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第248話 異常の中の異常

 飛行船というものは、一種の社交場でもある。それだけを目的とする者はさすがに稀だが、目的地を同じくする者同士、花咲いた雑談が何かしらの実を結ぶことは相応にある。

 そんな中で、没交渉にも書類仕事をしているように見えたイサベルだが、ペトラの予想に反してフレンドリーな女性であった。にこやかな微笑を浮かべ、口を開く。


「ペトラさんは、何か商用でも?」


「ええ、商用といいますか……」


 ペトラの生まれは貿易商である。取り扱いは手広いが、主力は木材や鉱石に半製品など、業者向けの品々。国外にも支店を置くほどの事業規模を誇っている。

 今回の渡航は、創業者一家の一員として支店への視察に向かうところだ。

「それはそれは」と、驚きとともに少し畏まるイサベルだが、ペトラはやや恥ずかしそうに笑う。


「視察と言っても、実際には顔見せみたいなもので……将来、支店に出向いて勉強することになるかもしれませんから。経営者としては、まだまだ見習いにもなっていないぐらいで」


 そう言って謙遜する彼女は、むしろイサベルの方が上ではないかと思っていたところだ。すでに何かしら、自ら手につけるだけの仕事があるように思われるのだから。

 話し相手への好奇心と、向けられる視線への面映ゆさに、彼女はイサベルの書類や本へと視線を逃した。


「気になります?」


「えっ? ええ……」


 不意に尋ねられた彼女は、少し迷いながらも尋ねてみることにした。イサベルの様子を見るに、むしろ聞くべき流れのようにも思われたからだ。

「イサベルさんのお仕事は?」と尋ねると、「私も貿易関係ですよ」と、朗らかな笑みとともに言葉が返る。

 曰く、市場調査のために各地を点々としているのだとか。「これは」という商材や、流行り廃りの気配、気がかりな値動きがあれば、いち早く本店に知らせて商機を(つか)む、と。

 機内で取り掛かっていた書類仕事は、滞在中の情報をまとめ、レポートの草稿を練るためのものだったという。

「お忙しいところを……」と申し訳なく思ったペトラだが、イサベルはまるで気にしていない。


「あまり身が入ってませんでしたから。サロンで気分転換でも……と思っていましたし、お声をかけていただけてちょうど良かったですよ」


 と、柔和な感じで話す彼女に、ペトラは「それなら」と安堵の念を(いだ)いた。

 それから、年が近いということもあってか、すっかり打ち解けて会話が弾んだ。

 ペトラにとって意外だったのは、イサベルがかなり話し好き――というか、聞き上手だったことだ。話を振り、耳を傾け、相槌でさらに会話に弾みをつけていく。

 とても、無言のしかめっ面で仕事していた人物とは思えない。


 そうして話し込んでいると、客室後方で扉が開く音がした。何人かがサロンから戻ってきたところである。

 つい話が盛り上がっていたが、さすがに他の客が増える中で話し続けると、迷惑になるかもしれない。他の客が現れたことが話の切れ目にもなった。

「では、これで」と小さく頭を下げるペトラに、イサベルは書類を指差しつつ「いい気分転換でした」と笑う。これにペトラもつられて笑みを(こぼ)し、彼女は席を立った。


 初めての飛行船に浮足立つものがある彼女だったが、この会話でずいぶんと緊張が(ほぐ)れる実感があった。

 そこで、もう一度甲板へ出たり、サロンへ足を運ぼうと彼女は考えた。先ほどとはまた違う感じ方をするかもしれないから、と。



 今回の渡航は、大海を横断するほどの長距離に及ぶ。昼に離陸した飛行船は、海の上で一夜を明かし、翌日昼前に目的地へと到着する予定である。

 日が沈み、頭上に夜空が広がっても、甲板は開放されている。誰よりも高いところで夜空を楽しむというのも、サービスの一つだからだ。

 しかし、限度というものはある。安全・防犯上の規定から、日が沈んである程度経った頃、甲板の上を乗務員が巡回し始めた。


「申し訳ありませんが」と、ペトラの元にも頭を下げに来る乗務員が。

 すっかり星空に見とれていた彼女は、ハッとして向き直り、乗務員に頭を下げた。

 これに乗っているのが、自分の稼ぎによるものではないからか、彼女はすっかり恐縮してしまっている。

 一方、乗務員は穏やかな微笑を(たた)えたまま、「お足元にご注意を」と続けた。柔らかく促されながら、客室へと足を向けていくペトラ。

 何となく周囲に目を向けてみると、他にも客室へ戻ろうとする者が何名か。老紳士と老淑女のペア。それに、壮年の男性と、もっと若い女性のペア。(ただ)れて退廃的な感じはない。


