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第281話 目撃者

 王都から湖へ続く街道にて――

 一人の男が血相を変えて走っていた。取り立てて特徴のない旅装に身を包む、30代ほどの男だ。

 彼はあえて整備された道の上を走らず、人目を(はばか)るように並木の影を駆け抜けていった。地面を埋める落ち葉の絨毯が、彼の一歩一歩に小気味良い音を立てる。

 脇目も振らずに駆け抜ける男の額から、とめどなく汗が流れ落ちる。焦り、困惑、恐怖。様々な感情をその顔に(にじ)ませながら……


 すると、彼の目の前で衝撃音。道に積もった木の葉が弾け飛ぶ。

 粉々になった赤いものが舞い踊り、バランスを崩した男は前につんのめった。幸い、木の葉がクッションとなって、転がる彼を受け止める。

 何回か回転し、落ち葉まみれになった彼は、わけもわからないままに立ち上がろうとするが――

 またしても衝撃音、砕けて飛び散る枯れ葉を前に、彼は怖気づいて腰が抜けた。

 首の自由もままならず、硬い動きで辺りに視線を向けるのがやっとである。


 そこへ、横の丘陵から投げかけられる声。


「動くな。次はお前に当てる」


 朗々とした良く通る、青年の声だ。

 これに逆らうこともできず、男は誰もいない方に、ただ無言で何度もうなずいた。


 そこへやってきたのは……アクセルである。


「危害を加えるつもりはない。そのまま、指示に従っておとなしくするんだ」


 最初の警告よりは少し柔らかな口調で話しかけるも、男は恐れおののいたまま震えている。

 これはきっと、この脅しによるものだけではないのだろう。

 目撃者(・・・)らしき彼は、アクセルが警告を加える前から、何かに追われんばかりの勢いで動いていたのだから。


 アクセルが疑わしき人物を確保して少しすると、街道から増援がやってきた。馬に乗ったマルクと、その後ろに相乗りするニコラだ。

「お疲れ」と、まずは(ねぎら)うマルク。


 実際、アクセルはかなり疲れるポジションにあった。他の誰にも気づかれることなく、例の馬車を尾行していたのだから。

 事が起きるまで、馬車がまったりと進行していたのが幸いというところか。

 負担があったのはニコラも同じ事で、彼女は馬をマルクの手に委ねる傍ら、《憑依(ポゼッション)》で上空から馬車の様子を観察していた。

 そして、トラブルの発生を確認し、近隣の別ルートからここまで合流してきた……というわけだ。


 まとめ役とはいえ、馬を操るだけに甘んじていたマルクとしては、「聴取ぐらいは……」という思いがあった。

 さっそくアクセルと交代し、彼は目撃者の前で片膝をついた。


「実は、この辺りを上空から観察していてな。何か、見たんじゃないか?」


「し、知らない」


「誰かから金もらって、あの辺りにいたんだろ?」


 この男は、明らかに素人だろう。面白いほどに――そう思ってしまうのが気の毒なほどに――わかりやすい反応を示してくれる。

 明らかに図星といった様子の彼に、マルクは言葉を続けていく。


「つい最近……ああいや、ちょっと前から、なんだか羽振りのいい奴と付き合いがあった。つい先日、妙な話を持ち掛けられて……そうだな。『この辺りを馬車が一台通るはずだから、様子を見てほしい』とか言われた。なぜか、結構まとまった金を提示されて……」


 言葉を重ねるほどに増していく男の狼狽(ろうばい)に、マルクは手ごたえとは別に強い同情も覚えた。

 おそらく、この男性もまた、“巻き込まれた側”に近い立ち位置なのだろう。


 続けて「王都住まいか?」と尋ねるも、息の荒い男は怯えた目で見るばかり。


(ああ、しくじったか……)


 特にそのような(・・・・・)含みを持たせた問いではなかったのだが、居場所を聞けば恐れられて当然である。

 同僚二人も、このミスには気づいたようで、ニコラからはいささか冷ややかな視線が。

 とりあえず、この場を離れた方がいいだろう。マルクは「立てるか?」と尋ねた。


「別に、俺らはあんたの敵ってわけじゃない……たぶんな。こんなところで話すのも何だし、まずは王都まで送ってやるよ」


 とは言ったものの、すぐに応じようとはしない男だが……

 いつまでもこうしているわけにもいかないと、わかってはいるのだろう。わずかに声を震わせながら、彼は「頼む」と答えた。

 ただ、ここまで見聞きしたものの衝撃が抜けきらないようで、体はまだ力が入らないらしい。同僚と協力し、彼を立たせて馬に乗せていく。


 そうして一行は、馬車が通ったのとは別ルートを通り、王都へと進み始めた。ニコラが紐を引いて馬を導き、アクセルは一行に先駆けて警戒。マルクは目撃者の傍らで歩いていくというフォーメーションだ。

