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第246話 黄昏に星落ちて

 お互いに言葉に出さずとも、これが最後のやり取りになるかもしれないという認識は共通していたのだろう。同じ空を見上げながら、二人は話を切り出せずにいた。

 やがて観念したように、ルキウスが口を開いた。


「何か言い残すことがあれば聞くが」


「……そうね」


 後事について言及するならば、もちろん仲間たちの事が気がかりだが……下手に口走れば藪蛇になるのではないか。そういった懸念から、リズは口を閉ざした。

 もっとも、兄にはその程度のことなど、お見通しだったようだが。


「お前にも仲間はいるだろう? 彼らの事はいいのか?」


「変に触れると、逆に良くないんじゃないかって……」


「心配するな。こちらからは手出しさせないようにする。彼らを刺激して、仇討ちなどさせたくないからな」


「そうね……ありがとう」


 本当に死んだ後の事など確かめようがないのだが、信用できるこの兄が――それも次の王となるはずの男が言うのだ。

 理解ある兄の言葉に、リズは安堵のため息を漏らした。

 それからまた少し間が開いて、彼女はつぶやくように言った。


「実は、あなたとは話してみたいと思っていたのよ」


「退屈だぞ」


 これから王位に着く男とは思えない、実に控えめなお言葉に、リズは思わず笑ってしまった。

 笑うと全身に痛みが走り、体中を巡った痛みが今度は胸元へ。口元に手を当てむせ込む彼女は、夜空を背に、心底心配そうな兄の顔を見た。

 この兄こそ、自分をこうなるまで追い込んだ張本人なのだが……皮肉を言おうという気持ちも起きない。「大丈夫よ」と告げた後、彼女は言葉を続けた。


「あなたたち兄弟とは、大半とお話しする機会があったから……あなたもせっかくだし、と思って」


「そうか」


 兄の返答は短い。会話に応じる気があるのは感じられるが……さすがに、積極的にという気分ではないのだろう。

 しかし、リズは構わず、彼に話しかけていく。


「ここまで通用しないとは思わなかったわ」


「私は……もっと容赦なく攻められると思っていたが。そうしようとは思わなかったのか?」


 実際、彼を殺す気でかかれば、もっとやりようはあったかもしれない。

 山頂に施した準備で、あの戦場全体がリズの魔導書となっていたのだから。

 しかし、それに踏み切るだけの理由を、彼女は持ち得なかった。


「自滅覚悟なら手はあったけど、それであなた殺したって仕方ないでしょ。それに、あなたの事も生かして帰したかったのよ」


 実のところ、自滅覚悟で攻めたとして、それでも彼を仕留めきれたかは微妙なところだ。

 たとえ、奇跡的に彼だけが倒れたとしても、それで好ましい未来に(つな)がるとも思えない。


「実は……そろそろ潮時なんじゃないかって思ってた。このまま逃げ切れるとは思えなくて、私が逃げるほどに誰かに迷惑がかかっていく。だったら……」


 継承権者を殺せず、結局は追い返すか逃げることしかできないというリズの立場は、ルキウスも重々承知だったのだろう。彼は沈鬱な表情で、「すまなかった」とだけ言った。

 まったく、勝者にしてはずいぶんと打ちひしがれたものである。

 それでも、明るい気分でいられるよりはマシかと思いつつ、リズは兄に向けてやや芝居じみた冷笑を浮かべた。


「これだけ完璧に勝てるなら、真っ先にいらっしゃればよかったのに。でも……きっと、そうもいかない理由があったでしょうけど」


「……ああ」


「ここで話せば?」


 この申し出に対し、目を少し白黒させる兄に、リズは微笑みかけた。


「誰にも話せない内容なら、ちょうどいいでしょ」


「それは、あまりにもみっともないと思ってな……」


「別にいいじゃない。私が聞いてあげるから、それで気持ち入れ替えて帰ればいいわ。それがみんなのためというものでしょ?」


「そんなに聞きたいのか?」


「ええ」


 素直な言葉を吐いてまで食い下がってくるリズに、兄はついに折れた。恥を忍ぶかのような複雑な面持ちで、彼は思いの丈を打ち明けていく。


「お前に挑めなかった理由はいくつかある。互いの実績から、私の方が有利だろうとは思ったが……判断材料が少ないうちは万全ではなかった」


「なるほどね」


「それに……ベルハルトがお前を見逃すのは、そう信じがたいことではないし、レナが積極的に戦わないのも当然のことだ。だが、私は……私が出るからには、確実に実績を上げなければならなかった」


 兄弟の上三人は、それぞれが個別の事情を抱えており、それがこの継承競争にも現れている。

 リズにしてみれば、第二王子と第三王女のスタンスのおかげで、今まで生きながらえてきたわけだが……

 一方で、この二人の姿勢が、ルキウスの立場にさらなる責任を与えていたのだろう。


「お兄さんも大変ね」


 何の気なしに言ってから、表現が軽はずみだったかもと思い直したリズだが、兄はただ悲しそうに笑うのみだった。


 戦うからには、誰よりも確実に勝たねばならない立場にあった彼は、それゆえに慎重にならざるを得なかった。

 その一方、リズに対してあまりにも相性が良い彼だからこそ、むしろ手出ししづらくなる要素もあった。


「お前の戦い方に対し、私はあまりにも有利だ。だからこそ、軽はずみに先んじて動けば、競争としての公正な体裁を欠くと考えた。私を上に押し上げるため、お前を犠牲に選んだ。この継承競争が、そんな茶番劇になるよう陛下や枢密院が仕組んだと、そう勘ぐる者が出ないとも限らない……そう考えたんだ」