(一人でなければ、もっとロマンチックだったかも……)


 ふとそんな事を思うペトラだが、一人で眺める星空というのも、決して悪いものではなかった。

 静けさの中、満天の星を独り占めにしているような贅沢感。それとは逆に、世の神秘に一人で向き合い、自然と謙虚にされられる気持ち――

 地に足付けて見上げるいつもの星空とはまた違う、何とも言えない感慨が、心を満たしている。


 いい経験をしたと思いつつ、彼女は客室に入った。オレンジ色のかなり控えめな常夜灯と、窓から差し込む月明かりが、物の陰影を照らし出している。

 さて、夜間に甲板を閉鎖するのは、主に防犯のためだ。各乗客には所定の席で寝ていてもらいたいというのが、乗務員たちとしては正直なところである。

 よって、他の客はほとんどがその席についているはずなのだが……イサベラがいないことに、ペトラは気づいた。

 ただ、客室の奥から続くサロンは、まだ光がついている。そちらにいるのかもと、彼女はあまり深く考えなかった。

 そして、彼女は自分の席に戻り、イスに身を預けた。ある程度は背を倒すことのできるつくりになっており、寝台ほどではないがそれなりに快適に寝ることができる。

 実際、彼女が寝付くのに、そう長くはかからなかった。


 しかし――



 皆が寝静まってから、どれほど経っただろう。夢の中で音が大きくなっていき、ペトラは目を覚ました。

 何やら騒がしい。常夜灯は落とされ、光源は外の月明かりと、船内の壁を走る魔力の光のみ。

 すると、客室に備え付けられた魔道具から、男性の低い声が響いた。


「こちらは機長です。現在、当機の進行上に……他の飛行物体を確認しております。回避運動のため、機体が揺れる恐れがあります。乗客の皆様方におかれましては、決して席を立たれないよう」


 騒がしさの原因はこれだろう。納得とともに、ペトラは急激に高鳴る鼓動を感じた。

 飛行機が、他の飛行物体と遭遇することは、決してありえないことではない。

 飛行物体という婉曲な表現を用いているが、大型の怪鳥に出くわしたのではと、ペトラは考えた。乗船券購入時の諸注意においても、そういったリスクがあるとは聞かされている。

 それに、飛行機側も、従前から把握しているリスクに無策で運航しているわけではない。このような事態に備え、きちんと防衛要員が乗り合わせているのだ。

 そのため、怪鳥に襲いかかられる事例はあっても、それが墜落に(つな)がることはない――というのも、席の予約時に聞かされたことだ。

 他の客も、そういった諸々は承知のことだろうが、急な事態に怯える声はある。


「だ、大丈夫かしら……」


「こちらの方が先に見つけていれば、迂回してやり過ごせるとは聞いたが……」


「常夜灯を落としたのはそのためでは?」


 誰かが指摘を入れると、「おお」と関心の声が。これにはペトラも得心した。

 そう、プロがプロの仕事をしているのだ。ならば、それを信じるしかない。彼女は胸の前で両手を合わせ、ギュッと握り締めた。


 やがて、彼女は身にかかる横向きのGを感じた。これまでの飛行中に感じられなかった大きな力である。

 見通しの悪い夜闇の中、初めての感覚に彼女は身震いした。

 外でどうなっているかもわからない中、自分の命を他人に預けていることだけは明らか。恐怖を自覚してしまう。


 そして――轟音が響き渡り、機体全体を揺さぶる衝撃。先程の横向きの力と違い、意図的な操縦によるものではないと、彼女は直感した。

 何かがあったのは、客室よりも前方、甲板の辺りらしい。魔道具の伝声装置からは、ノイズ混じりに機長の声が響く。


『乗客の皆様! こちらからお声がけするまで、その場を動かれないように!』


 事態に対する詳報もないまま、声はそこでプツリと途切れた。

 詳細不明だが、ペトラには恐ろしい事が起きているという直感だけは確かにあった。他の客も似たようなものだろう。

 ただ、怖じる雰囲気は共通しつつも、奇妙なほど静かだった。「動くな」という言いつけがあったからこそ……ではなく、誰もが恐怖に凍って動けずにいるのだ。

 悲鳴一つ、あげることもままならずに。


 ややあって、衝撃の発生源と思われる甲板あたりが、急激に騒がしくなった。身動きできない客の近くで、事態は進行している。

 それも、きっと悪い方向へ。

 ペトラの人生は決して血なまぐさいものではなく、実に平穏で豊かなものであった。そんな彼女でも、今の喧騒が何かしらの争いによるものだということだけは、本能的に理解できた。

