第244話 VS第一王子ルキウス②
鋭い剣閃が襲い掛かる中、連撃を剣でいなしながら、リズは背腰部に携帯していた魔導書を飛ばした。
もちろん、これは相手にも見えている。敵の駒が二倍となれば、注意は分散されるはず。
実際、リズへの攻勢は若干緩み、ルキウスの足が魔導書の方へと向いた。回り込もうとする本の動きを牽制し、力みのない流れるような所作で縦に一閃。
これに対し、リズは魔導書を開いた。放たれる魔法は《閃光》。辺りを満たす南国の陽光すら呑み込む勢いで、白い魔力が宙に溢れ――
ルキウスの背面に新手が躍り出た。砂の中に潜ませていた魔導書である。表舞台に現れるや、伏兵が間髪入れずに魔弾を連射していく。
しかし、未だ閃光に呑まれた戦場の中、撃ったはずの魔弾が相殺される音が響き渡る。この状況で防御されているのは疑いなく……
操っている魔導書の感覚も、程なくして喪失した。
そして、場を覆い尽くす白い光が消え去った。リズの視界に浮かび上がったのは、無傷のルキウスと切り捨てられた魔導書が2冊。
奇襲に対しての鮮やかな手並みに、リズは素直な感嘆を抱いた。
「さすがね」
「砂場に何か潜ませるという手は、ある程度は予想できたからな」
実際、ベルハルトとの戦闘においても、リズは海中に沈めた魔導書を駒として用いていた。こうした前例を知った上で、この戦場に臨んだのなら、結びつけて考えるのも自然ではある。
それにしても……閃光で視界を奪った中だというのに、実に的確に魔弾を相殺したように思われる。魔導書への反応と察しの良さもさることながら、守りの硬さこそが真に驚異的だ。
そもそも、浅い傷から血が滲み、汗と入り混じって流れ落ちるリズに対し、ルキウスは未だに傷一つ負っていないのだから。
リズの側に、彼をあまり傷つけまいという遠慮の意識があるのは事実だが……本気の殺意を抱いたとしても、結果は変わらないだろう。そういった自覚が、彼女にはあった。
しかし、この程度で終わらせるわけには。剣を構えなおし、リズは相手に向き直った。
これにルキウスも応じる構えを見せ、戦場に再び張り詰めた緊張と静寂が戻ってくる。
――その静寂を破るように、一つの変化が生じた。ルキウスの足元に、突如として魔力が走っていく。
この兆しを感じ取ったのか、彼はすぐさま飛び上がって回避行動に移った。
白い砂肌に走る魔力は、すぐに一つの魔法陣の形をなした。出来上がった《風撃》が上に向けて旋風を放ち、周囲の砂を巻き上げ、風の通り道を宙に残していく。
見たところ、この風は旗による誘導の圏外らしい。風に舞う砂がそう教えてくれている。予想通り、旗は無制限に魔法へ干渉してくるわけではなさそうだ。
この確認のために用いた魔法ではないが、意外なところで備えが役立ってくれたものである。
そして、この風を警戒し、ルキウスが地面を離れたのが好機だ。
彼と旗の間の距離が開いた隙に、リズは《火球》を数発放った。旗に向けつつも、それぞれコースを散らした火球は、やはりというべきか吸い寄せられて射線が束ねられる。
結果、複数の火球が一点に凝集する形で炸裂。甚大な衝撃に、山頂に突き立てた旗は安定を失い、地面から抜け出てしまった。
爆風に煽られて飛んでいく旗は、平たい山頂から斜面へ落ち、音を立てて転がり遠ざかり――その音も聞こえなくなる。
転がり落ちる音が途絶えたその時、まだ晴れ上がらない爆炎の最中に、リズは魔力のきらめきを認めた。地面から昇るそれら粒子が、空で静かに佇むルキウスの手へ。
おそらくは、あの旗を用済みと見て魔力を回収したのだろう。
彼は場が落ち着くまでは、動こうとしない考えかもしれない。申し訳程度の牽制すらせず、様子をうかがうように構え続けている。
一方でリズは、仕切り直しのようなこの間隙に、思考を高速で巡らせていった。
《火球》が炸裂した瞬間、爆風に阻まれてはっきりとは視認できなかったが、旗の柄は破断していたように見えた。旗の布部分は無事だったようだが、単に柔らかさで衝撃をうまくいなしていたというだけかもしれない。
いずれにしても、この山頂という戦場では、旗を定点で確実に維持し続けるのは難しいだろう。
慎重かつ堅実で知られるルキウスであれば、そのように考えるはず。
では、あの旗は再生成が可能な代物であるか?
