第252話 空の問答
飛行船というものは、離発着等の際に地上作業員と声でやり取りするための装置が備わっている。機内中枢部からの声を外に拡声し、外からの声を拾って内部に伝えると言った具合だ。
だが、飛行中の飛行船同士で会話し合うのは、まずありえないことと言っていい。
いくら魔道具で拡声しているとはいえ、互いに声が届く距離では、ふとした拍子に大惨事へと発展しかねないからだ。
そんなありえない事態が、今まさに進行している。
敵からの呼びかけを受け、マルクはどうしたものかと頭を悩ませた。
このような事態になる可能性は、作戦前に想定できていた。ある程度、実行犯たちのプロファイリングがないこともない。
しかし、結局はアドリブである。意を決し、彼は口を開いた。
『貴船は掌握した、どうぞ』
「何もなかった」とはぐらかしても、どうせ話し方等で妙に思われるだろう。
それよりは、端的に答え、連中が不用意に戻ってこないようにするのが上策と考えての事である。
加えて、短い返答は最低限の情報を与え、相手に思考の余地を残す狙いもあった。
事実、きっと思いがけないものであっただろうこの返答に、言葉が返ってくるまでには若干の時間を要した。
『何が目的だ?』
『ああ、こちらも気になっているところだ。交互に少しずつ明かしていくのはどうだ?』
少しからかうような言葉に対し、気色ばんだような声が返ってくる。
『こちらには人質がいる。まさか忘れた訳じゃないだろうな?』
『無事を確認できない人質など、居ないも同然だろう? そういう理解はあるものと思ったが』
『仮にこちらが無血で掌握したとしても、お前たちがそれを信じるとは思えないがな』
そこでマルクは、「待ってました」とばかりに唇の端を少し上げ、『少し待て』と答えた。今まさに考え込んでいるように思わせつつ、返答を少しずつ口にしていく。
『殺していないというのなら、人質を……そうだな、欄干に並べて見せろ。スリット越しに視認し、乗員乗客名簿と照らし合わせて確認する』
この要求に対し、返答にはいくらかの時間を要した。
そして、期待通りの返答が。『いいだろう』と。
それから人質の無事を確認する作業が始まった。甲板に残した監視要員が双眼鏡で、欄干の合間に連れてこられる人質を、一人ずつ確認。向こう側からの読み上げとともに、名簿にチェックしていく。
あちら側の制圧においては、若干の戦闘があったらしい。正規の乗務員はいくらか負傷しているのが見受けられた。もっとも……
『うちの隊員は、全員無事ですね』
『みたいだな』
《念結》による報告に、マルクは胸を撫で下ろした。無理をする仲間たちではないとわかっていたが、万一という恐れはあった。
今回の安否確認には、いくつかの目的がある。
まず、巻き込まれてしまった善良な人々の無事を確認すること。
乗っ取られた側に残しておいた仲間――すなわち、残存戦力の確認。
そして、時間稼ぎ。
欄干のスリットに一人ずつ立たせての確認は、名簿との照合における取りこぼしと誤認を防ぐためだが、一気にまとめてやるよりはずっと時間がかかる。
もしかすると、向こうの敵たちも、時間を稼いで今後の対応を考えようという腹があったのかもしれない。双方暗黙の合意の内に、人質確認は進んでいき――
とりあえず、現時点での死者がいないことが確認できた。
気がかりなのは機長で、立派な制服は血みどろであった。それでも、他人の介添えがあればどうにか立てる様子だったが。
向こうの無事を確認したところ、侵入者たちからは当然の要求があった。
『こちらの人質は見せてやった。次はお前たちの番だ』
『殺してないぞ。ゲイル、ブランドン、カルーゾだろ?』
リズの手で絞り出してやった名前を告げてやるが、向こうの反応はない。あちらは、“吐かされた”ものと考えているかもしれない。
そこでマルクは、返答を待たずに続けた。
『こちらからも、同様の手順で無事を見せてやる。少し待っていろ』
『……いいだろう』
戸惑いの種を相手に残したまま、こちらの手で状況を進め、表層的な懸念だけは解消してやる。
そうすることで激発を防ぎつつも、交渉のイニシアチプを握ろうという考えが、マルクにはあるのだ。
人員を手分けし、無力化した捕虜たちを中枢部から運び出していく。
