第261話 水入らず
アスタレーナからのオファーを受け、リズはエリシアの護衛を務めるということで話がまとまった。
先方のルブルスク王国に対しては、今のところ招待に応じるということで調整中と伝えてあるという。これから正式に決定するとして、実際には1ヶ月ほど経ってから向こうへ行くことになる見込みだ。
「滞在の予定期間は?」
「おそらく1ヶ月ほどになる予定です」
「了解」
飛行船関係であちこち動き回っていたが、今度もマルシエルを長く離れる事になりそうである。
リズの仲間たちも、この招待に連動する形で行動することになる。誰を現地へ派遣するか、マルシエルからの出向者も含め、今から討議する必要はあるだろう。
リズは一味の頭目だが、人員選定などは最終的な承認を下す程度の立ち位置に留め、実際の話し合いはマルクを中心に任せることとした。彼が実質的に別働隊の隊長となるからだ。
かなり大きな案件ではあるが、こういう場に慣れてしまったせいか、彼に物怖じした様子はない。リズにとっては何よりであるし、アスタレーナも、妹が信頼するこの青年に期待の目を向けている。
マルシエルとしても、“すでにラヴェリアで進行中の案件”という名目で、すぐにでも議会にかける必要がある。
アスタレーナの用件がこれで済んだということで、場はお開きに。各自が調整に動き出し、にわかに慌ただしくなっていく。
しかし、そんな一同を尻目に、アスタレーナはリズに呼びかけた。
「あなたは残ってもらえませんか?」
「私だけ?」
「はい。個人的に、少し話してみたいだけです。嫌なら諦めますが」
(拒絶して、少し困らせてみるのも……)
などと、悪い考えが脳裏によぎったリズだが、すぐにそれを頭から追い出した。
個人的な話というものがどうなることか、純粋に興味がある。
二人だけを残すことに、マルシエル議長も許可を出した。常識の範囲であれば、応接室の利用が多少長引いても構わないという。
気を利かせたのか、それぞれがそそくさと部屋を出ていき、すぐに姉妹二人だけの空間に。
すると、ため息をついた後、アスタレーナが口を開いた。
「実を言うと……今回この場を設けるのが、少し怖くて」
「わからないでもないわ。敵視されてても仕方なかったから、でしょ?」
「ええ」
しかし、実際にはそうはならなかった。
もちろん、リズを支える者たちは、いずれも彼女に好意的な感情を抱いている。
その一方、敵であるはずのラヴェリア王族に対しても、それぞれに複雑な思いはあることだろうが、一定の敬意を持つことができている。
これはひとえに、リズ自身がそういったスタンスであり、仲間たちにもそうあってほしいと言葉を重ねてきたからだろう。
「ま、ネファーレアはともかくとして……実際にお会いした王子や王女には、割りと良い印象を持ってるしね」
「そう……」
自分に向けられる感情に合点がいったのか、はたまた兄弟が悪く思われていないことに安心したのか、アスタレーナはいくらか表情を柔らかくした。
それから少しして、彼女は尋ねた。
「兄上……ルキウス兄さんと戦ってから、おおむねマルシエルにいたでしょう?」
「どうだったかしらね」
すっとぼけて見せるリズだが、アスタレーナは無言でレガリア、《掌星儀》を展開した。
「お見通しですよ」と言わんばかりの微笑を浮かべる彼女に、リズは「ご存知のとおりよ」と苦笑い。
「……これは議長殿から伺ったのだけど、この半年の間に色々と手広く手掛けているようね」
「ええ」
「充実してる?」
これは言わずもがなである。にっこり笑みを返すリズに、姉も優しい笑みで応じ……少しして、難しそうな顔になった。
「ここ1ヶ月ほど……たぶん、飛行船だと思うのだけど、あなたが様々な国を高速で巡っていたみたいで」
答えづらい話を持ち出され、リズは視線をそらした。
「私にもプライベートってもんがあるし……」と返すと、罪悪感からか、アスタレーナは「そうよね……ごめんなさい」とうなだれた。
