第270話 初めての立食パーティー
同日夕刻。リズはエリシアに同行し、ルブルスク王城内へと足を運んだ。
今回のパーティーは多くの客を集めるもののようで、王城に至る前の庭園からも、参席者と付き人らしき集まりが見受けられる。
城入り口の警備もまた、やや物々しいものがある。これにはエリシアも気づいたらしく、リズは横目に彼女の強張りを感じ取った。
その一方でリズは、この警備体制に若干の違和感を覚えていた。足は城へと歩を進めながら、思考は違和の根本を探っていく。
思えば、今に至るまでこの国では、こうした警戒ぶりをあまり目にしていなかった。
街並みでも同様だ。あのならず者の大列強と国境を接する割に、富裕な民草はこの世の春を享受するようで――
端的に言えば、かなりお気楽に見えていた。
そうして得ていた第一印象と比べると、確かにこの警備体制は不釣り合いだが……一方で、あるべき姿という感じではある。
「きちんと仕事をしているようで、安心ですね」
リズが口にすると、緊張した様子のエリシアは顔に疑問符を浮かべながら顔を向け、少しして表情を柔らかにした。
「確かに、王城での集まりなのですから、あれぐらいの備えはあってしかるべきですね」
「ええ。外のことは彼らに任せておいて、私たちは中でお会いする方々に集中しましょう」
すると、エリシアの注意はそちらに向いたようで、入り口を阻むような衛兵たちを気にする様子はかなり薄れた。
彼女が緊張するのも無理はないことだと、リズは理解している。
リズ含む護衛たちが、そう明言することはないのだが、この国の上層部には、一行を招かれざる客と見る向きも少なからずあると考えている。
そうした懸念を、エリシア自身が抱いていてもおかしくはないし――アスタレーナが何も伝えないまま、従妹を送り出すというのは更に考えにくいことだ。
となると、物々しい警備に身構えてしまうというのも、致し方のないところである。
実のところ、城を守る者たちはいずれの側というわけでもないようで、ただただ実直に精勤しているだけだ。
彼らの前に姿を表し、エリシアは事前に受け取った招待状を提示した。招待を受けた彼女に加え、もう一人の入城を許可するという文言がある。
これには招待客の身分も記載されており――まだまだ年若いエリシア相手に、衛兵たちは先程彼女が感じていた以上の緊張を示し、威儀を正す。
「お待ちしておりました、どうぞお通りください」
警備隊長らしき青年が、よく通る声で言った。
周囲に参席者らしき客はあまりいないのは、幸いだったかもしれない。態度の違いを見咎められるかもしれなかったからだ。
この変わりようは、ラヴェリアからの客ということから来るものか、はたまた、あのヴァレリーが何か言い含めていたのか……
(ま、気にしても仕方ないか)
通れと言われて足を止める道理もなく、二人は城内の案内係に従い、歩を進めていった。
まず案内されたのは、衣装室である。せっかくのドレスも、城までの道で汚れてしまっては……ということで、こちらで揃えられている正装に着替えることができる。
この国に来たばかりで、いまいち勝手がわからないエリシアは、王城お付きの使用人に任せることにした。
「お連れ様も、よろしければ」と、リズにも声がかかる。
しかし……姿見に映る自身を見ながら、リズは思った。
(こっちの方が、わかりやすくて良いんじゃないかしらね)
現在の服装は、護衛としての正装だ。他国に招かれてのご訪問への帯同ということで、会食だろうが玉座の謁見だろうが、どこへ出ても恥じることのない装いである。
この正装には問題がない。一方、これを着替えてパーティードレスにするというのは、若干の問題があった。
初対面の人物が、どちらが招かれた客なのか、取り違える恐れがあるからだ。
ハレの席に付き人にも良い服を着させてやるのは、従える者の度量というものだが、出会う相手に勘違いされる可能性を残すのは好ましくない。
実際には、そこから始まる会話というものもあるだろうが、今のエリシアにそこまで求めるのも――
などと、今の主人に対してやや失礼とも思えることを考えた末、リズは申し出に断りを入れた。
「こちらの方が、仕事をしている気分になりますので」と。
☆
いざ会場に足を踏み入れて初めて、リズはこうした席に参加するのが人生で初めてのことだと気づいた。
生まれ育った場所では当たり前に行われていた催しから、ずっと遠ざけられていたからだ。
その当時は、あまり羨ましくは思わなかったものだが――参加する側に回ってみると、また違った感慨があった。やたら広い空間に、絶妙なゆとりを持ってテーブルが配され、立派な身なりの人物が大勢。
王城に招かれるだけの人物が、大広間を空疎に感じさせない密度で集まっているのだ。
実に華やかな場である。
こうした席に参加できた事実うんぬんよりも、この現状を目の当たりにして自分の人生が大きく変わった事を実感し、リズは人知れず少し心動かされる思いであった。
それはさておき、彼女は仕事に意識を戻した。ご主人たる同世代の少女に、顔を向けてニコリ。
「さすがに緊張しますね」
「そ、そうは見えませんが……」
それなりに気を張っているものの、大して表に出ないリズに比べると、エリシアはかなり硬い。
ただ、元の素材はさすがといったところ。衣装係の仕事も良かったのか、薄いレース地を重ねるスタイルのドレス姿は、バッチリ様になっている。
そして、その似合いっぷりは、彼女当人にとっては決して喜ばしいものではないかもしれない。
