第271話 華やかさの裏で
今回のパーティーは、ある程度定期的に開催されているもののようで、参加者リストで確認する限りでは、様々な出自の者が参加している。
政治関係者に加え、地元の名士や有力者が主だった参加者だが、国外から訪問中の豪商なども、この機に呼ばれている。
つまり、エリシアのために催された会ではない。
――というのが、ルブルスク外交としての、言外のメッセージであろう。
定期開催という性質にかこつけ、このタイミングで呼ばれたという可能性も否めない。
この席に、あのヴァレリーももちろん参加しているのだが、あちらからの接触はない。
ただ、これ見よがしに人前でアプローチをかけてくるようでは、色々と波紋が広がる恐れはある。
そう考えれば、呼びつけておいて放ったらかされている現状も、むしろ好ましい慎重さの表れと言えなくもない。
少なくとも、“既成事実化”しようという暴挙に走る様子はないのだから。
(ここまでの感じだと、本当に単なるお客様ぐらいに扱われてるけど……)
この会への参加は、一応任意ではあった。とはいえ、通念上は断れるものでもないし、エリシアが断るものと向こうも考えなかったことだろうが。
つまり、自由と言えば聞こえがいいが、実際にはかなり宙ぶらりんな扱いの席であり……
控えめなところを見せるエリシアには、やや酷な場ではある。
ただ、放っておかれている事実が、リズにとってはむしろ好都合だった。
エリシアにも、呼びたてた面々にも、いくらか申し訳ない部分はあるのだが。
人目を惹く美貌の主人に、今度は少し軽薄そうな若者が近寄ってきた。
ヴァレリー側と思われる外交官からは、“国際親善のために視察中のラヴェリア貴族”という設定で、と頼まれている。
その出自を明かせば、さすがに畏れ多くなって退散することだろう。
さて、やってきた青年は口が滑らかに動く。この場は彼にしゃべらせておいて、リズはにこやかに構えつつ、周囲の気配を探っていく。
それとなく目を凝らしてみれば、視線ばかりか魔力の線も飛び交っている。きめ細かな網を成すように、宙を縦横無尽に。
聞かせられない内輪話などいくらでもあるもので、《念結》を用いて内々の会話を行うというのは、こういった席ではごく当たり前に行われることだった。
こういうことを止めさせようとしたところで、会が終わって後で話せば同じこと。ならば容認してやるのが、開催者の度量という風潮がある。
こうした、水面下でのやり取りが、リズにとっては格好の仕事場だ。
彼女はエリシアの周囲に注意を維持したまま、行き交う魔力線の一つに意識を向けた。ごく近くを通るそれに、人知れず自分の魔力を伸ばし、這わせ、絡みつかせる。
彼女オリジナルの魔法、《傍流》。かなり前のハーディング革命で、砦の確保時に用いた魔法だ。他人同士の《念結》による魔力線に乗じ、溶け込ませた分岐線から会話を盗聴する。
世に知られれば、即日禁呪とされそうな魔法だ。
久々の使用ではあるが、魔法はうまく機能した。
ただ、聞こえてきた会話というのが、何ら問題がないものであった。この席に偽装の身分で紛れ込んでいる、国の保安部員によるものらしく、異常がないかと警戒する会話だったのだ。
(う~ん、申し訳ないわ)
ある意味、彼らに察知されていないのが、自分の魔法の力を示しており――やりたい放題である。
とっ捕まっても文句一つ言えない、自分の素行を内心で詫びつつ、それでも彼女は自分の仕事を進めていった。慎重に、かつ大胆に。自身の存在を悟らせないように、魔力の回線網を渡り歩いていく。すると――
『あのご令嬢が、例の……』
『ああ』
それらしい会話にヒットした。心の内で沸き立つものを感じながらも、あくまで冷静に。華やかな会食の場に相応しい面を装い、内密の会話に心の耳を傾ける。
『これでラヴェリアに傾くか?』
『その前段といったところかな。ともあれ、一歩踏み出されたのは大きいと言えるが……』
『まずは静観か』
と、どうやら日和見的な立場の様子。
とりあえず、聞き込み候補の一つとして保留し、リズは別の声に耳を傾けていく。いくらか探し回った先、また何か気がかりな声。
『殿下も何をお考えなのやら……』
胸中に響く低い呆れ声に、リズは興味を惹かれた。
『やはり、例の一件を踏まえてのものでは?』
『だからといって、このような反発を示されるようでは……ご分別あるものと思いきや、いやはや』
“例の一件”という言葉が気にかかるところだが、まさか尋ねに行くわけにはいくまい。
ただ、ヴァレリー周辺に何かしら具体的な出来事があって、今回の招待に結び付いたように思われる。
(ラヴェリア外務省では、何か掴んでるかしら?)