 気が気ではないだろう目撃者の心境とは裏腹に、傍目に見れば道はなんとも長閑(のどか)なものだった。

 赤々とした並木と、色づく山々。時折、風が吹いて落ち葉を巻き上げる。自然美の中に、移ろいゆく物事の儚さや寂寞(せきばく)を感じさせる。


 目撃者の気持ちも、程なくして少しは落ち着いてきたらしい。かなりためらいがちながらも、彼は初めて自発的に口を利いた。


「あ、あんたらは、何者なんだ?」


「難しい質問だが……念のための見張りってところか」


 答えたマルクは、相手の反応に注意を傾け、会話を進めていく。


「あの馬車に乗っていたのがどういう人物か、知らされていたか?」


「いや、何も……」


「そうか。具体的なことは言えないが、あの馬車には他国からお忍びでご滞在中の方が乗っていらしてな。外出のお相手として、国からも相応に立場あるお方がご同乗だった」


 ここまで言うと、目撃者は一気に顔色が悪くなった。そういったことを知っていて黙っていたから……ではなく、そういった重大事に巻き込まれたのだと、今更ながらに気づいたからか。

 彼の様子から、何も知らされていなかったであろうという前提の元、マルクは話を続けていく。


「ただ……今回のご訪問について、快く思わない連中もいてな。かといって、あまり乱暴なことはできない。だから、あるとしたらちょっとした嫌がらせぐらいなんじゃないか。そういう予想があって、俺たちが見張りに動いていた」


 あまり具体的なことは言わず、しかし真実に沿ったものを口にしていく彼の横で、目撃者は深刻な顔をしながら身を強張(こわば)らせた。

 (さら)してやれる手札には限りがある。マルクは思考を巡らせ、相手の良心を後押ししにかかった。


「ま、色々と立場があるのはわかるけどな。だとしても、他国からのお客様に対し、ああいう粗相を仕組んだなんてもってのほかだろう。せっかくの休日だったろうに、なあ。そうは思わないか?」


 すると、目撃者は逡巡(しゅんじゅん)しながらも、「何も、知らなかったんだ」と口を開いた。


「それは疑わないさ。妙な話を持ち掛けられて……素直に従っただけなんだろ?」


「……ああ」


「安心しな。あんたの事が知られないようにするし……乗っていらした方々も、あんたの事は恨みやしないだろうさ。そういう、器の大きいお方だからな」


 具体名を出したわけではないが……かなり柔らかに接するマルクの態度に、主人らしき人物の寛容さを感じたか。切迫感のある恐怖は少しずつ収まり、わずかながら安堵していくように見受けられる。


 ややあって、目撃者は「実は……」と切り出した。

 彼によれば、つい先日のこと。前の仕事で世話になったとある男性から、妙な依頼を持ち掛けられたという。

 何でも、「この街道を馬車が通るかもしれないから、それを見張って確認してほしい」というものだ。目にしたものが何であれ(・・・・)、とりあえず全て伝えてほしいとも。

 単なる見張りにしては報酬の金額が大金だったことに、やや不信感を覚えたのだが――

 その場で尋ねたところ、返ってきたのは「さる人物の不貞調査の一環」というもの。

 ならば公にはできないわけだと、その場ではすっかり納得したのだが……


「ま、まさか……馬がいきなり暴れ出すなんて、考えもしなかった」


 浮気の見張りだったのが、いきなり血を見る惨事になりかねなかったのだ。思っていたものとのギャップに、すっかりゾッとしてしまったという。

 彼からの話を受け、マルクは思った。


 偶然にしては出来すぎている。浮気調査というのはダミーであろう。

 ただし、この口実自体は、今回の状況を考えれば中々妥当に思われる。ピーク期を前に、やや人気が落ちる景勝地へ、ゆったりと馬車が進んでいく。

 これはいかにも(・・・・)といったところであろう。

 それに、何らかの理由で馬車か馬への仕掛けが作用しなかったとしても、それでこの見張りに怪しまれるということはない。

 ただ単に、嫌がらせがうまくいかなかったと判明するだけだ。


 リズから事前に得ていた情報と照らすと、ヴァレリーから外出の提案があってこれまで、対立勢力に与えられた時間は多めに見積もって1日程度か。

 それでも、これだけの――露見リスクを抑えた嫌がらせを仕掛けてくるとは。


 マルクは、今回の出来事とルブルスクという国の有り様に、強い関連性を感じた。

 ヴィシオスの事など、どこにも感じさせない王都。かの国との付き合いに関し、対立している政治闘争も、国民には気取られないまま。

 暗闘の秘匿性には、本当に徹底したものがある。

 今回の一件に関し、ド素人に事の確認を任せるというのは、万一の鉢合わせを嫌ったリスク管理の結果であろうか。


 加えて……事の背景を知っていれば、点と点を結ぶ線が浮き上がりはするものの、傍目には馬が急に暴走を始めたようにしか映らない。

 リズの側での検証など、まだ知る由もないマルクだが……なんとなく、明確な証拠など残っていないのではないかと感じた。

 確たる証拠などなく、匂わせるキナ臭さだけが十分にあるように。

 となると――目撃者が遣わされたという事実そのものが、この状況で大きな判断材料になるのでは?


