる。
ただ、彼女が良い経験と考えているのは事実としても、最近はあまり外に出て……ということがない。要らぬトラブルを避けているという事情もあるのだが。
こうした現状が続いていることに、ヴァレリー自身も思うところはあったようだ。彼は居住まいを正し、今日の用件を切り出してきた。
「実は、外出のお誘い……のようなものがあってね」
「ような?」
はっきりしない様子で口にしたヴァレリーからすると、そこまで気が進まない案件なのだろうか。切り出された話に、リズは注意を傾けた。
実際、お誘いの内容というのは、そこまで色気のあるものではなかった。
「実は3日後に、我が国初の飛行船の飛行実験があるんだ」
これを耳にしたリズは、「飛行実験」そのものにはあまり興味を持たなかった。気になったのはむしろ――
「ルブルスクで初の、飛行船ですか?」
「やはり、そう思うだろうね」
「不勉強なもので……」
若干恐縮した様子のエリシア同様、リズもその点がひっかかっていた。
飛行船として欠くべからざる、中核の巨大魔導石。その一大産地として業界シェアを掌握するこの国が、まさか飛行船の一隻も保有していないとは。
しかし、さすがにラヴェリア外務省の諜報部員たちは、こうした事情にも詳しいらしい。ヴァレリーの話を耳にしても、取り立てて反応を示さない。
「我々も、今回の一隻が最初だと聞き及んでおります」と、隊長が微笑を浮かべて情報のお墨付きを与え、ヴァレリーは「どうも」と苦笑いした。
その後、ルブルスクの王子自ら、当国の飛行船事情について話していった。
まず、飛行船を今まで建造しなかった理由として、主力産業が鉱業であることが大きい。重量物を大量に運ぶとなれば、船便の方がずっと効率的なのだ。
加えて、一回あたりの取引高を考えると、技術的に確立の度合いが段違いに高い船便の方が安全ということもある。
他の理由は、この国の立場から来るものだ。
「ルブルスクみたいな国が、飛行船を持てば、他国との結びつきが一気に強くなるかもしれない。そうなると、どこかの国がうるさいものでね……」
「なるほど……では、今回の建造というのは……」
明らかに、言葉に迷うエリシアに、「許可は得ているらしいよ」とヴァレリーはやや自嘲気味な表情を浮かべた。
実のところ、親ヴィシオスの姿勢を維持する伝統派にとっても、脱ヴィシオスを目指す新進派にとっても、空路開拓は意義のあることだ。
伝統派にしてみれば、”親分”に売る何らかの情報を得る機会になり得る。
新進派にとっては、海の外との結びつきを得る事が、国の上下両方への意識変革に繋がる好機になり得る。
そうした諸々を勘案の上、秘密裏にお許しをもらっているというわけだ。
対ヴィシオス事情以外にも、ルブルスクが飛行船保有から遠ざかっていた理由はある。
というのも、裏でヴィシオスと繋がっているものと目されるこの国に対し、飛行船という一大技術の共有を行うことに、海外の諸国が及び腰になっていたのだ。
伝えた技術を、ルブルスク経由で盗用されるだけならば、まだいい。
最悪なのは、知られた技術の穴を見つけられること――そこを突かれて、大惨事が起きることだ。
国際交易を推進させるマルシエルも、ルブルスクへの技術共有については、一貫して極めて慎重であった。協調志向のマルシエルにとって、唯一とも言える明確な敵対国家、ヴィシオスの存在を警戒してのことだ。
そのため、ルブルスクで作られたという飛行船も、多くはヴィシオスとその支配下にある各国から伝わった技術で作られているという。
ヴィシオスと、その取り巻きの関与があるという飛行船に、エリシアは尻込みを見せている。
「ちゃんと飛ぶよ」と言うヴァレリーも、そこまでの自信はなさそうだ。
「実際、君のようなお嬢さんをお連れするには、あまりに味気ない用件のように思えるけど……これぐらいしか目立ったイベントがなくてね」
「国家の威信の場でもありますから、何か起こればコトですね」
淡々と指摘する隊長に、ヴァレリーは我が意を得たりとうなずいた。
さすがに、こういった場でトラブルを起こそうという愚か者は、まず居ないだろうというのだ。
「不審者がいないか、現場でも厳重に見張るからね……そう言うと、楽しいイベントからさらに遠ざかるようだけど」
と、困ったような笑みを浮かべるヴァレリー。
リズは、その背を押してやることにした。
「ですが、ご自身は象徴的な出来事を見届けたいと、そうお思いなのではありませんか?」
「象徴的か、よく言ったものだね」
ヴァレリーは瞑目し、軽く息を吐いた。
「我が国単独の意志で、今回の飛行船が浮かぶわけじゃない。浮かんだって、見えない鎖で繋がれている。それでも……きっと、意味のある前進だと思う」
そして彼は、腹が決まった顔になった後、柔らかに微笑んだ。
「そんなに面白くはないだろうけど、一緒に来てくれないかな」
この明け透けで飾らないお誘いに、エリシアはただ柔らかな笑みで答えた。
「はい」




