第243話 VS第一王子ルキウス①
山頂へと無遠慮につきたてられた白い旗は、何かしらのレガリアだろうと、リズはすぐに直感していた。
しかし、詳細まではわからない。それどころか、判断材料となる事前知識もわずかだ。
一度ならず戦場で使ったことがあるものと思われるが、ルキウスの部隊は少数精鋭で、よほど統制が取れているのだろう。どういったレガリアを用いているのか、外に情報が漏れることはない。
リズが得ている手掛かりと言えば、この兄が率いる直属部隊の、損耗率が異様に低いことぐらいである。
(おそらく、防御系の何かだとは思うけど……)
リズは風にたなびく旗と、ルキウスとを交互に見回した。
向こうから仕掛けようという気配はない。こちらの動きに合わせて反応しようというのだろう。隙のない構えを続けている。
その構えには、ベルハルトとはまた違う力があった。思わず怖じさせるような強圧はないが、手出しをためらわせてしまうような威厳が。
身を焼く日差しの下、緊迫感と熱気が入り混じり、滲む汗が剣のグリップに染みとおる。
この剣が、あの《インフェクター》であったなら、きっと嫌がって不平を漏らしたことだろう。
だが、あの憎まれ口を少し好ましく思ってしまうほどに、二人きりの戦場は張り詰めた静寂に満ち満ちていた。
音と言えば、二人の間を遠慮なく駆けていく風と、それに煽られて舞う砂の音ぐらいのものである。
そんな静かな対峙が数十秒続き――
まずはリズが動き出した。牽制に放つは《追操撃》。一瞬で書き上げた複数の弾が、まずは山頂の戦場を離れていく。
遠巻きに囲ってから、一度に包囲射撃しようという腹である。
しかし、これ見よがしな攻撃準備を目にしてなお、ルキウスはその場で静かに佇んでいる。
これが挑発や侮りによるものではないと、リズは感じ取った。依然として、彼の構えと雰囲気には一切の緩みがない。
一方……弾を遠方に展開するにあたり、リズは微妙な違和感を覚えていた。いつもよりも弾の動きが鈍いような、あるいは誘導弾に対する意思の反映が鈍いような。
思い当たる理由がないこともないが、やはり怪しいのは旗である。
その正体を看破する意図も込め、リズは誘導弾を動かした。ルキウスの四方八方から、息を合わせて誘導弾が迫り、包囲の輪を瞬時にして締め上げていく。
生半可な力量の相手であれば、この飽和攻撃だけで全身を強く打たれ、二度と立ち上がることはないだろう。
しかし――囲った後は単に標的へと直進させるだけのはずが、得体の知れない力で引き寄せられ、弾道を歪められる感覚がある。
この不可解な歪曲に抵抗しようと念じても、誘導がままならない。蛇行する激流に呑まれ、懸命にもがきあがいて――
それでも甲斐なく流されてしまう。
結局、ルキウスを狙って走らせたはずの弾は、全てが仲良く別の的へと寄せ付けられた。
すなわち、山頂で高らかに掲げられた、あの白い旗に。
水平に進ませるはずの魔弾は、進んでいくほどに急上昇し、旗の布部分に直撃。次々と弾が炸裂し、まばゆい閃光が走る。
旗は相次ぐ着弾の衝撃により、全体がいくらか揺れ動いたが、それでも健在だった。
おそらくこれは、ルキウスなりの自己紹介、あるいはハンデだったのだろう。
力の一端を披露した後、彼は駆け出した。踏み込み鋭く、彼操る白刃が襲い掛かる。
胸元を狙う横薙ぎを、リズは鋭いバックステップで回避。間髪入れず、薙ぎの次は流れるように右上からの袈裟斬り。
これに対し、刃の軌跡に剣を添わせ、体勢を整えつつ受け流そうと目論むリズだが……
相手の方が一枚上手であった。あてがわれた刃のレールから剣を途中でスッと引き抜き、左手首を狙う鋭い一突き。
すんでのところで、リズは鍔で切っ先を受け、突きの勢いを活かすように大きく後ろへと退いた。
それからも流れるような動きで迫る攻撃に、思考加速を用いて対応。剣戟に応じる中、リズは思考を推し進めていく。
(旗の方へと、魔法が誘導されるのかしら?)
