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第283話 ルブルスクの父子

 王都からの外出した同日、夜。ルブルスク王城、玉座の間にて。

 ヴァレリーは父王エルネストと対峙していた。

 王の指示により、他の者は外している。父と子二人きりだが、和やかさはかけらもない。張り詰めた緊張が場を満たしている。


 この場には、ヴァレリーが自分の意志でやってきた。本日の一件、馬車が急に暴走した事を報告し――問い詰めるためだ。

 今回の外出に関しては、お忍びのためという事情があり、事を知っているのはごくわずか。

 その中には、この父王も含まれる。


 かねてより、ヴァレリーと父王は政治的に意見が対立している。その点において、動機は十分にあるのではないか。

 加えて、他人の顔色をうかがうように国際社会を生き抜いてきた、このルブルスクという国にあって、ラヴェリアの不興を買うような一手を打とうものならば……容認されがたい越権行為である。

 だからこそ、今回の事故が仕組まれたものならば、よほどの権力者による下命があったのではないか。

 すなわち、国権そのものと言える、この父の――


 二人きりの空間で、ヴァレリーは強い動悸を感じていた。

 まずは報告を済ませたものの、これに目立った反応を示されることはなかった。王はただ一言、「そうか」と口にし、淡々とした口調で続ける。


「ラヴェリアへの対応に関しては、外務と協議の上でお前が責任を持って遂行するがいい」


「……御意」


 他国の貴族令嬢に、万一が起こりかねなかったというのに、まるで他人事である。

 泣く子も黙る大列強に対し、粗相があったとして驚愕するか、あるいは激昂するか。何らかの感情の発露があっても、おかしくはないのだが。


――こうした態度でいられること自体、あらかじめ想定するものがあったのではないか?


 問い詰めるための証拠は、ない。おそらく、探し出したとしても見つかるものではないだろう。手がかりの刺激臭も、現場ではすでに逸失しているのだから。

 しかし、証拠がないとしても、問い詰めないわけにはいかなかった。事はすでに動き出している。

 今や、主導権を奪い合う状況にあるのだ。


「陛下。今回の一件、私が一報入れる前からご存知だったのでは?」


「いや、お前の話が第一報だ」


「その割には、驚かれませんが……」


「今回の滞在で、何かしら不意の出来事が起こるのではないかと、考えていたのでな」


 話しぶりは実に落ち着いたもので、隠し事をしているような素振りを見せない。

 だが……迷う自分を意識しつつ、ヴァレリーは本命の問いを発する決意を固めた。

 それが、父との決裂を意味することになろうとも。


「陛下が御自ら、何かしらの事故を仕組むようにと、下知なされたのではありませんか?」


 口から心臓が飛び出そうな高鳴りに襲われるも、ヴァレリーは父をまっすぐ見据え続けた。逃げの姿勢を見せてはなるまい、と。

 一方の王は、実子にこのような嫌疑をかけられてなお、感情の動きを見せないでいた。

 この父の有り様に、ヴァレリーの中で様々な感情がもつれ合う。「やってしまったか?」という若干の後悔。自身と対比し、あまりに落ち着き払って見える父への、言いがかりじみた怒り。

