第260話 良い取り引き
リズ以外の面々も、アスタレーナの依頼は読めていたようだ。さほどの驚きはない。
それでも、ラヴェリアの王族から直々に頼みに来るという状況は、常軌を逸している。
一言一句聞き逃すまいと、今までに増して注意が注がれる中、アスタレーナは言った。
「もちろん、ラヴェリアからも護衛は出します。私が特に信頼する人員で……継承競争のことも知っています」
「ということは、あなたがここにいることも?」
「はい。皆の承認を得た上で、私がこの場に臨んでいます」
さすがに一人で突っ走っているわけではない。
だが、彼女の配下まで今回のオファーを認めているとなると、事はなおさら異様に思えてくる。
緊張感張り詰める中、アスタレーナは今回の抜擢について、その理由を並べ挙げていった。
まず大きいのが、宮廷メイドとしての経歴。
王侯貴族が何たるかをよく理解しており、場に相応しい立ち居振る舞い、礼儀作法を期待できるというのだ。
これについては、普段のリズがそういう人物ではないだけに、やや不安と怪訝さ入り混じる視線を寄せる仲間たち。
2つ目の理由は、女性であること。招きに応じるエリシアとは同性というのが良い。
今回の招待が、即縁談に発展するほどのものではないとしても、そういう面を意識せざるを得ない案件ではある。
それを踏まえると、女性の護衛であることがエリシアの緊張を和らげ、また先方に不要な警戒を抱かせずに済むのではないか……ということだ。
そして3つめの理由。ある意味一番重要なものかもしれないが、それは――
「あなたの過去の実績が……特筆に値するとでも言いましょうか。無事に帰るという点において、これ以上の人材はないものと考えます」
おそらく、このことを世界の誰よりも強く理解しているのが、他ならぬアスタレーナであろう。
直接対決することこそなかったが、継承競争の当事者にして、他の皆よりも一歩引いたところからサポートし、局面を俯瞰していたのだから。
このお墨付きを素直に喜んでいいものかどうか、リズは迷った。変に何か言えば、この姉に悪いような気がしてしまうのだ。
結局、彼女は少しはにかむように微笑するに留めたのだが……
それはそれとして、聞くべきことがある。軽く息を吐いた後、リズは尋ねた。
「お考えは理解できたわ。ただ……私自身、お手伝いすることに意義のある案件だとは思うけど、何か見返りでも?」
「当然の疑問です」
実のところ、継承競争はまだ終わっていない。アスタレーナやルキウスの様子を見る限り、敵意は感じられないが……この件にかこつけて罠にはめようと動く者がいるとしても、何ら驚きはない。
リズ自身、この姉に対する、一個人としての信頼の念は確かにあるものの……何しろ、これだけの重大案件である。単なるお願いというのでは首肯しづらい。仲間たちの前ではなおさらのことである。
すると、アスタレーナは懐から一通の封書を取り出し、対面するリズにスッと差し出した。
「この場で、皆さんでご覧になって」と言われ、リズは封書を開けた。
中の書類は二枚。広げる彼女の背後に仲間たちが近寄っていく。
書類は、実に端的なものであった。
――当代の継承競争を断念し、別の方法で次期継承者を定めるよう提言するものだ。
特筆すべきは、文責者。法務祭礼に携わるレリエルが当文章を起草。これに他の継承権者たちが承認する形で署名している。
そして、二枚目の書類は……枢密院の回答。各継承権者とその陣営から提起された本件について、検討の俎上に載せるというのだ。
王命によって始まった継承競争に対し、王の諮問機関たる枢密院が、その是非を検討する段階にある――これは非常に大きな変化である。
重要なのは、現時点ではあくまで検討でしかないことだ。議論が許されるようになっただけでも、そういった意向が相手方の中で大きなウェイトを占めつつあるように思われるが……事はいかようにも転び得る。
そして、今回の護衛依頼の見返りにと、これを提示した意味を照らし合わせれば――
「私の働きぶりが、説得材料になるのかしら?」
リズの問いは、もはや答え同然だったのだろう。アスタレーナは申し訳なさそうな顔になり、問いに応じた。
「頼む側としては、あまりに恥知らずな態度と思われますが……私たちの間にある争いを解消するための、数少ない現実的な手段です。もっとも……」
言葉を切った彼女は、急に少しだけ自嘲気味な笑みを浮かべた。
「『もう、やりたくない』と考えているのは、私たちの方です。お互いのためと言えば聞こえは良いですが……私たちが責務から逃れるため、あなたの貢献を説得材料に使うというのは、あなたからすれば噴飯ものでしょうね」
「姉上が気に病むことでもないと思うけど……」
気遣いの言葉に、表情を少し和らげるアスタレーナ。その変化を認め、リズは再び書類に目を戻した。
承認のサインには、あのネファーレアの名前もある。
どういった心変わりがあったというのだろうか?
