第253話 悪行重ねて
降伏を受け入れた侵入者たちに、さっそく処置が施されることになった。武装を解除した上で、乗客の手も借りて降伏者たちを捕縛していく。
次いで、魔法に覚えのある正規乗務員による《封魔》を経て、本格的に無力化。
襲撃を受けた飛行船は、事が起きて一時間ほどで、ようやく安全と言える状況を取り戻した。
安全確保を確認したリズは、もともと乗っていた飛行船へと向かった。飛行中の甲板から甲板へ、高度数千メートルという世界を渡っていく。
甲板に到着すると、そこは奇妙なほどに静かだった。
転がされている襲撃者たちは、不思議と敵意のようなものがない。むしろ、強い諦念に支配されているようだ。
一方で乗客には、憔悴と安堵、それに戸惑いが入り混じっている。
そんな中、乗務員は比較的落ち着いた様子だが……戦闘要員を中心として、複雑な表情をしている。
ただ、状況を解決した点について、歓迎はされているようだ。副機長を名乗る比較的若い男性が、リズを出迎えた。
「この度は、何と申し上げていいのやら……」
「こちらこそ、色々とお伝えしなければならないことが……機長殿の容体は?」
「生死に関わる負傷ではありません。止血等、必要な処置は完了しています」
彼の他にも負傷者は出ているが、深刻なのは機長のみ。差し迫った状態にある者がいないことに、リズは安堵のため息を漏らした。
しかし、あまり安心してもいられない。まずは果たすべき説明責任というものがある。
お誂え向きに、乗員乗客全員が集うこの場を借り、リズは状況の説明を始めた。
まず、一般には知られていないことだが、近年は飛行船の墜落事故が10件以上発生していること。それも、明るみになっている範囲で、だ。
また、これらの事故を調査していくと、意図的に飛行船を落とされたのではないかという疑惑が持ち上がった。
そこで、過去の事例から狙われそうなタイプの飛行船を割り出し、乗員乗客を装って搭乗。本当にその場に居合わせた時、対応するという作戦が持ち上がった。
それが本件である。
耳にしても、にわかに信じられないだろうが……今夜それを体験し、目の当たりにしてしまっている。
困惑する聞き手たちだが、状況をどうにか受け入れているようだ。そんな面々を前に、リズは言葉を重ねていく。
「こちら側にも要員を配置していましたが……あくまで、最悪の事態に備えた待機要員という位置づけでした。敵方の侵入を阻止しなかったのは、敵船確保を第一とする我々の都合でしかありません。多大なご心労をおかけいたしましたこと、この場で深くお詫び申し上げます」
そう言って深々と頭を下げるリズだが、非難の声は上がらなかった。戸惑う空気が流れる中、老紳士がおすおずと口を開く。
「こちらにも待機要員がいらっしゃったという話ですが……」
「はい」
答えたリズは、部下に目配せしていった。
まず特等船室には、相応の身なりに整えたセリア。一等船室は、ニコラを中心とするメンバー。二等船室には、非常用の戦闘要員。貨物室には、誰にも見つからないように、本当の非常用としてアクセルを。
各所に配していた人員が、スッと立ち上がって隊長の元へと歩いていく。
「すると……そちらのみなさんは、最悪の場合は、我々と運命を共にする覚悟があったということでしょうか」
「そうならないようにするための要員ですが……覚悟の上ということではありました」
実のところ、人質を救うための最低限の備えであり、そういう備えをしているということを示すための人員配置でもあった。
――つまり、巻き込まれた乗員乗客からの理解を得る助け、でもある。
助けたいというのも本心だったが、実利的な打算も大いにあり、それはうまくいったらしい。あわや見殺しにされていたのかも……といった気持ちは、ほとんど持たれていないように映る。
ただ、これからも色々と迷惑をかけてしまうのだが。
罪滅ぼしの意味も込め、リズは自分の裁量で許される範囲の事実を明かしていった。
「我々はマルシエル政府直属の特殊部隊です。本件は関係諸国同意の下で、外交上の特秘事項として扱われます。当機は、機密保持のためにマルシエルへ向かいます」
「ということは、マルシエルで……保護されるということでしょうか?」