疑問に思うリズだが、やや望み薄という感はあった。
ラヴェリアでもよくわかっていない国だからこそ、今回の招待に応じた側面があるのだから。
ただ、わからない部分はあるなりに、この会話は意味のある情報ではあった。
王子が他国の貴族ご令嬢を招待したと知っており、そのきっかけになる何らかの出来事を知っており――
つまり、それだけの高位にあって王室に近いと思われるだけの人物が、この招待を快く思っていない。
「今回の招待に関し、ルブルスク上層部でもスタンスが割れているのでは」という事前の懸念に対し、ほかならぬ当事者からの言質を得たわけだ。
魔力線が伸びる先の人物に、リズはそれとなく目を向け、その人相を心の内に控えた。
またいずれ、何らかの情報が漏らしてくれれば、ありがたいところだ。
実際には、彼に非があって漏れているわけではないのだが。
それからもリズは、声なき会話の線を巡っていく。
エリシアは確かに、渦中の人の一人ではあるのだろうが、彼女のためだけにこの会を催されたわけではないのは事実だ。
時折、彼女について言及、あるいは仄めかすような言説が引っ掛かりはするものの、ごく少数と言えた。
それでもリズは、根気強く会話を探っていった。
一方で、エリシアに話しかけている青年も、聞き役のエリシアもまた、中々根気強い。
青年は自慢話を続けている。今は武勇伝として、つい先ごろの狩りで大物を獲ったことを、実に誇らしく滔々と語っている。
そんな彼の自尊心をくすぐるように、エリシアが絶妙な合いの手を入れ、先を促すのだから止まらない。
彼女自身にその気はないのだろうが、ある種の魔力があった。
尽きない自慢話を繰り出すこの青年もまた、中々の好漢ではあった。自慢と言っても、自分の手で成した事しか口にしていない。
魅力的な女性を前に、いくらか盛っている部分はあるのだろうが。
ともあれ、権謀術数渦巻く暗闘に身を置く者として、リズはこの二人の雰囲気に、好ましい軽さと明るさを感じていた。
そんなことを思っていると、彼の矛先がリズに向いてくる。
「エリシア嬢、君のお付きも中々やる人物ではないかと……そんな佇まいを感じるのだけど、何かそういう話はないのかな?」
「えっ? それは、その……どうでしょう?」
急にしどろもどろになり、エリシアが顔を向けてくる。
酔いが覚めるような武勇伝ならいくらでもあるのだが、さすがに口にできたものではない。
エリシアのこの反応も、ある程度知らされているからこそのものだろう。
とはいえ、任せっぱなしにしておくのも心苦しく、リズは話題を引き継いだ。
「あなた様ほど華々しい活躍は、特にはございません。強いて申し上げるなら……不注意で崖から転落し、川で流されたことはございます」
「そ、それはそれで凄まじい経歴のように思われるけど……いや、詳細は遠慮しておこうか」
「お気遣い痛み入ります。本当に生きているのが不思議なほどで……そればかりか、このような得難き場に招かれているのは、きっと幸運なお導きというものでしょうね」
イイ感じに話をまとめると、彼はここを区切りと思ったようで、「良い滞在を」と乾杯してくれた。
聞き手としてあまり疲れなかったようで、エリシアはにこやかにしている。
(ああいう感じの方ばかりなら、私も仕事に専念できるんだけど……)
と思う間もなく、また別の客人が近づきつつある。
ただ、先の彼のおかげで、今回の社交にある程度自信をつけてくれたらしい。エリシアは「もしもの時は」と小声で頼んできたものの、おおむね自らの手でゲストとしての役目を果たそうと、前向きに臨んでいる。
その裏でリズが何をしているかなど知る由もあるまいが――彼女の屈託のなさに救われる実感を覚え、リズは「ご健闘を」と微笑を向けた。
それからも盗み聞きを繰り返していくと、エリシアについての言及が徐々に増えていった。
彼女を知る者の間で、この席に参加している事実が知れ渡っていった。あるいは実際の背格好が知られ、認識されていったのだろうか。
『この機に、ラヴェリアに大きく接近できれば……』
『親ヴィシオス派の反発を招くのではあるまいか?』
『正室と側室とで、また国が荒れるのだろうか……』
『お世継ぎを占う上でも、これが転機となるやもしれん』
『外交筋に、今後はより一層の注視が必要か?』
とまあ、それぞれの立場で思惑が幾重にも交錯していく。
ヴァレリー本人が明かしたわけではないが、彼自身も相当難しい立場にあるようだ。
(お呼びになった殿下ご自身、何かしらの説明責任がおありなのでは……)
と思うリズだが、そのための席を設けることも難しいのでは……というのが、内輪話を盗み聞いての印象であった。
そんな盗聴の中で、このような会話も――
『あの二人組、見ない顔だが……』
『どちらも大変な美人じゃないか。誰か声をかけに行ったのか?』
『お近づきになりたいものだ』
という、裏表なさそうな若者の声。
自らの外見を鼻にかけはしないリズだが、割と自慢というか……喜ばしくは思っている。
そんな自分が主人ともども、異国の社交界のお眼鏡に適ったのだから、気分は良かった。
もちろん、他愛もないこの会話に、情報的な価値は皆無だ。
だが、飾らない彼らの賛辞は、情報戦の中では一種の清涼剤であった。
(嫌になったら、また慰めてもらおうかしら……)
思わず表情和らいだリズは、彼らの顔を覚えておくことにした。
彼らも、覚えてもらえて光栄だろう――それと気づく機会はないとしても。




