第25話 忍び寄る不穏①
リズが農作業を始めて2週間ほど経ったある日。雨が降るほどではないものの、空を雲が覆い尽くす、薄暗い日のことだ。
朝方、起きてみると、町の入り口がにわかに騒がしくなり、リズは同じ宿の利用者たちとともに外へ出た。
外に出てみると、何やら人だかりができている。
集団の真ん中には、兵士らしき服を着た男が三人。町の外には馬がつながれている。
彼らの装備や近隣の町村の位置関係、そしてこの騒ぎようから、リズは彼らが夜通しかけて来たのではないかと直感した。
実際、すでに集まっていた町人によれば、彼ら三人は隣町メルバを昨日夕方に発って、今しがたここに来たとのことだ。
その用件というのは……後から集団に加わったリズたちの元へと、紙が手渡されてきた。
周囲の様子から、複数人で一枚を一緒に見るようである。町人たちとともに、無言で紙を覗き込むリズ。
紙には地図や絵と、文章が書かれていた。新聞である。表題には――
『相次ぐ鳥獣の変死体! 呪法の疑いアリ。次は家畜か、それとも……』
表題が目に入った時、リズの背筋に嫌な寒さが伝った。
彼女はすぐさま目を閉じ、遠くに展開した魔法陣へと意識を向けたが、それらしい感覚はない。
しかし、自身の件と無関係には思えない。彼女は冷静を保って、記事を読み進めていく。
事の発端は、一人の狩人の発見であった。
3日ほど前、国境近くの河へと足を向けてみたところ、奇妙な野犬の死体を見つけたという。
何が奇妙かと言うと、死体には直線状に小さく盛り上がった、うすピンクの隆起が2列あった。
膿にも見えるそれらの列を、彼は果敢にもかき分けてみたところ、間に浅い切り傷もあったとのこと。
一見すると、傷口に毒が入り込んだように思われる。
だが、近くの河川には何の問題もなく魚が泳いでおり、不可思議な現象はその野犬にのみ見られたという。
しかし、時と場所を別にして、同様の事例が散発的に生じていた。
いずれも犠牲となったのは鳥獣で、傷口が共通点だ。浅く斬られ、傷口周りに不気味な盛り上がり。
そこで、事件発生地点の最寄りである、メルバの藥師に件の死体を見せてみたところ、やはり毒の類ではなさそうだとの見解を示した。
また、傷口のまわりには、かなり薄くなってしまっていたが、呪力の痕跡らしきものが見られたという。
つまり、切りつけた後に、呪いを仕込まれたのではないか、と。
記事には、犠牲になった動物たちのラフスケッチも載っていた。朝っぱらから食欲を失わせる記事に、顔を曇らせる町人たち。
言葉もなく立ち尽くすようになった彼らに、夜通しかけてきた三人の内、代表が口を開いた。
「まだ、人畜には被害が出ていないようですが、イタズラとして片づけるにはどうも薄気味悪く……ロディアンでも十分に注意していただければと」
「ご配慮、痛み入ります」
「いえ、こちらでの収穫物を口にすることも多いですから。我々にとっても、十分に死活問題ですよ」
事態への対応は早い方が良いということで、当該事象が話題に上がって記事になるなり、情報の早いスファウトの町が彼らを遣わしたというわけだ。
その配慮に報いるべく、さっそくこの三人に十分な休息を取ってもらおうということになった。
話題が話題だけに、三人は緊張した面持ちでいるが、どこかホッとした様子も感じられる。
とりあえずの仕事を果たして荷が下りたのか、あるいは、こちらではさらに深刻な事態が起きている、その可能性を思っていたのか……
牧畜を営むこの町に、今回の下手人が訪れたなら、事態は深刻化する可能性は高い。
しかし、今のところは問題ないかもしれない。
なぜなら、奇妙な死体の発見ポイントは、この町からやや離れた国境沿いに集中しているからだ。
加えて、それら発見ポイントとこの町の間に、記事にも出ていたメルバの町がある。
残酷な考え方ではあるが、そちらがひとまずの防波堤になる可能性が考えられる。
だが……その国境沿いの河というのは、ラヴェリア方面である。
自分が流されてきた川の上流で事が起きているという情報に、リズは言い知れない不安を覚えた。
さて、今回の事態について、ロディアンとしては黙っているわけにはいかない。ここにまで魔の手が這い寄って来た時、何の備えもなかったというのでは済まされないからだ。
町長は、人ごみの中からフィーネを探し出し、まっすぐ見据えて言った。
「今からメルバまで行ってもらえませんか?」
「はい、そのつもりでした」