 問題は、乗務員と何が争っているか。


 突然の騒動も、やがて沈静化した。

 だが、機長からのアナウンスがない。

 凍りつきそうな恐怖の中、心臓が早鐘を打つ。状況を思い描いて推測するしかない脳は、ペトラ自身の願望とは全く逆のイメージを、無慈悲にも提示してくる。


 そして、それが現実のものとなる。


 客室前方のドアが、乱暴に開け放たれた。外にいるのは、乗務員とは違う装いの者が数名。軍装らしきものに身を包み、腰には剣を吊り下げている。

 間違っても友好的とは言えない雰囲気を醸し出す侵入者たちは、客室全体をさっと見回した後、口を開いた。


「この機は我々が制圧した。これから一人ずつ甲板へ出す。抵抗すれば、その場で殺す」


 ひとつひとつの言葉が、ペトラの耳と胸には、不思議なほどゆっくりと響いた。実際、聞き間違えのないようにと、ゆっくり発されたのかもしれない。

 この脅しに、誰も口を利けずにいた。



 一方その頃。同機の船底部にて。

 飛行船は船の形状を持つが、留まるのは海ではなく陸上である。そのため、船の底部は広く平らになっている。

 その底面部――外側(・・)に、黒づくめの集団がいた。


 彼らの腰部からは細いワイヤーロープが伸びている。繋ぎ止める先は、船底部に何箇所も存在する金具。

 本来であれば、陸上曳行(えいこう)や吊り下げ等のための金具だが、今の彼らは、これを命綱としているのだ。

 もっとも、完全に機材頼みというわけではない。飛行船の下、雲海の上に、《空中歩行(エアウォーク)》で10人程度が立っているというのは、なんとも奇妙な光景である。

 そのうちの一人が、下に顔を向けて「おっそろしいな」と口にした。

 機体全体を守る防風膜の下では、雲が高速で流れているのが見える。機体は完全に滞空状態に移行したらしく、雲の動きは気流によるものだろう。

 つまり、何かの弾みで防御膜が損なわれれば――


「ま、死ぬときゃみんな一緒だ」


「そうならなきゃ良いがな」


 と、船内の状況とは裏腹に、船底の面々に恐れ怖じる様子は毛ほどもない。

 そして、彼らの注意は船の上と横へ向いた。船体そのものを遮蔽に、彼らは慎重に移動を始めた。


 今まで乗り合わせていた飛行船には、いくらか距離をおいて、別の飛行船が横付けしている。向こうの船からこちらの甲板の柵に、やや弛みのあるワイヤーロープが張られている。

 おそらく、アンカー付きのワイヤーを打ち込まれたのだろう。これで逃走を抑制しつつ、向こうから侵入要員を送り込んだに違いない。


「上は大丈夫でしょうか」と、若い男性が口にした。

 彼らに、上の様子はわからない。魔力線を見られ、通じ合っている事が発覚すれば、その場で抹殺されるのが目に見えているからだ。

 となると、できることは限られる。


「できるだけ、こっちからも(・・・・・・)早く制圧して、まずは取り引きの場を設けないとな」


「了解です」


 そのために、向こうの飛行船へと乗り込まなければ。

 両船の間に張られたワイヤーからは、まだ要員が渡ってきており、仕掛けるにはまだ早い。

 しかし、乗り込む人員が途切れつつある様子に、船底一同の緊張感が張り詰めていく。


 こちらからも動く時が近い。


 そんな中、一人の青年が口を開いた。


「隊長。せっかくだし、何か言っておいたらどうだ?」


 声を向けられた先は、クリーム色の髪の美少女であった。

 凛とした顔の彼女は、声をかけられるや――神妙な顔をした後、少し不敵に唇の端を吊り上げていく。


「訓練通りやれば大丈夫。こういうことで私たちに勝てる奴なんて、まずいないでしょ?」


「心強い」


「海賊船、何隻も盗んだからなぁ……」


「盗んでない、奪っただけだろ?」


「大して変わらんっての」


 合いの口が入り、それぞれの表情に苦笑が浮かぶ。中には、緊張で少し硬い者も居るが……


「上には上がいるってこと、連中に思い知らせてやりましょう」


 続く隊長の言葉には、全員が意気のある顔でうなずいた。

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