第26話 忍び寄る不穏②
幸か不幸か、メルバの町までの距離は、他の町村に比べると近い。朝方早い時間の出立で、到着は昼過ぎぐらいになるだろう。
二人がロディアンの町を出て2時間程度経ったころ、リズの探知網に何かが引っ掛かった。怖気の走る嫌な寒さが、遠くに仕掛けた魔法陣から、ぞわりと伝わってくる。
それはごく短い間のことであったが、錯覚ではない。魔法が探知した、冷たく悪しき気配を感じ取り、リズは――
「はうわあ!」
「ご、ごめんなさい」
知らない間に、リズはフィーネへしがみつく腕の力を強めていたようだ。
急な出来事に驚きの声を上げ、背筋を小さく振るわせるフィーネ。
少しして、彼女は照れくさそうな声で言った。
「いきなり驚いちゃって、ごめんなさい。姿勢が悪くなってました? なんでしたら、一度馬を止まらせますけど……」
「いえ、大丈夫です。ちょっと……その、嫌な予感がして、思わず」
正直な言葉がこぼれ出るリズ。彼女自身、その素直さを意外に感じてしまう。
すると、少し間を置いてからフィーネが口を開いた。
「追手かもしれないって話でしたけど、何か確信みたいなものが?」
「いえ……皆さんに示せるほどの確証があれば、迷惑が掛かる前に始末しに行きます。実際には、そこまでの証拠がない憶測でしかなくて……恨まれる理由だけは、思い当たるものがありますけども」
「難儀ですねえ……」
「ええ、本当に」
応えながら、リズは今回の敵について、考えを巡らしていく。
(今まで《遠覚》には引っかからなかったけど……そういうことに気をつけない奴が動いてる? あるいは、今になって引っかかったのは挑発? 少しずつ突いて騒ぎを起こしながら、探りを入れようとしてる?)
考えてもわからないことばかりだ。
だが、先ほど知覚したものを信じるならば、目的地であるメルバよりもさらに先で、それらしい反応があった。馬を走らせていく程度の距離感ではあるが、事の重要度を思えば、決して遠くはない。
じきにお互い接触し得る位置に、今回の下手人がいる。
☆
メルバの町に着くと、中は静かな緊張に包まれていた。
ロディアンよりも少し小さなこの町では、主に農業を営んでいる。
今回の騒ぎは毒によるものではないようだが、住人にしてみれば呪いも似たようなものである。土地に悪いことが起きているのではないかと、不安で仕方ないようだ。
馬から下りた二人は、門衛の導きで早速町の中央へと向かった。
用があるのは、空き倉庫である。そこに、今回犠性になった鳥獣が一括で保存されているという。
木造の建物の間を足早に抜けていき、リズたちは目的の建物に入った。
そこにいたのは、術師らしき白衣を身にまとった、人の良さそうな顔の青年である。
「フィーネさん」
「お久しぶりです」
声をかけてきた彼はロバートと言い、フィーネとは同業者みたいなもので顔なじみだという。
彼はフィーネほどに呪法への知識があるわけではなく、代わりに薬や毒に知識が寄っているそうだ。
そんな彼にとって、呪術医であるフィーネの登場は、渡りに船といったところ。死体が居並ぶ陰惨な倉庫内だが、彼は表情を少し明るくした。
「見たところ、俺の専門じゃないとは思うんだ。一見すると膿んでいるようだけど、それにしてはあまりに不自然だし……」
「呪いっぽい魔力が?」
「ごくわずかに。今でも感じ取れるかは、少し微妙だけど……」
そう言ってロバートは、犠牲になった動物たちを、どことなく切なそうに見つめながら指さした。
動物たちは、それぞれ一つの魔法陣があてがわれている。
使われているのは、魔法陣から半球状の空間を凍結保存させる魔法、《保凍術》だ。これで遺体の腐敗を防いでいる。
この魔法は生きてない組織向けだが、生きている相手でも割と容赦なく冷やしてくる。
そんな注意点はあるが、類似の保存系魔法に比べると、魔法としての難易度はまだマシなレベルに落ち着いており、そういう意味では使いやすい。
そのため、学識のある医師や博物学者等を中心に、業界内では広く利用されている。
これを複数同時に管理しているのは、他ならぬロバートだ。