さっそく、人目を引く彼女の元へと、背の高い中年男性がやってきた。ルブルスク王都に居を構える、老舗商家リヴァルトの当主だという。彼は自ら名乗った後、渋い声で尋ねてきた。
「お初にお目にかかりますな。よろしければ、お名前をお伺いしても構いませんか?」
「はい。エリシア・ランベルトと申します」
「ランベルト……初めて聞く家名ですが、いや、まさか……」
いかにラヴェリア貴族と言えど、他国の市井にまで名が知れ渡っているというわけではない。
むしろ、王室のラヴェリア姓が強すぎて、割りを食っている部分も大きい。
そう考えると、何か心当たりありそうなこの紳士は、立派な見識の持ち主と見える。居住まいを正したようにも見える彼を前に、リズはエリシアに顔を向けた。
「お嬢様。この場は私にお任せいただけませんか?」
「わかりました。お願いします」
主人の許可を取り付け、リズはにこやかな顔を紳士に向けた。他には聞こえない程度の小声で、彼に話しかけていく。
「リヴァルト様は、ランベルト家をご存知のようで」
「私が知る限り、世に知られているランベルト家は、ラヴェリアのご一族だけですが……」
「ご見識、恐れ入ります」
これに目を白黒させた彼は、ハッとした顔で周囲に目を向け、空きグラスを手に掴んだ。
あくまで歓談する様を装うというのだろう。この気遣いに呼応し、リズも近くのテーブルから適当に皿とグラスを用意。
改まってそれらしい様子を整え、二人は本題に入っていった。
「では、今回はどのようなご用向きで?」
「何卒、ご内密にしていただきたいのですが」
「もちろん」
「実を申しますと、我々も測りかねているところでして……お国からご招待を受け、お忍びで参った次第ですが、現時点では単に呼ばれただけといったところ。何かこれと定まった目的はございません」
「外遊のようなものと?」
「はい」
あまり腑に落ちていない様子の紳士だが、リズとしても、呼ばれるままにこの国へやってきたばかりのことである。
ヴァレリーが歓迎しているのは疑いないとしても、彼の真意は未だ手に届くところにない。国の思惑ともなるとなおさらである。
そこでリズは、逆に尋ねることにした。
「我々の訪問をご存知ではなかったようですが、特にそういった噂話を耳にすることは?」
「特には」
「ラヴェリアに対する動きなどは……いえ、立ち入りすぎでしょうか」
「我々商人といたしましては、貴国への商流を拡大することが、かねてからの大目標ではございますが……取り立てて大きな動きがあるわけでも」
「なるほど」
とりあえず、この件に関しては部外者、それ以外の部分では好ましい立場の人物と思われる。
(マルクたちに紹介してみるのもいいかも)
そこでリズは、目を閉じて精神を集中させた。わずかな間に意識を潜行させ、目的の情報を掴み取る。
「リヴァルト家と言えば、確か酒類や香辛料の取り扱いで財を成したとか」
「よくご存知で」
驚きを隠せないでいる彼だが、名を知られていたという事実は好ましいもののようで、すぐに表情を綻ばせた。
これを好機と見て、リズは言葉を重ねていく。
「また後日、お伺いできれば、その時は何か土産に買い求めさせていただきたく存じます」
「それはもちろん。お待ちしておりますよ」
「ただ……あいにくと、この王城あたりを離れられないものでして。その際は何かしら、同僚を遣わせる形になるでしょうか。お会いしたいのは山々ですが……」
「いやはや、大変ですな。この会食もまた、その仕事のお一つというところでしょうか」
「ええ。こう見えて緊張しておりますから」
まるでそうは見えないリズに微笑み、紳士は「また後日」と言ってその場を去った。
彼が少し遠ざかったところで、リズは横から小さな吐息を耳にした。
「お疲れ様でした」
「いえ、任せきりになってしまいまして」
「仕事ですもの」
とはいえ、仕事のお相手一人目として、あの紳士は中々の好人物に映った。
できれば、ああいった人物が続けばよいのだが……一人去ったところで、チラチラと視線が注がれる感じに、リズはほんの少し唇の端を上げた。
あまり楽させてくれない職場らしい。
新手が来る前に、適当なものをつまんで口にすると、エリシアが感心したように言った。
「よくご存知でしたね」
「何をですか?」
「リヴァルト様のお家のことです。本来であれば、私の方が知っておくべきだったのでしょうが……」
リズに感嘆しつつも、自身を至らなく感じているようでもあり……柔らかな中に、若干の気落ちがあるエリシアに、リズはニヤリと笑った。
「記憶力には自信がありまして。そういうお仕事でもありますし……ちょっとズルしてますからね」
「ズル?」
「ふふ、機密です」
このパーティーに臨む前、参席者名簿を受け取っていたのが幸いだった。
リストに書かれているアレコレばかりか、気になる人物については追加情報まで、護衛に差し障り無い範囲で情報を集め――
リズは《叡智の間》の中に、諸々を書き込んでいたのだ。
おかげで彼女は、頭の中でカンペを読みながら、初対面の相手に対応することができる。
先程のやり取りでは、うまいこと相手の心証を良くすることができた。
それに加え、同僚を遣わせてのアポイントまで。情報収集に役立つかどうかはともかく、地元名士との関わりだ。
少なくとも、マルシエル的には結構喜ばれるかもしれない。
幸先の良いスタートを切った彼女らに、また一人参加者が近づいてくる。今度は若い男だ。
またも、隣にいればそれとわかる程度の強張りを示すエリシア。リズは新手に目を向けつつ、ご主人に優しく声をかけた。
「ま、私にお任せくださいな」




