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第273話 外出のおさそい

 ルブルスクでの生活が始まり、何日が経過した。エリシアに護衛が付き従っての王都散策。ヴァレリーや政治の要人等を交え、親善としての会食。たまにヴァレリーとお忍びで、やはり王都で街歩き――

 もちろん、護衛(コブ)と遠巻きな警戒つきで。


 そんな日々は、平穏無事そのものであった。何事もなかった理由は、いくつか考えられる。

 まず、ルブルスクの政治主導部や、それを構成する者たちの思考。長らく穏当に事を済ませてきたであろう彼らは、やはり様子見の段階にあるのではないか。

 ラヴェリアからやってきた貴族の娘が、今のところは本当に外遊程度の動きしかしていないおかげで、積極的に干渉する理由に乏しいということもあろう。

 それと、この滞在を穏当に済ませようという、両国の公務員たちの努力が実を結んでいるか。


 ただし、護衛サイドからは見える動きに乏しい現状だが、リズの一味ではそれなりに収穫があった。

 彼女が立食パーティーで得た縁が、さっそく機能した。王都に居を構える老舗の貿易商に、リズの個人的な知り合いという名目で、マルクらが接触。商談ついでに、この国と周辺について、いくらかの情報を得たのだ。


 得られた情報は、リズが事前にペトラから聞いていたものの裏付けであった。

 国一番の稼ぎ頭である魔導石市場は、取り扱いがない商人にとっても重大な関心事であり……近頃は懸念すべき動きがある、と。海外の諸国との取引量の変化や、価格高騰。

 加えて、新規開発鉱山での黒いウワサなどだ。

 現地の商人から、内密にという形で聞き出せたこの話は、事前の情報に大きな信憑性を与えた。他国との微妙なバランスの上に成り立つ、この国の現実が浮き彫りになる。

 ただ、情報としては未だ断片的であり……あくまで護衛が本業のリズとしては、市場の情報と、それぞれの政治派閥を結びつける何かが欲しいところ。


 平穏に済んでいる日々の中、贅沢にも物足りなさを感じてしまうリズではあったが……同様の想いは、ヴァレリーの側にもあったことだろうと、彼女は察していた。

 エリシアとともに行動している時の彼は、表面上は穏やかに一時を楽しんでいるように映る。

 とはいえ、遠巻きに彼らを囲う護衛や、すぐ近くに控えるリズの存在に、何かしら思うところはあるようだ。時折、ふと物憂げな色が顔に差す。

 もちろん、余分なものが帯同しているのは致し方ないことと、彼自身も重々承知の事であろう。

 とはいえ、リズ自身、半ば邪魔くさく思われていると承知しながらも、ヴァレリーの心境はよくわかる気がした。


 何かこう――腹を割った話でもしたいのでは、と。


 リズとヴァレリー両方にとって幸いと言えるのは、エリシアがごく幸せそうにしていることぐらいか。

 もしかすると、そのように見せ続けようと、彼女は自分を律しているのかもしれないが。



 そんな日々が続き、9月13日。エリシアの居室に、ヴァレリーがやってきた。

 彼がこの部屋にやってくるというのは、実は初めてのことである。

 事前に連絡を取った上での訪問であり、エリシア側も正式に了承しているのだが、初めての事態にやや緊張が漂う。


 ヴァレリーはここまでの付き人を部屋の前に待たせ、単身で部屋に乗り込んできた。手には細長い筒状の紙が握られている。

 柔和な様子の彼に、護衛を代表するクラークもまた、穏やかな態度で彼に臨んだ。


「殿下。人払いが必要であればお伺いしますが」


「いや、残っていて構わない。というより、諸君の意見も参考にしたいかな」


 そう言って彼は、エリシアの近くにあるテーブルに、持参してきた紙を広げた。王都ロスフォーラ近辺の地図である。

 なんとなく話が読めたリズの前で、ヴァレリーは少し苦笑いした。


「エリシア、君はこの王都を見ていて、少し物足りなく感じなかったかな?」


「そのようなことは……足を運ぶたびに新鮮な発見があります」


 王族を相手に、やや盛った表現なのかもしれないが、実情からあまり遠くはない言葉だとリズは思った。

 ヴァレリーも、素直な誉め言葉だと受け取ったようだ。彼は柔らかに微笑んで「ありがとう」と応じた。


「ただ……これは私が見飽きているからかもしれないな。この王都は整然としていて、利便性はあるのだけど、面白みに欠けるきらいはあって」


「ふむ」


 この王都について、ちょっとした欠点を口にする異国の王子に、果敢にも隊長が相槌を打った。

 反発するにも同意するにも聞き流すにしても、取りようによっては無礼とされかねないところ。率先して彼がリスクを取りに行った格好である。


「地図で見てみれば、ひとかたまりとしての在り方を重視しているのは一目瞭然、さながら一個の美術品ですね。しかしながら、全体としての整った美のために、細部の自由な遊びは抑制されているようにも……それでも十分、楽しませていただいておりますが」