呪法ではフィーネに劣るという話だが、こうした魔法は中々のものがある。
彼に感心してリズが目を向けると、当然のように彼は尋ねてきた。
「フィーネさん、こちらは?」
「エリザベータさん。危険な事態になるかもしれないということで、護衛役を買ってくださって」
「ああ、話題のリズさん」
リズとしては少し驚かされたが、どうも彼女の噂はこちらの町にまで届いているらしい。
それだけ、彼女は話題に上りやすい旅人というわけだ。こちらでは、何だかデキそうな旅人という認識をされているらしい。
話題の人物が護衛に来たということで、ロバートは快く言葉を返した。
「なんでも、あの長老相手に、さっさと仕事を片付けてしまったとか。助けていただく事態にならければとは思いますが……心強い限りです」
「ありがとうございます」
言葉に加え、握手を交わす二人。
一方、動物たちの亡骸を慎重に観察していたフィーネは、二人の挨拶が終わるのを見計らって言った。
「やっぱり、呪法を使われた疑いが……」
「やっぱりか」
「ただ、傷口から呪力が侵入したように思われますけど……こういう呪いの技法なんて、聞いたこともなくて」
困惑する様子を見せるフィーネの方に、リズが目を向けると、彼女は亡骸に《呪毒相写法》をいくつか使っていた。
呪毒を抽出する皿が小分けに複数並んでいるのは、フィーネの工夫である。
残存する呪いの力が微弱であれば、全身に行き渡ることなく、その場に留まっては消えていく傾向にある。
そこで、皿を小分けにすることで、今どこに呪いが集中しているかを探ろうというわけだ。
こうして皿に書き写してみると、やはりというべきか、呪いは患部周辺にのみ残存している。
これを受け、傷口から呪いをねじ込まれたのだろうと、医師二人は判断した。
つまり、斬ってから傷口に呪いをかけた――あるいは、それを同時にやったか。
「しかし、何のために?」不安をにじませながら、フィーネがつぶやいた。悲哀の色が浮かぶ目は、動物たちの亡骸に向いている。
彼女の疑問に答えたのはロバートだが、声は自信なさげだ。
「特に脅しや声明が出ているわけじゃない。何か取引しようって言うんじゃなく……試しているようにも感じる」
「試す?」
「自分の呪いの力というか、技というか……」
つまり、呪い込みの試し斬りだという。その可能性を、リズも認めた。あまり事が大きくならないように、まずはウォームアップをしているような……
あるいは、来たるべき戦いを前に、自身の力を再確認するような。緊迫した空気の中に、どこか相手方の余裕みたいなものも感じられる。
しかし、それ以上に感じるのは、リズに向けた挑発だ。そうと決まったわけではないが、これがラヴェリアからの刺客だとすれば……「今のところは、その辺りの鳥獣で済ませてやろう」というような。
とはいえ、この場のそれぞれが違う事を考えながらも、相手の思惑を掴みかねているのは同じだ。
なんとも不気味な脅威を前に、重苦しい沈黙が漂い……ロバートが、二人に尋ねた。
「こういう呪いは専門外かもしれないけど……斬るのと呪うのを同時にこなすのって、そもそもあり得るのかい?」
「理論上は……弱った部位にこそ、呪いは浸透しやすいです。でも、だからって、それを狙ってやるような技術は、聞いたことがありません」
考えるだけでも恐ろしいと、深刻そうな顔でフィーネは頭を横に振った。
リズも同感である。呪術は専門外だが、呪術業界がどういったものか、それなりの見識はある。剣術と呪術、両方を修めるというのは、あまり考えにくい話だ。
それよりも、あり得そうな可能性は――
と、その時、重苦しい沈黙を引き裂くような声が外から聞こえた。
襲撃を仕掛けられたわけではなさそうだが、急に外が騒がしくなっていく。
三人は、様子を見に行こうと倉庫の中から駆けだした。
騒がしいのは町の入り口辺り。それも、ラヴェリア国境側で……事件が起きた河の方である。
リズが抱いた嫌な予感を裏付けるように、騒ぎの中心には、深刻そうな兵たちと……
一人の負傷者がいた。