実のところ、継承競争の標的が国々を転々としているとなると、外務省諜報部長としても気が気ではないだろう。それに、レガリアの性質を思えば、他人に相談するのも難しいはず。
一人で抱え込んできたのかと思うと、リズは少しいたたまれない気持ちになった。
ただ、1ヶ月ほど飛行船に乗り続ける“だけ”の毎日を送っていたのには、軽々しく言えないだけの理由がある。
というのも、飛行船墜落事件の解決を図るため、一連の事象が人為的な攻撃によるものという前提のもと、次に襲われそうな航路の飛行船に片っ端から乗っていたからだ。
もちろん、先の事件解決は、この姉も遠からず耳にすることだろう。だからといって、マルシエルからの承認も得ないままに、一人先走って口にするわけにはいかなかった。
立場が逆でも、きっとそうなっただろう。
「ま、ちょっとしたお仕事でね……あなたたちに迷惑をかけるようなものではないわ」
「わかったわ」
「その内、きちんと話すと思う」
実際には、別のルートで情報が渡ることになりそうではあるが。
とりあえず、やましいところがないということは信じたらしく、アスタレーナは安堵の表情を浮かべている。
ただ、口を閉ざした彼女は、何か考え込む様子を見せ……だいぶ逡巡した後、話を切り出した。
「実は、議長殿から継承競争について……ご意向を伺っていて」
「議長って、あの?」
コクリとうなずくアスタレーナ。
これは初耳であった。議長からラヴェリアの者に話が行っていたとは。そういったことがあり得ないわけでもなかろうが……
(大胆なお方だわ、本当に)
話の内容次第ではあるが、マルシエルが察知していることを、ラヴェリアが把握するだけでも大事だろう。無論、相手を選んだのは間違いないが。
思いがけない話題に、驚きを隠せないリズに、アスタレーナは「やっぱり、知らなかったのね」と言った。
「どういう話をされたのか、興味あるわ。いえ、私が聞いちゃって良いのかしら」
「特に口止めはされていないわ。それに……伝えておいた方が良いように思って」
神妙な顔の姉に、思わず姿勢を正すリズ。
アスタレーナによれば、二人の間で話があったのは、幽霊船での戦いの後。《門》でラヴェリアへ帰還する道中でのことであったという。第三国経由で帰国する際、《門》の管理所で偶然遭遇したのだとか。
互いに公務等で知らぬ仲ではない――というより、政治観や社会観について、相通じる部分も多い。転移までの待ち時間もあり、自然と歓談する流れになった。
そこで、議長の方が外交上の話があると切り出し、ネファーレアを一時的に離席させることに。そして……
「議長殿から、継承競争について把握していることと、あなたと一種の共生関係にある事実を伝えられたわ。ラヴェリアが事を起こしても、国益と国際秩序に反しない限り、介入しない方針も」
「そこまでは事実を伝えられたというだけってところね……今だから言える話だけど」
「そうね。それで……継承競争自体について、ラヴェリア王家と国体に係わる事項だけに、マルシエルとしては内政干渉するつもりはないと宣言なされた。ただ、『あなた方が辞めたいのであれば、手を貸す』とも」
「……なるほどね」
今回の会談の席をセッティングしたのも、つまりはそういうことだろう。まだまだ預かり知らないところで、何かしらの根回しがあるのかもしれない。
リズとこの国の関係は、あくまでギブアンドテイクであった。継承競争を辞める手助けというのも、マルシエルの国益にかなうものだろう。
結局のところ、国際社会が荒れるのを、この国は望まないのだから。
とはいえ、自分が生きていくことを望んでいる――そういう一面があることも確かに感じられ、リズはその点に関して深い感謝を覚えた。
しかし、その一方で……
「どうかしたの?」
「……いえ、なんでもないわ」
顔に差した陰を見抜いたようで、アスタレーナが尋ねてくるも、リズは微妙を浮かべてはぐらかした。
皮肉な話だが、命を付け狙われていた自分自身が、今では継承競争の意義を、ある面に関しては認めてしまっている。
