第272話 交錯
立食パーティーの後、エリシアの居室にて。
エリシアとリズの二人が部屋に戻ると、にこやかな顔の護衛隊長クラークが出迎えた。
「今回の席はいかがでしたか?」
「はい。気さくな方が何人も話しかけに来てくださいまして、思っていたよりもずっと居心地よく過ごせました」
「それは何よりです」
実際、いい意味で軽めの若い男連中が入れ替わり立ち代わりで――互いに牽制し合いながらやってきたというところか。
その様を思い返し、リズは思わず頬を緩めた。
軽薄というほどの感じはなく、ああいった場に呼ばれるだけの生まれ育ちを感じさせるだけの面々ではあった。
おかげで、エリシアにとっても過ごしやすいひと時だったのは間違いない。
とはいえ、情報収集も目的の一つである。外務省諜報部から出ている護衛としては、「平穏無事で何より」だけで終われないのだ。
話の矛先はすぐにリズへ。柔和な顔のまま、隊長が問いかけてくる。
「リズ殿の所見は?」
「お嬢様が仰るとおり、直接的にやり取りがあった方々は、ごく付き合いやすいように思われます。ただ、政治的な派閥としては中道、あるいはそういった意識さえないかと」
「なるほど。直接的でない方々のご様子について、何か気になるものは?」
さて、ここからの答弁が灘しい。
この護衛一行の中でも、リズは特殊な立場にある。情報戦においては、独立して動く第三勢力を彼女が率いており――
早い話、ラヴェリアの護衛たちとしては、リズ側の手口など知る由もない。それは、今回のパーティーにおける盗聴でも同様だ。
そもそも、盗聴法それ自体の危険性を考慮すれば、軽々しく明るみにできはしない。
なにしろ、こればかりはマルシエル政府どころか、リズの仲間たちでさえ知らないのだから。
となると、盗み聞いた心の事実を明かすことなく、それでいてそれらしい情報を共有する必要がある。当時を思い出す素振りを見せ、リズは考えを練った。
「私たちに向けられる視線に、何か気がかりな感じはありました。見た目に惹かれた若者ばかりでなく、立場有りそうなお歴々まで」
「接触し、直接素性を明かす前から、我々が何者であるかを認識されていたと?」
「その可能性があります。お若い方々を壁に使われた感も、今にして思えば」
「では、殿下のご様子は?」
「結局、放っておかれました」
端的に告げると、リズはすぐそばにいるエリシアの雰囲気が、わずかに沈んだような感じを覚えた。
この国へ呼ばれておいて放置されたのは事実であり、彼女自身、何かしら思うところがあってしかるべきだろう。
現時点で、そこまであの王子を気にかけているわけでもなかろうが。
呼ばれた賓客としての機微について、隊長も感づくものはあったらしい。彼は穏やかな微笑を主人に向けた。
「殿下からの接触があれば、これほどの出会いには恵まれなかったかもしれませんね。もとよりお忍びの身ですから、騒がしくならぬようにとご配慮いただけたものと思います」
「実際、殿下からチラチラ見られていた感はありましたね。遠慮というか、我慢なさったようにも……まぁ、邪推ですけども」
ヴァレリーとエリシア双方に対するさりげないフォローで、わずかな影も払拭できたらしい。やや冗談交じりな言葉に、彼女は柔らかに微笑んだ。
口頭での報告は以上だが、書類としての報告もということで、就寝前に一筆認めることに。
「お二人で書かれると良いでしょう」とは隊長の談。和やかな席だったという認識からか、そう肩肘張ることはない雰囲気だ。
報告事項は他にもあり、さほど情報面に得るものがなかったパーティーに比べると、こちらが本命かもしれない。
「王都内のご案内をしていただいた件ですが」と、偵察の任に就いていた隊員が口を開いた。
エリシアを連れての王都散策に先立ち、ルブルスク側の政府役人を案内係として、街の様子をうかがっていた。
そして、尾行の懸念から、別の隊員を二重尾行にも。
まず、「尾けられていませんでした」と、大きな懸念事項が解消された。この先どうなるかは不明だが、良いニュースではある。
では、案内係とのやり取りはと言うと……偵察に出ていた隊員は、本題を切り出す前に言葉を渋った。
「お嬢様からすれば、ややシビアに感じられるかもしれません。ですが、ご安全に関わる事項ですので、どうか」