もしかすると、アスタレーナに迷惑をかけてしまった自責の念が、彼女を変えたのかもしれない。あるいは、少し前から外務に携わることになって、ものの考え方や捉え方に変化があったか。
いずれにしても、好ましい変化と言えた。付け狙われなくなるのは何より。それに――
(あのご母堂を思えば、あいつこそ一番、やらされてたみたいなものだし……)
今でもネファーレアの事は、やはり気に入らないままだが……同情とは少し違う、彼女の立ち位置への理解がないこともなかった。
それはさておき、自分の問題である。
リズは書類から目を外し、振り向いた。
全員で一度にというわけにはいかなかったようで、まだこの重大情報が行き渡っていないように映る。かといって、口にするのも憚られるようで、目にした者たちは驚きを隠せない。
そこでリズは、書類を回覧するようにと仲間たちに手渡した。
書類が回ると同時に衝撃も伝播していき……そんな彼らを前に、アスタレーナは話を続けていく。
「国として提示できる報酬は、その書類の通りです。あなたの働き次第とはいえ、まず通るでしょう」
「検討の余地ありと認めた時点で、ね」
「そういうことです。これだけを対価にするのも、さすがに申し訳ないと思いますので……護衛任務については別途、過去の事例に照らした正当な報酬を、外務省からお支払いする予定です」
つまり、継承競争からの免除や名誉回復等を餌にするばかりではなく、外務省としてはまっとうな護衛任務として依頼しようというわけだ。
タダ働きになっても、継承競争が取りやめになるのなら……と思っていただけに、まともな報酬があるのはありがたい。働きぶりを正当に評価し、金銭化するだけの心積もりがあるというのだから。
乗り気になってきている自分を感じつつ、リズは気になった点をぶつけた。
「こちらからのご同行は、私一人?」
「そのつもりです。指揮命令系統が二つでは、先方に怪しまれることでしょう。あなたの配下を私たちの下につけるというのも、何か違うように思いますし……」
これは正当な意見だった。あくまで、何も事が起きないようにするための護衛だ。あまりぞろぞろと、非正規の護衛をつけてしまったのでは、先方に怪しまれる可能性が高まる。
とはいえ……仲間たちから切り離されて一人怪しげな国へと、思惑渦巻く護衛任務に就くことについて、一抹の不安はある。
仲間たちからすれば、憂慮はなおのことであろう。
そんな胸中を見抜いたかのように、アスタレーナはリズの仲間たちを見回し、口を開いた。
「何事も起きないようにと、あなたを護衛につけたいのですが……実際に何か起きる可能性は低いものと見積もっています。先程は、やたらと脅すような事を口にしてしまいましたが」
「ま、念のためってところでしょうね」
「はい。むしろ、ルブルスクという国と、かの国をとりまく状況を理解することに主眼を置いています」
「……なるほどね~」
正規護衛は外務省から出すという話だが、こうしてアスタレーナが動いている点から、おそらく現地の同僚は諜報部員だろう。
場を荒立ててまで仕事をするとは考えにくいが、護衛の領分に留まりつつも、今後の判断材料となるだけの情報集めは怠らないように思われる。
「私にも、そういう仕事をお求めなのかしら?」と尋ねると、アスタレーナは少し間をおいてから答えた。
「あなたがルブルスクで、護衛もこなしつつどこまで動けるかは未知数です。できることなら……という思いはありますが、事を平穏無事に終わらせることを重視していただければ、とは思います」
「それはそうでしょうね。ただ……」
そこでリズは後ろを振り向き……”悪い友人たち”にチラリと目を向けた後、アスタレーナに向かって言った。
「少し相談させて」
「……何も、この席で全て決めよというわけではありませんが」
と、彼女はそれなりに決めるための時間を用意してくれるつもりらしいが……リズとしては、おおむね気持ちが決まっている。仲間たちに向き直り、彼女は尋ねた。
「私がエリシア嬢の護衛に就くことについて、反対意見は?」
しかし、手は挙がらない。遠慮している様子はなく、誰もが肯定的に構えている。付き合いの長短に関係なく。