――すなわち、いずれ来るかもしれない戦乱に備え、ラヴェリアの血の加護を維持するという儀式的側面を。
全ての代で、血なまぐさい闘争があったというわけではない。血の歴史において、儀式は完全な連続性を保ってはいない。
それでも、必要な犠牲というのはあるのかもしれない。
「自分さえ助かればそれでいい。誰かが犠牲になって、血を繋げばそれでいい」
そんな他者の犠牲を強いる考えこそ、追い回される自分にとっての敵ではなかったか。
今や、誰にも言えない秘密を胸に、リズは自分に課せられたはずの運命を思った。
自分たちの血の源泉たる、あの大英雄と、彼が眠る大霊廟に思いを馳せ、殊勝になる気持ちもある。
ただ――
(……ま、いっか。今の内から私だけが思い悩むことでもないわ)
それはそれとして、であった。
自分自身が犠牲になる意義を、ある側面においては認めているものの、まだ生きて色々と楽しみたいという欲も確かにある。相反する思いが自分の中にある、そういう自分を、彼女は完全に肯定している。
重要なのは、生きる今も死ぬ時も、間違いなく自分らしくあることなのだ。
この先に待ち受ける仕事はと言うと、楽しむというのとは程遠いだろうが……試練に立ち向かうというのは、もはや慣れっこである。血が騒ぐ思いは実際にある。
それに、まだ見ぬ護衛対象への興味も。
「エリシア嬢って、どんな方?」
「私たちよりは可愛らしいわ」
「でしょうね」
やや皮肉めいた表現に、ニコリともせずリズが返し……顔を見合わせて少ししてから、二人は笑った。
「大人しくて控えめで、本当に良い子よ。ただ……」
「ただ?」
「さして親しくもない国に送り込まれて、それでも気丈に振る舞えるかどうか。それだけの芯があるかどうかは、私にもわからない」
身の安全ばかりでなく、そういったところも気がかりなのだろう。エリシアの振る舞い次第が、先方の心証にも関わってくるのだから。
そして、今回の護衛依頼に対する含みもあった。「お願いします」と頼むアスタレーナ。対するリズは、ふんぞり返って偉そうに言った。
「ふふ、任せるが宜しいわ」
「……そういうところ、少しでも似てくれると安泰なんだけど」
「変な虫が逃げるかもだし?」
軽く応じるリズに、含み笑いを漏らすアスタレーナだが……失礼が過ぎたと思ったのか、彼女は咳払いした。
笑われた本人はというと、まったく気にしていなかったのだが。
用件は一通り済んだようで、会話は少し途切れがちになり、まったりとした沈黙がたびたび訪れるように。
互いの立場を思えば、贅沢な時間の使い方だろう。
こうした一時を楽しんでいるようだったが、さすがにいつまでもこうしていられるわけではなさそうで、アスタレーナは辞去の旨を口にした。
「今日は、色々と話せて嬉しかったわ。相手してくれてありがとう」
「こちらこそ。面白そうな厄介事を持ってきてくれて、腕が鳴るわ」
悪びれない態度で憎まれ口を叩く妹に、姉もすっかり慣れたようで、ただ苦笑いを浮かべた。
そうして二人、揃って応接室から出てようとしたところ……ドアの向こうで一人の青年が立っていた。
「どうかしたの?」
立っていたのはアクセルである。
さて、尋ねたのはいいが、彼がここで待っていた理由など大体は察しがつく。久しぶりに、アスタレーナと話すためだろう。彼が自分で望んだか、おせっかいな女性陣に背を押され、それで素直になったか……
ふとリズは、姉と弟を見回した。剣呑な空気こそないが、やや気まずそうなものはある。
(水入らずで私が抜けるってのも、なんかこう……違うわね)
この二人だけにしても、今の様子では話も弾まないだろう。「仕切り直すか」と口にし、リズは二人の手をとった。
これに少し驚いたようだが……結局二人は、状況を諾々と受け入れた。三人で応接室へ入り直す形に。
(まったく、世話が焼けるんだから……)
などと思いつつも、表情は柔らかなリズであった。