「いや、さすがだね、クラーク隊長。私が言いたいのはそういうことで……どこへ行っても結構均質な町並みでね。もちろん、それは平等や公平の表れとして誇らしく思うし、そこに息づく営みに実際は個性があるのだけど……」


 そこで言葉を切り、彼は小さなため息をついた。


「せっかくのお客様を、少し退屈させてしまうかなと思ったんだ。それに、王都以外にも見るべきものはあると思うしね」


 そこで、この地図の出番というわけだ。王都近郊のものだけに、そう遠出する考えではないのだろう。

 ただ、山がちな地にある鉱業立国だけはある。王都から多少歩いただけで、やや起伏に富む地形が現れる。そういったところが、「見るべきもの」なのだろう。

 こうした起伏に、追われる身を経験しているリズとしては、一抹の不安が拭えない。

 そんな彼女の心境をよそに、ヴァレリーは本題を切り出した。


「互いの立場を思えば、あまり遠出するべきではないと思う。ただ、自然豊かな地にあるこの国を知り、体験してもらいたいというのも本心なんだ。そこで、護衛の皆も含め、意見をと思ってやってきた」


 もちろん、護衛たちはラヴェリアの人間であり、このあたりの地理は不案内だ。それでも、地図を読む程度のことはできる。

「いくつか候補地をご教示いただけましたら」と口にする隊長に、ヴァレリーは快く応じた。

 まず、急峻な地形、森などは「疲れるから」という表現で避け、安易な道と目的地をピックアップしていく。


 そうして出てきた候補地に視線を落とし、リズは黙考した。

 広い平野こそないが、若干の丘陵と林程度であれば問題ないだろう。何もない平野にでも行けば、実際に何も起きないだろうが……それでは、何のためのピクニックなのやら。

 選び出された候補地に、護衛たちも強い懸念までは表明しなかった。

 候補地自体には、取り立てて言うことはない。問題は――

「殿下」と呼びかける隊長。


「何か?」


「これら候補地は、殿下が今お考えになったもので?」


「ああ。こういった話を持ち掛けること自体、他に知る者は居ないよ」


「さすがに、殿下からご一報もなされないままに、外出というわけにもいきますまいが……」


「もちろん。お忍びということで秘す必要はあるが、あくまで他国のご令嬢を連れての公用だ。最低限、必要な者には連絡し、承認を得ておくよ」


 すなわち、現時点ではここだけの話。事が決まったとしても、追加でこのことを知る者はごくわずか。

 それに、この場になってヴァレリーが話を持ち掛け、行き先については護衛の意見を参考にしようというのだ。


――これで何か起きるようであれば、疑わしき者は自ずと限られる。

 それも、かなり狭い範囲で。


 それに加え、ラヴェリア側の心証を害するリスクを負ってまで、仕掛けに来られるものだろうか?