にわかに静かになった中、臨時の操縦士が口を開いた。
「手慣れたものですね」
「こういう訓練も受けてきましたので。連中はおそらく、交渉事は素人でしょうが」
過去の事例を類推するに、そういった見立てはあった。犠牲者には交渉の余地などなかっただろうし……
あの加害者側にも、交渉してやるだけの裁量が自分たちにあったかどうか。
命ぜられた汚れ仕事を、ただ言葉もなく粛々と執り行うだけの、そういう手先でしかなかったのでは――と。
こちら側からの人質は三人。確認するのには時間を要しなかった。
さて、一人ずつ見せあっての人質確認で思惑通り時間を稼ぎはしたものの、まだリズは戻ってこない。
ここからどうしたものかと考えるマルクに、先方が交渉を持ち掛けてくる。
『お前たちにその意思があるのなら、この飛行船を返してやってもいい』
『お前らが自分の船を取り戻したら、だろ?』
『当然だ。かかった人命はお前たちの方がずっと多い。選択の余地などないと思うが?』
見透かしたような声に、マルクは大きくため息をついた。
ここが正念場である。避けるべきは――
この飛行船を取り返されることだ。
相手のペースに引きずられてはならない。彼は覚悟を決めて、相手の要求をはねつけた。
『今後の交渉のため、我々の優先順位を提示する。最優先は、お前たちが乗ってきた、この飛行船だ。そちらに乗っている方々の命は、努力目標に過ぎない』
作戦目標の事実を口にするも、返答には間が開いた。『強がりだろう?』と、どうにか口にできたような言葉だけが。
飛行船同士のこの会話は、もちろん甲板にいるそれぞれの耳にも入っている。
命は二の次とされた、乗員乗客の耳にも。
その事実を考慮の上、マルクは怯むことなく言葉を続けていく。
『お前たち、まさかこれが初犯というわけじゃないだろう? 我々の目的は、これ以上繰り返させないことにある』
『……では、どうするつもりだ? まさか、こちらの飛行船まで取り返そうというのか?』
『いや。こちらとしては、犯行の証拠さえあればいい。興味深い資料をいくつも積んでいるようだしな。速力もこちらが上だ。そうでなければ、こんなことできなかっただろう?』
ここでも返答が途切れた。図星と見切り、マルクは事実を突きつけていく。
『状況を冷静に考えろ。我々は最低でも、この飛行船を持ち帰る。それをお前たちは止められない』
『人質はいいのか? 国際問題にもできるぞ?』
『我々が何者なのかわからないのに? それに、こちらは証拠物件がある。仮に人質ビジネスを始めたなら、その国際問題とやらでお前らの国の首を絞めることになるだろうよ』
やはりというべきか、こうした事態への備えはなかったらしい。たびたび言葉に詰まる相手の立ち位置等を類推しつつ、マルクは口を開いた。
『そもそもの話をするが、こちらの飛行船を奪われた時点で、お前たちに帰る場所は存在しない。盗んだ飛行船で帰還して、それを認めるような奴が、お前らの上にいるわけじゃないだろ?』
『だからどうした。人質がこちらにいるのを忘れたか? お前たちの言葉が本物か、一人ずつ殺して確かめてやってもいいぞ』
『では聞くが……お前ら、今までの犯行では、殺してから機体を落としたのか? それとも、機体ごと落として殺したのか?』
この問いかけに、時が凍り付いた。
尋ねた本人には、ある程度察しがついていた。
答えは後者――過去の類似事例においては、乗員乗客を生かしたままで飛行船を墜落させたのだ、と。
抵抗したはずの乗員を殺しきっていない事実が、その予想を補強している。
一瞬、静まり返った後、先方が言葉を返した。『知ったことか』と、隠せない程度にトーンを落とした声で。
人質を直接痛めつけるのは、やはり本意ではないのだろう。マルクはこのあたりを突くことにした。
『状況の再確認だ。我々はこの飛行船を返すつもりはない。お前たちにできる選択は、その民間船で帰還するか、お国から逃げ回るか、腹いせに人質を殺すか、あるいは我々に降伏するか。罪を重ねず、まともな国の裁きを受けることを勧める』
『あまり自惚れるなよ。取り返されるとは思ってもいないのか?』
『試してみてもらってもいいが……そうまでして、お前たちは今の任務にしがみつきたいのか?』
『……お前たちに何がわかる!』
