第255話 思いがけない再会
8月7日、昼前。
マルシエル諸島の中でも有数の商店街の中、オープンして数か月という喫茶店は、新装開店から落ち着いても中々繁盛していた。
店内を形作る木材は明るい色合いで、ゆとりあるレイアウトも相まって開放感を抱かせる。
仕事のちょっとした合間に、あるいはたまの休日にと、店内は様々な装いの客が思い思いにくつろいでいる。
そんな店内の奥、事務室に隣接する店長室で、リズは副業に勤しんでいた。近所に居を置く魔法組合から頼まれた、魔導書の執筆業務だ。
実のところ、組合の近所を選んで空き物件を買ったという面はある。こうしたお仕事を通じ、「ウチの店もよろしくね」という営業を兼ねているのだ。
おかげで組合との仲は良好。先方の事務員が結構な頻度で利用してくれている。事務員との付き合いで、組合の利用者も……といった好循環もあるようだ。
この副業には、難しい魔導書の納入をこなすことで、一目置いてもらおうという考えもある。
そうすれば、議会の関係者やお役人が店にやってきても、そういう案件かと思ってもらえるのでは――と考えてのことだ。
事実、空の安全のために1か月ほど店を離れて点々としていたのだが、この不在は公用関係と思ってもらえたらしい。先日、組合に足を運ぶと、さっそくそういった話になった。
書きかけの魔導書を一度おいて、リズはイスにもたれかかって伸びをした。
マルシエルに帰ってからは、すぐに報告書の第一稿を提出。今日は強行軍の労をということで休日をもらっているのだ。
(結局デスクワークしちゃってるけど……)
働きづめではあるが、充実はしている。
ダンジョンの島を離れ、こちらに居を移して以来、本格的にいくつかの事業に着手してきた。かねてよりの海運事業は継続し、新たに拠点も兼ねた喫茶店経営、近所付き合いとして魔法組合とのやり取り。
――そして、飛行船墜落事件の調査に係る、特殊作戦の準備と遂行。
あまり休む間もない目まぐるしさはあるが、一つ一つの事業がきちんとうまくいっているのは何よりであった。
とはいえ、皆が精力的に活動するのは良いが、少々ワーカーホリック気味かもしれない。
その最たるものが、まさに事業主であるところのリズ自身だが。
彼女は窓の外をぼんやり眺めた。夏の日差しがさんさんと照り付け、熱気に外の景色が少し歪んで見える。
手を付けた魔導書はまだまだ半端だが、こういう日ぐらいは外で少し休んでみてもいいかもしれない。
(後で誰か誘って、泳ぎに行こうかしら……)
などと思っていると、ドアを叩く音が。
「どうぞ」と答えると、ドアを開けたのは店員姿のニコラであった。彼女にしてはいつになく真剣な顔をしているおかげで、口にする前から何かあったのだろうと察しがつく。
実際、それだけの用件であった。
「議会直属の官吏の方がお越しです。議会へお越しいただくように、と」
「用件の詳細までは聞かされてない感じね」
「あくまで遣いの方であって、ご存じではないようです」
呼び出しの中身も伝えないというのはかなり珍しい。もっとも……
「心当たりがないわけじゃないんですけどね~」
「それはね」
困ったように微笑を浮かべるニコラに、リズも力なく笑った。
表沙汰にできない話題など、つい先日作ったばかりだ。
さらに言えば、従前からの秘密も色々と。
待たせても悪いと思い、リズはイスを立った。
「中々休まりませんよね」
店員姿が板についた――いや、何を着てもそれっぽくなる友人に、リズは苦笑いを返した。
「ま、お互いにね」
☆
マルシエル諸島中央、議会講堂に足を運んだリズは、まずは衣裳部屋で正装に着替えた。
国内で色々と肩書を得たものの、公表されてはいないだけに、正装で外をうろつくわけにもいかないのだ。
ただ、この講堂内では、ある程度は顔を覚えられてきている。それだけの活躍をした証拠でもある。
すれ違う面々と互いに会釈しつつ、リズは案内に従って講堂の廊下を歩いていく。
果たして、目当てと思しき部屋に到着した。