「……はい」
急に緊張感高まる中、彼は言葉を続けていく。
結論から言えば、案内係を買って出た政府役人は、ヴァレリーに味方する一派の者だ。これは護衛一同の予想通りである。
そして、観光案内にかこつけて、いくつか情報提供があったという。
現在のルブルスクでは、大きく分けて3つの派閥がある。
まず、現状の堅持を第一とする勢力、伝統派。現国王エルネスト含む一大勢力だ。
さらに言えば……彼らが道義的にどう思っているかはともかくとして、政治外交的な意味では親ヴィシオス派の勢力だ。
これに次ぐ勢力が、近頃台頭してきた脱ヴィシオス的な新進派。暗黒大陸の国家にしては珍しく、他国に開かれているこの国の方針をさらに推し進めようという、先進的な勢力だ。
前々からそういった動きは細々とあったのだが、第二王子ヴァレリーが旗手となったこと、堅調な貿易業の影響が、勢力を後押ししている。
3つめの勢力は穏健派。先の2つが積極的な政治姿勢を示しているのに対し、こちらは日和見的に立ち回るべきとの主張をしている。現国王と第二王子を除く王室メンバーは、おおむねこの派閥だ。
ただ、隣にならず者の強国がいる中、他国との交易が盛んになっている現状を踏まえれば、状況の流れに逆らわないスタンスも相応の理がある。
そうした派閥の構成員たちも、この勢力のスタンスとほとんど変わらないようだ。対立的な二大勢力の間で揺れ動く無定見な者が、この勢力を仮住まいとしているという。
「2大勢力とは申しましたが、それは両陣営の動きが比較的活発だからということであって……立場を明らかにしていないものも含めると、頭数だけはむしろ日和見派が大勢という実情があるそうです」
「なるほど。どちらにも転び得るわけだ。では、今回のご招待は、ヴァレリー殿下というより新進派の考えとして?」
「殿下のご意向があったところ、新進派として強く推す動きがあったのだとか」
政治的な各部門においては、この三勢力のバランスが目立って偏っているものもある。
具体的には、軍政と産業は主に伝統派、外交と厚生は新進派。経済は二陣営が拮抗し、後は日和見主義者たちが大勢を占めるといったところ。
ただ、外交面で新進派が強い力を持つとはいえ、それ一色というわけではない。それでも今回の招待にこぎつけたのは――
「先に、我が国が殿下をお招きしておりましたので。その返礼という名目が大きかったようです」
「新進派にしてみれば、幸運にもというところか」
「はい」
一連の話を受け、リズはあのパーティーを思い返した。
エリシアの訪問に対し、反発・懐疑的な者、好意的な者、いずれの意見も無い者。それぞれの反応が、その立ち位置を浮き彫りにする。
様子見的立場の者が多かったのは、派閥間闘争の実情を示していたらしい。しかし……
「実のところ、派閥間闘争にしては、かなり穏やかなものではないでしょうか。今回のパーティーの雰囲気から、そこまで険悪なものは感じませんでしたので」
所見を口にするリズに、偵察係は賛意を示した。
「申し遅れましたが、各勢力に共通する見解として、ヴィシオスの名をあまり表にするべきではないというものが」
「そういった言質が?」
「明言をいただきました」
ある意味、ヨソ者の外交官たちへの釘刺しとも言える。
リズも薄々感づいていたことではあるが、街の様子もこれで腑に落ちる。
「新聞にも名前が出ておりませんでしたが、それも国策的な方針で?」
街歩きで得た発見をリズが指摘、これに偵察係がうなずき答えていく。
「街を見ての通り、かなり富裕な国で経済活動も自由ですが……情報業界には口封じとして、申し送り事項があるとのこと」
「とはいえ、真実を伝えようものなら、職場環境を損ないかねない……というわけか」
「はい。市場が荒れては互いに困るということで、かなり利害の一致をみているようです」
そして、国と新聞屋がそんな様子だからこそ、為政者同士での争いを避けねばならない現状がある。というのも……
「結局のところ、この国の政治的な対立は、軸にヴィシオスの存在あればこそ。表立っての争いとなれば、かの国の存在が急激に立ち昇ってくる。それでは民心を騒がせてしまうとして、いずれの陣営も慎重になっているとのことです」
