第262話 ご報告とこれから①
8月9日、昼前。ダンジョン最奥、玉座の間にて。
かなり久しぶりに会う魔族二人に、リズは深々と頭を下げた。
「真っ先にご挨拶に伺うべきかとは思いましたが、このところバタバタしておりまして」
「気にすることはないと思うけどね。何はともあれ、無事で良かったよ」
魔王フィルブレイスもルーリリラも、挨拶が若干遅れたことを咎めはせず、再会をただ喜んでいるようだ。
この二人の柔和な感じに、リズもホッと安堵のため息を一つ。
それからリズは、マルシエルから許されている範囲で、飛行船墜落事件に関する例の作戦について、報告を始めた。
許されている範囲と言っても、実際には大部分だが。当該作戦については、この魔族二人はそれだけの関わり方をしている。
作戦の実現に当たって、その背景には二人の多大な協力があったのだ。
まず、空中で襲撃に遭うという想定のもと、そういったシチュエーションのダンジョン階層を用意してもらい、そこで訓練を繰り返してきた。
もちろん、実機を用いた訓練も行ったのだが、先立つ訓練としての価値は大きい。
というのも、実現性が疑われる作戦の訓練に、おいそれと飛行船を持ち出せるはずもないからだ。
そこでまず、「空中で敵船に乗り移る」という机上の空論を、ダンジョンという仮想世界で実現させ、関係者の納得を勝ち取る必要があったのだ。
もっとも、肝心のダンジョンマスターが、飛行船を見たことがないというのが難題であったが……設計図一つでそれらしいものを創造できたあたりは、さすがというべきか。
訓練の助けになった以外にも、リズの転移術に磨きをかける点で、二人は快く協力した。
おかげで、作戦本番においても敵の説得がスムーズになった。
「敵兵の恋人を連れてくることで、大過なく降伏を促すことができました」
「なるほど、平和的に済ませたわけだね」
「お役に立てたようで何よりです」
「お二方と比べると、まだまだというところですが……」
謙遜してみせるリズだが、そもそも転移は、常人には及びもつかない秘術である。それを曲がりなりにも使えるというだけで相当なものだ。
加えて、今の彼女は単独ではなく同時に二人まで転移し、さらには地図上から転移先をイメージするという力まで身につけている。それが先日、さっそく役立ったわけだ。
それに、もしかすると、また役立つ場面に出くわすかもしれない。
「実は……姉から護衛の任務を提示されまして」
「姉というと、アスタレーナ嬢だったかな?」
「はい」
そこでリズは、継承競争に関する話題を切り出した。
まず、ラヴェリア側に継続の意思は――少なくとも、当事者たちには――ほとんどないらしく、競争は一時中断の状態にあること。
ただし、現状は一時的に停止しているだけであり、正式にこれを断念させるための働きかけが、継承権者から枢密院に向けてなされていること。
そして、完全にやめさせるための説得材料にと、任務の依頼が入ったことを。
護衛任務の内容についても、入り組んだ事情等はあるが、魔族二人は国際情勢にさほど明るいわけではない。
とはいえ、隠し通すのも悪いと考え、リズはかいつまんで説明した。
「つまり、手放しで喜べる招待ではないだけに、頼れる護衛が必要、と」
「それで、もしかすると転移を使うかも……ということですね」
ルーリリラの指摘に、リズはうなずいた。
もちろん、使わずに済めばそれに越したことはないのだが、いざという時の緊急手段が自分の手にあることは重要だ。そして……
「姉は、私が転移を使えることを、実は感づいているかもしれません」
「というと、そういう話はしていないけど、知られている節があると?」
「はい」
この場で明かすことはなかったが、アスタレーナのレガリア《掌星儀》の性質を考えると、リズが何かしらの方法で転移していたと認識してもおかしくはない。
それに……《門》を用いた転移網の実態について、実はよくわかっていないリズだが、逆にアスタレーナは知悉しているはず。普通の《門》ではありえない移動をしていると見抜いていたなら――