かなり言葉を選んだと思われる淑女の言葉に、リズは難しい表情ではあるが首肯した。
「政府直轄のセーフハウスで、皆様方の身柄を預からせていただく運びとなります。身の回りにご不便のないようにと考えておりますが……拘束時間に係る経済的損失につきましては、マルシエルの威信にかけ、被害相当額を弁済させていただきます」
世界最強の経済大国、それも公正取引に血道を上げる国の言うことに、異論は上がらなかった。
そもそも、この件にはマルシエルが首を突っ込んだ形だが、決してかの国が責任を負うような事項ではない。
尽きない不安はあることだろうが、国際社会や経済に理解のある歴々は、リズの言葉を二の句もなく受け入れた。
空中で襲い掛かる飛行船を逆に乗っ取り、そして取り返すという離れ業を演じた特殊部隊、その隊長への敬意も手伝ったのだろう。
さほどの混乱もなく、一通りの説明を果たした後、リズは副機長に向き直った。
「今お話ししました通り、マルシエルへ向かっていただきます。こちらに何人か残しますので、外交上の調整はお任せいただければ」
「了解いたしました」
硬い表情の副機長が承認し、他の乗務員もこれを了承。一方でリズも、残しておく人員に声をかけた。
「セリアさんは通信室でフォローを」
「承知いたしました」
特級客室に相応しい乗客を装っていた彼女は、華やかな装いのまま通信室へと向かった。
他に残すのは、念のための保安要員だ。捕らえた敵兵を二手に分け、こちらの船では貨物室に突っ込んで監視することに。
さっそく、正規乗務員の手も借りて、敵兵の荷運びが始まった。
だが、手つかずでいるもう半分の捕虜に、副機長の目が向く。
「彼らの処遇は、あちらの船でということでしょうか?」
「はい。ひとところに固めると危険かと」
理解の早い副機長にうなずくリズだが、目論見はまた別にあった。
拘束した大の大人を、甲板から甲板へと受け渡していく。一歩誤れば――という作業だが、どうにか無事に積み変えが成功した。
甲板に残る乗客たちも、空中での捕虜移送が一応心配ではあったらしい。自分たちを脅かした敵ではあるが……視界に入るところで人の死を見届けてしまうのは、さすがに苦痛なのだろう。
次いで、欄干に打ち込まれたアンカーを外し、二隻が分かれる準備が整った。
取り返した飛行船から、奪い取った飛行船へと足を向けるリズだが……未だ甲板に残る乗客たちは、彼女に揃って頭を下げた。
そんな中から一人、歩み出てくる女性の姿が。複雑な面持ちで、リズは彼女の名を口にした。
「ペトラさん」
「イサベルさん……」
「ごめんなさい。イサベルというのは偽名なんです。本名はエリザベータで……」
申し訳なさそうに言うリズだが、ペトラの顔に非難がましいものはない。少し安心しつつ、リズは続けた。
「お話しできて楽しかったですよ。マルシエルでまた会えたら……」
「……また会えたら? まっすぐ帰るわけではないのですか?」
言葉の綾というより、失言だったかもしれない。かと言って、変なはぐらかせは、「実は帰れないかも」と取られかねない。少し迷い、リズは言った。
「まっすぐ帰るのも一つの案ですが、まだ色々と検討中で。寄り道の案もありますから」
「そうですか……」
これでも不安は晴れないらしく、ペトラは表情を曇らせてうつむいた。
フライト中、あまり他人と関わり合いにならないようにと考えていたのだが、一方で変に怪しまれないようにと気遣う必要もあった。話しかけられたら、他の乗客のように振る舞うべき、と。
そうした配慮の結果が、これである。
だが、心配してもらえるような縁ができたことは好ましく思われる。リズは彼女の手を取り、優しく握った。
「土産話……というか、武勇伝でも持って帰りますから。期待していてくださいね」
「……はい!」
持ち直したように見えるペトラの顔は、リズの仕事がまだ終わっていないと察し、送り出そうという気持ちを込めてのものだろうか。
少なくとも、リズ自身はそのように感じ、表情を柔らかくした。
それから彼女は、迷惑をかけてしまった他の乗客たちに目を向け、「皆様方にも、吉報をお持ちします」と朗らかな表情で続けた。
とりあえずの別れを済ませた後、リズは強奪した飛行船に足を着けた。さっそく「お疲れ」とマルクからの労い。
