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第264話 出発の日

 9月1日、昼前。色々と押し込んだ旅行カバンを片手に、リズは店長室を出た。

 彼女が経営する喫茶店は、普段よりも従業員が少なくなっている。ルブルスクの件に関し、必要な人員がすでに発ったところだ。

 彼らにとっては、あくまで表の顔としての仕事であり、人手が減っても店の切り盛りには全く支障がない。

 それは、店長であるリズについても言えることだ。忙しくなる時間帯を前に、彼女は従業員一同を集めて言った。


「では、前々から言っていた通り、一か月ほど店を空けます。特に心配はないけど……」


「店長の方が心配ですよ~」


 明るい女性店員が軽い感じで応じ、含み笑いの声が漏れる。

 店の従業員たちは、リズの素性について正確なところまでは知らない。ただ、魔導書執筆業の関係で、政府等の公的機関と関わりがあるという程度の認識だ。

 そのため、まとまった期間店を離れても、そういった公用絡みと思われている。今回も同様に、忙しいとは思われつつも怪しまれてはいない。

 ただ、遠出するということで期待されるものはある。


「何か、お土産でも買ってきてくださいね」


「お土産、ねえ……」


 まさか、土産話を持ち帰るわけにもいくまいが……土産になるような何かがあるかどうか。

 ルブルスクへ行ったと悟られるのも好ましくないが、店を開けてしまう手前、頼みを無下にするのも(はばか)られる。店員一同、土産には期待しているらしく……

 さっそく現れた難題を胸に、「期待しないでね」と苦笑い。それから改まって、彼女は「行ってきます」と店を出た。


 政府とのやり取りを重ねたことで、行政中枢の島でも顔が通じるようになったリズではあるが、足を運んだことがない施設も多い。

 つい最近までは、政府直轄の《(ゲート)》も、その一つであった。

 今となっては自力で転移できる彼女だが、今回は公用で他国へ向かうだけに、《門》の利用が必須である。


 話はすでについており、現地で待っていたマルシエル外務省職員の手引きにより、管理所の中へと招かれた。

 《門》の管理所は外界から切り離された感があり、自然と身が引き締まる。清潔を通り越して無味乾燥な白い回廊を通っていく。

 《門》に用いられる転移魔法陣は、リズが使っているものとはまた別の様式だ。定点間を安定して接続し、転移系のような禁呪に馴染みがない者も、安全に転移することができる。

 自前のとは違う様式に若干の興味を惹かれつつ、転移で(つな)がるあの(・・)感じに、どこか安心感を覚えるリズ。


 そうして向かう先は、まずは協商圏内にある《門》の一つ。

 中継地点への転移を果たすと、そちらではすでに、今回の任務の同僚たちが待っていた。リズとは打ち合わせ等が済んでいる面々だ。

 彼女が置かれた立場に色々と思うところはあるようだが、この任務にかける思いは、お互いにそう遠いものではない。


 そんな同志たちと握手した後、リズは管理所内にある衣裳部屋へと向かった。

「大変ですね」と苦笑いするのは、今回の護衛チームを取り仕切る外務省諜報部員の一人、クラーク隊長だ。中肉中背の30代男性で、特に印象に残る風貌ではない。儀礼性のある制服の方が、よほど目立つくらいである。

 一方のリズは、ここまで私服で来ている。さすがに、公務用の衣装で街を出歩ける身分ではないからだ。今日は他国の王子にお目通りを果たすということもあって、相応の格式を求められる。


 というわけで、お揃いの制服に身を包み、改めて合流したリズ。男物の制服だが、不思議と似合う。同僚たちからは感嘆のため息が漏れ聞こえた。

「よくお似合いですよ」だとか、「我々よりもしっくりきますな」とも。

 こういった態度が素なのか営業用なのかはともかくとして、中々付き合いやすくはある。

 少なくとも、同僚との人付き合いで悩まされる心配はなさそうだ。


 それからしばらく、管理所の待合室で軽く言葉を交わしていると、また別の外務省職員が声をかけにやってきた。

 これから主賓がお越しになる。スっと場が静まり、整列して威儀を正す護衛たちの前に、ややあってその御一行様が現れた。外務省職員数人に、組織の代表としてアスタレーナ。

 そして、彼女の従妹。今回の主役である侯爵令嬢、エリシア・ランベルト。


 他国の王子が声をかけるだけのことはあって、美形である。

 それに、ラヴェリアのパーティーでも、一際(ひときわ)声をかけやすかったのだろう。近づきづらい系統の美人ではなく、柔らかな可愛らしさもある。ライトブラウンの豊かなロングヘアーは、緩やかにウェーブがかかり、見る者に明るく柔らかな印象を与える。

 アスタレーナの人物評――彼女自身やリズよりは可愛らしい――というのは、皮肉や世辞抜きで、かなり正確な見立てと言えるだろう。その時の会話を思い出し、リズは顔を少し綻ばせた。

 ただ、さすがに緊張するのか、エリシアの表情には硬さがあるが。


 リズが彼女に会うのは、これが初めてである。

 というのも、リズがラヴェリアへと足を運ぶには色々と問題がある。かといって、エリシアの方を他国へ動かすのも、また難しいからだ。

 そもそも、他国の人間に護衛を要請すること自体、要らぬ嫌疑を招く恐れがある。事が始まる前から火種を撒くわけには……と、事前の打ち合わせについては、もとから外務に慣れた人員に限定していたというわけだ。