 そして、かすかな憧憬のようなものも。


 せめぎ合う感情の波に、なんとも言えない戸惑いを覚えているヴァレリーに、王は言った。


「それだけの発言を口にするならば、相応の何かを(つか)んでいるのだろうな」


「……状況からの推察です。陛下がそのように仕向けられたと考えるならば、話が(つな)がるように思われましたので」


 すると、王は視線を外し、「話にならんな」と切り捨てた。


「し、しかし! 偶然として片付けるのは、あまりに出来すぎた状況です! 加えて、危険を貸してまで命を下せるとなれば、それは父上のような権力者にしか……」


「それで証拠を用意できぬ(・・・・・)のが、お前の限界だ」


 冷ややかに応じた王は、少し間を置いて問いかけた。


「仮に、余が今回の事故の背後にいたとして、お前はどうしたいというのだ?」


 暗に認めるような言葉。これにいくばくかの戸惑いを覚えつつも、ヴァレリーは答えた。


「……これ以上の手出しはなさらないようにと」


 実のところ、この程度のことしか言えないのが現実であった。まさか、他国の貴族令嬢が滞在中に、王室周辺で政争を起こすわけにもいかない。

 となると、滞在を穏当に済ませるため、対立勢力への対応もまた、控えめなものにならざるを得ず――

 その辺りの機微を見透かしたように、王は鋭く突いてきた。


「それは陳情か? それとも警告か? お前自身、交渉の体を成していると思うのか?」


 煮え切らない部分を責め立てる言葉に、ヴァレリーは怒りを覚えながらも、どうすることもできないでいた。

 実際、問われたものに答えるだけの、単純明快なスタンスを持ち得ないのだ。この国の、絶妙なバランスの上に立ってしまっている現状を思えば――

 だからこそ、それを重々承知していながら責める王の言葉に、ヴァレリーは拳を握って震わせた。


 そして……この父は、自分の数歩先に居ると思い知らされることとなる。


「お前は発想の出発点が間違っておる。あのご令嬢を、本来の期間滞在させることを第一としているのであろう?」


「それが間違いだと仰るのですか?」


「帰国させた上で、かの国の不興を買ったとして、今回の事件を仕組んだ者を糾弾すれば良いではないか。お前がラヴェリアと秘密裏に手を組み、外圧をかけさせることもできよう。下手人を引き出させ、それで手打ちだ」


 そういった事の流れを、ヴァレリーも決して考えていなかったわけではない。

 だが、そこまでの強権を振るってしまうのは、あまりにこの国の政治的風土から逸脱しているように思われたのだ。それに――


「そのようなことをすれば、あのヴィシオスに事の流れを感づかれるのでは」


「感づかれないようにと、関係者を抱き込めば良い。それができる器であるのならな。それとも、そのようなこともできぬ者が、あのラヴェリアと(よしみ)を通じようとしていたというのか?」


 侮るような、あるいは発奮を促すような……ヴァレリーは今、普段は感じさせない威厳を父の中に見た。

 返す言葉もなく、ただ不甲斐なさに打ち震える彼に、父の言葉が響く。


「お前も良く知っていようが、我が国はヴィシオスという大国の近隣にあって、可能な限り事を穏便に済ませようと立ち回ってきた。我が国がそうあることが、あの国にとっても何かしら好都合ということもあってな。穏当に済ませたがる事なかれ主義は、国を動かす者共の骨の髄まで染み込んでおる」


 そして彼は、どこか遠い目でため息をついた後、「我らも、お前たちもそうだ」と言った。


「いかに新進派を名乗ろうと、風習まで一度に改められるものではない。お前たちは、遠からぬ破滅を前にして、ヴィシオスから距離を取ろうという。その考えの是非を、今ここで問うつもりはない。しかし、お前たちもまた、他者の顔色をうかがわねば生きていけぬ。『穏便』というものに飼いならされておるのだ」


 反論ままならず、ヴァレリーはただ、父をまっすぐ見据え続けた。やや上目遣いになりそうな自分に、内心で唾棄する気持ちを(いだ)きつつ。


 国と王侯貴族、重臣たちの根底にはびこる病魔を、この父王は良くわかっているのだ。

 ヴィシオスを刺激すまい、それでいて他国には鉱石を売らねばならぬ。国民を豊かに住まわせるために――

 そうした代々の思いが、他国の顔色をうかがい、強く出られない国を生み出した。

 この当たらず障らずな態度は、難しい立場のこの国に、微妙なバランスの上で成り立つ繁栄を確かにもたらしもしたが……

 今になって、宗主とでも言うべきヴィシオスから距離を取る判断に、大きなブレーキを掛けさせている。

 他国に対してではなく、身内同士での政治闘争ですら、どこか及び腰になってしまうほどに。

 ヴィシオスに気取られないようにという事情もあるが、それは言い訳でしかないのかもしれない。


 本当は、大きな衝突そのものを避けたいだけではないのか。


 思えば、この場で父に対して強く出られないのも、自身の中に甘さがあったからではないか。ただただ力押しすれば良いものではないとしても、最初から負けている部分はあったのではないか。

 至らなさ、不甲斐なさに、ヴァレリーはわずかに顔を歪めた。

 これでは、あの異国の友に合わせる顔はない、と。

 そうして、自分自身の有り様に打ちのめされる彼に、父王はこの場で初めて優しい声音を発した。


「お前だけに非があるわけではない。お前は我々を見て育ったのだからな。その割に、お前に気骨あることを嬉しく思わないでもないが……残念ながら、この国の現状を思えば、今のお前でもいささか足りぬようだ。お前の今を知っていれば、私にも別の生き方があったろうが……」


 そして王は、深いため息をついた。

 ヴァレリーは、何も言えなかった。


 二人きりの玉座の間に、いたたまれない沈黙の時が流れていく。

 やがて王は言った。


「もう下がりなさい」


「……はい」


 一国の王らしくはない、一人の父親を思わせる言葉に、ヴァレリーはただ静かに答えた。

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