というのも、部屋の前でマルシエル議長その人が待っているのだ。案内係の役人は、「では、これで失礼します」と、恐縮した様子で場を後にした。
しかし、少し妙である。
(普通なら、中でお待ちになられているところだと思うけど……)
実際、これまでの会談とはわけが違った。リズに用があるのは、議長ではないというのだ。
「エリザベータ嬢にお目にかかりたいという方が、こちらに」
殿下という呼称を避け、議長は言った。
「議長閣下は、同席なさらないのですか?」
「先方の希望でしたので」
つまり、この大列強の主席を人払いの対象として追い出せる――そればかりか、この場を作るために協力させられるほどの人物が、中にいるというわけだ。
さすがに、あまり良い予感はしない。ここに来るまでに感づいていた、心当たりの一つではあったのだが。
この状況で好材料と言えるのは、議長の様子ぐらいだろうか。中にいる誰かとリズの面会を、彼女はあくまで好意的に考えているようにうかがえる。
(そもそも、会わせたくなければ断られるでしょうし)
結局、室内にいる何者かへの警戒心よりも、これまでこの国や議長に受けた恩に対する信頼や信義が大きく勝った。
ドアノブに手をかけるリズだが、振り向いて一言。
「中でのお話は、後でお耳に入れた方が?」
「気にならないと言えばウソになりますが、お二方にお任せいたしますわ」
そう返した議長は、表情こそ穏やかなものだったが、眼差しには真剣なものがあった。
内密に留めて良いというあたり、やはり――
改めてドアに向き直り、力を込めていくリズ。しっかりしたつくりの重厚なドアは、本来よりもより重く感じられる。意識して力を込め、彼女はドアを開けて入室した。
その部屋は窓が大きな応接室であった。窓は中庭に通じており、先客が一人、外の様子を眺めている。リズと同世代の女性だ。
彼女は入室したリズに気づき、顔を向けてきた。
ラヴェリア聖王国第三王女、アスタレーナである。
合っていた予想に妙な安堵を思えつつ、リズは尋ねた。
「お邪魔でしたかしら?」
呼ばれていながらの、この言い草を、姉は冗談と解してくれたのだろう。彼女は柔らかに微笑んだ。
だが、言葉にはかなり迷っているように見受けられる。
それはリズも同様だった。何を言ったものかと悩む部分はある。
一方で、このまま困らせて眺めるのも一一と思いつつ、リズは断りの言葉も得ないままに近づき、同卓した。
茶の用意はない。お互い、万一を疑ってしまう立場にあるからだろう。
敵意や害意は毛ほどもないのに、不思議と張りつめてしまう緊張感の中、リズは中庭を眺め、考えた。
さて、何を話したものか。
(……でも、呼ばれたのは私だし。待てばいいわ)
あくまで要件があるのは相手の方だと、リズは開き直りって言葉を待つことにした。すると、「何から話したものかしらね」とつぶやく姉の声。
少し間を開け、彼女は続けた。
「あなたが兄上と戦って、これで半年ほどね。あなたの方も色々とあったでしょうけど、こちらもこちらで色々あったわ」
「でしょうね」
姉の様子をうかがいつつ、あまり下手にならないようにと応じたリズだが……やや意外なことに、姉は居住まいを正し、改まった口調で言った。
「先に言っておきますが、その件であなたを非難しようという考えはありません」
つまり、「色々とあった」ことでの諸々について、不問とする考えなのだろう。それはそれでありがたくはあるが……
「それは、ラヴェリアとしての総意?」
「当然の疑問ね。とりあえず、あなたが今も“生きている”と考えているのは、私を含めて六人。いずれも同じ考えよ」
「六人っていうのは、継承権者全員と考えても差し支えない?」
「ええ」
アスタレーナの言を信じるならば……何かしらの方途により、リズの生存を突き止め、その情報を六人だけで共有しているというわけだ。
つまり、普通の諜報網で知り得た事実ではない。知ってしまった人員を始末するとも思えない。
よって、この継承権者六人の中に、自身の居場所を感知する手立てを持つ者がいるとリズは直感した。
そして、かなり怪しい人物が眼の前にいる。