「なるほどね……」


 早々と彼が仕留めに動いていれば、競争そのものから生じる問題は少なく済んだことだろう。

 だが、あまりにも都合のいい事の流れに、結果を受け入れられない者が出るかもしれない。早い者勝ちという原則も、これでは出来すぎた事の流れへの盾になりかねない。

 最終的に、それぞれが表面上は結果に従うとしても、抑圧した不満が後々の不和や火種となる可能性はある。


「そこで私は……これ以上長引かせられなくなった時、競争を終わらせに動くのが、自分のあるべき立ち位置だと考えた」


「その考えは理解できるけど、次の王位に対する想いは、特にはないの?」


 肝心なところを尋ねるリズに、ルキウスは少し自嘲気味な笑みを浮かべ、首を横に振った。


「父上は……自ら政務を取り仕切られた頃は、失政の一つもない名君であらせられた。今でも、国の内外問わず讃えられておられる……お前も知っているだろう」


「気に入らないけどね」


 現国王バルメシュは、これまでの拡張路線を改めて内政に注力する道を選んでいた。

 ラヴェリアの威光を大陸全土に――と考える者は少なくない中でのことだ。大列強の元首と言えど、何かしらの失政をあげつらわれるリスクは相応にあったことだろう。

 それでも彼の治政には、指摘されるほどの失点がなかった。

 もっとも、近年は政務から退き、後進の手に委ねて久しい。そんな失政知らずの名君が、最後に自身の意志を形にした重要な君命が、この継承競争と考えると――


「私一人に標的を絞るのは、さすがのご英断といったところですかしら」


 皮肉たっぷりに言い放つリズに、兄は口を閉ざし、寂しげな笑みで応えた。

 父王に対する不敬と(そし)られても仕方のない言行だが、彼はそれを否定しないでいる。

 だが、彼は父王の事もまた、非難せずに認めた。


「お前には理不尽な話だろうが……こういった決断を下すのも、国王の務めなのだろう」


「わかってる」


「私とて、その必要に迫られれば、決断を下すだけの度量はあるつもりだ。だが……」


 彼は口を閉ざし、うなだれた。


「王とは、必要に迫られて動くばかりの者でもないだろう? 国と未来を背負い、自らが道を指し示さねばならない。そうするだけの才覚が自分の中にあるかどうか……自信を持てないんだ」


「私に勝ったくせに」


 もちろん、それとこれとは次元が違う問題ということを、リズは理解している。

 それでも、自分に勝ったこの謙虚な兄の姿にいたたまれないものがあり、発破をかけるつもりで口にしたのだ。

 その心意気は通じたのか、兄は優しげに微笑んだが……表情は晴れない。


 少しの間、互いに口を閉ざして静かになった後、彼は立ち上がった。

 そろそろ、終わらせるつもりなのだろう。最後になるかもしれないと思い、リズは言った。


「第二王子殿下がね」


「どうかしたのか?」


「私は、ある意味では、次のラヴェリア君主を自分で決められる特殊な立場にあるって」


「……そうか」


「あなたになら、負けてやってもいいわ」


 もはや立ち上がるだけの体力もないが、リズは少し皮肉な笑みを浮かべ、恩着せがましく言い放った。

 しかし、身の程知らずな言葉を受け止めたルキウスは、彼女の強気ぶりを笑うでもなく、かえって神妙な顔になっていく。


「私がいたからこそ、お前が標的になってしまったのかもしれない」


 その言わんとするところが、実際に戦ったリズにはよくわかった。

 こうして、手も足も出なかったのだから。

 競争という体裁は保ちつつ、それでもいつか、彼女には避けられない予定調和の最期が来る。

 しかし……たとえルキウスが居なくとも、運命は変わらなかっただろうと、リズは考えた。殺されるために生まれた自分に対し、圧倒的な有利がある彼の存在が、継承権者たちを追い立てる連中に好都合だったというだけの話だ。


「あなたのせいじゃないわ」


 正直に伝えるも、返事はない。リズに向かって右手を構えた彼の指に、少しずつ魔力の光が灯っていく。光に照らされ、彼の悲壮な顔が浮かび上がる。

 いよいよ迫ってきたその時を前に、リズは口を開いた。


「お願いがあるんだけど」


「ああ」


「私……母はどうでもいいし、父は正直、軽蔑してるけど……二人からもらったこの体と顔は、結構気に入ってるのよ」


「そうか」


 そう言うと、ルキウスは少しだけ表情を柔らかくした。


「こちらも、あまり傷つけたくはない。《貫徹の矢(ペネトレイター)》で仕留めてやる」


「お願いね」


 すると、夕から夜に変わりつつある星空の中、リズは兄の顔に一筋のきらめきを見た。


「泣いてるの?」


「……ああ。これで皆を解放してやれる」


 この“皆”という言葉が、彼の兄弟を示すのは間違いなかった。

――では、その兄弟の中に自分が含まれるかどうか。

 答えがいずれであろうと、リズはそれを自然と受け入れられた。目の前では魔力の光が宙に刻まれ、見慣れた魔法陣が姿を現す。

 後はいつでも撃てるという段に差し掛かり、ルキウスは言った。


「今まで、よく頑張ったな」


「たいしたもんでしょ?」


「……ああ」


 魔法陣の光に照らされる中、ルキウスの顔はやはり物憂げなまま。それでも、なすべきことはなすだろうが……


「あなたも頑張ってね」と笑顔で言うと、ルキウスは少し表情を崩し――


 最後の一撃を放った。

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