「あなたもね。交渉は大変だったでしょう」
「相手が不慣れなおかげで、なんとかな」
謙遜する彼だが、周囲からはお褒めの声が。
「実際、マルク以外だとあそこまで続かなかったかもね」
「そういう仕事の経験がないからなあ」
と、仲間に認められ、彼も少し満足げだ。
一時的に和やかな空気になるも、すぐに引き締まったものになっていく。リズは降伏した敵部隊の隊長に目を向け尋ねた。
「黒幕はタフェットでしょ?」
「ああ」
もはや隠し立てできないと察しているのだろう。背景にある母国の名を、彼はすぐに認めた。
「向こうから連絡が入ることは?」
「基本的にない。通信自体が露見のリスクになると考え、連絡は限定的だ」
「限定的ってのは?」
横から来た問いにも、彼は普通に答えていく。曰く、お互いの緊急時、あるいは国土上空に入ってからの管制等に限られる、と。
つまり、作戦行動で事を起こしている時は、ほぼスタンドアローンと言える。
「定時報告もない?」
「ああ」
「よろしい」
そう言ってリズは腕を組み、仲間に向かって頼んだ。
「地図をここへ」
「実はここに」
いつの間にやら用意していた地図を、部下の一人が懐から嬉しそうに取り出した。
この用意の良さに、リズは思わず顔を綻ばせつつ、広げた地図を魔法の明かりで照らし出す。
「積載人数の限界は?」と彼女が尋ねるも、隊長は口を閉ざした。
だが、これは単に知らないだけだろうと彼女は察した。代わりに、別の者が答えていく。
「厳密な数字は知らない。だが、相当の重量物を運んだ実績はある。人間換算だと、百人はいけると思うが……」
「それは頼もしいわ」
とは言っても、これからどこに向かって、何を運ぶつもりなのか。転がされる投降者たちには、見当もつかないだろう。
だが、リズの仲間は――特に、元諜報員という経歴の三人は、すでに何か察するものがあるのだろう。すかさず腰を屈めたニコラが、地図上に小さな《霊光》を置いた。
「リズさんが向かったっていうのは、大体この辺ですね」
「ええ」
「現在地はこのあたりでしょうか」と横からアクセル。二点間は、全力で飛ばせば夜明け前に着く距離である。
それだけ確認すると、リズは立ち上がって視線を巡らせた。
投降した敵兵は全て拘束済みだが、縛られていない部外者もいる。捕らえた敵兵の恋人だ。
「会えてよかったかしら?」と尋ねると、彼女は戸惑いながらも確かにうなずいた。
彼女の存在が、投降を後押ししたとも言えるが、彼女を責める視線は一つもない。
「ご近所さん同士?」と、半ば確信に近いものを持ちながらリズが問うと、隊長は「ああ」と認めた。
この返答に、リズはこの作戦を思い立って以降、仲間から教えてもらったことを思い出した。
それは、元諜報員たち、特にマルクが詳しく話してくれた一連の墜落事件の犯人像プロファイリングについてだ。彼曰く――
『こういう凶行が本当に――マジだったとして、だ。こういうクソみたいな汚れ仕事をやらされる連中ってのは、大体決まりきった類型がある。身寄りのない奴を集め、外界から遮断した隠れ里で育成するんだ』
『外部との接触を断つことで、機密の漏洩を防ぐわけね』
『ああ。それで……工作員たちが年頃になってきたら、同じような境遇の異性を、さも自然に隠れ里へあてがってやる』
『……大体読めたわ』
『まぁ……生きる意味を与えて、人質に取ってるってわけだ』
そんなやり取りが、今この場で目にしている連中にピタリと重なり合う。リズは大きなため息の後、腕を組み、瞑目した。
ややあって、彼女は仲間たちに視線を巡らせ、イイ笑顔を浮かべて「イイ事思いついちゃった」と告げた。
これに対し、彼女の人となりを少なからず知る者たち――こんな作戦に付き合っている命知らずバカども――が、思い思いの笑みを浮かべる。ある者は困ったように、ある者は呆れたように、ある者は苦笑いを。
だが、いずれも信頼に満ちた目を彼女に向けた。
一方、投降者たちは困惑するばかりだ。
無理もないことだろう。これまで仕掛ける側だった自分たちが手玉に取られ、相手の頭目が「イイ事」などと口にしているのだから。
それでも、隊長は腹を括った様子で問いかけた。
「一体、何を考えているんだ?」
「何って……人さらいよ」