『逆に聞くぞ。お前たちはお互いの事をしっかり理解しているのか?』
これに続く返答はない。
おそらく、今の会話に応じているのは向こうの隊長だろう。他の連中の心理までは把握しようがないが、いくらか類推することはできる。
明らかに、望んでやっている仕事ではない。人質が死んでいないのがその証拠だ。これから死ぬことになるものとしながらも、任務遂行のために直接殺すとまではいかない。
害意を最低限に留め、未必の故意に逃げているように思われる。
さらに言えば、こういった汚れ仕事であれば、口に出せないだけで隊員間での温度差はあってもおかしくはない。だからこそ、内輪もめを視野に入れての時間稼ぎだったのだが……
会話が途切れて少ししたところで、中枢部の床に刻まれた魔法陣が輝き出した。
そこに現れたのはリズと、彼女より少し年上に見える女性。
「お帰り」と言ったマルクだが、振り向くと開いた口が塞がらなくなった。
帰ってきたリズの頬には、赤い跡がついている。思いっきり叩かれたのだろう。その張本人と思しき女性は、連れ去られたばかりの困惑で唖然としている。
「状況は?」
「互いの人質確認を済ませ、交渉で時間稼ぎをしているところだ。殺しは避けたいように感じる」
「やっぱりね」
「二人で甲板へ向かってくれ。彼氏にも降服勧告させたい」
これだけのやり取りで、リズは色々と理解したのだろう。さらってきた女性の腕を引いて足早に去っていく。
後はこのダメ押し次第だが、もう任せてしまっても大丈夫……だろう。マルクはイスに深くもたれ、大きくため息をついた。
「お疲れさまです」
「どうも」
その後、甲板で動きがあったようだ。魔道具が音を拾い、状況を伝えてくる。
『た、隊長! どうか、降伏してくれ……頼む!』
『クソッ! 一体どうなってるんだ!? どうしてその子が……』
どうやら、さらってきた彼女が、同僚連中よりも重い人質らしい。
「そうだろうな」という予感が、マルクにはあった。
彼らにとっては、恋人こそが人間らしさを保つための拠り所だったのだろうから。こんな仕事をやらされていたのも、おそらくは――
不可解な人物の出現だが、向こうはこれを事実と認めたらしい。
そして、待ち望んだ声が響き渡る。
『勧告通り、当方は降伏する』と。
二人きりの中枢部に、弛緩した空気が広がる。一仕事終えても、まだやるべきことはいくらでも残っているのたが……
ここまでを切り盛りし、つい伸びをするマルクに、操縦士が満足げな笑みを向けた。
「お疲れ様です」
「いえ、最後は彼女に持ってかれてしまいましたが……」
「ナメられずに時間を稼げたのは、マルクさんの働きですよ」
実際、話の流れはこちらにあった。相手が未経験と思われる中、マルク自身も、こういった訓練は受けたが実践は初めて。それにしては、相手の激発を避けてうまく引き延ばせた。
達成感に表情を少し緩ませ、小さく息を吐く彼だが……少し複雑な表情で、操縦士が尋ねた。
「少々よろしいでしょうか」
「どうぞ」
「連中の過去の犯行についてです。殺してから機を墜落させたと推定し、それを突きつけ図星だったようですが……何か判断材料が?」
「あ~、その件ですか」
急に渋い顔で口を閉ざしたマルクは、少し悩んでから「気分悪くなりますよ」と言った。
しかし、同僚に迷いはないらしい。好奇心等ではなく、知らなければならない、そういった義務感から来る姿勢のようだ。
マルクはそれに応えることにした。
「墜落現場には不死者が出たと聞いてまして。その点はご存知と思いますが」
「はい」
「現場には屍人も居たようですが、大半は亡霊だったそうで……つまり、そこで亡くなられたのではないか、と」
端的な答えに、操縦士は沈鬱な表情になったが……すぐに気持ちを切り替えたらしい。彼は真剣な表情で言った。
「片がついて良かったです」
「そう思います」
全ての墜落事件が、同一犯によるものだとすれば、これで終わりだ。
しかし……組織、もっと言えば国家ぐるみの犯行という可能性は高い。他に犯行グループがいる可能性は無視できず、補充や再結成という恐れもある。すべてが解決したと言える状況ではない。
だとしても、今回の作戦成功は、大きな前進となるだろう。
あるいは、そう信じて進むしかないのだ。