「そこへ行くと……ヴァレリー殿下の一手は、この国にとってかなり急進的なものになるかもしれないな。一方で我々が訪れて以来の慎重さもうなずける」
徐々にこの国の上層部にある枠組みが明らかになっていく。
もちろん、彼ら護衛はラヴェリアの外務省諜報部員――それも、あのアスタレーナが国と従妹のために遣わした――だけあって、事の見方は慎重だ。
「今回の担当者が、ヴァレリー殿下に近しい立場というのは間違いないところ。しかし、鵜呑みにすべきではないとまでは申しませんが……」
「この国を理解する上では、まだ一面的な見方でしかないか」
言葉を継いだ隊長に、彼はうなずいた。
パーティーの話から一変、急に真剣かつデリケートな話が持ち上がり、エリシアは言葉一つなくじっとしている。
そんな彼女に、隊長は……少し考え込んだ後、柔和な顔で口を開いた。
「陛下とヴァレリー殿下は、ご政道について何かしら芯のあるお考えをお持ちかと思われます。一方、責任と権限のある方々ほど、処し方を決めかねている部分はあるのかもしれません。そう思えば……お嬢様に話しかけてきた方々は、中々に勇敢でしたね」
これにはリズも、つい含み笑いを漏らした。
言われてみれば、何も知らなかったからこその蛮勇であろう。先に第二王子殿下のお声がけがかかっているなどとは、考えもしなかっただろうから。
とはいえ、あの若者たちに助けられたのは事実。
それは今もそうだ。
あの会の事を思い出したのか、重苦しい話題を聞いていたときよりもずっと、エリシアは柔らかな笑みを浮かべた。
☆
同日夜、ルブルスク王城玉座の間にて。
普段は側近を近くに控えさせる国王だが、今は側近が居ない。彼と王子ヴァレリーの二人が、間に立つものなく向き合っている。
いかに王族と言えど、立場の差は歴然としてある。玉座の間においてはなおさらのことだが、ヴァレリーはひれ伏すでもなく、ただ敢然と父王に立ち向かう。
その態度を咎めることもなく、王は静かに口を開いた。
「考え直す気はないのか?」
「愚問です、父上」
幾度となく問いかけた言葉に、決まりきった言葉が返ってくる。王はため息とともに、首を小さく振った。
そんな彼に、ヴァレリーが堂々と直言する。
「父上には時勢が見えていないのでは……いえ、見ようとせず、目を背けているのではありませんか?」
「時勢? 愚かな。思い上がりがちな、年頃の若造が言いそうな言葉だ」
辛辣な言葉を投げかけるも、ヴァレリーは冷静だった。臆すことなく、彼は言葉を重ねていく。
「海の外に目を向けて見れば、こちらを取り囲もうという網は縮まるばかり。父上もお気づきでしょう?」
「そしてお前は、『今こそ網の側に回るべき』と言うのであろう? ヴィシオスに一番近き、網の一部たらんと」
先回りする王の言葉に、ここまで落ち着きを保っていたヴァレリーが、初めて若干の狼狽を示した。
幸か不幸か言い当ててしまった息子の思いに、王は冷笑で応える。
「いざ、網が役をなす時が来たなら、最初に食い破られるのは我が国だ。それがわからぬお前ではあるまい」
「し、しかし……このままでは共倒れでは? それに……我が国の富貴の下、犠牲になっている者が大勢います。これ以上、あの国の悪事に」
「ヴァレリー」
王はピシャリと言い放ち、後にはただ静寂だけが残り――ややあって、彼は尋ねた。
「お前の信じる正義のため、民に流血を強いようというのか?」
これにヴァレリーは、唇をキュッと引き結び、視線を床に落とした。
しばらくの間、彼はその場に立ち尽くし……少ししてから、「失礼します」と言って、玉座の間を後にした。
それから数分後。王が玉座の肘掛けを指でトントンと叩くと、奥のドアから一人の男が中に入ってきた。
見た目は老人である。長い白髪、長身だが少し猫背。やや陰気な雰囲気が漂う。
「聞こえていたであろう?」と問いかける王に、彼はうなずいた。しかし……
「このまま、息子の好きにさせておくわけにはいかぬ。手筈通りに事を進めよ」
続く言葉に、彼はわずかな戸惑いを示した。
「勅命とあらば。しかしながら陛下、本当によろしいのでしょうか?」
しわがれた声の男に、王は瞑目した。
「万一あらば、我が首で償おう。それだけの重大事だと心得よ」
悲壮な覚悟を見せる王。この言葉に、老人は先の戸惑いを恥じ入るかのように、決然とした顔になった。
「御意」