自前の転移について「お見通し」と言われた訳では無いが、あの姉なら察するものがあっても驚きはない。むしろ、そういう感づくものがあったからこその、今回のオファーではないか。
そういった考えを口にすると、魔王は困ったように苦笑いした。
「なんというか……君はお姉さんのことを信頼しているようで、そうでもないというか」
言われてリズは、痛いところを突かれた感に、少し視線を伏せた。
継承競争は終わりかけていると認識しているものの、まだ終わっていないという認識も当然のようにある。
そんな中、いくらあの姉相手とは言え、転移という生命線の存在を明かせないでいる自分を再認識した。
姉の才覚や良心――特に、国際秩序にかける執念にも近い信念――への信頼は疑いようもなくある。
その一方で、彼女のことを信頼しきれてはいなかったのだ。
今でも、軽はずみに言えることではないと思いつつ、リズは決心を固めた。
「近々、依頼について詰める機会がありますから……その際、二人きりになれたら打ち明けようと思います」
「それがいい。まずは、護衛対象のお嬢さんを、確実に助けてあげないと」
つまるところはそういうことだ。自力で転移できるという重要情報を、この依頼とエリシアのために打ち明ける。
そうすれば、自分がこの依頼にどれだけ真摯に向き合っているか、アスタレーナなら汲み取ってくれるだろう。
どことなく気持ちが楽になったリズに、ルーリリラも表情を綻ばせたが……ふと、何か気になったのだろう。彼女が問いかけてくる。
「ルブルスク王国へ向かわれる日程は、すでに決定済みでしょうか?」
「未確定ですが、後1ヶ月ほどで出発、向こうでも1ヶ月程度の滞在となる見込みです」
「相変わらずお忙しいですね……」
実際、護衛準備での打ち合わせに時間を取られる上、飛行船の事件絡みでの事後処理も済んでいない。そちらは、マルシエル政府が気を利かせ、作業や責任面の大部分を受け持ってくれる流れだが……
ともあれ、またすぐに慌ただしくなることだろう。今回こうして挨拶に来たのは、仕事が積まれる前の小休止に、という意味もあった。
すると、ルーリリラは少し考え込む様子を見せた後、口を開いた。
「リズ様。禁書類の解読と、禁呪習得の準備は、いかが致しましょうか?」
ラヴェリアの大図書館禁書庫から中身だけ盗み取った禁書類は、現実の本に《転写》した後、この魔族二人に預けっぱなしである。
というのも、当の二人が興味を示している上に、古臭い魔法の読解と理解にこの二人が最適だからだ。いかに危険な魔法も、現世から隔絶されたダンジョン内であれば、手頃な実験場となる。
加えて、盗み出したリズ自身、野放しにして良い書物とは決して考えなかった。
だからこそ、安全に保管しつつ、読み解いてくれる二人に任せているのだ。
さて、禁呪の読解と習得は、もちろん継承競争での使用を意図したものである。
とはいえ、具体的に使いたい魔法があるというより、何か役立つものがあれば……ぐらいの感覚だったが。
今回、ルーリリラが尋ねてきたのは、状況が変化しつつあることを加味してのものであろう。再び遠方へと離れてしまうということもある。しかし――
「ご迷惑でなければ、継続していただけませんか?」
「それは構わないよ。私たちとしても興味深いからね。ただ……」
本棚に並ぶ、決して日の目を浴びることのない書物に視線をやった後、魔王は尋ねた。
「今後、使う機会があると考えているのかな?」
「……はい」
神妙な顔で答えるリズに、魔王も表情を引き締めてうなずいた。
「一連の飛行船の事件は、明らかに組織的な犯行で……巨大な陰謀めいたものを感じます」
「各所で死霊術師が暗躍していたという話もあったからね。今回の護衛任務とは、無関係なら良いのだけど」
実のところ、リズの懸念はそこにもある。はっきりと明言することはできないが、おぼろげな点が線で結びつくような……
あるいは、そういう線を見出してしまいそうな、漠然とした不安が。