(消しにかかるってことはないだろうが……)


 哀れにさえ見える目撃者に、マルクは目を向けた。


「こう言っても難しいだろうが、王都に着いてからは普段通りに生活した方がいいな。じゃないと、依頼主に怪しまれる」


「み、見ちゃいけないものを、見ちまったんじゃ……」


「そうだな……業界人からの忠告だが、依頼主に嘘をつかない方がいい。どうせバレるからな。怪しまれるより、正直に答えて……『こういうのはこれっきりにしてくれ』とでも言えばいいさ。人が傷つくところは見たくない、だろ?」


「あ、ああ……そうだな。その通りにするよ」


 悄然とした様子の彼は、沈んだ口調で答え……深刻な表情でうつむき、体を小さく振るわせた。「こんなことになるなんて」と、彼の口から後悔が(こぼ)れ出る。


 そんな彼を横目に、若干申し訳なさを感じるものの、マルクは仕事を優先することにした。

 まだ聞けていない情報を得るために。


「依頼主とは、前職で知り合ったって言ってたな」


 切り出された話題に、目撃者はハッとした表情になって身を起こした。彼に苦笑いを返し、マルクが断りを入れる。


「いや、そいつの事を聞きたいんじゃなくてさ。前職って何だったんだ? 言いたくなけりゃ、言わなくてもいいけどな」


 無理に吐かせるよりは信頼を得る方が得策と考えて、無理に詰問することはしない。恨みを買って告げ口されても困る。

 あくまで友好的な態度を崩さないマルクに、目撃者は即応こそしないが拒絶もしない。いくらか迷う素振りを見せ……


「魔導石鉱山で働いていた」


「そうか……言っちゃ悪いが、現場で働かされる方だろ?」


 ″される"という使役のニュアンスを強く口にするマルクに、彼は小さくうなずいた。


「実は俺……ヴィシオスで生まれ育ったんだ」



 結局、目撃者とは王都が見えてくる少し手前で別れた。

 どこから監視されるかわかったものではなく、安全が確認できている内に別れようというわけだ。

 馬から降りた彼は、何回かマルクたちに振り向いた後、複雑な面持ちで小走りになって王都へと向かっていった。

 その背を見送り、十分に距離が開いたところで、彼が視界から完全にはいなくならないように動き出すマルクたち。

「どうします?」と尋ねるアクセルに、マルクの顔が少し渋いものに。


「深入りするのは、どうもな……国自体が用心深いように感じる。積極的に諜報活動してる感じではなさそうなんだけどなぁ」


「ですよねぇ。うまくやれば、良い情報源に(つな)がりそうですけど……だいぶリスキーな感じがしますし。リズさん側に響くんじゃないかって気もしますね」


「だよな」


 と、少しばかり尻込みして見せるマルク。王都に向かって静かに歩いていく中、ややあって彼はアクセルに言った。


「あいつを張る意味はあると思う」


「わかりました」


 自分の仕事だと察しがついているのだろう。実際そのつもりでの声掛けだ。リズに代わる立場から、マルクはもう少し考えを口にしていく。


「自国民に危害を加える国とも思えないけど、念のためにな。依頼者らしき奴が確認できれば上々ってところか」


「それ以上の深入りはしない方向ですね?」


「ああ。リズの方でも何かしら情報はあっただろうし、まずはすり合わせか。確認のために遣わされた奴がいたというだけで、事故ではなかったと判断する材料の一つにはなるだろ。リズとのやり取りが終わるまで、できる限りあいつから目を離さないように頼む」


「了解です」


 頼もしい微笑を浮かべて返してくるアクセル。しかし……やや難しい表情になり、マルクは首をひねった。


「どうしました?」


「いや……なんていうか、リズもアクセルも、一応『お忍び』ではあるんだよな……」


 ふとした拍子に忘れそうになるが、仲間内にはラヴェリア国王の血を引く存在が二人もいるのだ。

 この国も、情報戦では中々の難敵に思えるが……こればかりは完全に想定外だろう。

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