ここまではリズにも読めていた。問題はここからで――彼女が護衛を務めている間、仲間たちに何をしてもらうか。彼女は口を開いた。
「決して安全な国ではないでしょうけど、何か重要な情報を掴めるかもね。そういう情報を仕入れて売って、国際秩序に役立てるというのは……イイことじゃないかしら?」
「ある意味、待ち望んだ仕事ではあるな」
「ですよねぇ」
と、好意的に応えるマルクとニコラ。
一方、アクセルは……二人の姉を前に、やや落ち着かない様子。そんな彼の頬をニコラが軽く突く。
「アクセル君も、一緒に仕事しましょうよ。きっと、あなたの力が求められる場面ですよ?」
「そ、そうですね……」
同僚に背を押される形にはなったが、彼も覚悟を決めたらしい。瞑目して考え込んだ後、彼は腹を括った顔を、リズたちに見せた。
元諜報員たちがその気になった中、別のことを考えている者も。今では船長代行が板についたニールが、割って入るように言った。
「ルブルスクまでは一般的な航路で問題なく向かえます。船長や護衛の方々とは別に動くとして、我々の船を拠点代わりにするのも良いのでは?」
「では、買い手が少なそうな、微妙な品でも積み込もうか。商談相手を探している風を、自然に装えるだろうしね」
と、一味の中では年長者のロベルトが提案。
すっかりそういうムードが出来上がった中、リズは満足気に、姉に向き直った。
「私が護衛に専念する裏で、私の友人たちが何かコソコソ動いていたとして、あなたはそれを咎めるかしら?」
「いえ」
少しにこやかに即答したアスタレーナだが、彼女は表情を引き締めて言葉を続けていく。
「我々とあなたの与り知らぬところで何が起きようと、我々やルブルスクには関係のないことです。その上で申し上げますが……何かの拍子に、あなた方が売れるだけの何かを掴んだのなら、我々は高く買いましょう。もっとも、値付けは私たちだけでするものでもないでしょうが」
そこで彼女は、マルシエル議長に目を向けた。当然のように話を継いで、彼女が口を開く。
「ラヴェリア側の護衛と別動するということであれば、情報収集は我が国と連絡を取り合う形になりますね。何かしら情報の仕入れがあれば、我々が値付けした上でラヴェリア外務省に打診。協議の上、情報料の支払いを折半ということになるでしょうか」
「それが妥当かと。詳細は詰める必要があるものと思いますが、こちら側はその条件で呑むものと思われます」
雲の上のやり取りも、実際にはかなり友好的に決まりそうである。
実のところ、マルシエルは後援的立場から情報を得られる可能性がある。もはや国外の関係者という間柄だけに、ただ送り出して安穏としていられるわけでもなかろうが、良いポジションではある。
加えて、これまで覇権主義的だったラヴェリアと、水面下ながらも手を組んだという実績を得られる。暗黒大陸の国家絡みで色々とキナ臭い世の中、これは大きいだろう。
一方、この件の主幹となるラヴェリア外務省としても、厄介な重大案件ながら、状況のイニシアチブを握ることができる。それも、同格の大列強であるマルシエルと協力する形で。
お互い、利のある取引というわけだ。
もっとも、それもこれも、リズ一行の働き次第といったところではある。
彼らを見回した後、アスタレーナは深く頭を下げた。
「こういった話の流れを、想定しないわけではありませんでした。ですが、こちらから願い出るにはあまりに礼を欠いていると思い……ご理解ご協力のほど、感謝の言葉もございません」
この場では間違いなく、彼女が一番高貴な生まれであろう。国際的な地位も、国家元首たるマルシエル議長に次ぐか、大英雄の末裔という事実を加味すれば、良い勝負と言える。
にもかかわらず、今の彼女は大変に腰が低い。下々にまで礼を示す彼女の有り様に、謝意を向けられた一行はむしろ戸惑い……議長は少し笑った。
「殿下は、もう少し偉そうになられた方が宜しいかと思いますわ」
あまりらしくない自覚はあるようで、この指摘にアスタレーナは力なく笑った。張り詰めた表情がフッと和らぎ、年相応の若さあるものに。
ちらりと垣間見えたその素顔に、リズも不思議と喜ばしい感情を胸に抱いた。




