第269話 異国での情報戦
今回の訪問においては、ルブルスクからすればリズもまた、ラヴェリアの人間である。
そんな彼女が、第3勢力である自分の仲間たちと接触するには、かなり危険な行為と言える。下手をすれば、本当に無関係であるラヴェリアご一行にまで累が及ぶ可能性があるからだ。
とはいえ、公務の枷なく動き回れる仲間たちから、別系統の情報を得ることには大きな意味がある。
では、どうするか?
持ち込みの魔道具を用いるのは、いざという時に露見しかねない。
かといって、普通に接触するわけにもいくまい。符丁を用いたやり取りには限度があり、手紙等の受け渡しも危険だ。
そこでリズは、自分だけの力を用いることを選んだ。
街路に佇む仲間たちを手がかりに、自然な風を装って選びだしたこのレストラン。彼女は首尾よくマルク、アクセルの両名と同じ店に潜り込んだ。
そして、マルクに持たせておいた魔導書を通じ、記された文字が彼女の意識に浮かび上がってくる。
手を触れずとも、自分と接続して魔導書を操る《別館。この力を、今は逆向きに用いている。
普段は自分の意志で魔導書に遠隔記述するところ、今回は記されたものを自身の内面に遠隔で取り込んでいるのだ。
こういった事ができるというのは立証済みだ。ルブルスク現地で試行するのは初めてだが、特に問題はない。
やがて、彼女のテーブルに注文した料理が運び込まれてきた。郷土料理らしき数品だ。よく煮込まれた鶏肉にナイフを入れつつ、リズはうっすらと浮かぶ文字列に心の目を向けていく。
商談の合間に観光を楽しむ――という設定のあの二人は、料理を突いては何か歓談し、マルクが“旅日記”にペンを走らせる。次へ訪れる予定の店と、その配置を書いているようだ。
つまり、今度はそちらで落ち合おうというわけだ。
加えて、旅日記には食事以外の注記事項も。
『料理以外に目立った発見なし』
『いずれの新聞も、数日間似たような感じだった』
『同業者とのやり取りも特になし』
ふとした拍子に覗き見られても困らないよう、至って自然な文面で記されているが、リズにはこれで十分だった。
(あまり芳しくはなさそうね)
エリシア一行が現地入りしたことで、良からぬ事を企む勢力が動き出す懸念はあった。到着翌日の今日からは、護衛が尾けられてもおかしくないのだが……今のところ、そういった動きは感じられない。
とりあえず、最初の連絡は以上であった。書き込まれた日記帳の地図に意識を傾け――店内の人の動きをさりげなく把握したリズは、自分の側からアプローチした。ピックアップされた店の内、適当なものに印を打ち込む。
自由時間に行けたら行く程度のアポイントである。
これを受け、リズに背を向ける格好のマルクは、日記帳を畳んでカバンにしまい込んだ。
初回のやり取りは以上だ。
やることを済ませたリズは、改めて料理に向き直り、存分に堪能した。
その後、店から出た彼女は、店外にさっと視線を巡らせた。やはり、それらしい視線や気配は感じられない。
怪しまれない程度に気を張りながら、彼女は異国の街を散策していく。
豊かな街並みやこの国の人々に視線を向けつつ、思考は暗がりの方へ。
今回の訪問に対し、国の指導層が完全に一枚岩ということはあるまい。エリシアがやってきたこと、第二王子ヴァレリーがラヴェリアと接近しようとしていることを、快く思わない勢力の存在は確実視されるところ。
しかしながら、今のところ、街に繰り出したリズを尾行する気配はない。先に動いた護衛の方についているのかもしれないが……
彼女の中で一つ閃いたのは、相手が思う以上に慎重派なのではということだ。
新聞等、国民の目に届く形でヴィシオスの名が出ないあたり、何かしらの情報統制を国が行っている可能性はある。
来て間もない国で、こうも憶測をたくましくする――それも負の方向に――というのは、かなり失礼なことではあろう。
しかし、この立地で諸外国との繋がりを維持し、国民を豊かに住まわせている事実を踏まえると、この国はかなりのやり手ではないか。
整然とした街並み、そこを行き交う洒落者な人々を目にしながら、リズはそんな事を思っていた。
☆
観光と偵察、そしてちょっとした連絡を済ませ、リズは貴賓館へと戻った。