 地図を眺め、思考を巡らせていくリズ。

 すると、隊長が彼女を一瞥(いちべつ)した後、口を開いた。


「王都を離れてのせっかくの羽休め、護衛を連れて出ても煩わしいだけとは存じます。それでも、せめて一人ぐらいはと考えるのですが」


「君の言うとおりだ。むしろ、私の方からもお願いしたい。同行をお願いするのなら、エリザベータ嬢が適任ではないかと思うのだけど、どうかな?」


 話を振られ、エリシアはすぐに「私も、ご一緒できれば……嬉しく思います」と言った。

「安心」などの単語は、あえて避けたように思われる。

 この両名の言葉を受け、隊長は改まった様子で言った。


「当人と意識のすり合わせをしたい事項が……少々お借りするお許しをいただきたいのですが」


「ああ、遠慮はいらないよ。あなた方のことは信用している」


 裏のなさそうな顔は穏やかだが、真剣な眼差しを向けてくる彼に、「痛みいります」と、隊長は頭を下げた。


 そうして別室へ入るや、隊長は軽く息を吐いた。


「私が主導する部分も多くなってしまいましたが……どう思われますか? 事の是非や、懸念など。何か考えがあれば」


「了承すべきかとは思います」


 一言目で肯定した後、リズは所見を述べていった。

 まず、王都を離れること自体に、何かしら考えがあるように思われること。ヴァレリーの真意を(つか)む良い機会かもしれない。

 単に、エリシアを楽しませようという無邪気な善意によるものかもしれないが……


「いずれにせよ、ラヴェリアに対しての好意的な感情から来るご提案かと思います」


「なるほど。無下にするべきではない、と」


「はい」


 この見解には、隊長も微笑を浮かべて首肯した。

 続いての懸念だが……少し間をおいて、リズは言った。


「殿下と今回の訪問に対し、快く思わない勢力があるのは実際のところのようですが……何か手を下せば容易に絞り込まれる状況でしょう。それを押してまで、大それたことを仕掛けるとは考えにくいように思います。ですが……」


「大それていない程度のことであれば?」


 言葉を探す間に割り込んできた隊長の発言に、リズはいくらか驚かされる思いであった。

 どうやら、向こうも同じような懸念を(いだ)いているらしい。彼女は考えを口にした。


「何かしらの嫌がらせは、あり得るのではないかと思います。偶然を装うようなアクシデントも」


「なるほど……いや、あなたが直近の護衛で心強いですよ」


 実質的に、この件ではアスタレーナ代理とも言える隊長からの、ありがたい賛辞。

 しかし彼は、柔和な顔立ちから、少し皮肉めいた笑みを浮かべていった。


「恥ずかしながら、職業病のようなものがありましてね」


「何でしょうか」


「実際にどうなるかは不明ですよ。何事も起きなければ、それに越したことは……いえ、正直に言うと、多少(・・)の事ならばと思う自分がいるのです。エリシア嬢の器を出ることがない程度の不都合であれば、それが今後の糸口になるかも、と」


 この、自身の内面を打ち明ける吐露に、リズは言葉を失った。


「無論、我々も護衛です。エリシア嬢の身の安全が第一。しかしながら……情報収集、ひいては国のためであれば、あのご令嬢の無事を前提とする範囲で、ご不快な思いをさせてしまうリスクを、私は許容してしまうのです」


 ラヴェリアという大列強の、それも一人の王女が指揮する諜報部員が、正直なところをあらわにした。

 ある意味では、これは彼なりの誠意だったのかもしれない。彼の在り方そのものに、リズは批判する考えが沸かなかった。

 ただ、いくつか聞いておきたいことはある。

 半ば、答えが知れたような問いではあるが。


「アスタレーナ殿下は、あなた方の志向について、ご理解しているものと考えても?」


「部下の性質に頭が回らないお方ではありません。こうした判断を下すものとのお考えは、当然のようにあるかと」


「エリシア嬢に対し……若干のストレスまでは許容する、と。では、御身に何かしらの危害が及べば?」


「命に代えても、責任の所在を突き止めましょう。(てい)の良い道連れですが」


「……私がそばに居さえすれば、もしもの嫌がらせが“行き過ぎる”ことなく、場を収められると買っていらっしゃる?」


「お恥ずかしながら」


「まったく……」


 つい口をついて出た言葉に、リズは慌てて口を手で覆った。

 どのみち、今回の提案を蹴る道は、ありえないように思われる。エリシア自身、何かしらのリスクは許容した上で、この国への訪問を受け入れたのだろうから。

 それに、単に考えすぎということもある。「それでも」という単語が脳裏でささやく中、リズは尋ねた。


「隊長としては、ご提案を受け入れるお考えで?」


「はい。私の権限において、そのように。ご納得いかなければ、殿下の御前で表明していただくべきかと。それも外交というものでしょう」


 悪びれもなく言う、この見た目だけはあまりパッとしない年上の男性に、リズはため息をついた。

 言っていることにはグウの音も出ない。


「まったく、姉上は良い部下をお持ちだわ」


「お褒めに預かり恐縮です……今一度申し上げますが、余程の事態が生じる可能性は、極小と考えております。仮にあったとして、いささか肝を冷やす程度のアクシデントかと……一介の外交官としての山勘ですが」


「いいでしょう。信じます」


 はっきりと宣言し、またため息を一つ。渋い顔を少し伏せ、リズは気持ちを整えた。


「あなたが、今回の招待の隊長として、その責務を全うしようというのなら、私は自身に求められる仕事を全うしてみせましょう」


 この所信表明に、隊長は……建前上の部下を前にして、その間柄にはあるまじき所作で、片膝をついた。

 王侯貴族を相手にするように。

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