実際にそうだとすれば、なんともシンプルなレガリアだが……効果は絶大である。魔法に頼る者であれば、手も足も出なくなるだろう。
そこで思い出したのは、戦う前のひと時。「最悪の敵となるだろう」とのことだったが、あの旗の存在を指してのものであれば、彼我両方に対する的確な見立てというほかない。
だが……果たして、あの旗にどこまでの誘導力があるか、影響を受ける魔法に制限はあるか、ルキウス自身も対象となるのか。
まさか無制限に制約を課してくるとも思えない。打開の手立てはそのあたりにありそうだが――
検証と並行する形で、ルキウスの攻撃をかいくぐる必要はある。
剣のリーチはリズよりも少し長く、振りは彼女以上に速く鋭い。力は間違いなく上回るだろうが、決して強引に押し込むことはない。上下左右へ巧みに注意を振り、牽制を重ねた後、たまに正中を狙っての突きが入る。
牽制一つとっても、油断すれば無視できない負傷になろう。息つく暇を決して与えてくれない、文字通りの強敵である。
今のところ、ルキウスの側から魔法が飛ぶことはない。その必要もないからだろうか。
流れるような攻め手の、洗練ぶりと苛烈さもさることながら、全体的な身のこなしにも目を見張るものがある。陽光を受けて白く輝く砂地の上で、彼の足元にはほのかな魔力の光が垣間見える。
地面から伝わる感覚からも、彼が《空中歩行》を使っていることがうかがい知れた。接地しているようで、かろうじて地面には接していない。
この戦場を用意した張本人だからこそ気づけたぐらいの、絶妙な足運びである。
誘い込まれた戦場に警戒した上で、それと悟らせずに自然に動くだけの技量が、彼の心身に沁みついているのだ。
剣士としての基本技量では、明らかにルキウスの方が上である。今まで生き抜いてきた自負はあれど、その経験ゆえに、リズは力量の差を素直に認めた。
その上、このまま魔法を使えずじまいとなれば……抵抗もままならず、屍を地に晒すのみ。
そこでリズは、剣の連撃を堪え凌ぎながら、状況打破の算段を練った。
隙のない動きを見せるルキウスだが、動きに癖のようなもの――というより、彼が留意していそうなポイントを、リズは見出していた。
それは位置取りである。互いに足を休めず目まぐるしく動き続ける中、彼は自身と旗の両方が、リズの正面に来ないようにと気をつけているように感じられる。
これは、旗へと誘導したところで、そのコース上に自分がいては意味がないからだろう。
加えて、彼と旗の間にリズが来るのも避けているようだ。
(撃ったばかりの弾までは、力ずくで抑え込めない?)
ルキウスと旗で挟み撃ちにすれば、リズがルキウスへ放った魔法は、旗から逃げるように動く。これでは旗への誘引に差し障りがあるということだろう。
実際、誘導弾を引き寄せられた感触から、旗に近づくほど誘引力が強まる感覚はあった。
そこで、剣の連撃をかいくぐりながら、リズは《魔法の矢》を何発か放った。万一、ルキウスに直撃すれば良いと考えつつも、本命は旗の能力を確認として。
すると、本来は直進するはずの魔弾はルキウスにかわされ、旗に近づくほどに急激なカーブを描いて吸い込まれていく。
結局、リズの視界の端で、魔弾の力は旗をたなびかせるだけの結果に終わった。
依然として満足に魔法も使えない状況ではあるが、旗の性質さえ掴めたのなら、魔法を用いた戦いも意味を帯びてくる。
そして――別に自分自身が動かずとも、適切な射撃ポイントを得る手立てはある。
それはきっと、相手も先刻承知のことだろうが。