 まずはご挨拶、「お初にお目にかかります」とリズは恭しく一礼した。これに少し戸惑うエリシア。

 他国へ向かう貴族にしては、頼りなくも映る反応だが、リズの素性を知っていれば無理もないだろう。むしろ……


(同僚の皆さんの方が、腹が据わり過ぎているだけね……)


 とはいえ、このまま向こうに行くわけにもいかない。

 今回のリズは護衛だが、他のメンバーよりもエリシアに近い位置で動き、身の回りの世話まで任されている。心情面のサポートも、いくらか期待されていることだろう。


「あまりご緊張なさらず、お気軽に接していただければ幸いです、お嬢様」


「は、はい」


 それでもやや硬くはあるが、リズが微笑むのに合わせ、エリシアも表情をにこやかにした。

 とりあえず、向こうに行くだけの心の準備はできたようだ。エリシアに一瞥(いちべつ)した後、アスタレーナは一同に向かって言った。


「よほどの事がない限り、こちらから指示を出すことはありません。現地においては各自の判断で対応を。あなたたちの手腕が求められるような状況には、ならないとは思いますが……」


 言葉を切り、彼女は場の面々に視線を巡らせた。

 護衛部隊は任務への意気を新たにした様子だが、その一方でエリシアは、心の底に押し込んだ緊張が再び頭をもたげたようである。

 送り出す直前の訓示として必要なものだったのだろうが……アスタレーナは軽く咳払いし、柔らかな表情で続けた。


「エリシアにとっても、ヴァレリー殿下にとっても、何かしら得るものがある滞在であることを期待します……しっかりね」


「……はい」


 未だ緊張は残るものの、エリシアはアスタレーナをまっすぐ見据え、これまでよりも気持ちのこもった声で答えた。従姉として慕われているのが、それとわかる。


 アスタレーナの出番はここまでで、挨拶を済ませた彼女は、帯同してきた配下とともに待合室を後にした。

 それから少し遅れ、護衛隊長クラークがエリシアに話しかける。


「お嬢様。そろそろ我々も」


「そうですね。皆さま、よろしくお願いします」


 腰の低いご令嬢は、付き人に過ぎない平民たち――王族を一名含む――に、深々と頭を下げた。

 威厳と呼べるようなものは何一つないが、使命感や庇護欲は与えてくる。ある意味、他国にお呼ばれするには適した人選と言えるかもしれない。

 そうして、一行は動き出した。隊長が先導し、後ろにエリシアとリズが並び、後には残りの護衛要員が続く。準備が整った《門》を通じ、空間を飛び越え、いざ異国の地へ。


 保安上の観点から、王都や首都というものは、他国からは直接繋がらないようになっているのが普通だ。

 それは、このルブルスク王国でも例外ではない。第三国経由で飛んだ先は、ルブルスク王都ロスフォーラの衛星都市である。

 とはいえ、あくまで通例として一段階挟む程度のものであり、待たされるような事態にはならない。

 現場には話が下りているようだ。ラヴェリア貴族をお待たせしては……という意識もあるのだろう。手続及び《門》の調整が手際よく進む。

 そうして、いよいよ時が刻一刻と迫る中、エリシアが感じる緊張も高まりを見せるようで――

「気が合うかもしれませんね」と、リズがだしぬけに言った。


「えっ?」


「いえ、ヴァレリー殿下も、きっと緊張しておいでではないかと」


 実際、一国の王子という身分を重く見て招待に応じたわけだが、両国の力は比べ物にならない。粗相があっては……と身構えるべきは、本来はルブルスクの側である。

 このやり取りが聞こえていたようで、こちらの管理所職員たちは作業の手を緩めずとも、顔だけは少し苦笑い。

 こうした反応のおかげで、エリシアも少し気は楽になったのだろう。「私だけかと思うと、余計に緊張してしまって」と、彼女は柔らかに微笑んだ。


 やがて、全ての準備が整い、目的地へと発つ時がやってきた。《門》から《門》へと空間を渡っていく一行。そして……


 開けた視界の先、転移の間には本来の職員に加え、一人の青年が一行を待っていた。

 軍の礼装を思わせる、威厳と気品に満ちた装い。本人の(たたず)まいは、衣装の華やかさすらも呑み込んでしまう。艶やかな金髪、整った目鼻立ちはキリっと凛々しい。

 ルブルスク王国第二王子、ヴァレリー・ルブルスクその人である。


 まさかここでお待ちになっているとは。まずは王城へ出向いてという予定だったのだが。

 このサプライズに、一瞬だけ面食らう護衛たちだが、平静さを欠片も崩しはしないのはさすがである。一行は狼狽(ろうばい)もせず、足並み揃えて片膝をついた。

 そんな中、戸惑いを隠せないでいるエリシアだが……ヴァレリーはその虚を突き、彼女へ歩を進める。ひざまづく面々には「君たちも楽にするといい」と、柔和な顔で告げ、彼はお目当ての女性に向き直った。


「ようこそ、ルブルスクへ。お招きに応じてくださったことを大変喜ばしく思います。願わくは、あなた方にとって実り多き滞在とならんことを」


 そうして彼は、堂に入った所作で胸に手を当て、深くお辞儀をした。

 お呼びの声をかけた王子自ら、王城を出て足を運び、余計な(・・・)関係者がいない中で礼を示して見せる。

 なかなか見事な先手であった。すっかり雰囲気に呑まれつつある、戸惑いがちなエリシアを横目に、リズは舌を巻く思いであった。

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