外出していた時間はさほどではなく、部屋の中は出る前と変わりはない。彼女より先に出た護衛たちは、まだ戻っていないようだ。
ただ、彼女が戻ってきたことで、待っていたエリシアはフッと力が緩ませた。何かあるのかも――ぐらいには思われていたのかもしれない。
そこで、彼女を安心させる意味も込め、リズは帰還早々に端的な感想を口にした。
「いい街ですね。まったく迷いませんでした」
「確かに。地図を見た感じでも、かなり整ってますね」
護衛の一人が応じ、次に隊長のクラークが問いかけてくる。
「何か発見は?」
「偶然入った店が、中々のもので。どこでもある程度の基準は期待できるかもしれません」
「それなら良いんですが、先立っての偵察の意味が……」
「お許しいただけるなら、自由時間にちょくちょく出ていきますよ。色々と見て回りたいですしね」
これに隊長が了解の意を示した。状況が変われば一人歩きを自重する必要はあろうが……
今のところは大丈夫とリズが仄めかし、それを了承したわけだ。
その後、隊長は別件を切り出してきた。今晩、王城で催される立食パーティー出席の件だ。別室へと促され、リズは彼についていった。
さて、エリシアの目から離れたところ――隊長が本来の用件を聞き出してくる。
「宴席の件の前に……街歩きについて、もう少し詳細を」
「はい」
リズはまず、街中では尾行に気づかなかった事を明かした。本当に誰も尾けていないのか、それとも彼女が気づかなかっただけか――
隊長は、前者の可能性が高いとの見解を示した。
「貴女で気づかないようであれば、我々でも手に負えないでしょうしね」
と、笑い事ではないのだが、彼はにこやかに言った。
ラヴェリアを相手取り、逃げ回って生き延びた実績を思えば、過分な評価というわけでもないだろう。
尾行の次に、彼女は自分の仲間との接触を果たしたことを告げた。
「手の者と接触できましたが、現状でこれといった情報はありません」
「了解。そちらの動きに関しては、火急の件でなければ、今後の報告は不要です」
「はい」
あくまで正式に招待されたラヴェリア勢としては、ルブルスクに対する礼を損なわず、先方への潔白を保っておきたい。
だが、本来知り得ないはずの何かを知っていれば、ふとした拍子に気取られるリスクがある。
知るべきではないことを知らないままでいることで、自然と相手の信頼を維持するという意味も。
そこで、リズ率いる第3勢力が得た情報は、余程のことがない限りラヴェリアの護衛部隊に伝達しないようにと事前に定めている。
これはつまり、ラヴェリア側が知り得た情報は、リズを通じて仲間に伝えることができるが、逆はないということだ。
本来は誰よりも裏を知らねばならない立場にあるラヴェリア諜報部員だが、今回ばかりはそうではない。情報戦の主力を協力者に委ねている状況は、様々な事情を思わせるものだ。
外務省諜報部として、リズと彼女率いる第3勢力、さらにはその背後にあるマルシエルへの信頼の念は、少なからずあることだろう。
自分にかかるものの大きさを思い、リズの拳に自然と力が入る。
情報戦における今の彼女は、何も単なる情報のハブというだけではない。
彼女自身、情報を盗りに行く側の一人なのだ。
その活躍の場が近い。隊長は懐から一枚の書状を取り出した。
「会に参加される中で、主だった方々のリストです。前もって把握しておけば、色々と円滑になりますのでね。外務の方にお願いして、ご用意いただきました」
「ありがとうございます」
先方としても、エリシアが困らないようにと配慮する意向があったのだろう。このリスト作成について、向こうは快諾したとのことだ。
実際、記されている情報は機密と呼べるものではなく、それぞれの名前と外見、そして所属・肩書程度のもの。明かしたところで、どうこうというものではない。
それでも、いきなり現場に向かうよりはずっと良い。事前にある程度把握していくだけでも、仕事の助けになるというもの。
「知らなければ粗相になりかねませんし」と苦笑いするリズに、隊長も表情を崩した。
本当のところは、知って目星をつけた相手に、陰ながら無礼を働くことになるのだ。