それは間違いないと、リズは確信を持っている。
これまでに目撃した他者のレガリアは2種。ベルハルトの《夢の跡》と、アクセルの《光の器》。いずれも自由に出し入れできることを前提としているものと、彼女は認識している。
加えて、ルキウスの使い方から察するに、あの旗の運用法は明らかに使い捨てることを前提としたものと思われる。
(それにしても……)
まだ降りてくる様子がない兄に、リズは少し棘のある口調で言った。
「一国の王子様が、ご自分の旗を使い捨てになさるなんて、ずいぶんとお行儀が悪いのではないかしら?」
これに対し、反論はない。指摘を受けたルキウスは、ただ自嘲気味な苦笑を浮かべるのみだ。
戦場に立ち込めた爆風も、やがて山風が連れ去っていった。
すると、ルキウスは構えた剣を地面に向け、口を開いた。
「まさか、地面から魔法を放つとはな」
「……驚いたでしょ?」
「いや、そこまでは」
端的な返答は、偽らざる本音なのだろう。この正直さに、少し場違いな感じを覚えるリズに、彼は続けた。
「魔導書で終わるとは思わなかったからな。さらに何か仕掛けるなら、この戦場そのものと思っていた」
「そう、ご明察ね」
「差し詰め、ダンジョンの延長といったところか……」
(本当に、察しがいいんだから……)
実際、そういった考えのもとで用意した戦場だ。魔王とルーリリラの手助けとたゆまない訓練により、ダンジョン的な特性を現実世界に持たせる意図を実現している。
ダンジョン支配者さながらに、戦場それ自体から魔法を放つことができるのだ。
もっとも、自由自在にというほどの習熟度はないのだが……
事の大筋をこうもあっさり見抜かれたリズは、悔し紛れの挑発も兼ねてデモンストレーションをしてみせた。宙に浮くルキウスに向け、山頂に広がる砂地から魔方陣を浮き上がらせる。
放たれた《追操撃》は、さすがに直撃することもなく、ルキウスからの弾を受けて相殺された。
「もう少し時間をくれたら、もうちょっと面白いことができたかもしれないけど」
「フッ、どうだろうな……」
様々な含みを持たせたであろう、ルキウスの反応。その心底がうかがい知れない彼は、少し陰の差す真剣な表情になり、問いかけてきた。
「まだ、諦めるつもりはないか?」
「当たり前でしょ」
「そうか……」
魔法が誘導される旗は、実際に脅威である。なにしろ、リズの得意分野が丸ごと抑制されるようなものだ。
視界の外からの奇襲も、弾の手綱を握れないとなれば……戦場の使い方は狭くなり、剣の技量で上回るルキウス相手に真っ向から挑む形となる。
だが、旗をその場に留めきれなかったという事実が、一筋の光明となっている。再生成の切れ目に、何かしらの脅威を与えることができれば。それに――
作り直せる標的へと狙いが逸れてしまうことも、リズにとってはそれなりに好都合であった。
だが、事は思惑通りに運ばない。
ルキウスの左手が光を放ち、再び何かが生成されていく。
それはリズの予想に反し、先ほどのような旗ではなかった。柄のない、布部分だけの旗だ。それも、かなり小さく、スカーフ程度の大きさしかない。
何やら嫌な予感が背筋を走り、リズは空に構えて《魔法の矢》を放った。
矢の狙いはルキウスの正中を射抜くものだったが、当然のように弧を描いて逸れていき、左手の布に当たる直前で消し飛んだ。一瞬の間に記述したであろう、《防盾》による相殺だ。
そして彼は、手にした布を左手に巻いていった。手慣れた所作で、あっという間に。
左手に白いバンデージを巻き付けるや、今度は腰背から刃渡りの長いダカーナイフを抜き、左右で長さの違う二刀流の構えに。
この装備の意味を即座に悟り、リズは自身の手と地面も合わせ、魔法を連射した。
だが、全ての攻撃はルキウスの左手へと、憎々しいほどに整然として馳せ参じ――彼の左手付近で、激しい魔力の応酬が繰り広げられる。
閃光が過ぎれば、そこでは魔力の残滓が霞となり、風が吹きつけ霧散させていく。
そして、傷一つ負うことなく、彼は地面に降り立った。