町長の頼みに、フィーネは即答した。
この話の流れを意外に思う町人は少なくないようで、困惑する空気が漂い始めたところ、フィーネは互いの意図を補足するように言葉を付け足していく。
「私も現場近くへと赴いて、事前に情報を得ておくべきかと。例の遺体を見て、何かわかることがあるかもしれませんし……向こうで誰かが襲われた時、力になれるかもしれません」
彼女の言に、町長は神妙な顔でうなずいた。
ただ、記事からはまだ情報が足りず、もしかすると想像以上に危険な輩が手を下しているのかもしれない。
……というより、リズとしては確信めいた懸念がある。そんな中で、フィーネだけを遣いに出すというわけにはいかなかった。
「私も同行します。何かあっては大変ですし、それに」
「それに?」
真剣な眼差しをフィーネが向けてくる。
リズは、本当のことを言うべきかどうか迷った。
しかし、敵の詳細がわからない内から決め打ちしてしまう言葉を発するのは、うかつ極まりないように思われる。
一方で、何も言わないでいるということを、卑怯で恩知らずのようにも感じてしまう。
悩んだ挙句に、彼女は信じてもらえそうな言葉で茶を濁すことにした。
「少し前に、私の具合が悪くなったことがありましたが、もしかするとそいつのせいかもしれません」
「……まさか~」
「事件が起きているのは、私が流れ着いたのと同じ川です。ラヴェリアから追ってきた敵かもしれませんし、それとは無関係で、近隣を縄張りにする狂人かもしれません。いずれにせよ、私としては放っておけない悪縁を感じます」
決然とした調子で言い放つと、場がスッと静まり返った。
これでもう、拒絶されるかもしれないと、リズは思った。しかし……
「まだ決まったわけじゃありませんよ? それを確かめに行くようなものですし」
「……ま、それもそうか」
「リズさんがボディーガードなら安心だな!」
「馬は私が走らせますけどね」
フィーネを始めとする、馴染みの友人たちが場を取り持つように口にし、張り詰めた緊張が少しほぐれていく。
どういった意図で話の矛先を変えてくれたのだとしても、リズにはただただ感謝しかなかった。
それから早速、馬でメルバまで向かおうという話になった。
記事の感じから、フィーネは現地の魔導士が死体に《保凍術》を使っているものと指摘した。腐敗することはないだろうが、到着は早い方がいいとも。
ただ、出発を前にして思うところあり、リズは町長に声をかけた。
「お渡ししたいものが」
「何でしょうか」
渡すと言っても、リズはまだ何も持っていない。不思議そうにする町長含む町民たち。
そこでリズは、カバンの中から10cm四方程度の紙を2枚取り出した。
これは隣町スファウトの魔法組合で買い求めた中々頑丈な紙で、魔法陣を書きこむベースに用いられることが多い品だ。
彼女はまず、それらの裏に《念動》を記述。宙に浮かび上がらせ、町人にはまっさらな側を見せた上で、リズは2つの紙に同一の魔法陣を刻んでいく。
書き込みが終わると、リズは適当に小さな子を見繕い、ふわりと紙の一枚を飛ばせて差し向けた。
たったそれだけのことだが、相手の少女は興奮で目をキラキラさせている。
その後、リズは片割れの紙を、自分の顔を覆い隠すように持った。すると……
『行ってきます』
リズの方からはほとんど声が聞こえなかった一方、少女に手渡された紙から、リズの声が飛び出てくるではないか。
実演により、これが何であるかを町民たちに示したリズは、少女に「後で町長さんに渡してね」と笑顔で言った後、説明を始めた。
「《遠話》と言います。この魔法があれば、遠く離れても会話ができます」
「なるほど。何かがあればこれを、と」
「向こうに滞在することになる可能性もあります。定期的に連絡するのが良いかもしれません」
できることなら、火急の連絡など無いに越したことはないのだが……これぐらいは必要な備えだと、リズは感じた。
リズのからの用件はこれで済み、後は出発するばかりである。
そこで、《遠話》の紙を持つ少女が、お返しとばかりに大きな声で紙に言った。
「行ってらっしゃい!」
「バカだなぁ、紙なくっても聞こえちゃうじゃん」
少女と仲の良さそうな少年が、元気な挨拶をたしなめる。
実際、彼が言う通りではあるのだが、リズは優しく微笑んで「ありがとね」と二人に言った。
そして、リズとフィーネは改めて、見送りの一行に「行ってきます!」と声にし、馬を走らせた。




